あったらいいなPart1.ブログ過去記事無作為自動配信

「書くことないなぁ」と思ったので、ふと過去の自分のブログの記事を読み返していて思いました。

「これ、無作為に毎日自分に向けて配信して欲しいな」

と。

「こんなこと書いたんや」がいっぱい。

自分のブログのエントリを読んでいるので、自分で書いたはずなんですが、「こんなん書いたっけ?」ってのがいっぱいある。それがすごく新鮮でおもしろい。

普段はそんなに見返したりしないんですが、一回見返すとしばらくそこから逃れられなくなるほどの魅力が、自分の過去記事にはあります。自分が「楽しい」「おもしろい」と思うことや、「やってみてよかった」「読んでみてよかった」「使ってみてすごい便利やった」って思うことを基本的には書いているので、当然「楽しい」「おもしろい」って思いやすいわけで。また、今ではやっていないけど、当時はがんばってやっていたことなんかについても書いてたりして、懐かしさも相まっておもしろさが増してるように感じます。

でも、本心としては自分の過去記事散策にばかり時間を使ってられないっていう気持ちも持ち合わせているわけで。ついつい長時間読んでしまったときには、「またやっちまったい」っていう後ろめたさを感じたりしちゃうんですよね。でも、どうせなら自分の過去記事をめいっぱい楽しみたいじゃないですか。

そんなこんなで、自分のブログ記事が1日につき1つが、無作為に自分に送信されてきたら、そんなに長い時間もとられず、つまり後ろめたいい気持ちになることなく、全力で自分の記事を楽しむことができると思うんですよね。

反省とかもできちゃう

過去の記事を読むことで、「ここ、未熟やなぁ」とか、「昔こう書いてるけど、まだまだ実行できてへんなぁ」ってことに気づくことができちゃったりもすると思うんですよね。で、それが、今の自分の改善を促すことにつながったり。ちょっと都合良く考えすぎかもですが、でも実際にそんなことも起こるかもしれない。過去記事を読み、振り返ることはすんごく大事で、やりたいと思っていも今の自分に手いっぱいで、なかなかできないことのひとつなんですよね。だから振り返りはしたいけども、なかなか一気にすることは難しい。そこで、1日1エントリ送ってくれたらいいのになぁと感じたわけです。

Evernoteに保存したメモも、そうやって見返せたらいいのに

Evernote内にはメモがたらふく存在しています。中には、一度も日の目をみることなく去っていったものもあるでしょうし、そんななかにも、今の自分にとってものすごいためになるものもあるかもしれない。でも、そういったメモを、自分から探してみつけていくってのはなかなか難しいと感じます。そこで、やっぱり一日に一回でも二回でも良いので、自分の考えたことやEvernoteに書き付けておいたメモとかを、一日に2,3通自分に向かって送ってくれるような、そんなアプリやサービスがあったら、もっと楽しんでEvernoteと付き合っていけるんではないか。そうも思っています。

そういうの、もうあるんですかね?あったらぜひ教えてください。速攻で導入確定です。

おわりに

Evernoteにいろんなログをためてはいますが、「果たしてこれらをちゃんと活用できているのか?」という質問には首を傾げざるを得ません。自分からメモやブログを見返しにいかなくとも、定期的にあっちから自分のほうへ出向いてくれたら、読み返すことが確実に増えて、ブログ記事やメモをすごく良い感じで循環させることが出きるんじゃないかなぁと思いました。

ログはためてナンボと思いますが、ためたらためっぱなしでひとつも日の目を見ることないってのもどうかと思います。ブログ記事を一日一回送ってくれるサービス、なにかないかなぁ。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりのおわりに

Evernoteに保存したメモに関して、日の目を見ることはおそらくないですが、ブログに関しては、更新記事の一つを過去記事と設定しているので、毎週何記事も 読み返し、実際に刺激を受けている部分はあるかと思います。
さらに掘り起こせば過去記事の中では、今でも面白いと感じる、シェアしたいと思う記事がある程度は埋もれていそうです。

