見た目に加えて、操作感も見返したさに影響する〜うちあわせCast第85回を聞いて考えたこと〜

うちあわせCast、今回も面白く拝聴させてもらった。

アナログ的なデジタルの使い方、について。自分で作っていくというのは、一種のアナログの話。
手書きノートを書くということは、ノートをデザインすること。これはもう目から鱗。
確かに、自由にデザインできる手書きの素晴らしさは、いつになっても感じる。
で、書き込むのと見返すのは、デジタルでは一緒ではない、という話。
読む時の書式というものがある。手書きなら、書くときにそのままデザインできるので、読む時の書式で書いていける。つまり、読み返したくなるように書いていける。
で、ここら辺から聞いてて考えたのは、見返しには、アナログ的な「操作」も大事かな、ということ。

例えば、アウトライナーにほんの思いつきを書き溜めたことがあった。一言二言で書けるような思いつき。
名刺サイズの情報カードに、同じようにほんの思いつきを書き溜めたことがあった。
どっちの方が見返し、操作を加えたかというと、圧倒的に情報カード。
どちらにおいても、ほんの1、2文の思いつきを、ただただ書き溜めていったもの。で、アウトライナーに書いたのは、それを操作することができると思ったから。
でも、アウトライナーやと、思うように操作できない。戸惑う。情報カードやと、自分の好きなように操作ができる。その違いで、見返す度合いにかなりの開きが出たのではないか、と推測している。

見返す時のビューは大事。かつ、それにどういった操作を加えることができるのか、も見返しには影響すると感じてる。

カードを一枚一枚左手から右手へ移動させながら、見返していく感覚。
カードを見返しながら、意図を持って平面に配置していく感覚。
ノートをペラペラとめくり、書かれていることを読み返す感覚。

そういった操作感がもたらす感覚も、見え方と同じようにぼくには大事な要素と感じる。
なので、デジタルでは表現できない良さがそこにはある。
操作の場合は、デジタルで同じものを再現してもアナログにはかなわない、という感覚がある。


ほんの思いつきは、操作できたら嬉しい。リンクさせる必要はあんまりない。
1メッセージにまとまったものは、お互いがリンクによってつながっていてほしい。操作はいらんから、他のんを見ている時に別のページが勝手に目に入ってほしい。
ノートにいくつも書き込んでいくよりも、一つ一つが別々に存在してほしい。ノートやと、ペラペラめくる操作しかない。ほんまにメモ同士を結びつけるのにはカードが向いている。情報カードの「操作のしやすさ」は、最強じゃないかと思うから。

操作に関しては、デジタルに移行してもなかなか思うような快適さは得られへんよなぁ、というのが、何年も試した中で感じたこと。
付箋形式でメモを書いていけるアプリをいくつも試したけど、実際の情報カードのように扱いやすいと感じたものはない。
操作に関しては、デジタルで同じものを再現するのはもう諦めよう、と思ってる。「操作」に長けた紙、「リンク」が強みのデジタル。お互いの適材適所でいいじゃないか、と。 「RoamResearch:PoIC、Scrapbox:豆論文」は失敗に終わり、PoICは諦めてメモは1メッセージに切り出しすのをObsidianでやろうと決めたのも、PoICのようなことをデジタルでやるのを諦めたため。


見返したくなるようなものはどんなんか。
見た目がかなり大事。かつ、それと同じくらい、「どんなふうに扱えるか」がぼくにとっては大事なのかも、とうちあわせCastを聞いてて思った。
で、デジタルのメモでも紙に書いたものでも、自分からわざわざ見返そうとなかなかしないので、勝手に目に入るようにすればいいじゃないか、というのと、Spaced Repetitionによるノートの見返し&追記をしていけばいいか、というのが、今の結論。

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