メモを「見返しにいこう」と思っていたとしても、なかなかわざわざ見に行ったりしない。なので、勝手に目に入るようにする。これを念頭において置くだけでも、だいぶ扱いが違ってくるように感じる。 例えば、明日をインボックスにすることで、タスクの実行し忘れを無くすという手法。デイリーやカレンダーなど、日付ベースで情報を管理するものを使っているのであれば、「明日」のページやスペースに新たに発生したタスクを書き込むと、明日がきたらそのタスクが勝手に目に入ってくれる。 例えば、着想メモは、放り込むだけではなく、書き込むときに過去のものが目に入るようにすること。書いた時に過去に書いたものが目に入るようにしておく。着想 ...
LogseqやObsidianに手書きの機能を実装し、デイリーに保存された手書きの画像のみを表示するビューワーをショートカットで作りました。 LogseqやObsidianに手書きメモを取るショートカット デイリーページから手書きメモのみを表示させるビューワー ビューワーがあるなら、手書きしたメモを編集できる機能もつけておきたい。それがあれば、見返した時にそのメモに追記することができます。 共有から手書きメモを受け取り、マークアップを起動して書き込めるようにする。で、追記が終わったらそれを上書き保存するショートカットです。 これを、LogseqやObsidianからも即実行できるようにしています。 Log ...
Twitterをメモ帳として使いはじめました。 メインのアカウントではなく、サブアカウントを取得して、非公開にし、そこにメモをしていってます。 Twitterのリプライの機能を使えば、過去書いたメモに紐付けして新たなメモを書いていけるわけですが、そういうメモの仕方が、ちょっとした細かなメモをとるときに適しているのではないか、と考えてのこと。 これまで、ふとした思いつきやちょっとしたメモは、デイリーページに、他のメモや記述と一緒に書き込んでいました。 とにかくなんでもデイリーページに書き込む。そう決めておくことで、書くときに迷いなく書き始めることができるようにしていました。 メモは書いてなんぼなので、どこ ...
うちあわせCast、今回も面白く拝聴させてもらった。 第八十五回:Tak.さんとAX(アナログ・トランスフォーメーション)について by うちあわせCast アナログ的なデジタルの使い方、について。自分で作っていくというのは、一種のアナログの話。 手書きノートを書くということは、ノートをデザインすること。これはもう目から鱗。 確かに、自由にデザインできる手書きの素晴らしさは、いつになっても感じる。 で、書き込むのと見返すのは、デジタルでは一緒ではない、という話。 読む時の書式というものがある。手書きなら、書くときにそのままデザインできるので、読む時の書式で書いていける。つまり、読み返したくなるように書いていける ...
では、メモ・ノートについて、かーそる4号でしていない超具体的な話をブログでしていきたいと思います。 「勝手に信頼できなくなったメモ帳への信頼を取り戻すために」というエントリにて、メモ帳を信頼できなくなっている今の状況を打破するために、考えてやったことについて書きました。基本的にその時のままなのですが、今回は「信頼」という言葉をキーワードに考えてみたいと思います。 頭で覚えておくだけに任せることは、結構な頻度で忘れ去られなかったことになってしまうことを意味します。ぼくにとっては。 記憶は全く信頼できない、ということです。これはもう仕方がない。 訓練すればおそらくは記憶力を鍛えることができるのでしょうが、 ...
メモやノートについて、具体的に何をどのように使っているかの話は、本ブログで何度も書いてきました。で、その都度使っているアプリや文房具が変化してきたわけで、何度書いても同じことについて書くわけではない、というところが、何度も何度も書いている理由なわけですが、性懲りも無くまたノートやメモについて書いていこうと思います。 なんでそう思ったのか、というと。 このたび、「かーそる 2021年7月号」が発売されました。 今回のテーマは、メモ・ノートについて。 その中で、ぼくは3つの文章を載せてもらっており、ある程度具体的な話をしているのですが、では実際どんなツールを使ってどのように実践しているのか、というところにつ ...
「知的生産」とはなにか。 「知的生産の技術」での定義は、 知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ ということになっています。 そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。 すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。 ノートは何のために存在しているのか。 書かれるためです。 ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキス ...
何かしら思いついたことや覚えておかないといけないことは、「すべてを書きつけていく用」のノートに書きつけていってます。 今はObsidianがその役割をになってくれており、日中は基本的にはMac上で起動させているObsidianに書き込んでいき、家では先日AppStoreに公開になったばかりのObsidian Mobileを利用して、書き込んでいってます。 なので最近は、基本的にはメモを書くときには紙を使わず、Obsidianに直接書き込むこんでいます。 とはいえ、Obsidian Mobileの起動はそんなに早くなく、シチュエーション的にiPhoneを取り出せないこともあるので、紙のメモ帳を常に持ち歩い ...
ふとしたメモは、のがさず、なんでもかんでも書いていきたい。そう思っているものの、なかなかメモをガシガシかけてないな、という感覚がずーっとあります。 iPhoneのアプリをいろいろと設定して、メモを自分の望む形で_カードみたいに、くれるように_保管できるようにしたり、5×3情報カードを普段から肌身はなさず持ち歩いたりしてきました。「メモ帳」は常に装備してたわけです。でも、思うようにメモが増えない。 で、最近はカードをやめて、ノートを持ち歩くようになりました。すると、カードを持っていたときよりもメモをガシガシ書けるようになってきたんです。カードの方があとあとうんじゃかんじゃ考えるには絶対いいんですけれ ...
「記録しておく」。自分の中でその行為の重要性が日に日に増していっております。元来、めんどうくさがりなぼくですが、色々と工夫しながら、手間無く簡単に、かつ意味のある記録をする方法を模索しております。 なぜそんなに「記録」が重要なのか。 不確かな「記憶」と確かな「記録」 「過去の自分は他人である」と言われるほど、記憶はあいまいで、忘れ去られることも多く、また、知らず知らずのうちに書き換えられることも多々あります。 様々なことを書き留め、記録しておく。それしか曖昧な「記憶」に対抗する術はありません。 「初心」を記録する 「初心者忘れるべからず」と言われるのは、初心は忘れやすいものだからでしょう。それをしっかりと ...