PoICを名刺サイズ情報カードで実践すると、蓄積は「発見」のみに

これまで何度も、情報カードを使ってみては他のツールに心移りし、またカードにもどってきては他に目移りし、というのを続けてきました。そして今回、また情報カードにもどってきてます。
これまでメインに使っていたのは、5×3サイズの情報カード。PoICの規格と同じもの。でも今回は、名刺サイズの情報カードを使ってみていて、これがなかなかにいい感じなのです。
名刺サイズの情報カードで、PoICを実践しようとしている、と言えます。

PoICを名刺サイズ情報カードで実践すると、蓄積は「発見」のみに

PoICでは、メモは「記録」「発見」「GTD」「参照」の4つのいずれかとされます。5×3サイズの情報カードにメモをとり、4種類のどれにあたるのかタグ付けしてわかるようにして、それらのメモを時系列に並べ、蓄積していくってのが基本方針。
で、それを名刺サイズの情報カードで、今の自分に合った形で実践してみようと考えました。

ぼくの場合、「記録」はたすくまか手帳に書き付けていってるので、それらにメモできない状況下においてのみ、ポケットに入れている名刺サイズ情報カードにメモすることになります。でも情報カードに書いた後は、最終的には手帳に転記するか貼り付けられるので、「記録」をカードのまま残しておくことはありません。
となると残りは、「発見」と「GTD」と「参照」。

「参照」は本から得ることが多く、読書メモはWorkFlowyに書いていってます。他にはレシピなんかも「参照」にあたるけれども、以前はEvernote、今はScrapboxに記録してるので、「参照」においてカードの出る幕はなし。(と書きつつ、今、読書メモをカードに書いていったらどうなるかってのを実験中。それはまたおいおい。)

「GTD」、つまりタスクは、基本的に手帳に書きます。手帳が手元にないときだけ、カードに書く。カードに書いたとしても、必ず手帳やたすくまに転記する。その二つがマスタータスクリストとデイリータスクリストを担ってるから。なので、カードに書かれたタスクは、転記された時点で役目を終えます。タスクを書いたカードが蓄積されることはありません。

ということで、残りは「発見」。カードに書いて、それを蓄積していくのは、「発見」のみということになるわけです。

まとめると、

  • 「記録」はたすくまか手帳
    • カードに書いても、手帳に貼るか転記する
  • 「参照」はWorkFlowy、Scrapbox
  • 「GTD」はカードに書いたとしても、たすくまか手帳に転記されたら役目を終える
  • よって、「発見」だけが蓄積されていく

ってのが、ぼくのPoICの名刺カードでの実践になりそうです。

ちなみに、どのカードにも「タイトル」はつけてません。サクッととるメモに対して、いちいちタイトルをつけるのは、、と思ったから。
ほんの些細な思いつきをメモするために名刺サイズを使う、とも言えます。PoICよりも、メモの粒度としては細かいと言えるのかも。
書いたカードを見返し、束ね、まとまってきた段階で、タイトルをつけるようにしてます。その話もまた、おいおい。

で、ここまで書いて思いました。これはもはやPoICではないな、と。
ただ単に、名刺サイズの情報カードをメモ帳として使う具体的な方法やな、と。

最終的には、「着想」のすべてを情報カードに

というわけで、着想、思いつき、発見の類のメモは、最終的には必ず情報カードに書いて蓄積していっております。

記録は「たすくま」と「手帳」が担ってくれてるわけですが、記録から着想を得たり、振り返ることで気づきがあったりもします。それもカードに転記して、カードの状態で書き残して、蓄積していくってのが基本方針です。
思いついたことをカードにかけない状況では、iPhoneにてたすくまにとりあえずメモしておいてしのぎます。で、たすくまのログは、毎日必ず見返すようになってるので、そのときにカードに転記します。
そんな感じで、着想、思いつき、発見の類のメモは、最近は全て、ほんとに全て名刺サイズのカードにメモし、蓄積していくってのを続けております。
基本は、そのメモたちは、時系列にストックされていくわけなのですが、そうするとカードばっかが増えていくだけで、たいした意味をなさないってなことになりがち。そこでどうしていくか、については、また回を改めて。

おわりに

A6、5×3、B6、名刺と、いろんなサイズの情報カードを使ってみてきました。大きさが違えば用途も違ってきますし、カードの書き方も変わってきます。
で、ぼくにとっては、「思いつきを一言書き残しておく」くらいの使い方が一番合っているようで、数あるサイズの中で、名刺サイズがいい感じにしっくりきています。
で、使うたびに思うのが、操作する楽しさ。カードをくり、あれこれ考えては好きなように配置し、いくつか束ねて大きくしていく。それがやっぱり楽しいな、と感じます。
「ちっさすぎるやろう」と思ってあんまり使ってこなかった名刺サイズの情報カードが、自分には一番しっくりくるもんやったんやなぁとちょっと驚きつつ、今日もせっせと書き残していってます。

では、お読みいただきありがとうございました。

デイリータスクリストに紙のノートを使う。タスクシュートを意識して。 ~タスク管理あれこれ2~

前回提示した、「タスク管理、三種の神器」。

  • スケジュール帳
  • マスタータスクリスト
  • デイリータスクリスト

スケジュール帳とマスタータスクリストは、「やること」をやり逃さないためのもの。
「やること」を実際にやっていく、こなしていく上で重要なのが、デイリータスクリスト。
長らく「たすくま」を使ってた。たすくまにて、朝起きてから夜寝るまでのすべての「やること」をリスト化し、行動していってた。
それで、不自由があったわけじゃない。なにかしら問題があったわけでもない。でも、一番いい方法か?と問われるとうなづけない気持ちも。
そこで、別のツールを試してみることに。試してみることで、いろいろわかったことがある。

ノートを使うことに

一日は、「スケジュール」と「タスク」からなる。スケジュールがあって、その合間合間にしかタスクをこなすことはできない。
合間合間がよくわかるのは、時間軸。軸にスケジュールを書き込むと、間にどれくらいの時間が使えるのか可視化できる。一日の流れを俯瞰できる。
だからぼくはバーチカルタイプの手帳が好き。あの、表示のさせ方が好き。
「たすくま」では、すべての「やること」がリストの形で表示されてて、スケジュールを書き込んだ後、どこに、何分くらいの時間が残されているかをパッと見て把握しづらいな、と感じてた。
というわけで、「たすくま」をいったん離れ、ノートにデイリータスクリストを担わせよう、ということになった。時間軸にスケジュールやタスクをのせていけるように。