ブログの記事が自動的にランダムに流れて来てそれを読み返す、という「ブログ過去記事無作為自動配信」というツールはまだなさそうですが、自分で金曜日の更新は過去記事から、と決めておくことで、過去記事の読み返しを進めている今日この頃。引き続き、読み返してみていいなと思う記事については、現ブログに投稿していこうと思っています。

では、お読みいただきありがとうございました。

毎日触れるものだから、えぇキーボードを購入

キーボードを買ってしまいました。えぇやつを。


きっかけは、ふと職場と家で同じキーボードを使いたい、と考えたことでした。しかも、打ち心地のいいやつを。

職場では、LogicoolのキーボードをPCにつないで使い、家ではMacBookのキーボードをそのまま使っていました。それで特に不自由はなかったものの、というか、パンタグラフのキーボードしか今まで使ったことがなかったので特に打ち心地についてはこだわりはなかったものの、ほんとにふと打ち心地のいいキーボードに興味が湧き、調べ始めました。
で、かなり色々悩んだ結果、職場でも家でも同じキーボードを使うことができて、なおかつ打ち心地もいいものということで、奮発してHHKB Professional Hybrid Type-Sを購入。これで、毎日の持ち物にキーボードが追加されました。

使ってみて、今まで浅いキーボードしか使ったことがなかったので、深いストロークのキーボードに魅了され中です。
1つのすごくお気に入りのキーボードを家でも職場でも使っみて、もう以前のキーボードには戻れないだろうな、と感じます。
劇的な変化を遂げたわけではありませんし、タイピングが速くなって効率が上がるわけでもない。今までと生活は全く変わりません。けれども、キーボードの心地よさは、ムフフと感じさせてくれます。
ふとした拍子に、ムフフと感じる。
なんでもないふとした時に幸せを感じることってあると思うのですが、それと似ている気がします。
別に何かが大きく変わったわけでもない。今まで通り、日常は過ぎていく。けど、ふとした時に、心地よさに浸ることができる。
いいですね。

使いはじめは、そこまで劇的に気にいるということはなかったものの、使ううちに心地よさは増し、久しぶりに今まで使っていたキーボードでタイピングした時にその落差に「うおっ!」となる感じ。

HHKBはまず間違いなく長いこと使っていくことは決定して、ただ職場と自宅とを持ち運んで往復させるのがちょっとずつ嫌になってきまして。
ということで、職場用と自宅用でキーボードを使い分けようということになりました。当初の目的はどこへやら。
いっそキーボードを楽しんでやろうと思いまして、キーキャップと軸が交換可能なものを購入。色々変えながら楽しんでいこうと考えています。

やばいところに足を踏み入れていっているのでしょうか。


今回のえぇキーボードの購入で、家でも仕事場でも毎日触れるものなので、キーボードにこだるのはありだなぁと思いました。
どこまで足を踏み入れるのかは、よく考えないといけない領域のような気がしますが。

では、お読みいただきありがとうございました。

数学がぼくに「なぜ?」をあたえてくれた

ぼくが数学をほんとうに好きになったのは高校3年生のときです。それまでも国語や社会に比べれば好きと言う感覚はありましたし、テストでも平均点はとることができていたように記憶しています。でも、あくまでも数学はその程度の存在でした。

素通りの人生

高3まではたいした疑問を持たず、深く考え込むこともなく進んでいました。小学校のときに多くの方が疑問に思う「分数の割り算は、分母分子をひっくり返してかける」事実や、中学のしょっぱなに頭を悩ませる「マイナス×マイナス=プラス」であること。こう言う類のものに大した疑問を持たず、「そういうものなんだろう」と割り切って、ただ計算ができるようになってテストである程度の点数がとれて満足していました。

人生の転機

高3までそんな風に歩んできたのが、ある先生との出会いでガラリと変化します。今でもぼくの師匠と崇めている、当時通っていた予備校の先生です。予備校といっても小さな小さな個人塾なのですが、その先生に出会えただけでも行ってよかったと思えます。
その先生の数学の授業は、今までとは全く違っていました。学校では、教科書をノートに写していくような授業しか受けたことはありませんでした。しかし、その先生は違います。数学の本質に迫り、「なぜそうなるのか」を徹底的に教えてくれました。考えさせてくれました。数学に突飛な発想、ひらめきは必要ない。論理的に泥臭く答えまでの道のりを組み立てていくことが大切だと常々おっしゃっていました。
「なぜそうなるのか」という視点で数学を眺めたことの無かったぼくにおっては、今まで学んだことに理由が備わっていくのが快感で、すごく面白いと感じました。「なぜそうなるのか」という視点の大切さを気づかせてくれました。「そういうものなんだろう」と割り切っていたぼくが、「なぜ?」を獲得した瞬間です。

