知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると

「知的生産」とはなにか。
知的生産の技術」での定義は、

知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ

ということになっています。
そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。

すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。


ノートは何のために存在しているのか。
書かれるためです。
ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキストエディタやアウトライナーなど、広く「記録する媒体」のように考えておきます(「すべてはノートからはじまる」でのノートと同じ定義としておきます)。
書いたものは多岐にわたるでしょうが、中には「なにかあたらしいことがら」にあたるものも存在するでしょう。
となると、ノートに書かれたものは、知的生産になり得る、と言えます。
たとえ個人的な、自分以外の人が見返さないノートに書かれたことがらであっても、知的生産の対象に自分を含めれば、それは知的生産と呼んでも何もおかしくないと思います。

書くことと知的生産は、決して同じではないにしろ、近しいものである、ということになります。
ただ書くだけでは、「知的生産の技術」での定義における知的生産にはなりにくいとはいえ、書くことは「知的生産」のはじまりであると言えるでしょう。
この意味において、メモもまた知的生産のはじまりと位置付けることができます。


かーそる 2021年7月号」のテーマは、ノート・メモについて。
メモを残すことについて、ノートを書くことについて、書いたものをどう扱うのかについて、ほんとうに彩のある1冊になっていると思います(かーそるという雑誌は、いつもそうです)。
「知的生産の技術で盛り上がる雑誌」の名に恥じないド直球のテーマでありながら、直球から変化球まで多彩な文章の数々に出会える雑誌です。
かーそるの書き手の中の一人としてノート・メモについて書かせていただき、光栄であるとともに、この雑誌が、求める人の手に届くことを願っています。


奇しくも、同じ時期に、同じくノートが主題の、かーそる編集長の倉下さんの著作「すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術」が発売されました。
まだすべてを読んだわけではありませんが、読み始めてすぐ感じたのが、「これこそが知的生産の技術ではないか」「ここで語られている記録術についての話と知的生産とは同一のものであると言えるのではないか」といったもの。
楽しく読ませていただいています。
そして読み始めて確信したのが、本書はぼくの中では待望の書だったんだということ。自分が書いたものではないのに、本のタイトルでエゴサーチしてしまうほどに、どう受け止められるのかが気になる本です。
それはきっと、一人の倉下ファンとして、「こんな書き手がいるのですよみなさん!」という気持ちと、まだ見ぬ倉下ファンに届いて欲しいという気持ちがぼくの中に強くあるからだと想像します。


では、お読みいただきありがとうございました。

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