なぜ手帳じゃないのか?書き込むスペースが少ないから。計画をし、実行し、実行した「やること」に作業ログを残すには、豊富なメモスペースが必要になる。そのスペースを確保するには、見開き一面に時間軸が並ぶバーチカルタイプの手帳では厳しい。
1日1ページも手狭に感じたので、見開き1ページを1日分とすることにした。ノートやからこそできる、柔軟で贅沢なページの使い方。

縦に一本線を引き、数字を書き込み、時間軸をつくる。そこにスケジュールを記入し、合間にタスクを書き込んでいく。
そうすると、ざっくりと一日を計画することができ、すべての「やること」が終わる時間の予想もつく。細かい修正を随時ほどこす、ということはできひんけれども、一日の計画時に今日の全容をざっくりつかむのであれば問題ない。
基本スタンスは、この方法。ここに、これまでずっとやってる「タスクシュート式」を加えていく。

タスクシュート式を意識

「タスクシュート」の詳細を学ぶことができる「なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか?」に、「タスクシュート式」の定義が載っている。

  1. 「本日1日分の仕事」を1シートで管理する
  2. 「これからやる仕事のリスト」と「ここまでにやった仕事のリスト」を一元管理する
  3. 「1分以上時間のかかること」はすべて管理する
  4. すべての仕事の「見積もり時間」を出しておく
  5. 「本日1日分の仕事」がすべて終わったら何時になるかの予測を自動算出することで、常に仕事の終わる時間(または就寝時刻)をリアルタイムに把握する

これらをなるべく満たしながら、ノートで実践できないか、を考えた。
三つ目以降がなかなかに厳しい。「「1分以上時間のかかること」はすべて管理する」を厳密に実行するのは諦めた。そこまでの細かいタスクを時間軸に書き込むことはできひんから。けれども、ノートの豊富なスペースにはタスクを書き出しておくようにする。管理、とまではいかへんけれども、細かいタスクたちを把握はしておく。
4つ、5つめを実装するために、タスクの基本セットを30分にした。「25分+5分」のポモドーロテクニックを意識しての、30分。
縦に引いた一本の時間軸にスケジュールを書き込み、スケジュールの合間に30分のタスクをはめ込んでいき、一日の流れを組み立てる。割り込みがあったりしてタスクをひとつ後にまわすと、帰宅時間が30分後ろにずれ込む。そんな風すると、終わる時間はすぐ割り出せるようなる。
30分以上かかるタスクは、分割してそのサイズにする。30分かからない細々したタスクは、いくつか集めて束ね、30分になるようにする。
スケジュールの合間に30分がうまいことはまらないときは、あえてはめない。すると、隙間ができる。10分~20分くらいの隙間が。一日に1つくらいは、この隙間があるくらいがいいかな、と思ってる。

自由で不自由なノート

ノートは、一度記入すると、修正しにくい。
なので、一度計画を記入し終えたら、それどおりにこなしていこう、という気持ちが強くなる。
方眼の一つのマス目を20分とし、3つで1時間ぶんと決めた。その時間軸に、スケジュールを書き込み、30分のタスクを合間に入れていく。
実行中も、常に時間軸を意識できるのがいい。

ノートによってのタスクシュート式の実践は、割り込みにはめっぽう弱い。
で、一つルールを設けた。割り込みから帰ってくるときには、必ず調整時間をとる、ということを。その調整時間に、割り込みによってずれこむことになったタスクの時間の割り振りを調整し、修正する。で、またスタートしていく。
ノートを使うと、割り込みに対応しにくい反面、事前装填感が高まる。強くコミットメントすることになる。一度書き込んだら、簡単にはうごかせないから。タスクがシュケジュール化され、機械的に、時間がきたらスタートせなあかん感が増す。
割り込みがさほどないときは、かなりうまくいくことがわかった。割り込みがさほどないって、なかなかに特殊な状況やけど。
割り込みがあっても、調整時間を取ればまずまず修正していけることもわかった。この、調整時間を必ずとるってのがいい感じ。突発的なことが起こり、予定が狂ってもそのまま突き進むのではなく、一度立ち止まり、ちょこっとだけ計画を立て直す。ノートは、計画の立て直しを促してくれる。
でも、割り込まれまくったらこの方法では対応しきれないのは目に見えてる。そこがネック。

ノートは、記入は自由で、修正は不自由。それでタスクシュートのようなことをしようとすると、どうしても工夫が必要になってくる。不自由さをカバーできる工夫をすれば、自由を謳歌できる、のかもしれない。

おわりに

ノートを使う利点として、

  • 時間軸を意識できる
  • 修正しにくい分、コミットメントが強くなる
  • 割り込み後は、調整時間によって計画の立て直しが習慣化される

あたりが挙げられる。手書きでノートにあれこれ書きながら過ごすのも楽しい。

ぼくは、以前は一日の計画をたすくま上で行っていた。開始時間等々を気にしてやることの順番を入れ替え、それどおりにこなしていけるリストを作ろうとしてた。けど、「上から順番にこなしていけばいいタスクリスト」をなかなか作ることができてなかった。「やること」を終えた後いちいち「次はどれをしようか?」と考え、選び、スタートしてた。
時間軸を書き、そこにスケジュールとタスクをのせていくことで、リストでずらっと並べるよりも一日をイメージしやすくなる。任意に動かせてしまうタスクを、スケジュールのようにとらえることができ、「この時間がきたらこれをする」と、迷いが入り込む余地をかなり減らすことができる。上から順に実行していけばいいリスト、上から順に実行していけるリストがつくれるようになった。
実際、ノートを使うようになって、計画よりもたくさん休憩しすぎたり、リストにのっていないことをついつい始めてしまったり、ということがかなり少なくなった。

あと、もう一つ。
タスクを30分でひとつとし、ポモドーロ・テクニックを使うことで、集中度合いも上がった。5分の休憩を必ずはさむのがいい感じ。
時間軸に、スケジュールと30分のタスクセットをのせることよって一日の「やること」リストを計画する。
しばらくはこの形で毎日を過ごしていく予定。これと、たすくまを組み合わせて。

では、お読みいただきありがとうございました。

タスク管理、三種の神器 〜タスク管理あれこれ1〜

「やること」を管理すること。それをタスク管理と呼ぶんやろうけど、ここでは「やること」と「タスク」は分けて考えたい。
というのも、「やること」には「時間の定まっているもの」と「時間の定まっていないもの」があるから。

「スケジュール」と「タスク」

時間の定まっている「やること」のことを、「スケジュール」ということにする。
時間の定まっている、とは、「何時何分から、これこれがある」というような感じ。開始時間が定まっているもののこと。
終わりの時間が決まっているものもあったりする。