数学からあらゆることへ

受験勉強を通して「なぜ?」を獲得できたことは、ぼくにとっての財産です。「なぜ?」と考えることは、数学に限らずあらゆる方向に向きました。「これなんでやろう?」「どうやったら良くなるやろう?」「伝わりやすいのはどんな言葉やろう?」。普段からそんな疑問の数々を持つことができているのは、数学をしっかり学ぶことができたからだと思います。

おわりに

ぼくは高3のときにその恩師に出会えた幸せ者です。
これから数学を教える立場として、数々の生徒との出会いを果たしていくことになります。生徒にとって、ぼくもそんな存在になることができたら、これ以上の幸せはないな、とそう感じます。そうなるためにも、これからも日々、学び続けていきたいなと、そう思います。
では、お読みいただきありがとうございました。

おわりにのおわりに

これを読み、「概念の拡張と日常への適用」という本ブログのエントリを思い出しました。
このエントリが書かれたのは、今から10年前。対して、「概念の拡張と日常への適応」はそれから3年後に書かれています。

数学では、新しく世界を広げるために、「概念を拡張する」ことがある。頻繁にある。ということは、数学に触れることで、概念の拡張を数多く経験できる、ということになる。この経験が、数学の力を日常へと拡張することにも、役立っている、と思う。

ということを「概念の拡張と日常への適応」内で書いているけど、自分自身、それを強く感じていたんだな、ということを再確認しました。
数学で身につけた力は、ぼくにとってはすごく重要な、人生を大きく転換させたと感じるので、できるだけ何かしらの力を身につけてもらえるよう、数学を伝えていきたいと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

勝手に信頼できなくなったメモ帳への信頼を取り戻すために

何かしら思いついたことや覚えておかないといけないことは、「すべてを書きつけていく用」のノートに書きつけていってます
今はObsidianがその役割をになってくれており、日中は基本的にはMac上で起動させているObsidianに書き込んでいき、家では先日AppStoreに公開になったばかりのObsidian Mobileを利用して、書き込んでいってます。
なので最近は、基本的にはメモを書くときには紙を使わず、Obsidianに直接書き込むこんでいます。

とはいえ、Obsidian Mobileの起動はそんなに早くなく、シチュエーション的にiPhoneを取り出せないこともあるので、紙のメモ帳を常に持ち歩いています。
ただ、困ったことがありまして。
紙のメモ帳を使う頻度が少なくなった影響で、メモ帳を信用できなくなっているんです。


常にObsidianを使っているわけですから、Obsidianに書き込まれたことは常々目に入ります。なので、Obsidianに書き込まれたことなら忘れてすっぽかすことはないだろう、という確信があります。Obsidianはかなり信頼しています。
が、メモ帳はそうではないのです。

ほとんどのメモをObsidianに書き込んでいるので、メモ帳を使うのはときどき。頻度で言うと2,3日に1度くらい。
それくらいしかメモをメモ帳に書き込まないようになると、メモ帳をしょっちゅう見返す、なんてことをしなくなってきます。見返すのは、次書き込むときくらい。
で、これがヒジョーにまずい。
とても大切なことを書いたとしても、それを見返すときにはそのことは終わっていた、なんてことが起こる可能性がけっこう高い。なんせ、2,3日に1度しか見返さないわけですから。
見返さない恐れがあるところに、積極的にメモを書こうなんて思えない。
なので、大事なことほどちゃんと書き残して、それを見返すことで忘れないようにしたいのに、忘れてしまう恐れのあるメモ帳なんかに書けない、となってしまう。
いつでもObsidianに直接書き込めるなら問題はありませんが、そううまくはいかないので、大切なことをメモ帳に書くしかない時も出てきます。
見返さない恐れがあるところに、忘れちゃいけないことを書いておこうなんて思えない。
完全にObsidianでいくということはできないので、紙のメモ帳は必要で、ちゃんと大切なことを書いても見返すようになっておかないと、メモ帳を信頼できるようになっておかないといけない。
ちょっと、メモ帳の使い方をちゃんと考えないといけない。

