使い慣れた言葉や言い回しが使えないことで、文章の表現が拡がるかも

一冊の本を読み、読書メモをかなりじっくりと丁寧に書いています。
本を読んで、こんなにも何か書いてみたのは、数学に関する本以外では初めてかも知れません。 読書メモは、「かーそる2021年7月夏号」の「読書ノートでパーソナル・データスペースをつくる」に倣って。まんま、そこに書かれている方法で、「うしろめたさの人類学」というほんの読書メモを取りました。

この方法では、

  • 読んで大切と思ったところをドッグイヤーする
  • 読んだ熱が冷めた頃に、ドッグイヤーした理由をアウトライナーに書き出す
  • 書き出したものをリライトする
  • 章ごとに要約する

ということをします。それだけでは終わらないところが「パーソナル・データベース」をつくる部分につながっていくのですが、ぼくは現段階では、章ごとに要約するところまで終わりました。
で、それをやっていて気づいたことがあります。


普段、あれこれ何かしら書いています。
作業記録を書いたり、やることを書き出したり、ふとした思いつきを書いてみたり。
はたまた、ブログを書いてみたり、気づいたことを他の人にもわかる形に書き直したり、ちょっと長い目の文章を書いたり。
色々書くわけですが、そこで扱う文章は、自然と使い慣れたものになります。
使い慣れた表現、使い慣れた言い回し、使い慣れた構成。
今、この文章を書いているときも、だいたいは使い慣れた言葉をチョイスして書き進めていますし、自然とそうなってしまいます。かなり意識して書かなければ。
でも、普段書くものに対して、そういう気の回し方をするのはなかなかに大変ですし、意図的にいつも使っているような表現を使わないでおく、というのはしんどい。なので、やっぱり使い慣れた言葉をいつもと同じように使うことになりがちです。

一方で、本の中の文章は、自分が使い慣れたものじゃない書かれ方をしているのがほとんどだと思います。自分では使わないような書き方がされていたり、普段自分が使っている表現では表し得ない事柄について書かれていたり。
そういった文章は、自分なりに理解したことを書こうとしたときに、使い慣れた文章では表現し得ないものを含んでいることも多いでしょう。
つまり、いつも使っている自分の言葉だけでは、どうしても本で述べられている意図を表現し得ないことがある。
となると、本の中に出てくる文章をもとに、それを使わせてもらいながら、自分なりの理解を文章にしていくことになります。
そしてこの行為が、自分の文章を拡げてくれる。表現や言い回しや説明の仕方を、今よりももう少し広い範囲のことがらについて書けるようにしてくれるかも、と気づいたのです。


この記事を書いている時も、やはり自分は自分の使いやすい、使い慣れた言葉や言い回しや表現をしています。自分ひとりでは、かなり意識して書かないと使い慣れた書き方から離れ、いつもは使わない言葉でいつもでは表現し得なかったことを書いてみるのは難しい。
読書メモを時間をかけて考えながら書くことで、確実にその本への理解が深まるとともに、自分が書けなかったようなことまで書けるようになるかもしれない。また、本の内容をそうやって描けるようになることこそが、その本を理解するということである、とも言えそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。


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