時間の定まっていない「やること」のことを、「タスク」ということにする。
開始時間は決まっておらず、いつやるかは自分の裁量にゆだねられている。ただ、基本的には締め切りがあるので、「いついつまでに完了させる」ってのは定められていることが多い。

「やること」には、毎日や毎週など、ルーチンであるものもある。というか、ルーチンの「やること」で一日の大半は埋まってる。
ルーチンであれ、「やること」に変わりはないので、スケジュールとタスクに分けられる。
普通は「ルーチンタスク」って呼ばれ方をするけど、スケジュールにもルーチンはある。
とはいえ、ルーチンであるものも、スケジュールならスケジュールとして、タスクならタスクとして処理していくことになる。
なので、今後は、「スケジュール」や「タスク」と書いているものには、ルーチンも含まれる、としたい。

タスク管理、三種の神器

三種の神器 その1「スケジュール帳」

その名の通り、スケジュールを管理する存在。
Googleカレンダー、マンスリーの手帳、ノート。。。
「〇月×日の△時□分から☆分間、★★がある」という情報を管理できるものならなんでもいい。

三種の神器 その2「マスタータスクリスト」

タスクを管理する存在。完了させるべきタスクの並んでいるリスト。
「マスタータスクリスト」は、今思いつく「タスク」のすべてが書き出されているリスト。
そこに書かれていることをすべてこなしていくのが自分のすべきこと。
新たにタスクが発生したら、このリストに加えていく。追加オッケーなリスト(オープンリスト)。
タスクの全容を把握するためのリスト。「ここを見れば、何に着手するべきかがわかります」って存在。

ちなみに、InBoxを設けておいたほうがいい。思いつくことをすべてこのリストに放り込んでしまうと、おそらくは時間がいくらあっても足りない。思いついたことは一旦InBoxに集め、吟味し、やるべきであればマスタータスクリストに追加する。

三種の神器 その3「デイリータスクリスト」

その日一日の「スケジュール」と「タスク」のすべてが、つまり「やること」のすべてが書かれているリスト。「デイリーやることリスト」と呼んでいいかも。
デイリータスクリストを作り、一日を過ごす。
一度作成した後は、基本的にはこのリストにはタスクやスケジュールを書き込まないリスト(クローズリスト)。
「スケジュール帳」と「マスタータスクリスト」は、このデイリータスクリストを作成するためにある、と言っても過言ではない。
デイリータスクリストを作るときの目標は、『タスクを含め、すべての「やること」をスケジュール化する』こと。
一日の時間軸に、まずはスケジュール帳の今日の日付に書かれてある「スケジュール」をのせる。
「会議に参加」であったり、「〇〇とミーティング」であったり。

  • 11:00 – 12:30 会議
  • 14:30 – 15:30 〇〇とミーティング

その合間合間でしか、タスクをこなすことはできない。

  • 11:00 – 12:30 会議
    • 昼食
    • タスク1
    • タスク2
  • 14:30 – 15:30 〇〇とミーティング
    • タスク3
    • タスク4

よって、スケジュールを入れた合間に、タスクを放り込んでいく。
時間軸を用意し、そこに書き込んでいくと、一日が計画しやすい。
で、一日の時間軸にタスクのをせるためには、そのタスクにどれくらいの時間をかけるのか、を定めておかないといけない。
それぞれのタスクに「これくらい時間かけるつもり」っていう「見積もり」を設定し、スケジュールの合間にタスクを挟み込んでいく。
こうすることで、「今日はどれだけのタスクを終わらせることができるか」がわかる。また、見積もりがあるので、だいたいどのくらいの時間に仕事を終えることができるのかもわかる。
「どれくらいのタスクを、どのくらいの時間に終えることができるのか?」がわかるように、デイリータスクリストは作りたい。

おわりに

タスク管理、三種の神器は「スケジュール帳」「マスタータスクリスト」「デイリータスクリスト」。
「三種の神器」って表現してるけど、物ではなく、具体的なツールでもない。概念的なもの。
やから、上記の要件を満たしうるのであれば、ツールは何使ってもいい。
「デイリータスクリスト」には、1年以上「たすくま」を使っていたけど、ちょっと他のを試してみたくなり、WorkFlowyを使ってみたり、今はノートを使ってみてる。で、このノート使うのが、現状は楽しくて楽しくて。
今後はそのへんについて書いてみたい。

では、お読みいただきありがとうございました。

名刺サイズで遊ぶ (情報カードの大きさについて)

情報カードにメモをするってのを、休み休みずーっと続けてる。で、そのときに使ってたのは、5×3サイズの情報カードばっかりやった。43Tabsを実践してるときも、5×3サイズ。最近またカードを使い始めたけど、やっぱり5×3サイズ。
でも2,3週間ほど前から、名刺サイズを使い始めた。というのも、5×3サイズは、ちょうど程よい大きさやと思ってたけど、ポッケにはちと大きくておさまりがわるいため。名刺サイズは、小さいぶんポッケに無理なくおさまる。
そして、iPhoneのケースにもおさまる。これがけっこう、いやかなり重要やったりする。
名刺カードは、50枚ほどをクリップでとめて、ひとまとめにして持ち歩いてる。
思いついたら、そこに書き込んで、書いたカードはクリップから引き抜く。その引き抜いたカードのやり場に困ることがあったけど、名刺サイズはiPhoneのケースにおさまる。書き終えたものを、iPhoneにしまえる。

iPhoneは常に持ち歩いていることが多いので、そのケースにさえ入れておけば、どこにでも持ち運べる。朝一番に必ずとりくんでる、前日のメモを見返すときにも、カードの見返しを忘れることがなくなった。見返しのときにも、iPhoneは持ってるので。
最終的には、一日に書いた分はまとめて、ボックスへ。


カードの使い方は、「何かしら思いついたら書く」。以上。
なんか思いついたら、書く。タスクでもなんでも。着想でも、スケジュールでも。メモしておかなあかんそうなことは、カードに。
着想を書きおいていくのであれば、そんなに大きいサイズは必要ない。
そう、タスクをメモるにしても、思いついたことをメモるにしても、140文字くらいあれば事足りる。メモるときはそれで十分。140文字なら、名刺サイズが程よい感じ。ぎっしり書けばそんくらいの文字数が書ける。140文字も書くこと自体少ないし。やからちょうどいい。
これは、「知的生産の技術」で語られている情報カードの使い方とは違うけれども、そこで述べられている「規格化」や「くれる」って利点はそのままあるわけで。

小さいサイズのカードは、B6サイズとは違い、一時的にしたためておく場って意味合いが強い。名刺サイズでは、豆論文はなかなか書けない。でも、一時的に書いておく場であれば、名刺サイズで十分。ちょっとしたつぶやきを残しておくのであれば、一文をしたためておくくらいならば、140文字くらいの文章ならば。なんかそれが、心地いい。


