数学から学んだこと

数学がぼくに「なぜ?」をあたえてくれた

ぼくが数学をほんとうに好きになったのは高校3年生のときです。それまでも国語や社会に比べれば好きと言う感覚はありましたし、テストでも平均点はとることができていたように記憶しています。でも、あくまでも数学はその程度の存在でした。 素通りの人生 高3まではたいした疑問を持たず、深く考え込むこともなく進んでいました。小学校のときに多くの方が疑問に思う「分数の割り算は、分母分子をひっくり返してかける」事実や、中学のしょっぱなに頭を悩ませる「マイナス×マイナス=プラス」であること。こう言う類のものに大した疑問を持たず、「そういうものなんだろう」と割り切って、ただ計算ができるようになってテストである程度の点数が ...

「そういうもの」のうちのひとつについて

長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。 時期ごとに熱中したものはあれど、どこかで飽きるというか、熱が冷めるもんです。 でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。 ずっと好きなことに出会うと、それは生活にしみわたり、それにふれるために時間をつくったり、日々の活力になったり。 それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいになります。 そういうものに出会うことができるのは、幸せなんちゃうかなぁ。 そんな風に思います。 ぼくにとって数学や本を読むことが「そういうもの」にあたります。 今回は数学について、ちょっと書きたいと思います。 い ...

抽象化の先に待っているものが感じられるTED動画

小学校で学ぶ算数と、中学校以降に学ぶ数学。このふたつには大きな違いがあります。 よく「算数は普段使うから必要やけど、数学を普段使うことはない。やから必要ない」って意見を聞いたりしますが、「必要ない」という部分以外はまさにそのとおりだと思います。「算数は普段使うから必要やけど、数学を普段使うことはない」。だって、扱う対象が違うんですもの。 算数で扱うのは、”具体的”です。具体的な数を扱い、数に関する知識を学びながら、四則演算を習熟していきます。に対して数学で扱う対象は”抽象的”なもの。数学では「文字式」を筆頭に、普段の生活ではなかなか出てこない、抽象化された世界へと踏み込んで行きます。 だから「算数は ...

教え手は”今の自分”を基準にしてはいけない

どんな職業・立場であれ、「これはこうするんだよ」であったり、「こういうことだよ」と伝えたり教えたりすることってあると思います。で、そんなときに「言うたのになんでわからへんねん」「さっきのん全然伝わってなかったんかいな」って感じたことってありませんか? この状況の原因は、一概には教え手/学び手、あるいは伝え手/受け手のどちらが悪いとは言い切れません。教え手は、ちゃんと説明したのにわかってくれないと、学び手を責めがちになったりしますが、ちょっと立ち止まって考えてみて欲しいと思うんです。 ”今の自分”を基準に物を言っていないか? ぼくは、基本的には数学の教え手です。数学については、今までいっぱい学んできま ...

概念の拡張と日常への適用

数学では、新しく世界を広げるために、「概念を拡張する」ことがある。 拡張するとは、適用範囲を拡げること 例えば、「数」。ぼくたちが一番初めに学ぶのが、1、2、3、4などの「自然数」とよばれるもの。この自然数に対し、「+」「−」「×」「÷」の計算ー「四則演算」ーが定義されていくこととなる。 すると、「1÷3」や「2-5」など、計算の結果が自然数ではなくなるものが出てくる。出てきた数を認め、はじめは自然数に対して定めた「+」「−」「×」「÷」を、新たに出てきた自然数ではない数に当てはめてもいいかを確かめる。 そうして、これらの演算を、小数や負の数などの自然数以外へと、拡張していく。さらには、有理数、無理数 ...

「授業は難しい。だから楽しい」とはなかなか言えないけど、うまくいってない部分を打開して楽しめるようになりたい

授業で難しい、と感じるのは、「どうすれば数学を学ぶ気になってくれるのか?」というところ。これがほんまに難しい。 ぼくの赴任している高校の生徒は、勉強することに苦手意識というか、高校に入るまでの経験で勉強することに対してポジティブな感情よりもネガティブな感情を抱きがち。 そうならざるを得ないこともあるよな、と感じる。 特に数学のような積み上げていく教科は、小学校あたりでつまずき、そのつまずきから先「わからない」の経験が積み重なっていってしまうことがある。 そうなると、なかなか数学を学ぶことに対してポジティブな感情を抱きにくい。 聞いてもわからん授業を受け続けるのは、かなりの苦痛やから。 そういう生徒もいる中 ...

数学を「わかる」ことと「解ける」こと

数検1級合格に向けて、毎日短い時間ではありますが、数検に向けた勉強をしています。毎週の数検の勉強報告をやめた後も、勉強は続けることができています。 今までちゃんと勉強する機会のなかった「微分方程式」について学んでいるのですが、理解することよりも問題を解くことができることを重視して、演習主体で学んでいます。 「わかる」ことよりも「解ける」ことを重視した勉強をしている、ということです。 数学を「わかる」ことと、数学の問題を「解ける」こと。この2つって全然違うよなぁと感じます。 わかっていても問題を解けないことはありますし、解けても全然わかっていないことがあります。どちらかというと、解けてもわかっていないこ ...

ダメなら別のアプローチを試みる

毎日、数検の勉強をしています。 問題があり、その答えを求めるためにあれこれ考える。 求めるもの・与えられた条件を確認し、自分の知識や理解とそれらを照らし合わせて、方針を考えていきます。 忘れていることがけっこうあるので、手探りではあるものの確かこんな感じやったよなーとか思いながら。 ただ、方針を立てて解き進めても、答えまでたどりつけないこともあるわけで。 数学の問題では、「解答」があります。自分で解けなかったとき、そこでついつい解答を見てしまいたいという衝動に駆られてしまいます。 話は変わりますが、ここで、『超一流になるのは才能か努力か?』という本の一節をひきます。 693.何かに上達しようとすれば 、必ずこ ...

思いつかないこともある。だからおもしろい ー数学からぼくが学んだこと4-

数学はこれまで、何百年も、何千年もかけて発展してきました。 そして、ぼくたちが学ぶ数学は、数学にたずさわる多くのかたがたが、年月をかけて整えてきたものです。 「あーでもないこーでもない」と苦心したうえに出来上がった道なはずです。 数学が何百年も、何千年もかけて発展してきた道を、ぼくたちは10数年で進んでいきます。 考えると、これって、ものすごいスピードです。 過去の数学的知見を最短コースで学ぶことができる道が、ぼくたちには与えられている。 一見その道を歩いていくと、確かにスピーディーにいろんな数学の内容を学ぶことができるかに見えます。 「そんなん思いつかへんわ」 数学を学んでいて、こう思ったことが一度や二度は ...

ツッコミを入れて、ストーリーを読み解く ー数学からぼくが学んだこと3ー

「”ひらめき”は必要でない」という目で数学を眺める。ストーリーを読み解く気持ちで解説を追う。 そうしていくと、問題の解説や定理の証明を読んでいるとき、ことあるごとに「ここはなぜこう考えるのか?」「式を変形すると確かに成り立つ。けど、なぜこう式を変形しようと思うのか?」などの疑問を抱くようになります。 ”ひらめき”は必要ではないと思うということは、すべてに対し、「そう考えていく理由があるはず、手がかりがあるはず」と考え、「そう考えていく理由はなにか?」を問い、その答えを探していくことになります。 ぼくはこれを、「ツッコミを入れる」と言っています。ことあるごとに「(そう考えていく理由は)なんでやろう?」 ...