思いついては書き加えて、ブログの記事に仕上げていく(最近の文章の書き方)

長いことブログを書いています。細々と続けております。
長いこと書いてるので、記事を仕上げて更新するまでの流れを、あれこれ試してはしっくりくるものをしばらく続けてみて、、、みたいなことを何度も繰り返してます。
たいていは、「あ、ちゃうな、これ」ってなって、また前の書き方に戻る、となっちゃうわけですが。
でも、これまで何度か、ながーいこと同じ書き方を続けていたこともあります。

一つは、エントリの最後に「マインドマップ」みたいなものを載せていた時期が挙げられます。2年くらいは、エントリを書き進めていくときに、必ずマインドマップもどきを描いてから文章を書きはじめていました。
もう一つが、アウトライナーを使って文章を書き始める方法。これは今も現在進行形で、長いことその方法で書いています。マインドマップもどきを描いていたころより、今のほうがしっくりきてる感覚があります。
これは、かなり大きな変化です。だって、書くことを明らかにしていく手法が、マインドマップからフリーライティングっぽいものになり、トップダウン寄りなものからボトムアップ寄りなものにかわったってことですから。


マインドマップもどきを描いてからブログを更新していた時の流れはこんな感じでした。

何について書くのかを決める
 ↓
マインドマップを描く
 ↓
マインドマップにのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

テーマを決めて、マインドマップを描いて、文章書いて、アップしての一方通行。たいていは一日で記事を仕上げてしまうため、「読み返し」がほとんどなかったように思います。
マインドマップを描くことで見出しが決まってきて、だいたいはそれにのっとって書く。多少手を加えつつも、おおむねマインドマップで書き出したことを文章化していく。
シェイクがなかったわけです。

アウトライナーを使うようになっては、こんな感じです。

とりあえず思いついたことを書く
 ↓
書いたものを読み返す
 ↓ ↑ (何往復もする)
読み返して思いついたことを書き加える
 ↓
全体の構成が見えてくる
 ↓
見えてきた構成にのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

思いつくことを書き出して、書き出して、書き出して、書き出したことを読み返して、読み返して思いついたことを書き加えて、読み返しては書き加えて、そうしている間になんか見えてきて、見えてきてからはその見えたものにのっとって文章を書いていきます。
まず、書き始める。フリーライティングからはじめる。とりあえず一歩目を歩き始めることができる。
階層化はあんまりしません。そのかわり改行を多用します。たくさん改行して、文をかたまりにわけます。
文の順序の入れ替えは、頻繁におこないます。書き出した文章を入れ替えたり、書き加えたりしながら、全容をさぐっていく。
そのためか、エントリに「見出し」がないものが多くなりました。必要であれば見出しつけようかな、程度にしか考えていないので。ちょっと一呼吸おきたいときに、区切り線を入れるくらいです。

「書きたいこと定めてから書き始める」が、「なんか、とにかく書いているうちに書きたいことが浮かんでくる」にかわりました。間違いなく、大きな変化です。


マインドマップの時は、「何について書くのかを決める」の段階、すなわち一番初めの段階で、大まかに全容が見えてないと書き始められませんでした。
というのも、ぼくのはあくまでもマインドマップ”もどき”で、発想を広げるというよりも、頭の中にあることを整理しながら紙にひろげていく、という意味合いが強いものであったから。そもそも頭の中に、ブログに書けそうなことがなければ、それをマインドマップ上に吐き出すことがなかなかできないわけです。
中心から伸びたノードが「見出し」で、そこから先はその内容を書いているような感じでした。頭の中を構造化しながらマインドマップっぽく落としこんでいました。マインドマップが完成すれば、あとは必要な部分を補いながら文章化していくだけ。
マインドマップさえ描ければ記事はできあがるのですが、マインドマップを描き始めるまでがなかなかに困難だったように思います。頭の中で、ある程度は「何についてどう書くのか?」を描けていなければ、一歩目を踏み出すことができませんでした。
なので、ブログを書く時間を確保していても、一文字も書けないことがざらにありました。
一文字も書かずに時間が過ぎていく、なんてことがあると、モヤモヤします。書きたくても書けてない感がただよって、「あぁ、書かれんかったー」と多少落ち込む。
そんな感じでした。

