ぼく個人のタスク管理におけるボトルネックはGoogleカレンダーだった

いろいろな記録を残してきた。1日の行動ログとか、イベントのログとか、いろんな写真とか。
で、そういうログというもの、記録というものは、いろんな場所にバラバラに存在しているとちょっと具合が悪い。見返す機会があったときに、どこを探せばいいか混乱するし、下手したら見つけることができない場合も出てくる。
長いこと同じ場所に記録を残しているのであれば、そこから別のところに記録する場所を移すとなると、かなりの勇気というか、思い切りというか、大きな決断がいる。と、思ってた。けどそれは案外あっさり成し遂げられる場合もあるんだな、と知った。


iPhoneを手にしたときを境に、残す記録の量が大幅に、劇的に変化した。
iPhone以前は、記録は全然残っていない。写真はPCにあったり携帯電話に撮り溜めてたりバラバラやったし、メモを積極的に残すこともしていなかった。
スケジュール管理にはマンスリーの手帳を使っていて、1年ごとに手帳を新しくするため、書き込む場所は変わっていた。
それが、iPhoneを手にして以降は、メモや写真を積極的に撮るようになり、それらはMacと同期し、保存され、記録のほとんどがiPhoneがあれば振り返ることができるようになった。その気になれば、数年前の出来事であっても、ものの数十秒で振り返ることができるように。
iPhoneを使い始めてからずーっと利用しているものがいくつかあるが、そのうちの一つにGoogleカレンダーがある。
いや、その言い方は適切でない。
Googleカレンダーがあった。今は、使っていない。


タスク管理に関しては、いろいろなツールを渡り歩いてきた。
紙の手帳を使っていた時もあれば、紙のノートを手帳代わりに使っていた時もあったし、iPhoneにタスク管理のアプリを入れたり、TaskChuteのようなものを自作したり、たすくまを使ったり。
どれを使うときにも、必ず併用するツールがあって、それがGoogleカレンダーだった。
紙の手帳を使いつつもGoogleカレンダーも使っていたし、iPhoneのタスク管理アプリには、カレンダーのスケジュールを取り込めるものも多くてよく利用してた。なので、Googleカレンダーには過去10年分ほどのスケジュールが登録されたままになっており、それらは今は記録の役割をしてくれている。
過ぎたスケジュールは、その日の記録として残ってくれる。なので、Googleカレンダーを見返すことで、過去のその日に何をしていたのか振り返ることができる。
つまり、別のところに記録する場所を移す際にかなりの勇気というか思い切りというか大きな決断がいるものの代表格が、Googleカレンダーであった。なので、しばらくはずーっと使い続けると思っていた。一番、使わないようにはならないものだと思っていた。
けど、使ってない今、改めて考えると、「Googleカレンダーを使う」というのがボトルネックになっていた部分があるように思う。

Googleカレンダーにログを残したいが故に、手間に感じているのにわざわざGoogleカレンダーを使う。
ときには他のツールとの接続がうまくいかず、スケジューリングをミスったり。
Googleカレンダーに登録しているスケジュールをタスクリストと同列に並べるために、わざわざ複雑なことを試みたり、使いやすく感じてたツールから乗り換えたり。
で、いつまで経ってもタスク・スケジュール管理が安定せず、また別の方法を試みたり。
そういう諸々のことは、Googleカレンダーを使わない、という選択によって解消された。


スケジュールは必ずGoogleカレンダーに書く。
当たり前のようにそうしていたけど、当たり前のようにそうし続けるものやと思っていたけど、気づけばGoogleカレンダーにスケジュールを書き込まなくなっていた。
もちろん、今の環境が、使っているツールの使い方がGoogleカレンダーを必要としないだけで、また環境が変われば使い出すかもしれないけど、それはあくまでも選択肢の一つ。今までのように、使うことが当たり前に決まっていた状態からは大きく変化した。
Googleカレンダー上に記録は残らなくなり、結果これまでと今とでは「その日どんな予定があったか?」の記録が残っている先が違っていることになる。けど、案外気にならない。
これは、今の環境が快適やからに違いない。
記録うんぬんは、Googleカレンダー以外にも残っているから、それでいいか、と。
それよりも、使わない方が快適なら使う必要ないじゃないか、と。