じっくり考えたいときは、いつもどおり大きめの紙をひろげればいい。考えようとするときは、野帳くらいの大きさがあってもちょっとせまい。やから野帳を使わなくなっちゃった。
で、実は、考えるときも名刺サイズのカードは使える。考え事して思いついたことを、次々にカードに書いていく。それがなかなかにいいことにも気がついた。
机の上にぶぁーっと広げることができるから。

書いて書いて、机に広げる。と、A4の紙に書き出すよりも、広い面に書いてる感覚になれたりする。着想を書きためる、かつ、発想ツールでもあるということになる。
書きためたメモは、着想に関しては、ときどき広げて眺める。乱雑に机にほうりだしてもいいし、縦一列に並べてもいい。自由。その気になれば制限なく、広げれる。

なんしか、今のぼくには名刺サイズがしっくりきてます、名刺サイズのカードになにやら書きつけては遊んでますって話。

では、お読みいただきありがとうございました。

思いついては書き加えて、ブログの記事に仕上げていく(最近の文章の書き方)

長いことブログを書いています。細々と続けております。
長いこと書いてるので、記事を仕上げて更新するまでの流れを、あれこれ試してはしっくりくるものをしばらく続けてみて、、、みたいなことを何度も繰り返してます。
たいていは、「あ、ちゃうな、これ」ってなって、また前の書き方に戻る、となっちゃうわけですが。
でも、これまで何度か、ながーいこと同じ書き方を続けていたこともあります。

一つは、エントリの最後に「マインドマップ」みたいなものを載せていた時期が挙げられます。2年くらいは、エントリを書き進めていくときに、必ずマインドマップもどきを描いてから文章を書きはじめていました。
もう一つが、アウトライナーを使って文章を書き始める方法。これは今も現在進行形で、長いことその方法で書いています。マインドマップもどきを描いていたころより、今のほうがしっくりきてる感覚があります。
これは、かなり大きな変化です。だって、書くことを明らかにしていく手法が、マインドマップからフリーライティングっぽいものになり、トップダウン寄りなものからボトムアップ寄りなものにかわったってことですから。


マインドマップもどきを描いてからブログを更新していた時の流れはこんな感じでした。

何について書くのかを決める
 ↓
マインドマップを描く
 ↓
マインドマップにのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

テーマを決めて、マインドマップを描いて、文章書いて、アップしての一方通行。たいていは一日で記事を仕上げてしまうため、「読み返し」がほとんどなかったように思います。
マインドマップを描くことで見出しが決まってきて、だいたいはそれにのっとって書く。多少手を加えつつも、おおむねマインドマップで書き出したことを文章化していく。
シェイクがなかったわけです。

アウトライナーを使うようになっては、こんな感じです。

とりあえず思いついたことを書く
 ↓
書いたものを読み返す
 ↓ ↑ (何往復もする)
読み返して思いついたことを書き加える
 ↓
全体の構成が見えてくる
 ↓
見えてきた構成にのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

思いつくことを書き出して、書き出して、書き出して、書き出したことを読み返して、読み返して思いついたことを書き加えて、読み返しては書き加えて、そうしている間になんか見えてきて、見えてきてからはその見えたものにのっとって文章を書いていきます。
まず、書き始める。フリーライティングからはじめる。とりあえず一歩目を歩き始めることができる。
階層化はあんまりしません。そのかわり改行を多用します。たくさん改行して、文をかたまりにわけます。
文の順序の入れ替えは、頻繁におこないます。書き出した文章を入れ替えたり、書き加えたりしながら、全容をさぐっていく。
そのためか、エントリに「見出し」がないものが多くなりました。必要であれば見出しつけようかな、程度にしか考えていないので。ちょっと一呼吸おきたいときに、区切り線を入れるくらいです。

「書きたいこと定めてから書き始める」が、「なんか、とにかく書いているうちに書きたいことが浮かんでくる」にかわりました。間違いなく、大きな変化です。


マインドマップの時は、「何について書くのかを決める」の段階、すなわち一番初めの段階で、大まかに全容が見えてないと書き始められませんでした。
というのも、ぼくのはあくまでもマインドマップ”もどき”で、発想を広げるというよりも、頭の中にあることを整理しながら紙にひろげていく、という意味合いが強いものであったから。そもそも頭の中に、ブログに書けそうなことがなければ、それをマインドマップ上に吐き出すことがなかなかできないわけです。
中心から伸びたノードが「見出し」で、そこから先はその内容を書いているような感じでした。頭の中を構造化しながらマインドマップっぽく落としこんでいました。マインドマップが完成すれば、あとは必要な部分を補いながら文章化していくだけ。
マインドマップさえ描ければ記事はできあがるのですが、マインドマップを描き始めるまでがなかなかに困難だったように思います。頭の中で、ある程度は「何についてどう書くのか?」を描けていなければ、一歩目を踏み出すことができませんでした。
なので、ブログを書く時間を確保していても、一文字も書けないことがざらにありました。
一文字も書かずに時間が過ぎていく、なんてことがあると、モヤモヤします。書きたくても書けてない感がただよって、「あぁ、書かれんかったー」と多少落ち込む。
そんな感じでした。

今は、フリーライティングからはじめています。特に「これについて書く」というものがなくても、まず書いちゃう。
とりあえずなんか書ければいいや、なにが書きたいとかなくても、なんか書ければいいや、という気持ちでいるので、何かしら文章は出てきます。だって、思いついたことをそのまま書いちゃえばいいから。なんも書かれんかったー、みたいなことがほぼほぼなくなりました。モヤモヤ感は、あまりありません。何も書けずに終わる、ってのがなくなったから。
過去に書いたものを読み返して呼び水にすることもあれば、なにもせずただ頭に思い浮かんだことを書き出すこともあります。
「記事を仕上げよう」ではなく、「まぁそのうち仕上がっていくでしょ」って感覚で書いています。
いつ文章を書き終えることができるかわからないまま書き進めることになりますが、それなりに更新できてるので、書いてるうちに仕上がっていくもんなんだと思います。それでいいかな、と。

以前のように、ブログにまとまった時間がとれないってのも影響が大きいように思います。
ブログに時間をかけることができていたときは、マインドマップを小1時間かけて描き、これまた小1時間かけて文章を書くことでエントリを完成させていました。1日のうち、1時間半くらいをブログに費やすことができたからこその書き方と言えます。
けど今は、1日の中でそんなに長い時間ブログを書くことはできません。毎日長くて20分とか。細かく分割されます。分割された中では、ちまちま書き加えていく今のスタイルがあっているみたいです。マインドマップは、ちまちま書き足すのんがどうもやりにくいので。