今は、フリーライティングからはじめています。特に「これについて書く」というものがなくても、まず書いちゃう。
とりあえずなんか書ければいいや、なにが書きたいとかなくても、なんか書ければいいや、という気持ちでいるので、何かしら文章は出てきます。だって、思いついたことをそのまま書いちゃえばいいから。なんも書かれんかったー、みたいなことがほぼほぼなくなりました。モヤモヤ感は、あまりありません。何も書けずに終わる、ってのがなくなったから。
過去に書いたものを読み返して呼び水にすることもあれば、なにもせずただ頭に思い浮かんだことを書き出すこともあります。
「記事を仕上げよう」ではなく、「まぁそのうち仕上がっていくでしょ」って感覚で書いています。
いつ文章を書き終えることができるかわからないまま書き進めることになりますが、それなりに更新できてるので、書いてるうちに仕上がっていくもんなんだと思います。それでいいかな、と。

以前のように、ブログにまとまった時間がとれないってのも影響が大きいように思います。
ブログに時間をかけることができていたときは、マインドマップを小1時間かけて描き、これまた小1時間かけて文章を書くことでエントリを完成させていました。1日のうち、1時間半くらいをブログに費やすことができたからこその書き方と言えます。
けど今は、1日の中でそんなに長い時間ブログを書くことはできません。毎日長くて20分とか。細かく分割されます。分割された中では、ちまちま書き加えていく今のスタイルがあっているみたいです。マインドマップは、ちまちま書き足すのんがどうもやりにくいので。

おわりに

文章を書く。そのこと自体への親しみと楽しみが、以前よりも大きくなっているように思います。これも大きな変化。
うんうんひねり出しながら書くことが多かったのに、とりあえず書いたことをあれこれいじりたおすほうが楽しい。自分の書いた文章って読み返すとそれなりにおもしろいもんです。読み返しが刺激になり、新たに何か思いつくことだってあるもんです。
一日のなかで書くことに費やせる時間をなんとか捻出し、書く。
読み返しては、書き加えていく。
それを続けて、ブログの記事として公開しちゃう。そんなスタンスで、楽しみながら書くことができています。
そんな楽なスタンスでブログを更新するってのも、いいもんです。

では、お読みいただきありがとうございました。

ちなみに

今回のエントリは、下書きを複製しては書き加え、また複製しては書き加え、を繰り返して完成までもっていきました。というのも、文章の変遷を残しておき、それも見てもらおうかな、と考えたためです。以下にその下書きたちを載せますので、興味あればこちらもどうぞ。

最近の文章の書き方。

最近の文章の書き方。 (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

大阪弁と標準語とメモとブログと

キーボードで書くのとiPhoneのフリック入力で書くの。
話すときの言葉と、書くときの言葉。
口に出してしゃべるのと、声には出さず書くの。

同じ内容を考えてたとしても、考えるスピードや書くスピードは違ってくるように思う。
なので今回、話すときの言葉、つまり、大阪弁でエントリを書いてみようと思い立った。そのほうが早くブログを書ききることができるかな、なんて考えて。
それが、以下の二つ。

普段、何かしら考えごとをするときは「大阪弁」。内容があんまり見えず、思いついたことをだぁーっと書き出すときも大阪弁。つまり、考えるときは話すときの言葉を使う。
それら大阪弁で書かれているメモを見返し、内容を定め、ほかの人が読める形に「仕上げる」ときは標準語。文章を書くぞ、というときは、標準語を意識する。大阪弁ではない。
上記の二つのエントリは、話すときの言葉で書いた。考えたことをだぁーっと書いていくときの言葉で。
じゃあ、二つのエントリは、だぁーっと書き出してそのままブログになったのかというと、やっぱり違う。いつも通り、書き出す段階とブログの形に仕上げる段階に分けて書いてた。


ブログという形で人の前に提出する文章は、ほぼほぼ2回書いている。
まず、あれこれ書き出す。頭の中のモヤモヤがなくなるまで。
「これについて書けそう」と思ってても、ぼくの場合、スラスラと文章が出てくる、なんてことはない。書けそうな気はするけど、モヤモヤしてる、という感じ。まだ頭の中で固まっていない、見えてきていない感じ。
それは、あれこれ書き出すうちにちょっとずつクリアになっていく。
で、だいぶクリアになってきたら、これまで書いた文章を横に表示し、参照しながら書く。つまり、2回書いてるということ。
なんではじめから書き直すことをするのか。そのほうがいいと思うのか。
メモは大阪弁で、ブログは標準語だからだと思ってた。書き出すときは大阪弁で、仕上げるときは標準語だからだと思ってた。
フェーズが、大阪弁と標準語によって分かれているから、仕上げるときには、はじめから書き直したほうが手っ取り早いからだ、と。