そんなことを、うちあわせCast 第七十二回:Tak.さんと粒度を揃えたくなる現象についてを聞いて、考えていた。

「記録すること」の重要性

「記録しておく」。自分の中でその行為の重要性が日に日に増していっております。元来、めんどうくさがりなぼくですが、色々と工夫しながら、手間無く簡単に、かつ意味のある記録をする方法を模索しております。
なぜそんなに「記録」が重要なのか。

不確かな「記憶」と確かな「記録」

「過去の自分は他人である」と言われるほど、記憶はあいまいで、忘れ去られることも多く、また、知らず知らずのうちに書き換えられることも多々あります。
様々なことを書き留め、記録しておく。それしか曖昧な「記憶」に対抗する術はありません。

「初心」を記録する

「初心者忘れるべからず」と言われるのは、初心は忘れやすいものだからでしょう。それをしっかりと書き留めておく。
一番始めに燃えたぎっていたやる気・情熱というのは、少しずつではありますが確実に弱まって来るものです。それを再燃させるには、はじめの決意を蘇らせ、そのときの気持ちを取り戻すことです。人は知らず知らずの間に変化していき、初心を忘れてしまうこともあります。そんな自分に活を入れるためにも、「初心」は必要になってきます。

「時間」を記録する

時間は過ぎ去っていくもので、あえて目を向けることをしなければ、どんどん浪費していってしまいます。それを防ぐためにも、時間の記録を取ることは重要すぎてなりません。
時間の記録をとることで、行動にかかる時間の見積もりが正確になって行きます。もし記録がなければ、いくら理想の時間の使い方を考えたとしても、実際の使い方と照らし合わせることができず、机上の空論となってしまいがちです。
また、見積もりが正確になると、一日の見通しが良くなります。それは集中の大敵「不安」を取り除くことにつながり、より集中して作業に取り組むことにつながります。

「そのときそのとき」を記録する

日記やライフログも大切な記録の一つです。その日一日を記録することで、自分の歩みを確固たるものとすることができます。
日記では、毎日の自分の変化に注目して記録することもなかなかいいです。ぼくは毎日「今日は昨日と比べてどんな成長があったか?」という質問に答えるようにしています。
日々の変化というのは見えにくく、自分が成長できている実感というのはなかなか感じることはできません。成長の実感は次の成長への大きなモチベーションとなります。それを逃さないためにも、毎日の変化を見つめていくということは、とても大切です。

「目標」を記録する

「よしやるぞ!」と目標を設定しても、ぼく、よく忘れちゃいます。忘れちまったらおしまいなので、目標を書き留め記録記録。そのときそのときの目標を記録することは、大きな視点で自分がどこに向かっているのかを確認することができ、方向を見失わないですみます。
また、目標の達成度を知るためにも記録は必要です。そして目標設定と達成度の確認を繰り返すことで、目標設定力というのはついていくものだと思います。

おわりに

「記録」するのは、めんどうくさいです。記録する対象が増えれば増えるほどめんどうくささは増し、「いちいちやってらんない!」ってなっちゃうかもしれません。でも、「記録する」ことは間違いなく大切な行為です。
めんどうくささに対抗するためにも、記録の大切さを自覚することが必要なんじゃないかなーとか思ったりしています。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりにのおわりに

この記事は10年前に書かれたもの。このころからずっと、記録を大切にしています。つまり、10年分の「そのときそのとき」や「目標」の記録が蓄積されている、ということです。
それらが実用的に役立っている、というわけではありませんが、その気になれば10年前の今日に何をしていたのか詳細に振り返ることができます。12年前になるとまったく記録が残っておらず、なにしてたかなんて一切わからないわけで。
記録があるかないかはえらい違いだなぁと感じます。

記録は、ときどき役に立つことはありますが、劇的に何かを変えてくれるのかというとそういうものでもないと思います。
でも、確かにそれが存在している、ってところに価値があるのかもな、と今は感じます。

では、お読みいただきありがとうございました。

他の人のを見るよりも、自分で作った方がはるかに理解が深まり、活用へとつながりやすい

「ルーブリック」というものが、新しい評価基準として注目されてたりされてなかったりするらしいです。
今、高校3年間を通して、どういった進路学習を日々の授業の中に組み込んでいけばいいかじっくり考えています。外部のNPO法人に協力していただき、来年度に向けて目指す生徒の姿などを時間をかけて練り込んでいっている段階です。で、そこでルーブリックというのを作成しているのですが、実際にこういったものを作成するのは初めてのことで、ルーブリックの存在すらあまり知りませんでした。