まず思いつくのは、メモ帳に書いたことを処理するタスクを必ず実行すること。
毎日デイリータスクリストを作成して、そこに書かれていることを確認しながら仕事を進めているので、そのリストに書いておけばいい。
でもこの方法は、これまでタスク管理をしてきたことからけっこう危ういことを知っています。
忙しい時ほど、そういう瑣末(に思える)なタスクはすっぽかされがち。実際は、瑣末ではないにもかかわらず。
別の対策が必要です。

あれこれ考えました。
iPhoneは常に持ち歩き、しょっちゅうポケットから取り出します。なので、iPhoneにメモ帳を貼り付けておけば、勝手に目に入ってくれて勝手に目に入ってくれて、見返し忘れはないだろう、とか。
いや、でもそれやとiPhoneを取り出すことが憚られるときにはメモできなくなってしまう。いかんいかん。やはりメモ帳は必要。
で、メモ帳は、ずーっとポケットに入れておくわけではなく、1日に何回かは、たとえば着替えるタイミングや仕事を終えた時などはポケットから取り出すタイミングがある。そのときに、書いたメモが目に入るようにしておけば、そのタイミングで確認することができる。
メモ帳の使い方を少しだけ工夫すれば、書いたことが勝手に目にはいるようにすることができ、勝手に目に入れば書いたことを確認できるので、忘れ去らずに済む。
じゃあ、取り出すときに書いていることが目に入るようにしておけばいいじゃないか。
というわけで、「1ページ目を常に開いた状態」でポケットに入れておこう、ということになりました。


  • メモ帳を使ってても、メモを書いたことを忘れて見返さない
  • 「メモ帳を確認する」というタスクは、すっぽかされることがあり、心許ない
  • なので、1日のどこかのタイミングでメモ帳に書かれたことが勝手に目に入ってほしい

よって、メモ帳は1ページ目を開いて携帯しておく。ポケットから取り出すときに、自然と書いたものが目に入るように。

とりあえずそういう使い方をしつつ、紙のメモ帳とObsidianの両方をうまいこと使っていきたいな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

自分にあったメモのとりかたは、試して見つけていくもん

ふとしたメモは、のがさず、なんでもかんでも書いていきたい。そう思っているものの、なかなかメモをガシガシかけてないな、という感覚がずーっとあります。
iPhoneのアプリをいろいろと設定して、メモを自分の望む形で_カードみたいに、くれるように_保管できるようにしたり、5×3情報カードを普段から肌身はなさず持ち歩いたりしてきました。「メモ帳」は常に装備してたわけです。でも、思うようにメモが増えない。
で、最近はカードをやめて、ノートを持ち歩くようになりました。すると、カードを持っていたときよりもメモをガシガシ書けるようになってきたんです。カードの方があとあとうんじゃかんじゃ考えるには絶対いいんですけれども、でも、ノートを持ってる方がメモは増える。役立つメモが増えたわけではないとは思うんですが、それでもメモが増えることは望ましいこと。ひっさびさにノートを持ってみて、「あぁ、ぼくにはノートがあってるんだな」とすごく感じました。

「1枚1項目」「1ページ1項目」が、どうやら合わない

カードにメモをとるときは、一枚につき一つのテーマについて書いていきます。また、以前「100円ノート『超』メモ術」式にノートを使っていたときは、見開き1ページで一つのテーマについて書く、ということをしていました。けれども、それ、ぼくにはあんまり合わないんじゃないか、なんて思ってきたんです。実際、再びノートを持つようになって、今回は1ページ一項目とか関係なく、順番に書き連ねていってるんですが、そのほうが格段にメモしようって気になるんです。
1ページ一テーマとか考えず、そんな決まりなんてもうけず、好きなことを書いちゃえ。そういうスタンスでいたほうが、メモって増えるもんなんですね。ぼくはそうみたいなんです。だから、あとあと利用しやすい、活かしやすい「カード」よりも、「ノート」に書き付けていった方がメモ自体は増えてくれる。