おわりに

文章を書く。そのこと自体への親しみと楽しみが、以前よりも大きくなっているように思います。これも大きな変化。
うんうんひねり出しながら書くことが多かったのに、とりあえず書いたことをあれこれいじりたおすほうが楽しい。自分の書いた文章って読み返すとそれなりにおもしろいもんです。読み返しが刺激になり、新たに何か思いつくことだってあるもんです。
一日のなかで書くことに費やせる時間をなんとか捻出し、書く。
読み返しては、書き加えていく。
それを続けて、ブログの記事として公開しちゃう。そんなスタンスで、楽しみながら書くことができています。
そんな楽なスタンスでブログを更新するってのも、いいもんです。

では、お読みいただきありがとうございました。

ちなみに

今回のエントリは、下書きを複製しては書き加え、また複製しては書き加え、を繰り返して完成までもっていきました。というのも、文章の変遷を残しておき、それも見てもらおうかな、と考えたためです。以下にその下書きたちを載せますので、興味あればこちらもどうぞ。

最近の文章の書き方。

最近の文章の書き方。 (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

大阪弁と標準語とメモとブログと

キーボードで書くのとiPhoneのフリック入力で書くの。
話すときの言葉と、書くときの言葉。
口に出してしゃべるのと、声には出さず書くの。

同じ内容を考えてたとしても、考えるスピードや書くスピードは違ってくるように思う。
なので今回、話すときの言葉、つまり、大阪弁でエントリを書いてみようと思い立った。そのほうが早くブログを書ききることができるかな、なんて考えて。
それが、以下の二つ。

普段、何かしら考えごとをするときは「大阪弁」。内容があんまり見えず、思いついたことをだぁーっと書き出すときも大阪弁。つまり、考えるときは話すときの言葉を使う。
それら大阪弁で書かれているメモを見返し、内容を定め、ほかの人が読める形に「仕上げる」ときは標準語。文章を書くぞ、というときは、標準語を意識する。大阪弁ではない。
上記の二つのエントリは、話すときの言葉で書いた。考えたことをだぁーっと書いていくときの言葉で。
じゃあ、二つのエントリは、だぁーっと書き出してそのままブログになったのかというと、やっぱり違う。いつも通り、書き出す段階とブログの形に仕上げる段階に分けて書いてた。


ブログという形で人の前に提出する文章は、ほぼほぼ2回書いている。
まず、あれこれ書き出す。頭の中のモヤモヤがなくなるまで。
「これについて書けそう」と思ってても、ぼくの場合、スラスラと文章が出てくる、なんてことはない。書けそうな気はするけど、モヤモヤしてる、という感じ。まだ頭の中で固まっていない、見えてきていない感じ。
それは、あれこれ書き出すうちにちょっとずつクリアになっていく。
で、だいぶクリアになってきたら、これまで書いた文章を横に表示し、参照しながら書く。つまり、2回書いてるということ。
なんではじめから書き直すことをするのか。そのほうがいいと思うのか。
メモは大阪弁で、ブログは標準語だからだと思ってた。書き出すときは大阪弁で、仕上げるときは標準語だからだと思ってた。
フェーズが、大阪弁と標準語によって分かれているから、仕上げるときには、はじめから書き直したほうが手っ取り早いからだ、と。

大阪弁を敬体に直そうと思うと、なかなかに修正は大掛かりになる。かつ、仕上げに向かうためには、今まで書いた文章を整えていく必要があり、さらに修正は大掛かりに。というか、修正っていうレベルではなくなってくる。
だぁーっと頭の中を書き出していくことでクリアになり、文章の内容、流れはもうほぼ出来上がっているので、大きく構造をいじる必要はない。書き直していって、結果的に大きく構成を変えるときはあるものの、基本的にはできあがってる流れに沿って書き直していけばいい。
ってことで、これまで書いた文章を参照しながら、一から書き直し、仕上げる方法がしっくりくる。そう思ってた。
でも、今回大阪弁で書いてみて、いや、そうでもないなと感じた。大阪弁で書いたらからといって、2回書く必要はなくなるわけではない。早くブログを書ききることができるわけではない。
まぁそうやろうなと、うすうすは気づいてたけど。


大阪弁のブログエントリを書こうと思い、最終的な仕上がりを標準語ではなく大阪弁にしようと思いながら書いていたのに、やっぱり2回書いた。大阪弁を、また大阪弁で書き直していった。結局は、大阪弁や標準語やという区別によらず、「書き出すフェーズ」と「仕上げるフェーズ」に分かれていたほうが、ぼくは書きやすいということ。
でも、いつもと違う感覚もあった。
内容が定まって、ブログ用に仕上げていく段階、いつもは標準語で書こうと思いながら進めるけど、今回は大阪弁で書いた。明らかに、いつもよりも筆の進み具合がよかった。さらさらーっとかけていけた感じ。
大阪弁のほうが、やっぱり書きやすい。文章が比較的すらすらと出てくる感じ。言い換えないで、いつも使ってる言葉、素のままの文章。そのほうが、書きやすい。


メモをできるだけそのままブログに仕上げられんものか、そうできたほうが、ブログを書くスピードは速くなり、更新頻度が上がるのではないか、そんなことを考えてるときもあった。
でも、今回大阪弁でエントリを仕上げてみて、そうは問屋が卸さないことがよくわかった。
たとえ、敬体になおさず、標準語になおさず、大阪弁を大阪弁のままブログの一つのエントリを仕上げようと思っても、もう一度書き直す必要があった。
やっぱり、ブログの一つの記事として仕上げるための、文章を整える作業というか、言葉遣いを修正する作業とかは必要。
ちまちま修正するよりも、一から書いたほうが手っ取り早い。今回も、いつもと同じように手っ取り早かった。
メモとかを集めて、全体の流れを整えて、文章を仕上げていくためには、もうこれは必要なことと割り切っていくのがいい。


一発で文章を仕上げようとは考えない。
けっこうそれが、文章を書く上では大事じゃないかな、と思う。
まずは。
次の文章を頭から出そうとうんうん悩まず、思いついたことをそのまま書いていく。だぁーっと書いていく。書いたことを読み返すと、また何か思いつく。思いついたことをまた書いていく。それを繰り返していくと、はっきりしてくる。頭の中ではおぼろげにしかみえてなかったことが、クリアになっていく。
書き出すのは、クリアになるまで続ければいい。なかなか仕上がらなくても、気にせず。見えてくるまで書いては読み返し、書き足しを繰り返す。
そしてクリアになってから、これまで書いたことを見返しながら文章に仕上げていく。
実はこのブログエントリは、仕上がるまで半年以上かかってたりする。一番はじめのメモを書いてから、半年以上。
そっから折に触れて書いては読み返しを繰り返すことで、だんだんとクリアになってきて、書く内容が見えてきて、ようやく一つのエントリに仕上げることができた。そういう書き方も、あったりする。そういう書き方も、いいですよね。