ただ、ちょっと思い出してみると、ルーブリックを目にし、自己評価をした経験がありました。それは、去年の10年経験者研修でのこと。
教職員としての評価をするための壮大なルーブリックが提示され、それを見ながら各項目に関して自分はどの段階にいるか、ということをまず確認します。そして、次の段階に至るためには何が必要か考え、1年間の研修を計画する、ということを研修の序盤でおこないました。そういえば。

研修におけるルーブリックは、項目数が多く、レベルも5段階ほどだったように思います。
それを見た瞬間、「うっ。」とした記憶がありました。
それ以上に、そこに書かれていることが頭にほとんど入ってこなかったことを覚えています。

ただ、進路学習のためのルーブリックを作成していて、これを活用することができれば、より明確な狙いをもった授業を考えることができると感じますし、生徒一人一人が目指すところも見えてくるように思います。

進路学習のためのルーブリックと、10年研修のルーブリックの一番の違いは、「自分で作成したか否か」。
これはかなり大事なところだと感じます。
自分たちで作成した、進路学習のためのルーブリックは、十分に全体を理解しているが故、活用できそうな感覚を持てています。
一方で、提示された10年研修のルーブリックは、その壮大さも相まって、なかなか全体像を捉えることができませんでした。
でも、壮大なものであったとしても、それが自分で考えて作成したものであれば、全く違った印象を抱くと思います。

で、これは、生徒に提示するときにも同じことが言える、ということ。
他の人が考えたルーブリックをただ単に提示されても、おそらくは頭には入らないでしょう。
理想は、多分自分たちで話し合いながらルーブリックを作成していくこと。
でもそれが難しいのであれば、ルーブリックの各項目・段階についての丁寧な説明が必要ではないかな、と感じます。
少なくとも、提示するだけで頭に入り、活用できる生徒はなかなかいないと予想されます。


自分でルーブリックを作成してみて、他の人が作ったものを見るよりもはるかに内容を理解でき、活用へとつながっていくという当たり前のことが実感を伴って理解できました。
また、こちらが作成したものを提示する上で気をつけなければいけない点も予想できるようになりました。
やはり何かしら自分で試してみないとわからないことは多いな、と改めて感じた出来事でした。

では、お読みいただきありがとうございました。

未熟さの痛感は、成長のチャンス

自分の「未熟さ」というのを、痛感するときがある。
全然うまくいかなかったり、自分の力量のなさを感じたり、できていないことばかりに目がいったり。
こういうときは、落ち込む。ヘコむ。気持ち的に沈む。
がんばっても報われないんじゃないか、やる意味ないんじゃないか、もうなんでもいいや。
そんな気持ちに、投げやりな感じになってしまうこともある。
こういうときには、冷静に今の状況をみることが大切になってくる。

立ち止まって考えると、、、

「未熟さ」は、常日頃痛烈に感じている、というわけではない。
自分にはまだ足りない部分を感じつつも、でもそれに打ちひしがれることはなく過ごしている。
「未熟さ」を感じつつも、打ちひしがれるほどではない状況。これが、普段の状況、と言える。
に対して、落ち込むほど「未熟さ」に打ちひしがれているときは、いつも以上に未熟さを感じているわけで、ヘコみ、落ち込みながらも、なんとかしたいという気持ちもいつも以上に持っている。
この、「なんとかしたい」という気持ちを、プラスのパワーに変えることができれば、「未熟さ」を痛感しているときというのは、いつも以上に成長のチャンスが秘められているんではないか。
「未熟さ」に打ちひしがれている自分を、沈んでいる自分をはねのけることができれば、自分に大きな変化を起こせるのではないか。
未熟さの痛感は、成長のチャンスではないか。
そう、思うことができた。

未熟さに打ちひしがれるたび、こう思うことができれば、そのたびに一つ、成長できる気がする。

おわりに

「未熟さ」にヘコみ、沈みながらも、「これはチャンスや、チャンスなんや」と思えた。
そう思えた自分を褒めてやろうと思うし、そう思えたんだってことを残しておきたいから、ここに書き記しておこうと思った。