もちろん、カードもこれまで通り使っていきますが、今までがカードに偏りすぎてたと感じるので、ほどよく、どっちも十分に活かすことができるようなバランスを探していこうと思います。

フリック入力では、なかなかメモらない

iPhoneのメモ環境もこれまで模索し続け、満足いく形でテキストメモを保管できるようになったことはなったのですが、なかなかメモが増えていかない。なんでだろうと考えてみると、原因は「フリック入力」にあることに気づきました。

フリック入力で文章を打つのが、あんまり好きではない。だから、紙に書けないときにだけ、iPhoneを使ってメモをとろうという、サブ的な役割になる。と、この時点で、ガシガシメモをとろうという気持ちでなくなってるわけです。「やむを得ないときにはiPhoneでメモろうかな」、なんて消極的な姿勢では、メモは増えてはいきませんでした。

夏場って季節も、フリック入力には向きません。だって、手汗かくと入力しづらくなっちゃうんですもの。手汗かきのぼくにとっては、これはなかなか乗り越えがたい壁かもしれません。対して、冬場は手汗は比較的ましになるので、もっとガッツリメモをとっていけるようになればいいな、なんて期待をしております。

季節に影響を受けるフリック入力。快適なメモの環境を手に入れるためにも、今後も模索し続け、さらに快適さを追い求めていく必要がありそうです。

試してみなけりゃ、見えてこない

iPhoneを使うようになり、Evernoteを利用し、メモをとるという行為を日常的に行うようになって数年。たくさんの方法を模索してきました。
iPhoneでは、いろんなアプリを使ったり、Evernoteにメモを保管したりしなかったり、快適にメモがとれるよう、メモアプリの環境整備につとめたり。
手書きでは、メモパッドを持ち歩くようになり、母艦ノートとメモパッドの体制でしばらくメモをとり続けたり、A6サイズのノートを常にポケットに携帯するようになったり、情報カード一本に絞ってみたり、ルーズリーフを試してみたり。
振り返ってみれば、かなりいろいろなことをやってきたなぁ、と。で、結局ノートに戻ってきたのは、いろいろ試してみたからこそ。必要なメモ試しまくり期間だったんだと思います。
メモの量は、メモをとる環境が快適であれば、増えます。自分のふとした思いつきをキャッチできるかどうかは、いかに自分が快適と感じる環境を手に入れるかにかかっています。その環境をゲットするための近道はないんだろうと思います。考えて、試して、変えてみて、また試して。なんでもそうですが、やってみないとわからないことも多いので、とりあえず試してみるってのが大事なんでしょう。

おわりに

なんだかすごく当たり前な結論にたどりついたんですが、久々に「すべてを書き付けていく用」のノートを持ち歩くようにしてみて、メモが増えているうれしさから、書きたくなったので。
たぶん、今後もあれこれ試しては、より自分にあったメモの形ってのを探していくことと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりのおわりに

この記事を書いたのは今から7年前。
今でも、「すべてを書きつけていく用」のノートにすべてを書きつけていってます。
その日やろうと考えているタスクから、やったことに対するメモから、なんやらかんやら。
書きつける対象は紙のノートからアウトライナーに代わり、また紙のノートを使ってはiPadのメモ帳にいき、今はObsidianに行きついている、という感じ。
その時々で何に書きつけているかは変化してきましたが、本記事書かれていることは今でも変わっていません。
「何に書くか」は変化するかもしれませんが、「どう書くか」は結構固まってきたので、引き続き「すべてを書きつけていく用」のノートを使い続けることと思います。

