文章は、財産
日々、なにかしらの文章を書いて過ごしています。ブログもその一つですし、Evernoteやノートに取りためているメモも、基本的には文章の形で書き付けていっています。
なんであれ、文章って、ほんとに自分の財産だな、なんて思うんです。
自分自身にとって
着想を躍起になってメモするのは、その着想一つ一つに大きな価値があるからではなく、着想たちを蓄積することで、新たな気づきを生み出してくれると思っているから。実際、過去のメモを見返すという行為は、ものすごく思考を刺激してくれますし、今考えていることに重要な示唆を与えてくれることも多い。
そういう側面から、着想メモたちは、自分自身にとって大きな財産だなぁと感じます。
些細なことでも、そのときメモしておかなければ、次また同じことを自分の脳味噌が考えてくれる保証はどこにもありません。書き記しておかなければ、自分の考えを後々の自分に対して残しておくことはできないわけです。となると、書いておいたかどうか、ってのは、ものすごく大きな分かれ道になるわけです。
書いたそのときは、そのメモの重要性を感じることは難しいでしょう。でも、書き記し、残しておくことで、その書いた文書が自分の財産となりうるのであれば、ぼくは喜んで着想をメモし、保管して置こうと思います。文章で書き記された着想メモは、間違いなく自分自身にとって財産です。
他の誰かにとって
また、自分が書いた文章が、他の誰かの、何かの役に立つことだってあるかもしれません。ぼくがブログを書く理由はそこにあります。
自分が考えたこと、発見したこと、試してみたこと、失敗したことを文章として残し、それを自分以外の人たちに向けて発信することで、もしかしたら、その発信した文章が、何かしらの役に立ってくれるかもしれない。そんな思いで、このブログを、ちまちまと書き続けています。
自分が経験したことは、自分の糧になることはもちろんですが、それが他の人にとってのきっかけや、参考になれば、こんなすばらしい一石二鳥なことってないと思うわけです。
実際は、誰かの何かの役に立てるような文章って早々書けるものではないでしょうし、今までどれだけ書けてるのかもわかりません。それでも、今後もずーっと書いていこうと思っています。発信しなければ、可能性はゼロ。発信したとしても、可能性は限りなくゼロにちかいかもしれませんが、ゼロではないはず。ゼロとゼロではないのは大違い。誰かの、ちょっとした財産になるような文章が書ければ、とても素敵なことですね。
本物の「財産」にも
上記二つは、文章が、自分や他の人にとって、なにかしらの刺激を与える存在になるという意味合いでの「財産」でしたが、文章は、本物の財産にもなり得ます。
昨今では、自分の生み出した文章を発信し、それによって対価を得る仕組みが充実してきています。「note(リンク)」はその一つですし、AmazonのKDPも、文章を発信し、対価を得ることのできる仕組みになっています。となると、今まで書き記してきた文章をまとめ、発信することで、その対価を得て、自分の「財産」(お金的な意味での)に変えていくことができ得るわけです。今までの自分の文章が、自分の「財産」となって返ってくるんです。
もちろんそれって、言うほど簡単なことではありません。一つの作品として仕上げるための、ある程度の知識が必要になってくるでしょうし、手間もかかるでしょう。「note」での公開は、KDPよりもかなりハードルは低いと言えるかもしれませんね。
難しい側面はあるものの、自分の今まで書いてきた文章を、お金的な意味での「財産」へと変化させ得ることができるのは紛れもない事実です。こういうことも含めて、自分の書いてきた文章は、ほんとうに自分の財産なんだな、ということを強く思いました。
おわりに
以前、「自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為」というエントリを書きました。自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。その紙には、もちろん文章が書かれています。ただたんにいろんなことを書き記したものも、重要かどうかは別として大事なものですが、それ以上に「自分の考えがぎゅっとまとまった」ものこそ、より自分の財産になっていくのだと思います。
何についてでもいい。とにかく毎日メモをとり、何かについて考え、ぎゅっとまとめて書き記していく。ブログを書き、文章を生み出していく。そうやって、自分の「財産」を増やしていきたいと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。