未熟さの痛感は、成長のチャンス。どんと来い、自分の「未熟さ」。

では、お読みいただきありがとうございました。

読み返してみて

この文章は過去のブログにて公開したもので、書いたのは7年前。
今でも未熟さを感じることはいくらでもあるし、きっとこれからも未熟さを感じ続けると思う。
で、今は「どんと来い、自分の「未熟さ」」って気持ちはあまりなく、どんと来いとは思っていないけども、未熟やねんからそのぶん調べたり、人に聞いたり、他の人に話してみたりできることが多くなった。
自分で考えることも必要やけど、じゃんじゃん聞いてみよう、話してみようと思うようになった。

未熟さの痛感は成長のチャンスという考え方は、未熟さは乗り越えていくもんだ、というニュアンスがなくもない。
もちろん、成長の糧とすることが大事ではあるけれども、ことによっては自分の未熟さを受け入れ、他の人の手をかりながら進んでいった方がいい結果につながることは多々あると思う。
そういう視点を得ることができていることは、いいことだなと感じる。

では、お読みいただきありがとうございました。

時間はかかったとしても、じっくり読むことで得られるもの

ここのところずっと、ピーター・F・ドラッカーの「マネジメント 課題、責任、実践」の上巻を読んでいます。
上・中・下とあり、全てを読み終えるまではかなりの時間を要すると思われますが、わりとじっくり目に上巻を読み進めています。
「マネジメント エッセンシャル版」のほうなら2回くらい読んだのですが、いまいち内容が頭に入っていない感じでして、エッセンシャル版ではないのを読もう、と思い立ち、上・中・下の3巻を「えいやっ!」と購入。結果、まだ上巻の中盤ながら、すごくこの買い物は良かった。
もちろん、エッセンシャル版とは内容が違っている、というのもそう感じる要因だと思うのですが、それに加えて、じっくり読み進めていることも大きく関係していそうです。


仕事では、分掌長というものをさせてもらっていまして、一応進路指導部という分掌のまとめ役をしています。
教員なので企業に勤めているわけではありませんが、それでも「マネジメント」から得ることはすごく多い、と感じています。
最近特に問うようになったのは、「われわれの事業は何か?」というもの。
マネジメントにおいて、企業のミッション・目的を考える上で欠かせないもの、成果をあげることができるか否かに大きく影響を与えるものとして、「われわれの事業は何か?何になるか?何であるか?」という問いの重要性が説かれています。
上巻の序盤に書かれており、その章の内容を掴むことができた感覚があったからか、「われわれの事業は何か?」を問う姿勢が身についたように思います。
で、この問いについて考えた上で進路指導部の活動を見ていくと、今のやり方ではダメだと、変えていかないといけないなと思うところがあり、こう変えていこうという方針がやっと見えてきたってのが今の段階。
今年で分掌長をするのは2年目。全体を理解できた、把握できたところででマネジメントを読むこよができて良かったなぁ、と感じます。

そして、そう感じるのは、じっくりと読み進めていることが大きい。
読む中で重要に思ったところに関しては付箋を貼り、考えたことをメモしながら読み進めていきます。
これまでは、そのまま最後まで読み進めていき、読み終えたら付箋を貼った部分を書き写して読書メモを完成としていました。が、今回はある程度のまとまりごとに読み進めるのを一旦止め、手書きで本文を書き出して読書メモを作成し、要点を書き出す中で理解したことを書き添えていっています。
そのおかげで、これまでの内容を自分の中に多少は落とし込んだ状態で続きを読み進めることができているように感じます。

この読み方ができているのは間違いなく、「ブックカタリスト」を聞いているから。
おもしろいポッドキャストを紹介します」というエントリ内でも書いたように、ブックカタリストを聞くことで、読むペースは落ちたとしても1冊1冊をじっくり読むのもいいもんだ、読んでみたい本が積み上がってもいいじゃないか、と思えているからに他なりません。
他にも読みたい本や家の中で読まれるのを待っている本は何冊もありますし、マネジメントの中巻・下巻も待ち構えているわけですが、次を読みたい気持ちよりも今は1冊1冊をじっくり読んでいきたい気持ちがまさっている状態です。
この変化はとても大きいものですし、で実際楽しく、学び多く読み進めることができているので、時間はかかったとしても1冊をじっくり咀嚼しつつ進めていきたいな、と思います。


