知的生産

Numbersの良さは自由にオブジェクトを配置できるってことに気づいた

職場ではWindowsのパソコンを使うわけですが、身の回りのものはApple製品ばかり。 とはいえ、日常的に使うOffice系のアプリはやはりWordやExcelが主。AppleのPagesやNumbersは、ほっとんど使いません。 例外は、iPadではKeynoteを主に使用してるってところ。教室の電子黒板を使う際は、iPadのKeynoteで作成したスライドを表示させて授業をしているのでそうなっているわけですが、他の2つのPagesやNumbers、特にNumbersはもう何年も触っていないんじゃないか、という感じでした。 が、ちょっと最近、表を多用するようなプリントを作成したいと考えたときに、 ...

使い慣れた言葉や言い回しが使えないことで、文章の表現が拡がるかも

一冊の本を読み、読書メモをかなりじっくりと丁寧に書いています。 本を読んで、こんなにも何か書いてみたのは、数学に関する本以外では初めてかも知れません。 読書メモは、「かーそる2021年7月夏号」の「読書ノートでパーソナル・データスペースをつくる」に倣って。まんま、そこに書かれている方法で、「うしろめたさの人類学」というほんの読書メモを取りました。 この方法では、 読んで大切と思ったところをドッグイヤーする 読んだ熱が冷めた頃に、ドッグイヤーした理由をアウトライナーに書き出す 書き出したものをリライトする 章ごとに要約する ということをします。それだけでは終わらないところが「パーソナル・データベース」をつくる部 ...

「これについてなら書けるぞー」よりも「書けるかなぁ」くらいの状態で書いた方が楽しい

前々回の「知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると」のエントリ、書けるかなぁと不安な状態から発進したけど、書いてる最中に気づきの多いエントリやったような気がする。 で、気づいた。「書けるかなぁ」くらいの状態で書いた方が、「これについてなら書けるぞー」と思っている時よりも、書いている途中に気づくこととか、理解することが多くておもしろい。 考えてみればそれは当たり前なのかもしれない。 だって、「書けるかなぁ」という状態はつまり、書こうとしている対象についての理解が、書きあらわすことができるかどうかがまだわからないほどな状態。なので当然、書き進める中で、不十分な部分の理解が進み、気づきが ...

知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると

「知的生産」とはなにか。 「知的生産の技術」での定義は、 知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ ということになっています。 そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。 すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。 ノートは何のために存在しているのか。 書かれるためです。 ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキス ...

アイデアの土壌となりうる「経験」の受け皿としてのEvernote(「アイデアの土壌となりうる「経験」の受け皿」改題)

R-styleさんの「アイディアの傾向から見えるもの」というエントリを読み、考えたことをつらつらと。 どんな内容なのかは実際に読んでいただくこととして、このエントリの「さいごに」の部分にある記述を引用させていただきます。 ・情報のインプットだけを増やしても、新しい発想が次々生まれる、ということはあまりない。 ・むしろ、土台となる経験の数を増やしていく方が、しっかりしたアイデアを生み出しやすくなる。 ・その土台に、多様なインプットが合わさったとき、アイデアのビッグバンが起きる。 経験だけでも、情報だけでも足りないのです。両方をうまく活かす__ハイブリッドスタイルが肝要かと思われます。 同じ情報を受け取ったと ...

ゆるめの締め切り設定と、毎日書き続けることと、何を書こうかなーと考えて思いついたことを書き出すことから始めることと

次の火曜日更新の分について考えよう 何を書こうかなぁ。なんか書こうと思ったことがあったようななかったような。 最近のブログ更新のスタイルについて書こうかな。何を書こうかな、というところから始めて、という話。 他は、教員の授業以外の仕事、分掌の仕事について書くのもいいかもね。 最近何かあったかなぁ。特にないか。 じゃあやはり、2つのうちのどちらかを書こう。明日決めよう。 ブログを再開してからというもの、いい具合に肩の力が抜けた状態で毎日書くことができています。 書いたものの仕上がりに満足できるようなペースで更新することができているので、書くこと自体が楽しい。とてもいい感じです。 思い返せばこれまでいろんな書き方 ...

「知的生産のABCD」を自分にあてはめてみたら色々と思考が進んでなんだかスッキリまとまった

こちらを読みました。 知的生産のABCDを図化する – R-style もちろん、この記事中にあるリンク先の文章も全て読みました。 知的生産入門者のための「知的生産のABCD」 – sta 知的生産したい人のための「知的生産のABCD」 – 考えて、生み出す技術(TAC) 知的生産に必要な手段をABCDの4つの切り口から解説する初心者向けの本 を考えるもので、ABCDはそれぞれ A:Action B:Brast C:Collection D:Diary とのこと。 すべて読んで、「自分に当てはめてみたらどうなるかな?」ということが気になりました。 気になったなら、実際に考えてみようということになります。手で書いて。 その際、「自分は現状、ABCDそれぞれにどんなツールを使っているかな?」という視点で考えまし ...

ブログは、いろんな書きかたをするのがいいのかも

書きかたを固定せんほうがいいのかもな、とふと思った。 ブログ仕上げるまでに、使うツールとか、そんなに決めんでもええのかな、と。 情報カードを並べて、眺めて書くときもあっていいし、Scrapboxで書くときもあっていい。どれかに固定するのではなく、いろいろな書き方をするのがいいのやと思う。 使うツールが違えば、自然と考え方や書き方も違ってくる。それはもう間違いなく。特に、手で書くのかキーボードで打ち込むのかってのはもう全く違う。 今は、常にScrapboxでブログ記事を書いて、一つのページに切り出して、それをそのままブログにアップしてる。毎日更新するとなると、短時間で書けることがだいぶと重要になってくる ...

知的生産その7「かき混ぜる・かき混ぜてもらう」〜一個人の、知的生産・タスク管理の技術17〜

Scrapboxに置いておいたものは、基本そのまま放ったらかし。ページ内の言葉を「[]」ブラケットで囲み、リンクさせておくことで他のページと結びつき、それによって過去に書いたページが表示され、そのページを改めて見る。そうやって“くる“わけですが、それでは少し不十分というか、今自分が気になっていること以外の情報に触れる機会は依然として少ないままになってしまいます。 そこで、自分以外の人に、Scrapboxをかき混ぜてもらう。 実際、ぼくがメインで使っているScrapboxのプロジェクトは、ぼく以上に他の人にかき混ぜてもらっています。パブリックにして、誰でも見れるようにすることで。 基本的に誰でもみるこ ...

知的生産その6「おいておく」〜一個人の、知的生産・タスク管理の技術16〜

以前は、Evernoteになんでも書きためていました。それが、情報を保管し、扱い始めた最初の一歩だったように思います。 それが、アウトライナーであるWorkflowyになったこともありました。メモを書き集め、なんでもWorkflowyに書いた時代。 そのどちらにおいても、最終的には、保存した情報が日の目を見ることがなくなりました。たくさん保管しすぎて、それを後から使うことができる状態にはならず、死蔵していく。 くりかえし強調するが、カードは分類することが重要なのではない。くりかえしくることがたいせつなのだ。 『知的生産の技術 (岩波新書)』(梅棹 忠夫)にて書かれている言葉です。 情報カードは繰り返しくった ...