すべてはメモである

メモの扱いというのは、なかなかに難しい。何年も考えているけれど、いまだに「これだ!」というものにたどり着いてない気がする。
そんな中で、これだと言えるものを挙げるとすれば、「すべてはメモである」ということ。

すべてはメモである。
iPhoneを使っていて、何か思いついたことがあった時に、書いたこと。
日々過ごしていて、「あれやらな!」と思い出し、とっさにメモパッドに書いたもの。日時が決まっている予定が入り、「〇〇日 13:00〜」と書き付けられた約束。

種類は違えど、すべてはメモである。
メモは、適切なところにあってはじめて、その真価を発揮する。
やる日時が決まっていれば、「スケジュール」として扱うことで、先の見通しを与えてくれる。
あぁ、あれやらなと思いついたとこにメモったものは、「タスク」として扱い、締切日も鑑みていつやるのかを決めていく。
スケジュールとタスク。これらもメモは、明確に用途が決まっているので、対して問題は生じない。扱いは、さほどややこしくない。
どうしようか迷いがちになるのが、いわゆる「着想」と呼ばれる、気づきであったり、日々触れる事柄から得たものや考えたことについて書かれたメモ。

すべてはメモである。
メモごとに種類が違えば、適切な場所がはっきりしている。
なので、メモ管理の肝は、タスクやスケジュール以外の、メモの用途がまだはっきりしていないことをどう扱うかにかかっている。
考えがいのある、試行錯誤しがいのある、とても大きな課題。

おわりに

ちょっと書き付けておいたもの。
そのすべては、メモである。
使うかどうかわからないメモが大半かもしれない。でも、だからと言って書こうかどうか迷ってしまい、書かなかったりしてしまうのは、大きな機械の損失である、のではないか。
メモは、大きく化ける可能性を持つ存在だから。

では、お読みいただきありがとうございました。