とはいえ、他にも本は読みたいので、1つの読み方に固執せず、いろんな本の読み方をしながら、読書生活を充実していきたいものです。

では、お読みいただきありがとうございまいた。

「過去の自分」のに触れれることのおもしろさ

iPhoneを持つようになり、Evernoteを利用するようになって、「メモる」という行為が自分の中に根付きました。
また、ブログを書き始めたことで、「今、自分が考えていることを、ある程度まとめておく」という、それまでになかった習慣も身につきました。
「メモ」と「ブログ」。この二つは、「今現在の、自分の考えを切り取り、保管する」ということをしてくれています。3年ほど前までなら、Evernote内をさかのぼってメモを見ることができますし、2年半前ならブログの記事も読み返すことができます。
それ以前の自分も、ノートにあれこれ書いたりしていました。でもそれは、特定の分野についてであって、今ほどなんかっちゃぁメモしていたわけではありません。日記も続けて書いたことありませんでした。「メモ」や「ブログ」を書いていなかった、それ以前の”自分”に出会うことはなかなか困難なわけです。

いやぁ、もったいないことをしてまいました。

”過去の考え”は新鮮でおもしろい

メモを習慣的にしてこなかったころは、自分は自分であって、まるで別人に感じることなんてないやろうと思ってたと思います。
でも、メモをとるようになって、それが勘違いであることがわかります。だって、たった一月前のメモとかでも、まったく自分が書いた覚えのないものが1つならず、3つも4つもあるんですから。
これはブログにも言えます。ブログはメモと違い、ある程度は考えをまとめて書いてるので、より記憶に残りやすいはず。いやいや甘い甘い。自分が書いたとは思えない記事なんてわんさかあります。
そういうのんに出会うのが、すんごい楽しい。今の自分とは違う自分との出会いです。

過去の自分が考えたことやから、新鮮でもなんでもないはずやのに、今の自分が見たらすんごく新鮮に感じる。過去の自分が新鮮だなんて。
「こんなこと考えてたんか!」と、感心することもしばしばです。ほんま、過去の自分さまさまです。ただ単にぼくの記憶力がなさすぎなだけかもしれませんが。
中でも、読み返して一番新鮮に感じるのは、「メモ」です。その刹那に思いついたことは、別にすごいこととか書いてる訳でなくても、くだらんことを書いてても、ほとんどがくだらないことしか書いてないんですが、見返すと面白いです。
刹那的に思いついたことの方が、確実に忘れていますものね。

おわりに

メモをとり、ブログを書くことで、今の自分を切り取る。これは、よっぽどのことがないかぎり、これからも続けていくと思います。
読み返してるのは、過去の自分が書いたものなので、別に役立たんのですが、おもしろい。
過去の自分がおもしろいとなると、自分がどんなこと考えてるのかってのをより記録していこうと思うわけで。そんな、”自分の考え”ってのに、以前より確実に興味をもつようになりました。
自分ってのはなかなか興味深い生き物です。
「ほんまかいな?」と思うのならば、しばらく思いついたことやら気づいたことをメモって保管しておいてみてください。それを読み返すと、きっとそれまで以上に自分に興味を持つはず。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりのおわりに

、、、という、過去に自分の書いた記事に触れ、ちょっと修正し、過去のブログから今のブログに移植しました。
少し前から旧ブログの過去記事を読み返し、ちょびっと修正して現ブログにて公開し直す、ということをやっています。
中にはほんとに読みかえせてよかったと感じたり、なかなかに良いなぁと思う記事もあったり。
「過去の自分」のに触れることは、あいも変わらず面白いものです。

では、お読みいただきありがとうございました。

近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになりそうと感じた

5月21日。この日を待ちに待っていました。
4月30日に注文してから約3週間。とても待ち遠しかったです。
新品を購入するのは、約8年半ぶり。長い間中古を買い替えて過ごしてきましたが、今回は新品を、満を持しての購入。

はい、iPadの話です。


主に仕事で、iPadを活用しています。
板書計画とiPad+Apple Pencilの相性は抜群で、書いては消し、書いたものを移動しながら適切な場所を模索し、といったことをしながら、板書計画を立てています。
これまでは、一昨年の夏に中古で購入した10.5インチのiPad Proを使っていました。正直、この昔のiPad Proで何不自由なかったのですが、新しいiPadが発表されたら買おう!と決意していて、なおかつAppleの発表会を見たらM1チップがiPad Proに乗るということで、予約開始日に必死こいて予約をし、発売日にゲットすることができました。
届いてしばらく試し、もちろん動作はサクサク快適なのですが、これまでと別にたいして変わったことをするわけでもないので、今まで通り使っていこうかな、といった感じです。

