理解について

「こうすればいい」には、常に「わかった気」がつきまとう

「わかった気」というのはかなり厄介な奴で、わかったつもりになってそこで立ち止まってしまい、立ち止まっていることに気づかない。 となると、「わかりやすく伝える」ことは、良いことなんやろうかという疑問がわく。 ぼくは今勉強の苦手な子が多い学校で数学を教えている。数学が苦手で苦手で仕方ない生徒も少なくない。 そんな数学が苦手で苦手で仕方ない生徒に対しては、「解ける」ことがまず必要であると考え、まずは解けるようになることを第一に考え、授業していた。例えば、速度の問題を教えるときに「きはじ」という図を使ったり。 最近、「きはじ」の図は有害である、と考える人の意見を見かけ、じっくり読んだ。で、「きはじ」は、理解を ...