全然関係ないことなのですが、読み返して感じたのが、今と改行の仕方が全然違う、ということ。
文章を書くリズムも、時と共に変遷していってるのかもなーと思いました。

では、お読みいただきありがとうございました。

いろんな過去記事のいくつかの傾向

このブログは毎週火曜と金曜に更新しています。
で、1,2ヶ月ほど前から始めているのが、金曜の更新の時には、旧ブログの過去記事から選んだエントリに手を加えて改めて投稿する、というもの。
その試みをはじめてから、過去の10年前から6年前ほどの記事を読み返す機会が増えたのですが、記事によって抱く感想が違い、違う中にもある程度の傾向が見えてきました。

まずは、今、読んでも面白いと感じるもの。
自分の過去記事って、けっこう面白いと感じてしまうんですよね。
言い回しや文章の持って行き方が自分好みなのが一番の理由だと思いますが、中には着眼点に感心させられる記事もあったり、あぁえぇ記事やなぁと思うものも少ないながらもあったり。
過去記事のほとんどが、書いた内容を忘れているので、読み返すとなかなかに新鮮で、かつ楽しく読めます。
で、面白いと感じた記事を、少し手を加えて金曜日に投稿しています。
全体の記事数に対して、再度投稿できそうだと感じる記事はかなり少なく、そんな記事を探すために毎週けっこうな数の過去記事を読み返しています。

一番多いのは、情報が古くなっていて改めて投稿することはできないと感じるもの。
iPhoneのホーム画面を共有する記事や、アプリの解説記事はさすがにもう再度投稿するような内容でもないので、読み返すだけで終わり、となります。
個人的には楽しい記事だけど、公開はしないまま放置となる記事たちです。

そして、過去記事には、読むと恥ずかしく、切なく、それでいてうらやましくなる類の記事も結構あります。
大学院生の時から始めたブログであり、学生のときにはかなり多くの記事数を更新していました。
記事数は減りつつも、卒業して働き始め、結婚し、生活がガラリと変化しつつもなんとか続けてきたブログなので、その時々によって自分の様子が違ってきます。
なんだか一生懸命な感じが記事に出ていたり、色々試して紆余曲折していたり、貪欲な部分があったり。
目標を定めてそれに向かって行こうとしている記事や、必死になって習慣化に取り組んでいる記事、継続していくためにもがいている記事。
あれこれ試してみては、その結果について考え、次の手をまた試している記事。
そういうのを読むと、恥ずかしく、切なく、それでいてうらやましくなるわけです。
今は、昔ほどに懸命でない、頑張っていないよなぁと。
昔の方が、理想を掲げて進んでいってたよなぁと。
別にそのことに対してネガティブな感情は持っておらず、今は今で充実しているのですが、それでもやはり今は持っていないものを過去の自分は持っていたんだな、と感じます。

あらためて読むとあぁおもしろいなと感じる記事、今は情報が古くなっている記事、恥ずかしく、切なく、それでいてうらやましくなる類の記事。
読み返して、そういった色々な記事に触れ、刺激を受けながら、金曜日の更新を楽しんでいこうと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

アイデアの土壌となりうる「経験」の受け皿としてのEvernote(「アイデアの土壌となりうる「経験」の受け皿」改題)

R-styleさんの「アイディアの傾向から見えるもの」というエントリを読み、考えたことをつらつらと。

どんな内容なのかは実際に読んでいただくこととして、このエントリの「さいごに」の部分にある記述を引用させていただきます。

・情報のインプットだけを増やしても、新しい発想が次々生まれる、ということはあまりない。

・むしろ、土台となる経験の数を増やしていく方が、しっかりしたアイデアを生み出しやすくなる。

・その土台に、多様なインプットが合わさったとき、アイデアのビッグバンが起きる。

経験だけでも、情報だけでも足りないのです。両方をうまく活かす__ハイブリッドスタイルが肝要かと思われます。
同じ情報を受け取ったとしても、そこから生まれるものってのは人によって「まぁこうも違いますか」ってくらい違うもんです。それは、その人自身のそれまでの経験によるところが大きいんでしょう。

話は変わりまして…

毎日毎日ちまちまとEvernoteにいろんなことを放り込んでいるわけですが、最近の傾向として、”自分発”のものばかりを放り込むようになったなと、ふと感じました。”自分発”とは、自分が思いついたことを書いたメモや日記、自分の行動のログなどです。ブログに書いたこともそうです。

