やっぱ記録って大事なんやなという話
メモをとるにしろ、時間の使い方のログをとるにしろ、作業記録を書くにしろ、ログをとったり記録をしたりって言うのはどうしてこうもめんどうくさいものなんでしょうかね。
ログをとったらとったで、それをどこに保存しておくのかってのもなかなかなやましいもんです。メモ用紙なんて書いたまま放っておいたら間違いなく紛失しますし、記録もしかるべきところに保存しておかないと、あとから見返すことが難しくなって結局「とった意味あるの?」ってな話になっちゃいます。
でも、こんなマイナスな面ばかり挙げたとしても、それでもぼくはメモをとるし、ログをとり続けるし、記録を書き続ける。なんでなんでしょうか。
それは、”それ以上の恩恵をログや記録から得られることを知っている”から。
だからまた今日もぼくはメモをとり続けるし、記録を書き続けるんでしょう。そして、ちょっと手間がかかったとしても、それらをしかるべきところに保存して、見返せる状況を作っておくんでしょう。
”後知恵バイアス”に対抗できる
今、「脳には妙なクセがある」という本を読んでいるのですが、そこでは「後知恵バイアス」という脳の性質が書かれています。
結局のところ、私たちには「自分はわりと正しくこの事態を予測していたのだ」と勘違いするクセがあることがわかります。つまり「やっぱりね」というときの「やっぱり」は、それほど「やっぱり」ではない可能性もあるわけです。
脳には妙なクセがある
本書では、この「後知恵バイアス」を避けるために、謙虚になり、自分の考えていることはぜったいに正しいとは限らないと保留をつけること、という結論が述べられていますが、”記録”や”ログ”といったものも「後知恵バイアス」に対抗する術であるとぼくは感じます。
案外簡単に過去の記憶や考えを、無意識のうちに書き換えちゃう脳みそ。脳みそは案外頼りないかもしれなってのに気づき、記憶の書き換えを防ぐためにも、”記録”や”ログ”って役立ちます。
次に活かせる
なにか磨きたいスキルがあるのであれば、それをやってみて感じたこと・気づいたことをメモし、記録するのはあとですんごく役立ってきます。
例えば、ぼくは”授業メモ”というのを毎回の授業のあとに必ず書いています(教員という職業柄、週に何度か授業があるので)。
反省点が一番明確に見えるのが、授業をやった直後です。そのタイミングでちゃんとメモっておかないと、また次同じことを繰り返しかねません。
逆に、良かった点が一番見えるのもやった直後なので、それも逃さずメモしておく。で、次の授業準備のときに、前回のメモを見返す。
良かったとこは引き継ぎ、悪かったとこは改善していく。
そうやって自分のスキルを上塗り上塗りしていくことが、成長につながってくもんでないかと思います。
おわりに
記録の恩恵をつらつらと書きましたが、今までログをとる習慣のない人は、おそらくこれからもなかなかログはとらないでしょう。でも、やらずに判断するのはちょっともったいないと思うので、まずはカンタンとることができる記録からはじめてみるのもいいんでないかなと思います。
はじめからドカッといっぱいログをとったり記録したりしようとして、それでめんどくなちゃってやめちゃって、結局ログをとることや記録することの力を感じないままにそれをやめちゃうなんてもったいな過ぎますものね。お試しあれ。
では、お読みいただきありがとうございました。
おわりにのおわりに
記録の大切さは、これだけにはとどまりません。ここで書かれているのは、それこそほんの一部分。
本一冊あっても書き足りないくらいには、記録って大事なものだと言えます。
では、お読みいただきありがとうございました。