では、お読みいただきありがとうございました。

余談

2度書くことについては、「書いてから、書く。」と題して、こちらでも書いております。

思いつかないこともある。だからおもしろい ー数学からぼくが学んだこと4-

数学はこれまで、何百年も、何千年もかけて発展してきました。
そして、ぼくたちが学ぶ数学は、数学にたずさわる多くのかたがたが、年月をかけて整えてきたものです。
「あーでもないこーでもない」と苦心したうえに出来上がった道なはずです。
数学が何百年も、何千年もかけて発展してきた道を、ぼくたちは10数年で進んでいきます。
考えると、これって、ものすごいスピードです。
過去の数学的知見を最短コースで学ぶことができる道が、ぼくたちには与えられている。
一見その道を歩いていくと、確かにスピーディーにいろんな数学の内容を学ぶことができるかに見えます。


「そんなん思いつかへんわ」
数学を学んでいて、こう思ったことが一度や二度はあるはず。
数学の理路整然な様を見たとき。
証明を理解しようとあがいているとき。
問題が解けず、解答・解説を読んできるとき。
思いつかないと感じるのは、整えられた道を進むがゆえだと思うんです。
何百年、何千年の発展の歴史を、10数年で学ぼうとするがゆえだと思うんです。
ある概念が定義され、その次にはその定義から導かれる定理の証明に入っていく。
さらにその定理からまた新たな定理が導かれていく。
そうして、スススーっと進んでいってしまう。
新しい定義がどんどん出てきて、定理がポンポンと生まれ、問題に鮮やかな解答が与えられていくってのを見せられ続けると、「そんなん思いつかへんわ」だらけになってしまいます。
数学が「思いつき」や「ひらめき」だけを頼りに発展したもののように感じてしまいます。
でも、ちょっと考えてみてください。
数学は、できあがっているその最中から、発展を遂げているまさにそのときから、ぼくたちが学ぶ数学のように整っていたのでしょうか。
そうではないはず。
「あーでもないこーでもない」という苦心を経て、整理されてきたはず。


定義というのは、ただやみくもにされていくものではありません。それを定義する理由が、必然性があります。
定理というのは、ぽっと出現するものではありません。ある事柄を定め、それについて考えに考えて考え抜いた末に出てきたものです。
「思いつき」や「ひらめき」には、必ずその背景が、思いつく理由が、ひらめくストーリーが隠されています。
その思いつく理由は、とても単純な疑問であったりします。
ひらめいたストーリーは、シンプルな問いから生まれていたりします。
ごくごく自然に抱く小さな疑問。そこから数学の世界は広がっていってるんです。
その背景を知らずに、ストーリーに触れずに数学を学んでいくのは、なんともったいないことか。


整えられている道を歩んでいると、その道が昔は全然整えられておらず、でこぼこであった事実を想像する事は確かに簡単ではありません。
つい、ずっとそうであったように、はじめから整った状態であったように思ってしまいます。
整えられすぎているがゆえに、「思い付き」や「ひらめき」の連続であるかのように錯覚してしまいます。
なので、「そんなん思いつかへんわ」と感じることは、ある意味仕方のないこと。
思いつかないこともあるに決まってます。だって、すごい年月をかけて発展してきた数学を、ものすごいスピードで学んでいくわけですから。
でもね、「そんなん思いつかへんわ」と感じ、思いつかないから覚えちゃえってなっちゃうのは、ぼくは嫌なんです。
そんな数学、楽しくない。
「思いつかへんわ」ってなって、もう数学イヤってなってしまうのが悲しい。
数学はすごくおもしろいのに。
だからどうか、「思いつかへんわ」と思っても、そこで見切りをつけないでほしいんです。
思いつかないと感じても、一度立ち止まり、「思いついた理由がどこかにあるはず」ととらえてみてほしいんです。
「あーでもないこーでもない」と考えてみてほしいんです。
「確かに思いつかないかもしれない。けど、思いついた理由がどこかにあるはず」と考え、数学に触れていったほうが、驚きや発見と出会う機会は格段に増えます。
いっそこう考えるのもいいかもしれません。
「ひらめきなんてないはず」と。
そして、ストーリーを明らかにするために、いったん立ち止まり、考えてみる。
それができるか否かで、数学の楽しさは大きく違ってくるように思います。


「”ひらめき”はいらない」」という視点で眺めることができるようになると、それまで思考停止の要因であった「そんなん思いつかへんわ」が、思考を進めるトリガーとなってくれます。
「そんなん思いつかへんわ」。でも、「ひらめきなんてない」はず。じゃあ、「そう思いつく理由を、ひらめいたわけを明らかにしてやろう」と。
思いつく理由さがしや、ひらめきいたわけを明らかにしていく術として、「条件と求めるものを確認」することや「ツッコミを入れる」ことなんかが役立ってくれるのではないか、と思います。

連載のおわりに

数学のおもしろさを、もっとたくさんの人に感じてほしい。楽しみ方を知ってほしい。
そういう思いから、「数学からぼくが学んだこと」を書きました。
ぼくは、数学をおもしろいと、楽しいと感じています。じゃあ、なぜそう感じるようになったのか。どういったことを学んできてそんな思いに至ったのか。それが少しでも伝わればいいな、と考えての連載でした。
ちょっとでもいいから、数学を楽しむ一助になれば、うれしい限りです。

では、お読みいただきありがとうございました。

「過去に書いたことが否応なしに目に入る」環境づくり

過去の日記が「否応なしに目に入る」ように、日記を書いていく。この「否応なしに」は、けっこう重要なキーワード。


テキストデータを扱うのが主流になって久しいけど、それでも紙のノートを使ってる人は多い。
アイデアメモしたりとかにもノートを使ってたり、日記はノートやったり。

ノートの良さは、「ペラペラめくれる」ところが一番じゃないか、と感じる。これは、タブレットとかでは実現できない。
ペラペラめくる時に、過去に書いたことが目に入る時がある。そういうのんが、紙のノートの最も優れた点の一つじゃないか、と。
で、これをテキストデータでも実現したい。ペラペラは現状実現は無理。となると、「過去に書いたことが目に入る時がある」ようにできないか?ってことになる。で、この解として、「連用日記」が思いつく。

