超具体的な話をしていく、と言いつつ前回は全然具体的な話をしませんでしたが、今回からはちゃんとしていこうと思います。 まずは、手帳について。 手帳は紙のものを使っておらず、Obsidianでスケジュール・タスク管理をしています。 Obsidian で、これについては、過去に書きました。 Obsidianにて連用手帳 「連用手帳」という形式をとっており、毎日過去2年ほどの、同じ日付のログを確認して、今日を過ごすための参考にしています。 今はObsidianにその役割を任せていますが、連用手帳をやり始めた当初は紙のノートを使っていました。ページ数の多い、ちょっと書いた程度ではなかなか使い切らないようなノートを。 ほぼ日の方眼ノー ...
では、メモ・ノートについて、かーそる4号でしていない超具体的な話をブログでしていきたいと思います。 「勝手に信頼できなくなったメモ帳への信頼を取り戻すために」というエントリにて、メモ帳を信頼できなくなっている今の状況を打破するために、考えてやったことについて書きました。基本的にその時のままなのですが、今回は「信頼」という言葉をキーワードに考えてみたいと思います。 頭で覚えておくだけに任せることは、結構な頻度で忘れ去られなかったことになってしまうことを意味します。ぼくにとっては。 記憶は全く信頼できない、ということです。これはもう仕方がない。 訓練すればおそらくは記憶力を鍛えることができるのでしょうが、 ...
メモやノートについて、具体的に何をどのように使っているかの話は、本ブログで何度も書いてきました。で、その都度使っているアプリや文房具が変化してきたわけで、何度書いても同じことについて書くわけではない、というところが、何度も何度も書いている理由なわけですが、性懲りも無くまたノートやメモについて書いていこうと思います。 なんでそう思ったのか、というと。 このたび、「かーそる 2021年7月号」が発売されました。 今回のテーマは、メモ・ノートについて。 その中で、ぼくは3つの文章を載せてもらっており、ある程度具体的な話をしているのですが、では実際どんなツールを使ってどのように実践しているのか、というところにつ ...
習慣化。この言葉を何度このブログで書いたかわかりませんし、いろんなことを習慣化することに挑戦しては失敗して、を繰り返してきました。習慣化するのって、すごく難しい。パソコンであれば、新しい機能を実装したければインストールして「ハイおしまい」ですが、今までにやってなかった新しい行動を、自分の中に定着させること、インストールすることは、むちゃくちゃ難しい。 その難しい「習慣化」にたいして、いろいろ試す中で、確信したこと。それが、「毎日行うほうがいい」ということ。 やらない選択肢があると、決断が必要になる 例えば、ランニング。以前は、ランニングは「走れる時に走る」というスタンスでした。雨の日は中止しますし、 ...
前々回の「知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると」のエントリ、書けるかなぁと不安な状態から発進したけど、書いてる最中に気づきの多いエントリやったような気がする。 で、気づいた。「書けるかなぁ」くらいの状態で書いた方が、「これについてなら書けるぞー」と思っている時よりも、書いている途中に気づくこととか、理解することが多くておもしろい。 考えてみればそれは当たり前なのかもしれない。 だって、「書けるかなぁ」という状態はつまり、書こうとしている対象についての理解が、書きあらわすことができるかどうかがまだわからないほどな状態。なので当然、書き進める中で、不十分な部分の理解が進み、気づきが ...
メモをとるにしろ、時間の使い方のログをとるにしろ、作業記録を書くにしろ、ログをとったり記録をしたりって言うのはどうしてこうもめんどうくさいものなんでしょうかね。 ログをとったらとったで、それをどこに保存しておくのかってのもなかなかなやましいもんです。メモ用紙なんて書いたまま放っておいたら間違いなく紛失しますし、記録もしかるべきところに保存しておかないと、あとから見返すことが難しくなって結局「とった意味あるの?」ってな話になっちゃいます。 でも、こんなマイナスな面ばかり挙げたとしても、それでもぼくはメモをとるし、ログをとり続けるし、記録を書き続ける。なんでなんでしょうか。 それは、”それ以上の恩恵をロ ...
「知的生産」とはなにか。 「知的生産の技術」での定義は、 知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ ということになっています。 そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。 すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。 ノートは何のために存在しているのか。 書かれるためです。 ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキス ...
「書くことないなぁ」と思ったので、ふと過去の自分のブログの記事を読み返していて思いました。 「これ、無作為に毎日自分に向けて配信して欲しいな」 と。 「こんなこと書いたんや」がいっぱい。 自分のブログのエントリを読んでいるので、自分で書いたはずなんですが、「こんなん書いたっけ?」ってのがいっぱいある。それがすごく新鮮でおもしろい。 普段はそんなに見返したりしないんですが、一回見返すとしばらくそこから逃れられなくなるほどの魅力が、自分の過去記事にはあります。自分が「楽しい」「おもしろい」と思うことや、「やってみてよかった」「読んでみてよかった」「使ってみてすごい便利やった」って思うことを基本的には書いてい ...
キーボードを買ってしまいました。えぇやつを。 きっかけは、ふと職場と家で同じキーボードを使いたい、と考えたことでした。しかも、打ち心地のいいやつを。 職場では、LogicoolのキーボードをPCにつないで使い、家ではMacBookのキーボードをそのまま使っていました。それで特に不自由はなかったものの、というか、パンタグラフのキーボードしか今まで使ったことがなかったので特に打ち心地についてはこだわりはなかったものの、ほんとにふと打ち心地のいいキーボードに興味が湧き、調べ始めました。 で、かなり色々悩んだ結果、職場でも家でも同じキーボードを使うことができて、なおかつ打ち心地もいいものということで、奮発し ...
ぼくが数学をほんとうに好きになったのは高校3年生のときです。それまでも国語や社会に比べれば好きと言う感覚はありましたし、テストでも平均点はとることができていたように記憶しています。でも、あくまでも数学はその程度の存在でした。 素通りの人生 高3まではたいした疑問を持たず、深く考え込むこともなく進んでいました。小学校のときに多くの方が疑問に思う「分数の割り算は、分母分子をひっくり返してかける」事実や、中学のしょっぱなに頭を悩ませる「マイナス×マイナス=プラス」であること。こう言う類のものに大した疑問を持たず、「そういうものなんだろう」と割り切って、ただ計算ができるようになってテストである程度の点数が ...