大阪弁を敬体に直そうと思うと、なかなかに修正は大掛かりになる。かつ、仕上げに向かうためには、今まで書いた文章を整えていく必要があり、さらに修正は大掛かりに。というか、修正っていうレベルではなくなってくる。
だぁーっと頭の中を書き出していくことでクリアになり、文章の内容、流れはもうほぼ出来上がっているので、大きく構造をいじる必要はない。書き直していって、結果的に大きく構成を変えるときはあるものの、基本的にはできあがってる流れに沿って書き直していけばいい。
ってことで、これまで書いた文章を参照しながら、一から書き直し、仕上げる方法がしっくりくる。そう思ってた。
でも、今回大阪弁で書いてみて、いや、そうでもないなと感じた。大阪弁で書いたらからといって、2回書く必要はなくなるわけではない。早くブログを書ききることができるわけではない。
まぁそうやろうなと、うすうすは気づいてたけど。


大阪弁のブログエントリを書こうと思い、最終的な仕上がりを標準語ではなく大阪弁にしようと思いながら書いていたのに、やっぱり2回書いた。大阪弁を、また大阪弁で書き直していった。結局は、大阪弁や標準語やという区別によらず、「書き出すフェーズ」と「仕上げるフェーズ」に分かれていたほうが、ぼくは書きやすいということ。
でも、いつもと違う感覚もあった。
内容が定まって、ブログ用に仕上げていく段階、いつもは標準語で書こうと思いながら進めるけど、今回は大阪弁で書いた。明らかに、いつもよりも筆の進み具合がよかった。さらさらーっとかけていけた感じ。
大阪弁のほうが、やっぱり書きやすい。文章が比較的すらすらと出てくる感じ。言い換えないで、いつも使ってる言葉、素のままの文章。そのほうが、書きやすい。


メモをできるだけそのままブログに仕上げられんものか、そうできたほうが、ブログを書くスピードは速くなり、更新頻度が上がるのではないか、そんなことを考えてるときもあった。
でも、今回大阪弁でエントリを仕上げてみて、そうは問屋が卸さないことがよくわかった。
たとえ、敬体になおさず、標準語になおさず、大阪弁を大阪弁のままブログの一つのエントリを仕上げようと思っても、もう一度書き直す必要があった。
やっぱり、ブログの一つの記事として仕上げるための、文章を整える作業というか、言葉遣いを修正する作業とかは必要。
ちまちま修正するよりも、一から書いたほうが手っ取り早い。今回も、いつもと同じように手っ取り早かった。
メモとかを集めて、全体の流れを整えて、文章を仕上げていくためには、もうこれは必要なことと割り切っていくのがいい。


一発で文章を仕上げようとは考えない。
けっこうそれが、文章を書く上では大事じゃないかな、と思う。
まずは。
次の文章を頭から出そうとうんうん悩まず、思いついたことをそのまま書いていく。だぁーっと書いていく。書いたことを読み返すと、また何か思いつく。思いついたことをまた書いていく。それを繰り返していくと、はっきりしてくる。頭の中ではおぼろげにしかみえてなかったことが、クリアになっていく。
書き出すのは、クリアになるまで続ければいい。なかなか仕上がらなくても、気にせず。見えてくるまで書いては読み返し、書き足しを繰り返す。
そしてクリアになってから、これまで書いたことを見返しながら文章に仕上げていく。
実はこのブログエントリは、仕上がるまで半年以上かかってたりする。一番はじめのメモを書いてから、半年以上。
そっから折に触れて書いては読み返しを繰り返すことで、だんだんとクリアになってきて、書く内容が見えてきて、ようやく一つのエントリに仕上げることができた。そういう書き方も、あったりする。そういう書き方も、いいですよね。

では、お読みいただきありがとうございました。

余談

2度書くことについては、「書いてから、書く。」と題して、こちらでも書いております。

「過去に書いたことが否応なしに目に入る」環境づくり

過去の日記が「否応なしに目に入る」ように、日記を書いていく。この「否応なしに」は、けっこう重要なキーワード。


テキストデータを扱うのが主流になって久しいけど、それでも紙のノートを使ってる人は多い。
アイデアメモしたりとかにもノートを使ってたり、日記はノートやったり。

ノートの良さは、「ペラペラめくれる」ところが一番じゃないか、と感じる。これは、タブレットとかでは実現できない。
ペラペラめくる時に、過去に書いたことが目に入る時がある。そういうのんが、紙のノートの最も優れた点の一つじゃないか、と。
で、これをテキストデータでも実現したい。ペラペラは現状実現は無理。となると、「過去に書いたことが目に入る時がある」ようにできないか?ってことになる。で、この解として、「連用日記」が思いつく。

