雑記

2021年現在の、日々の記録あれこれの利用の仕方

2021年現在の、日々の記録あれこれにて、現在どういったものを日々の記録として残していっているのかについて述べました。今回は、その残しているものをどうしているのか、についてです。 デイリーページ 日々「デイリーページ」をObsidian上に作成し、そのページを開きっぱなしにして日中過ごして何かあれば書き込んだり、タスクを書き出してそれに倣って行動しているのですが、そのデイリーページのログは、来年の同じ日付の日に見返されることになります。 「連用手帳」という形式をとっており、日々のデイリーページには1年前・2年前の同じ日付の日を埋め込んでおり、プレビューによって毎日見返しているからです(Obsidia ...

2021年現在の、日々の記録あれこれの利用の仕方

2021年現在の、日々の記録あれこれにて、現在どういったものを日々の記録として残していっているのかについて述べました。今回は、その残しているものをどうしているのか、についてです。 デイリーページ 日々「デイリーページ」をObsidian上に作成し、そのページを開きっぱなしにして日中過ごして何かあれば書き込んだり、タスクを書き出してそれに倣って行動しているのですが、そのデイリーページのログは、来年の同じ日付の日に見返されることになります。 「連用手帳」という形式をとっており、日々のデイリーページには1年前・2年前の同じ日付の日を埋め込んでおり、プレビューによって毎日見返しているからです(Obsidia ...

「黒板の前に立ち全体に向かって講義する形」ではない授業を試す

ぼくは、高校で数学を教えています。 赴任している学校が「学びなおし」の学校でして。 小中学校で学んだことを1年間でどう復習し、高校数学につなげるか〜新しい授業の形について考える①〜でも触れましたが、学びなおしということで、勉強を苦手としてきた生徒がけっこういます。そこで、毎日30分間、小中学校で学んだことを復習するという授業形態(モジュール授業)をとっており、国数英に関しては毎日授業があります。その授業も他と同様、基本的には前で教員が解説する講義形式で授業しているのですが、やり始めたときから全く違ったものにしたい、と考えていました。 数学がすごく苦手な生徒もおり、これまでの経験から、学ぶ意欲が失われ ...

小説読みたい欲を満たしてくれる「オーディオブック」

本を読むことが好きです。 思い返せば、高校生の頃、小説に、ミステリにハマって以来、ずーっと本を読むことが好きです。今では人生の中でも本を読む時間はけっこう大切にしたい時間になっています。 高校生からガッツリハマり出し、大学の3回生くらいまではずーっと小説ばっか読んでました。 数々の伏線が見事に回収されていき、最終的には驚きの結末に至る。そんなミステリに魅了されていました。 大学の3回生からは、ビジネス書・実用書もよく読むようになりました。やがて比重が少しずつ小説からビジネス書に移っていき、働き始めた頃にはほとんど小説を読まなくなりました。 思い出話はこれくらいにして、何の話をしたいかというと、「オーディ ...

書いたものの仕上がりに満足できるようなペースで更新する

11月からブログを再開し、2ヶ月が経ちました。 一昨年から去年にかけては毎日更新をしていましたが、数ヶ月続けることができたものの、途絶えてしまい。そこから1〜2ヶ月に1回更新するくらいの頻度にまで落ち込んでしまいました。 で、11月からは更新頻度を週2回と定め、書き続けています。 こんくらいがちょうどえぇわぁ、と言う感じです。 毎日更新のときは、やはりなかなかに無理してました。 それなりにちゃんとしたものを、との思いで書いてたので、そうなるとまずまず時間がかかるわけで。けっこう無理やり時間を捻出して書く、という感じだったように思います。 その無理からかわかりませんが、毎日更新が途絶えてしまうととたんに書か ...

楽しそうなところに加わりたくて

清貧であるのはよいとしても – R-style 楽しいことを書いていくのです。あるいはブログを愉しむのです。何をすれば楽しくないのかは、一週目でさまざまに経験したでしょうから、その判断はきっとやりやすいかと思います。 皆さんは、どのように考えられるでしょうか。 気がつけば、ブログを10年以上書き続けてきました。 正確には書き続けたというか、途中幾度となく更新が途切れながらも、でもやはりブログを書くことを再開し、、、ということを繰り返しています。 「何をすれば楽しくないのかは、一周目でさまざまに経験したでしょうから」とあります。 自分はどうだろう?と考えてみました。 ぼくがブログを書き始めようと思ったきっかけになったブログが ...

「授業は難しい。だから楽しい」とはなかなか言えないけど、うまくいってない部分を打開して楽しめるようになりたい

授業で難しい、と感じるのは、「どうすれば数学を学ぶ気になってくれるのか?」というところ。これがほんまに難しい。 ぼくの赴任している高校の生徒は、勉強することに苦手意識というか、高校に入るまでの経験で勉強することに対してポジティブな感情よりもネガティブな感情を抱きがち。 そうならざるを得ないこともあるよな、と感じる。 特に数学のような積み上げていく教科は、小学校あたりでつまずき、そのつまずきから先「わからない」の経験が積み重なっていってしまうことがある。 そうなると、なかなか数学を学ぶことに対してポジティブな感情を抱きにくい。 聞いてもわからん授業を受け続けるのは、かなりの苦痛やから。 そういう生徒もいる中 ...

「丁寧に生きたい」が、切実な願いに

大抵のことはごめんで済むと思うけど、ほんまにごめんで済まへんものは、いくらごめんって謝っても、謝る気持ちがあっても、向こうもしくは謝ってるこっちの気が済まないことやと思う。 そんなことがもう起きないように対策を考えていきたい。 どれだけ謝ってもこっちの気が済まないようなことがあったから。 とはいえ、生きていれば予測できないようなことがいくらでも起こってしまう。 そう考えると、防ぐなんて不可能なように思える。 でも、たとえ防ぐのが不可能なことがあるとしても、防ぐことができるものに関しては、すべて防ぎたい。 傷つけるようなことになってほしくない。 何か起こってからの対処法ではなく、起こることを未然に防ぎたい。 予 ...

きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはない。

やろうと決めて結局やめちゃったことはいろいろとあるわけですが、できなかったからといって特にダメージを受けることもなく、今日は今日の過ごし方をして日々ぼちぼちと生きています。 もちろんやり始めるときには真剣に続けていくつもりだったわけですが、まぁうまくはいかないことがあるもんで。 ただ、ずーっと継続することはできなかったものの、いつかまたやろうという気持ちは無くしたわけではありません。無くしていないからこそ、こうしてブログを書くことを再開することができたわけで。 目標や習慣化との付き合い方はそんなもんでいい、と個人的には考えています。 やろう、と思ったことが当初の思い描いていたようにはできなくとも、まぁ ...

「なんにせよ転記は必要」と受け入れるために

書き写すのは、めんどうくさい。できることであれば、やりたくない。 なので、なんとか転記を発生させないで済む方法はないものか、と考え、メモを扱ってきた。 紙の情報カードにメモしているときには、必要であればそれをノートにそのまま貼って使えるような大きさのノートを併用したり。 ノートアプリを使っているときには、紙に手書きしたものは写真に撮って添付したり。 テキストであれば、MacでもiPhoneでデータを共有できるアプリを使ったり。 手書きもテキストも扱え、Mac・iPad・iPhone間で同期できる、ということで、Apple純正メモ帳に飛び付いたり。 でも、もうそこにこだわるのはやめにした方がいいと気づいた。 ...