かれこれ1〜2年ほど前になりますか。以前はRSSで受け取ったエントリや、ネット上で見つけた有用そうな情報をEvernoteに全文保存するってのをよくしていました。つまり、”他の人発”のものです。

でも、最近はめっきりそれをしなくなった。激減です。今はほとんどが”自分発”のものってことになります。

”自分発”のものとはつまりは、自分の”関心”や”経験”から、実際に生まれてきたものです。これが格段に増えた。

最近の自分は、以前の自分よりも”関心”や”経験”を重視するようになってきたんじゃないかなと思いました。意識してきてないのでよくわかりませんが、無意識のうちにそうした傾向が現れてきたんでしょう。

受け皿としての「Evernote」

ぼくの中では、そういう”自分発”のものを受け止めてくれる受け皿がEvernoteの役割と言えます。

”自分発”のものと言っても、なんらたいしたもんなんてありません。ありませんが、そのときの自分の”関心”や”経験”を、確かに切り取っています。

内にあるものを可視化し、意識化にもってきてEvernoteに保存する。

それを繰り返すことで、より”関心”や”経験”を鮮明に残してくことができるんではないか、と思います。

そういった点で、Evernoteってのはアイデアの土壌となる「経験」を山ほど受け止めてくれる、すごい存在なのではないか、と、そんなことを考えました。

おわりに

そう考えると、毎日何かしらEvernoteに放り込んでいるわけで、アイデアの土壌は日々刻々と肥えてきています。いい感じです。

ここに、アイデアの種となりうるインプットが加われば、「ジャックと豆の木」の豆の木ばりにアイデアがグングングーンと育ってくれるのかも。なんて考えたり。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりのおわりに

Evernoteは、今も受け皿としての役割の一部を果たしてくれていますが、以前のようにほとんどをEvernoteに集める、ということは今はやっていません。
その時々でメインのツールは変遷してきましたが、ここ半年ほどはObsidianに落ち着いています。
そして最近は、ただ書き残すだけではなく、より良い状態を保つことに意識を向けている、という感じ。
また、経験を残していこうと思えば、その分いろいろな経験をまず積んでみることが必要。
今回の記事を読み返して、改めて、日々変化を求めていきたいな、と思いました。

では、お読みいただきありがとうございました。

映画鑑賞のためのヘッドホン購入と、それに至るまでの思考の連なりと

映画を見るのが好きで、よく映画鑑賞をするのですが、見るのは決まって夜遅い時間。
子どもがまだ小さいので、映画を見るとなると子どもたちが寝静まってからになるからです。

6年ほど前に、音響を充実させようとスピーカーを購入し、現状は3.1chの音響の中、映画を見ています。
ただ、子どもが寝てから映画を見るとなると、子どもを起こしてはいけないので、せっかくの音響であっても音量を小さくしないといけません。
なので、大音量で映画を鑑賞する、という機会は年に数回ほどしかありませんでした。
何年も何年も、ずーっと小さい音量で映画を見ていた、というわけです。


話は変わりますが、つい先日、Amazonのプライムデーが開催されていました。
基本的には、色々と安くなっていても、別に必要ないものは必要ないのでわざわざプライムデーの日に何かを買う、ということはしていないのですが、Twitterで「Air Pods Proが安くなっている」という情報を目にしたので、さすがに気になり、一気に欲しくなってしまいました。
なぜなら、映画鑑賞とAir Pods Proが結びついたからです。

Air Pods Proは、空間オーディオに対応しており、それはすなわち映画を見るときに大いに役立ってくれるのではないかという期待を抱かせてくれます。
空間オーディオを実現するがためにスピーカーをいくつも購入していたわけですが、現状は小さい音でしか聞くことができず、臨場感とは程遠い音の中、映画を鑑賞していました。
でも、Air Pods Proなら、その空間オーディオを実現でき、なおかつ大きな音で慣らしていても子どもが起きることはありません。イヤホンなわけですから。
で、危うく購入しかけたのですが、なんとか踏みとどまりました。
Air Pods Proはおそらく音質も良く、満足させてくれるだろう。でも、同じ値段を出せば、もっと満足度の高い音で映画を鑑賞できるのではないか、という考えが頭をよぎったからです。
ヘッドホンを探せば、Air Pods Proを超えるものはあたくさんあるのではないか、という考えが。