紙の連用日記は、同じページに3年や5年分の、同じ日の日記を書くことになる。自然と、「1年前の今日」が目に入る。そう、「過去に書いたことが目に入る」ことになる。これしかない。
Evernoteで実践する。同じノートに、同じ日付の日記を書いていく。まさに連用日記。
ノートのタイトルは「日付」。内容が「2016 Mon」という風に、西暦と曜日を入れて、その年のその日の日記を書くようにし始めてはや2年ほど。イメージとしては、こんな感じ。

  • 2016 Sun
    • 日記を書き書き。
  • 2015 Thu
    • 去年の日記が書き書きされている。

去年の日記が、確かに「目に入る」のですごく気に入ってる。で、それを「1日のログ」にも応用させて、たすくまの実行記録とそのメモも連用の形で書いていってる。
同じノートに、同じ日付の記録が並ぶ。並べていく。確かに「目に入る」ので、これまたすごく気に入ってる。


ノートでは、「ペラペラめくる」ときに、過去に書いたことが目に入る。一方で、同じ手書きでも、カードではまったく事情が変わってくる。
紙のノートなら、新しく何か書き込む時に、一番新しいページまでたどり着くためにペラペラとページをめくることになり、過去に書いたものが目に入りやすい。
けど、カードはそうはいかない。ノートのように、新しく書くときに過去に書いたカードをペラペラすることはない。新しく何かを書く時には、新しいカードを取り出す。過去に書いたカードには、目もくれず。
カードの弱さというか、弱点はここにあるかも。自分から見返しにいかないといけないところ。
意識的に「見返す」をしなければいけない。それは、見返さなかったら過去に書いたものは目に入ってこない、ということ。ただ単にカードを書きためて、束にしておいておくだけでは、「否応なしに目に入る」にはなり得ないということ。
ぼくはどうやら意識的に「見返す」が苦手なようで、カードは使ってみては破綻し、また使ってみては断念し、を繰り返してる。今また使ってみてるところやけど。

そこで、「否応なしに目に入る環境」が一つのヒントになるかな、なんて思ったり。
とりあえず今やってみてるのは、書いたカードをデスクの上にほったらかしておく、というもの。
家のデスクの上には、iMacがのってて、その下のスペースにカードを乱雑にほったらかしてる。ほったらかしてたら、「否応なしに目に入る」。そこからなにかがうまれるのかはわからんけれども、とりあえず続けていこうと思う。

ノート、カード、テキスト。それぞれに合った「否応なしに目に入る」ような管理の仕方。過去に書いたことたちに日が当たるような、蓄積のさせ方。手間なく実践できるようなものを考え、試していきたい。

〜余談〜

目に入った時に少し考える時間をもてる、ちょっとゆとりもあれば、尚いい。というか、それがないと、目に入ってきても意味がなくなっちゃう。
過去に書いたことが目に入った時に少し考える時間をもてるようなゆとりを得るために、「ライフハック」はあると思ったりする。


では、お読みいただきありがとうございました。

ツッコミを入れて、ストーリーを読み解く ー数学からぼくが学んだこと3ー

「”ひらめき”は必要でない」という目で数学を眺める。ストーリーを読み解く気持ちで解説を追う。
そうしていくと、問題の解説や定理の証明を読んでいるとき、ことあるごとに「ここはなぜこう考えるのか?」「式を変形すると確かに成り立つ。けど、なぜこう式を変形しようと思うのか?」などの疑問を抱くようになります。
”ひらめき”は必要ではないと思うということは、すべてに対し、「そう考えていく理由があるはず、手がかりがあるはず」と考え、「そう考えていく理由はなにか?」を問い、その答えを探していくことになります。
ぼくはこれを、「ツッコミを入れる」と言っています。ことあるごとに「(そう考えていく理由は)なんでやろう?」と問うていくわけですから。


\(\sin \theta + \cos \theta = \displaystyle\frac{1}{3}\)のとき、\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta}\)の値を求めよ。

問題を読み、考える。条件と求めるものを確認し、さらに考える。
でも、わからない、解き進めれないことだってあります。はじめからなんだって解けちゃう、なんてことはありません。
そこで解説を読んでいってみます。一行目には、こんな式変形が書かれていました。

\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta} = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta} + \displaystyle \frac{\cos \theta}{\sin \theta}\)

解答を読み、こう考えるかもしれません。「なんでこう式変形するんやろう?」「なぜこう式変形しようと思うんやろう?」と。


「なんで?」というちょっとした疑問を大切にしてほしいな、と思います。
ツッコミを入れ、考えてみてほしいな、と思います。


この式変形では、\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)という、\(\tan \theta\)と\(\sin \theta , \cos \theta\)との関係を表す式を用いて、\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta} = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta} + \displaystyle \frac{\cos \theta}{\sin \theta}\)と式変形しています。
もしかしたら、「なぜこう式変形しようと思うんやろう?」と考えながら式を眺ると、すぐにその理由がわかる人が多いかもしれません。
ここでは丁寧に、式変形の理由を考えていきます。条件と求めるものを確認しましょう。

  • 条件:\(\sin \theta + \cos \theta = \displaystyle\frac{1}{3}\)

  • 求めるもの:\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta}\)の値

となります。
求めるものは\(\tan \theta\)で表されているのに対し、条件としては\(\sin \theta , \cos \theta\)の関係式が与えられている。
つまり、このままでは、求めるものに対して、条件を利用することができそうにありません。
となると、条件の\(\sin \theta , \cos \theta\)を式変形して\(\tan \theta\)を登場させるか、あるいは求めるものにある\(\tan \theta\)を変形して\(\sin \theta , \cos \theta\)を登場させるかしたい。
もしそうできれば、条件を利用することができそうだから。
\(\sin \theta , \cos \theta\)を変形して\(\tan \theta\)を登場させるか、もしくは\(\tan \theta\)を変形して\(\sin \theta , \cos \theta\)を登場させるか。
いずれの場合であっても、\(\tan \theta\)と\(\sin \theta , \cos \theta\)との関係を表す式が必要なことに変わりない。
ということで、頭の中にある\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)という関係式を登場させて、式変形していこうと思うわけです。
求めるものを式変形していくほうが、\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)をそのまま代入できるので、話が単純に進んでいきそう。ということで、\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta}\)に\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)を代入し、

\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta} = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta} + \displaystyle \frac{\cos \theta}{\sin \theta}\)

というふうに進んでいっている、ということになります。
条件は\(\sin \theta\)と\(\cos \theta\)、求めるものは\(\tan \theta\)。だから\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)を使ってみようかな、というとても単純な動機を出発点にしているわけですね。