では、今まで使っていた10.5インチの古い方のiPad Proはどうなったかというと、子どもが使う用にすることにしました。
自分が使わなくなったiPadやMac子どもにあげよう!と決意していたので。
今回新たにiPadを購入し、古いiPadは子どもが使えるようにセットアップし直しました。

一番上の子は小学校に入ったばかりで、ひらがなを毎日の宿題として練習しています。また、次女は英語を習っており、アルファベットのなぞり書きを練習中です。
そこで、ネットでなぞり書きのPDFを探し、受け渡したiPadに入れることにしました。
そうすることで、何回でも何回でも練習することができるようになります。
そして、思いました。やはり、将来的にはノートはタブレット+専用のペンに置き換わっていくかもな、と。
近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになっていきそうだな、と。

とはいえ、実際に今のようにえんぴつで紙に書く練習がなくなるのかというと、「?」です。それは、やはり鉛筆の方が書きやすく、練習にはもってこいだから。
上の子は小学校に入り、ひらがなを熱心に練習しています。使う鉛筆は、「4B」のかきかたえんぴつ。
4Bなんてもうほとんど使うことがないくらい、芯の柔らかい鉛筆です。
力を込めて書いても芯が折れにくく、芯が柔らかい分、紙との摩擦がしっかりしており、HBとかと比べるとやはり書きやすい(好みにもよると思いますが)。
そういう、書きやすさの面では、iPadは(今のところ)紙と鉛筆にはかないません。
文字を練習し始めたばかりの子どもにとって、柔らかい鉛筆を使うことは必要なことなのかも、と感じます。
いきなりiPadにて書く練習をするよりも、しっかりと力を入れて書きやすい紙と濃い鉛筆から入り、慣れてきたら移行したほうが良さそうかなーと。
また、画面の広さの制約があるため、紙が必要なくなるのはまだ先のことだろうな、とも感じます。
それもこれも、今後手書きがどう発展していくかによるとは思いますが。


手書きというのはいいものです。
紙に鉛筆やペンを使って文字や絵を書くのは、タブレットとペンを使うよりも心地よく、色鉛筆やクーピー、クレヨンで描くという行為にも、独特の手触りが、感触があります。iPadとはいえ、それにはまだまだ及ばない。けれども、今後の発展次第では、書き心地の差は埋まっていくのかもしれませんし、それとは違った体験をさせてくれそうな気もします。
いずれにせよ、子どもと一緒に使っていけるのが嬉しいので、今後も新しいのを買うごとに受け渡していこうかな、と考えています。
お古ばっかりでごめんね。

では、お読みいただきありがとうございました。

「教える」よりも「引き出す」に重点を置く

ぼくの好きな本に、「プロ研修講師の教える技術」というのがあります。
なぜこの本を購入するに至ったかと言うと、”はじめに”でこんなことが書かれていたからです。

「こちらが、詳しくていねいに話す」のではなく、「こちらの説明はポイントだけで、答えは相手に見つけてもらう」

プロ研修講師の教える技術

寺沢 俊哉 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2011-10-16

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この考えにすごく共感し、思わず購入したわけです。”教える”よりも、答えを”引き出す”ことで授業を組み立てていき、話を進めていく。初任校でみんなの前に立って教えはじめてしばらく経ったころから、その重要性に気づき、意識し始め、そこから数ヶ月が経った頃、本書と出会いました。

予備校での日々

少し過去を振り返ってみると、大学に入ってから大学院を卒業するまでの6年間、ぼくは予備校で講師のバイトをしていました。メインは個別指導で、1対2〜3で数学を教えていました。相手は受験生で、最大の目標は「志望校に合格すること」。
合格点に達するかどうかが一番の課題なので、言ってしまえばパターンや解法の暗記でもいいから問題が解けさえすればいい。とはいえ、数学を学ぶからには、問題を解くときには頭を使って考えてほしい、脳みそを鍛えてほしいという思いが常々ありました。
それはただのぼくのエゴなのかもしれませんが、なんとか質問を多くしながら生徒に考えてもらい、意見を引き出す努力をしていました。でもやはり、”教える”という意識が強かったように思います。