ここまできてようやく、映画鑑賞のためのヘッドホンを検討するという段階にきました。
で、ここに至る道のりが、なんとも象徴的だなぁと思いまして。

というのも、周りに音が鳴らないように静かな中映画鑑賞をしようと思えば、ヘッドホンの検討は真っ先に思い浮かびそうなものです。実際、イヤホンで映画を見たことは何度もありますし、大きな音を鳴らさずにそこそこの音で映画を楽しむ経験は何度もありました。
なのに、映画鑑賞用のヘッドホンの検討に至るまでに、まずAmazonでのAir Pods Proの値引きがあり、それがきっかけとなってAir Pods Proを検討し、そこから同じ値段でもっと充実させるにはヘッドホンがあるじゃないか、というところに至る。
ヘッドホンという、静かに映画を鑑賞するための道具として真っ先に思い浮かびそうな候補を、そこまで全然直線的でなく、しかも直接は関係していないところを出発点としている。
思考は、思ってもみないところを発端とすることがあり、ごくごく単純な到達してみるとなぜ真っ先に思い浮かばなかったんだと感じるような帰結になかなか辿り着けないこともあり、思考の連鎖が連なっていってくれることもあり。
今回の出来事は、そういう思考の性質を象徴するものだなぁと感じたわけです。


それはさておき、購入したのは「サブウーファー搭載ヘッドホン Crusher Evo TRUE BLACK」。
低音の響きに合わせて、ヘッドホンが振動するという、重低音の迫力満点なヘッドホン。
何度か映画を見ましたが、小さい音でこそこそ見るよりもそりゃあもう何倍もいい感じです。
ほぼ映画のためだけに購入したので、とことんこのヘッドホンで映画を見てやろうと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

一人で考えるよりも、シェアすればいい

先日、とりとめのないことを書きました。

ただ単に読書メモに対して自分がどう考えるのか書いただけのエントリですが、そこには「いろんな方の読書メモスタイルを知りたい」という願いを込めました。
より良い、自分に合った読書メモの形を考えてはいますが、一人で考えるよりもいろんな方の意見を聞く方がよっぽど良いからです。そしてそれは、他の多くの方にとっても参考になります。自分が考えつかないアイデアを、他の人は必ず持っている。これはもう紛れもない真実です。

アイデアの宝庫

ここで、紙とえんぴつを使って次のことをやってみてください。
「3つの丸と1つの線で、絵を描く」
どんな絵をお描きになりましたか?ぼくは発想力に乏しいのか、こんな絵を描きました。

「だんご」です。この絵を描いた人も多いのではないでしょうか。お暇があればここからさらにどんな絵が描けるのか考え、1つでも多くの絵を生み出してみてください。どんなに多く生み出したとしても、次にお見せするいくつかの絵の中には自分の描いた絵と違うものが必ずあると思います。

「自分が考えつかないアイデアを、他の人は必ず持っている。」言わば”他の方の考えたち”というのは、”アイデアの宝庫”です。じゃあ、自分一人で考えるよりも悩みをシェアしてしまえばいい。ぼくのブログの場合、返答がくることは少ないですが、それでも書かないよりは書いた方が良い。そう強く思う今日この頃です。

おわりに

ぼくにブログを書くきっかけを与えてくれたのが、@rashita2さんのR-styleです。そこでいの一番に書かれているのが「Sharing is Power!」という言葉。ブログを書き始めた当初はシェアするということがどういうことなのかわかっていませんでした。気がつけばこの「iPhoneと本と数学となんやかんやと」も半年以上経過し、ようやくその言葉の意味をぼく自身感じるようになってきたのかもしれません。
では、お読みいただきありがとうございました。

おわりにのおわりに

さらに10年が経ちました。
今もこうしてブログを更新しているのは、シェアすることで誰かの、何かの役にたったらうれしいなーという気持ちから。
この気持ちが続く限り、何かしら書き続けていくんだろうなーと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。