学びについて

驚くほどに驚異的

たくさんの時間をかけることができるわけではありませんが、毎日少しずつでも数学をまなぶようにしています。今まで自分が学んだことがないものを、日々ほんの少しずつ、学び進めていくというのをずーっとやっています。というのは前回書きました。 で、自分が勉強していて、ふと感じたことについて今回は書きたいと思います。 ぼくは、高校生に数学を教える職業に就いています。日常的に高校生がどんな様子か見ることができます。 で、自分が勉強をしていて、なおかつ高校生みんなを見ていて思うのは、高校生はいろんなことに関する事柄を、驚異的な量学んでいるよなぁということ。 自分としては、毎日15分くらい勉強して、その内容すら十分に頭に ...

本と本は時に不思議な巡り合わせをするもので mybooks2021

2022年になって一発目のブログ。遅ればせながら、2021年の読書を振り返ってみたいと思います。 「びっくら本」の企画に乗るのが毎年恒例となっておるのですが、年末は立て込んでいてどうしても2021年内に書くことができませんでした。 思っていたよりも色々と読めていた2020年の「びっくら本」 2019年、出会いは少なかったけれども、良い出会いが多かったように思います #mybooks2019 もう2022年に入ってはや1週間が経っておりますが、気にせず2021年の本・読書についての振り返りをしたいと思います。しれっと「mybooks2021」をタイトルにしのばせて。 2021年は、読書の仕方が大きく変わった年と言えそうです。 それ ...

「こうすればいい」には、常に「わかった気」がつきまとう

「わかった気」というのはかなり厄介な奴で、わかったつもりになってそこで立ち止まってしまい、立ち止まっていることに気づかない。 となると、「わかりやすく伝える」ことは、良いことなんやろうかという疑問がわく。 ぼくは今勉強の苦手な子が多い学校で数学を教えている。数学が苦手で苦手で仕方ない生徒も少なくない。 そんな数学が苦手で苦手で仕方ない生徒に対しては、「解ける」ことがまず必要であると考え、まずは解けるようになることを第一に考え、授業していた。例えば、速度の問題を教えるときに「きはじ」という図を使ったり。 最近、「きはじ」の図は有害である、と考える人の意見を見かけ、じっくり読んだ。で、「きはじ」は、理解を ...

「意図的な練習」=「目的のある練習」≒「考え抜いた練習」

「MM読了『やり抜く力 GRIT(グリット)』(アンジェラ・ダックワース)」という本をオーディオブックで聞きました。 満足しないことに、満足できるか?「やり抜く力 GRIT(グリット)」の一文から感じたこと 本書は、その題名のとおり「やり抜く力」について突っ込んだ、成果を上げるためにはやり抜く力が大きく影響することを説いた本です。 その中で、「意図的な練習」というものが紹介され、力を伸ばすためにはこの練習が必要である、そして、この意図的な練習を継続するためにも、やり抜く力が大切であることが述べられています。 意図的な練習、、、その内容と、それを提唱しているアンダース・エリクソンという名前も聞き覚えがあり、 ...

アドラー心理学は、内発的動機づけ〜アドラー心理学について②〜

長期的な視点を常に持つ〜アドラー心理学について①〜 アドラー心理学で褒めること・叱ることを否定するのは、それは、相手を“コントロール”することが目的にあるから。 これはつまり、外発的動機づけを否定している、ということ。 コントロールのような、外発的な動機づけでは、結局は相手の変化を促すことにはならない。そういう考えが、ある。 実際、人は、コントロール下に置かれると、内発的動機が薄れてしまうらしい。 なので、内発的な動機、つまりその人本来の力を発揮させること・引き出すことが目標であるアドラー心理学にとっては、相手をコントロールは、言わばもっともしてはいけないものとなる。だって、それによって内発的な動機が下 ...

「わかりやすく伝える」ことは、良いことなんやろうか

「わかりやすく伝える」 数学を教え始めてから、ずっと意識し、胸に抱いていた。 でもいつからか、わかりやすく伝えることが、ほんとうに良いことなのか迷うようになった。 何かを学ぶ時、そこにはたくさんの“発見”がある。「あっ!そうか!!」とストンと理解し、これまでの知識が繋がるような。 わかりやすくすることで、そういう、自分での発見の芽を積むことになってしまうのではないか。 理解の一番の敵は、「わかった気」になることではないか、と思っている。 わからないのであれば、理解に向けて考えていける。 わかった気になっていると、そこで思考が停止してしまう。理解していなかったり、身についてなかったりしても、わかった気になった ...

ツッコミを入れて、ストーリーを読み解く ー数学からぼくが学んだこと3ー

「”ひらめき”は必要でない」という目で数学を眺める。ストーリーを読み解く気持ちで解説を追う。 そうしていくと、問題の解説や定理の証明を読んでいるとき、ことあるごとに「ここはなぜこう考えるのか?」「式を変形すると確かに成り立つ。けど、なぜこう式を変形しようと思うのか?」などの疑問を抱くようになります。 ”ひらめき”は必要ではないと思うということは、すべてに対し、「そう考えていく理由があるはず、手がかりがあるはず」と考え、「そう考えていく理由はなにか?」を問い、その答えを探していくことになります。 ぼくはこれを、「ツッコミを入れる」と言っています。ことあるごとに「(そう考えていく理由は)なんでやろう?」 ...

「平方完成考えたやつって、頭ええよなぁ。」からはじまる数学

「平方完成考えたやつって、頭ええよなぁ。」 「平方完成って、$x^2-6x+2=(x-3)^2-7$っていう風に、2次式を平方の形に式変形するやつだよね。」 [image:626C29C6-F25D-4604-8296-A1ED0F92B7F5-19553-000010B817C66455/16543414187_918eca16d3.jpg] 「確かに、これを考えた人って、きっとすんごい頭良かったんだろうなぁって思うね。」 「やろ?こんな式変形、自分で思いつかへんわ。」 「うんうん確かに。まぁ自分で思いつかなくても、ある意味それは仕方ないことなんじゃないかなぁ。だって僕たちが今学んでいる数学っていうのは、何百年もかけて発展してきたことをほんのごく短い期間の間に習ってるんだから。」 「そうか、習ってると、「そんなん思いつかんわ!」っていうようなことばっかりに感じるけど、確かにそれって当然 ...

経験を積む、ということについて

経験を積むって、良いことというか、何かを上達していくためには必要なことであるのは間違いない。でも、経験を積むのは、一歩間違うと視野がせまくなっちゃったり、考えが偏ったりすることをまねきかねない。 円を描いていく あることについて経験していく。何度も実践をし、記録し、振り返ったりしながら、経験自分のものにしていく。イメージは、たくさんの円を描いていくイメージ。 ある実践を通して、円を描いていくことで、経験した範囲を増やしていく。 円の中心が毎回異なれば、円が増えれば増えるほど、経験した範囲は広がっていく。 対して、円を描くと、重なる部分も出てくる。その重なりの部分が、経験を積んだ部分やとする。 円を描けば描 ...