算数を教える日々

そして初任校は特別支援学校で、担当の1つとして数学の授業を持っていました。数学という教科名をしてはいますが、内容は算数。算数を教えるのはとても難しく、反省の多い日々でした。その時の話です。

教えはじめてしばらく経ったころから、悩みの多かった数学の授業が、すごく楽しくなってきました。予備校時代もとても楽しみながら授業をしていたのですが、それを上回ります。なぜそんなに楽しくなったのか。
それは、”みんなの意見をきく”ことを主体とした授業構成にしたからです。
授業なので、もちろん身につけてほしい考えや計算という目指す目標はあります。でもそこまでこちらがグイグイと引っ張っていくのではなく、みんなの言葉を引き出しながら、こちらはその意見をもとに目標に向かって行くというスタンスです。これが楽しい。予想外の意見や、こちらの予想を超える考えがバンバン飛び出してくるからです。
みんなの意見に驚きながら、それを拾い、拡げながら授業を展開していくのがほんとうに楽しい。

”引き出す”ことが大切

考えて、頭を働かせていないと自分の意見を持つことはできません。みんなからいろんな意見を聞き出すことができているということは、しっかりと考えている、頭を働かせている証拠だと思います。
予備校時代からの「学ぶからには頭を働かせて考えてほしい」という思いが、いくらかは達成できていたのではないか、と感じます。こうしてみんなの意見・考えを聞き、ぼく自身がすごく楽しみながら授業ができているので、それは生徒みんなにも伝わっているはず。以前より意見が活発に飛び出すようになってきていると感じます。

”引き出す”。そのためにはやはり準備が大切。
どこまで材料を与えるのかはとても難しい。材料を与えなさすぎると、生徒はどうしていいかわからなくなりますし、玉に材料を与えすぎたり、質問しすぎると誘導尋問みたいになってしまいかねません。その微妙なライン攻めるのがまた楽しかったりするのですが。
考えを引き出す授業構成も大切ですが、自分の意見を言いやすい雰囲気づくりもとても大切になってきます。
授業中のクラスの”空気”には細心の注意を払いながら、意見を言いやすい良い雰囲気を保つこともとても難しいものです。「考えを促す授業構成」と「意見の言いやすい雰囲気づくり」は、今一度取り上げていきたい目標です。

おわりに

”教えている”という意識は、少し間違えると「教えてやっている」やら「これだけ言ってなぜわからないんだ」という気持ちを誘発してしまう危険性があります。もう一度本の内容を引用させてもらいますと、

「こんなことがわからないのか!」ではありません。
「こいつ、人の話を聞いていないんじゃないか!」ではありません。
伝わらないのは、教える側が悪いのです。

まさにそのとおりなのでしょう。これからもずっと”教える”よりも”引き出す”ことに重点を置きながら、生徒みんなと楽しみながら進んでいければなとおもいます。

では、お読みいただきありがとうございました。

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会議資料の作成にアウトライナーを使うのが快調

『アウトライン・プロセッシング入門:アウトライナーで文章を書き、考える技術』を読み、アウトライナーという道具を利用して、書くこと、考えることについて学んでからは、実際にアウトライナーをより日常的に使うようになりました。
確かに、アウトライナーは、書くことにより、考えることを強力にアシストしてくれる存在だと感じています。
一方で、ある形式にのっとった書類を作成する時にも、大変に役立ってくれるものだとも思うようになりました。アウトライナーを用いて、会議資料を作成し始めたことによって。


昨年度から定期的に会議の資料を作成することになりました。
はじめは勝手が分からないので、これまでの資料を参考に作ることになるわけですが、会議資料というか、会議のレジュメは明らかに階層構造を成しています。
大きな見出しとして「審議事項」と「連絡事項」が並び、その子要素としていくつかの案件や連絡事項が並びます。そして、そのそれぞれに対して、内容と説明文が書かれている、といったように。
これは見るからに、アウトライナーを使って作成していくのが良さそうだと感じ、使ってみて、予想通りの快適さです。