紙の連用日記は、同じページに3年や5年分の、同じ日の日記を書くことになる。自然と、「1年前の今日」が目に入る。そう、「過去に書いたことが目に入る」ことになる。これしかない。
Evernoteで実践する。同じノートに、同じ日付の日記を書いていく。まさに連用日記。
ノートのタイトルは「日付」。内容が「2016 Mon」という風に、西暦と曜日を入れて、その年のその日の日記を書くようにし始めてはや2年ほど。イメージとしては、こんな感じ。

  • 2016 Sun
    • 日記を書き書き。
  • 2015 Thu
    • 去年の日記が書き書きされている。

去年の日記が、確かに「目に入る」のですごく気に入ってる。で、それを「1日のログ」にも応用させて、たすくまの実行記録とそのメモも連用の形で書いていってる。
同じノートに、同じ日付の記録が並ぶ。並べていく。確かに「目に入る」ので、これまたすごく気に入ってる。


ノートでは、「ペラペラめくる」ときに、過去に書いたことが目に入る。一方で、同じ手書きでも、カードではまったく事情が変わってくる。
紙のノートなら、新しく何か書き込む時に、一番新しいページまでたどり着くためにペラペラとページをめくることになり、過去に書いたものが目に入りやすい。
けど、カードはそうはいかない。ノートのように、新しく書くときに過去に書いたカードをペラペラすることはない。新しく何かを書く時には、新しいカードを取り出す。過去に書いたカードには、目もくれず。
カードの弱さというか、弱点はここにあるかも。自分から見返しにいかないといけないところ。
意識的に「見返す」をしなければいけない。それは、見返さなかったら過去に書いたものは目に入ってこない、ということ。ただ単にカードを書きためて、束にしておいておくだけでは、「否応なしに目に入る」にはなり得ないということ。
ぼくはどうやら意識的に「見返す」が苦手なようで、カードは使ってみては破綻し、また使ってみては断念し、を繰り返してる。今また使ってみてるところやけど。

そこで、「否応なしに目に入る環境」が一つのヒントになるかな、なんて思ったり。
とりあえず今やってみてるのは、書いたカードをデスクの上にほったらかしておく、というもの。
家のデスクの上には、iMacがのってて、その下のスペースにカードを乱雑にほったらかしてる。ほったらかしてたら、「否応なしに目に入る」。そこからなにかがうまれるのかはわからんけれども、とりあえず続けていこうと思う。

ノート、カード、テキスト。それぞれに合った「否応なしに目に入る」ような管理の仕方。過去に書いたことたちに日が当たるような、蓄積のさせ方。手間なく実践できるようなものを考え、試していきたい。

〜余談〜

目に入った時に少し考える時間をもてる、ちょっとゆとりもあれば、尚いい。というか、それがないと、目に入ってきても意味がなくなっちゃう。
過去に書いたことが目に入った時に少し考える時間をもてるようなゆとりを得るために、「ライフハック」はあると思ったりする。


では、お読みいただきありがとうございました。

考えるときの「広げる」と「拡げる」、むしろ「拡がっていく」。

頭の中のものを紙面上に「広げる」。
「かばんの中身を机の上に広げる」とか、そういう意味。
とにかく書き出す。思いついたことを書く。書いたものの配置を変える。矢印でつなぐ。
書く、書く、書いてみる。
白紙からもう一度書きなおしてみる。頭からとり出して、紙面上に「広げる」。

アイデアを「拡げる」。
「拡張する」ってニュアンス。
調べて知識を得たり、本を読んで学んだり、人から意見を聞いたり。外部からの刺激によって拡げる。
連想したり、視点を変えたり、俯瞰したり、拡大したり、組み合わせたり、切り離したりして、拡げる。自分の中の化学反応を促す。
反応が起こって拡張していくことが多いので、「拡げる」という言い方よりも「拡がっていく」といったほうがしっくりくるかも。
拡げるというよりも、拡がっていく。拡がっていってほしいがために、マインドマップを描いたりする。マトリクスを書いてみたり、マンダラを埋めていったり。

広げて、発見して、拡がって、広げて、気づいて、拡がって、広げて、整理されて、まとまりがみえて、気づいて、拡がって、広げて、まとめてみて、まとまってきて、まとめて、落ち着く。

そんな感じのことが、起こっている気がする。
考えているときの頭のなかって、どんなもんでしょうか。

では、お読みいただきありがとうございました。