書くこと

使い慣れた言葉や言い回しが使えないことで、文章の表現が拡がるかも

一冊の本を読み、読書メモをかなりじっくりと丁寧に書いています。 本を読んで、こんなにも何か書いてみたのは、数学に関する本以外では初めてかも知れません。 読書メモは、「かーそる2021年7月夏号」の「読書ノートでパーソナル・データスペースをつくる」に倣って。まんま、そこに書かれている方法で、「うしろめたさの人類学」というほんの読書メモを取りました。 この方法では、 読んで大切と思ったところをドッグイヤーする 読んだ熱が冷めた頃に、ドッグイヤーした理由をアウトライナーに書き出す 書き出したものをリライトする 章ごとに要約する ということをします。それだけでは終わらないところが「パーソナル・データベース」をつくる部 ...

見た目に加えて、操作感も見返したさに影響する〜うちあわせCast第85回を聞いて考えたこと〜

うちあわせCast、今回も面白く拝聴させてもらった。 第八十五回:Tak.さんとAX(アナログ・トランスフォーメーション)について by うちあわせCast アナログ的なデジタルの使い方、について。自分で作っていくというのは、一種のアナログの話。 手書きノートを書くということは、ノートをデザインすること。これはもう目から鱗。 確かに、自由にデザインできる手書きの素晴らしさは、いつになっても感じる。 で、書き込むのと見返すのは、デジタルでは一緒ではない、という話。 読む時の書式というものがある。手書きなら、書くときにそのままデザインできるので、読む時の書式で書いていける。つまり、読み返したくなるように書いていける ...

テキストに構造を持たせて、それを操作・編集するツール

「うちあわせCast第82回 アウトラインとは何か?」と「うちあわせCast第84回 最近のアウトライナーについて」を2回ずつ聞いた。 アウトライナーについて、色々と考えた。 骨組みの話 アウトラインは、はじめから「概要」を扱うわけではない。 肉を投げていき、何かぶつかる。もっと肉を投げていくことで、さらにそれがぶつかる部分が可視化されていき、そこに骨があることに気づいていく。 あさっての方向に投げないようにするのが、はじめのアウトラインかな、と思った。この辺に投げていこう、という、あたりをつけるのが。 最初であっても意味として筋が通っているような感じにアウトラインを立てるけど、あくまでもそれはあたりをつけて ...

「これについてなら書けるぞー」よりも「書けるかなぁ」くらいの状態で書いた方が楽しい

前々回の「知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると」のエントリ、書けるかなぁと不安な状態から発進したけど、書いてる最中に気づきの多いエントリやったような気がする。 で、気づいた。「書けるかなぁ」くらいの状態で書いた方が、「これについてなら書けるぞー」と思っている時よりも、書いている途中に気づくこととか、理解することが多くておもしろい。 考えてみればそれは当たり前なのかもしれない。 だって、「書けるかなぁ」という状態はつまり、書こうとしている対象についての理解が、書きあらわすことができるかどうかがまだわからないほどな状態。なので当然、書き進める中で、不十分な部分の理解が進み、気づきが ...

やっぱ記録って大事なんやなという話

メモをとるにしろ、時間の使い方のログをとるにしろ、作業記録を書くにしろ、ログをとったり記録をしたりって言うのはどうしてこうもめんどうくさいものなんでしょうかね。 ログをとったらとったで、それをどこに保存しておくのかってのもなかなかなやましいもんです。メモ用紙なんて書いたまま放っておいたら間違いなく紛失しますし、記録もしかるべきところに保存しておかないと、あとから見返すことが難しくなって結局「とった意味あるの?」ってな話になっちゃいます。 でも、こんなマイナスな面ばかり挙げたとしても、それでもぼくはメモをとるし、ログをとり続けるし、記録を書き続ける。なんでなんでしょうか。 それは、”それ以上の恩恵をロ ...

知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると

「知的生産」とはなにか。 「知的生産の技術」での定義は、 知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ ということになっています。 そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。 すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。 ノートは何のために存在しているのか。 書かれるためです。 ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキス ...

いろんな過去記事のいくつかの傾向

このブログは毎週火曜と金曜に更新しています。 で、1,2ヶ月ほど前から始めているのが、金曜の更新の時には、旧ブログの過去記事から選んだエントリに手を加えて改めて投稿する、というもの。 その試みをはじめてから、過去の10年前から6年前ほどの記事を読み返す機会が増えたのですが、記事によって抱く感想が違い、違う中にもある程度の傾向が見えてきました。 まずは、今、読んでも面白いと感じるもの。 自分の過去記事って、けっこう面白いと感じてしまうんですよね。 言い回しや文章の持って行き方が自分好みなのが一番の理由だと思いますが、中には着眼点に感心させられる記事もあったり、あぁえぇ記事やなぁと思うものも少ないながらもあ ...

一人で考えるよりも、シェアすればいい

先日、とりとめのないことを書きました。 読書メモはどうとるのが良いか ただ単に読書メモに対して自分がどう考えるのか書いただけのエントリですが、そこには「いろんな方の読書メモスタイルを知りたい」という願いを込めました。 より良い、自分に合った読書メモの形を考えてはいますが、一人で考えるよりもいろんな方の意見を聞く方がよっぽど良いからです。そしてそれは、他の多くの方にとっても参考になります。自分が考えつかないアイデアを、他の人は必ず持っている。これはもう紛れもない真実です。 アイデアの宝庫 ここで、紙とえんぴつを使って次のことをやってみてください。 「3つの丸と1つの線で、絵を描く」 どんな絵をお描きになりまし ...

「過去の自分」のに触れれることのおもしろさ

iPhoneを持つようになり、Evernoteを利用するようになって、「メモる」という行為が自分の中に根付きました。 また、ブログを書き始めたことで、「今、自分が考えていることを、ある程度まとめておく」という、それまでになかった習慣も身につきました。 「メモ」と「ブログ」。この二つは、「今現在の、自分の考えを切り取り、保管する」ということをしてくれています。3年ほど前までなら、Evernote内をさかのぼってメモを見ることができますし、2年半前ならブログの記事も読み返すことができます。 それ以前の自分も、ノートにあれこれ書いたりしていました。でもそれは、特定の分野についてであって、今ほどなんかっちゃ ...

近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになりそうと感じた

5月21日。この日を待ちに待っていました。 4月30日に注文してから約3週間。とても待ち遠しかったです。 新品を購入するのは、約8年半ぶり。長い間中古を買い替えて過ごしてきましたが、今回は新品を、満を持しての購入。 はい、iPadの話です。 主に仕事で、iPadを活用しています。 板書計画とiPad+Apple Pencilの相性は抜群で、書いては消し、書いたものを移動しながら適切な場所を模索し、といったことをしながら、板書計画を立てています。 これまでは、一昨年の夏に中古で購入した10.5インチのiPad Proを使っていました。正直、この昔のiPad Proで何不自由なかったのですが、新しいiPadが発表さ ...