会議のレジュメは、最終的にはWordファイルで作成し、残しておきます。が、下書きを作成する段階では、アウトライナーを使っています。
Wordにもアウトライナーモードはありますが、あんまし使い慣れておらず、思うように操作できなかったというのが理由の1つめ。
Wordでは基本的に1回の会議につき1つのファイルを作成していくため、会議ごとにファイルが分割されます。分割するのではなく、全ての会議を1つのアウトライン上で扱いたい、という考えがあったってのが、下書きではWordを使わないもう1つの理由。
というのも、まず間違いなく、今年度作成した会議資料は、来年度参考にします。1つに連なっていてくれた方が、時期なども確認できて良い。変更させたいときも手軽。
また、今回の内容が、次回の会議に影響を及ぼすことは多々ありますし、今回あがっていた議題が次回に持ち越される場合もあります。今回の会議で触れるべきことを考えているときに、次回以降に取り上げたい内容を思いつくこともしばしばあり。
となると、会議ごとに分割されているのではなく、全ての会議のレジュメは1つのアウトライナー上に乗っておいてくれたほうが、まず間違いなく便利です。回を跨いでの移動が、とても簡単になるので、柔軟に組み替えていくことができます。

アウトライナーを使って会議資料の下書きを済ませた後は、それをコピーしたものをWordに貼り付け、整形していきます。
毎回、見出しごとのスタイルを調整するのは手間でしかないので、Wordファイルのテンプレートを作成し、利用しています。
中でも便利なのが、見出しごとにショートカットキーを割り当てること。
見出し1を「ctr+1」、見出し2を「ctr+2」、、、と割り当てておくことで、貼り付けた後の整形作業がとても捗ります。
整形の手間のかなりの部分を省いてくれますし、テンプレートの見出し構造が手になじみ、使い勝手がかなり上がってきたとも感じます。
そして使っていくうちに、ほとんどの資料をそのテンプレートを使って作成するようになりました。ショートカットキーによって小気味良く構造化していきながら書き進めていくのがとてもいい感じ。


テンプレートを使うことと、見出しの設定にショートカットキーを割り当てること。
この2点は、知ってしまうともうこれなしにはやってられないレベルの機能に感じます。

で、重要なのが、アウトライナーというツールを知っていたことと、今まで使ってきていたことがすべてのはじまりになっているということ。
そこで学んだシェイクなどは、会議資料を作成する際にはほぼやらないわけですが、たぶん、階層化によって文章を構造的に表現しながら書くことを知らなければ、そもそも資料の作成にアウトライナーを使おう、と思わなかったわけで。
知的生産とライフハックのつながりを強く感じる一件です。

では、お読みいただきありがとうございました。

週2回更新と決めて、毎日書く

何を隠そう、iPhoneと本と数学となんやかんやとは、火曜日と金曜日の更新です。
週2回更新を続けています。

昨年11月12日に火曜と金曜の更新に決めた!って言ってから、多分今まで更新し続けることができていると思うので、半年続いていることになります。
積極的にブログを書くぞと思い、2019年の10月から毎日更新をしていたのは、4月で途絶え、6ヶ月で終わってしまいました。が、今やってる週2回更新は、もうちょっとは続けることができそうです。もしかしたら、もっともっと続くかも。

自分に合ったベースで更新するのが、やっぱり良いようです。

毎日更新することはできなくとも、毎日何かしらちょっと書くことはできます。
更新するとなると完成まで持っていく必要がありますが、ちょっと書き進めるだけなら途中でおわってても全然問題ない。
ちょっと書き進めるのを2,3日続ければ、一つの文章をとりあえず完成させることはできます。まぁこれくらいなら公開してもいいかな、くらいの程度には。
幸い、毎日更新の時に、ちょっとしたことを書いてえいやっと公開することになれたので、公開に対するハードルは下がったまま。
毎日書いて、ちょっとずつでも書き進めて、更新の日にはとりあえず完成させてえいやっと更新。そんな感じでもいいかな、と思いつつやってるのが、続く理由かもしれません。

習慣化は、飛び飛びになると難しいということは経験から知っています。
なので、週2回更新と定めて、更新の日だけ書く、とすると、うまいこと習慣として根付かせるのは難しい。毎日書いて、更新日がきたら公開する、としたほうが、習慣化しやすく、続きやすく、定期的に更新していくことができる。
たとえ書けない日があったとしても、残りの2日間で書いて更新できればいい。ちょっとしたイレギュラーがあったとしても自分で定めた更新日を守り続けることができるのがいい。

そんなこんなで、週2回の更新を続けていきたいなー続けていけたらなーという感じです。

では、お読みいただきありがとうございました。