「そう考えていく理由はなにか?」を問う。ささやかな疑問を大切にし、「なんでやねん」と積極的にツッコミを入れていく。考えていく理由に注目し、解説の流れを、そこにあるストーリーを読み解く。
「そう考える理由があるはず」 という目で定義や定理、定理の証明、問題の解説をながめ、ツッコミを入れ、理由が明らかになったとき、一つにつながる感覚を覚えます。道筋が見えるようになってきます。これこれこういう理由で、この考えが出てくる、と。
道筋が明らかになること。一つにつながること。これらは、理解を深いレベルに掘り下げてくれます。
深く理解したことは、忘れにくく、また、自分でその理解を使えるようにもなります。自分の足で、道筋を追えるようになる、ということです。
小さな疑問を大切にし、「そう考えていく理由はなにか?」を問えば問うほどに、ツッコミを入れれば入れるほどに、自分の足で進む力はついていきます。
「あ、前もこんな風に考え、進んでたな」「以前もこの理由で考えてったことあったな」という、既視感を得ることも多くなってきます。
「つながり」の部分がしっかり結びついているので、考えの流れを自分で追うことができるようになる。
それは、「自分で考えていく力」が育っていっていることに他ならないと思うのです。
また、一つにつながった瞬間「なるほど!」と自分の中にピシッと走るものがあります。この感覚は、強烈です。強烈な、快感です。この快感は、学ぶことでしか味わうことはできない。
つながる感覚、つながる快感を得たいから、学ぼうと思えるのかもしれません。


ツッコミを入れ、考え、理解する。
このプロセスを経るか経ないかで、数学に対する向き合い方が大きく変わってしまうように感じます。
関西人になったつもりで、ことあるごとに「なんでやねん!」とツッコミを入れて欲しいな、と思います。
では、お読みいただきありがとうございました。

ノートに書き出し、「事前装填」することで実行率は上がる

「アシタノレシピ」執筆陣の一人として、習慣化についての連載を書いています。

その中で、「信頼できるシステム」があるかないかで習慣化のしやすさは変わり、とくに「タスクシュート式」は、なにかを習慣化するのに適したシステムである、と書きました。

実際、「たすくま」を使い、「タスクシュート式」にてその日の「やること」を管理するようになり、その気になれば大抵のことは習慣化できそうやな、という感触を抱いてます。
が、それは実は平日に限って言えることだったりします。というのも、休日は、「タスクシュート式」がぼくにとっての「信頼できるシステム」にはなっていないため。「たすくま」でのやること管理がイマイチうまくいっていないため。
平日と休日では、「たすくま」への信頼度が全然違ってしまってるんです。


平日は実にすばらしく「たすくま」は機能してくれています。日々のリピートタスクに今日やるべきタスクを加え、朝に一日の計画を立てます。で、まったくそれ通りとはいかなくても、たいていは計画しておいたタスクを終え、眠りにつくことができています。
「基本的には、たすくまに書かれていることを実行していきさえすればいい」と思えています。この感覚こそが、システムを信頼しているということなんでしょう。
対して休日となると、大きく様相は違ってきます。
平日は起きてから寝るまでだいたいの流れは予想がつき、毎日それが大きく変わることはありません。が、不確定要素の多い休日は、休日ごとに過ごし方が大きく違ってきます。となると、朝と晩はだいたいいつも同じであるものの、日中がいつもいつも違った過ごし方になってきて、なかなかたすくまでは対応できません。で、リストに書いたタスクが実行されなかったり、ログがとれないことが多い。
こうなると、たすくまにタスクが載っていても実行しないし、実行できない。実行できないと信頼が下がる。信頼が下がるとさらに実行できなくなる、、、の悪循環がおこってきます。そして、休日のたすくまへの信頼度がどんどん下がっていってしまいました。やがて、「書いても書いてなくても結局やらんやん」と、すべきことを書いてても実行されない、なんてことに。
平日はすこぶる調子よく働いているシステムなのに、休日はてんでダメ、ってな感じになっちゃったわけです。
休日は「信頼できるシステム」を持ち合わせていないことになります。気がつけば休日に何かを習慣化するのがすごく苦手になっていました。
「信頼できるシステム」の有無は、習慣化にとってはとても大きい。このままではいつまでたっても休日の過ごし方が改善されへん、と思い、何かしら、休日用のシステムが必要やな、ということになりました。


休日の信頼度を上げるためにしたこと。それは、新たにノートを用意するってこと。
そのノートを「休日専用の手帳」として使い始めることにしました。たったこれだけで劇的に変化しました。
たすくまに登録するってのは一緒ですが、登録する前にノートにやることを書き出し、一度計画を立てるようにしました。
平日に比べ、なにをするのか不確定な休日ですが、不確定でどのような過ごし方をするかが読めないとはいえ、事前にタスクをやる”タイミング”は考えておくことができます。不確定な部分が大きく、「何時にこれこれをする」という風に時間帯を指定することは難しい。でも、「このタイミングであれをしよう」というように、実行するタイミングは考えておけます。
家族と過ごすことが多く、時間帯を指定していろいろとやる時間を確保することは難しいです。けども、ずーっと一緒というわけではなく、やることにとりくむ時間もあります。「娘がお昼寝の時」や「アンパンマンを見ている時」とか。
お昼寝の時は一人であれこれできるので、書いたり学んだりの集中してとりくむ必要のあることができます。
アンパンマンに夢中になっている時は、目の端には娘をとらえながらも、ある程度自分のことにとりくむことができる時間になります。ぐっと集中する必要のないこと、例えば一週間の振り返りとかならやることができます。
そういう、実行する「タイミング」をあらかじめ考えておくんです。「これのタイミングに、あれをする」みたいなことを。
つまり、ノートを使ってやっていることは、「事前に考えておく」ってことだけ。休日のどのタイミングで何をするのか考え、やることを事前に装填しているだけ。でも、その効果はやっぱりなかなかのものなんです。
「事前装填」の威力です。あるいは、コミットメントしているか否かの違いとも言えましょうか。
ノートにて休日の過ごし方を計画することにより、実行できる時間帯・タイミングに、あらかじめタスクを装填することができるようになりました。「この時間がきたらこれをする」と、自分にコミットメントすることができるようになりました。
ノートで計画するとしないとでは全然違います。

おわりに

ノートを用いて、休日にやろうと思ったことを、どのタイミングで実行するのか考え、事前に装填しておく。
これだけのことで、休日においても、「たすくま」をまた「信頼できるシステム」へと成長させることができました。「休日手帳」と「たすくま」の二つがそろっての「信頼できるシステム」です。
タスク管理をいろいろ試し、自分なりのシステムを構築し、「これでいける!」と思っても、なにかのきっかけで信頼度が落ちてしまうことはきっとあると思います。そんなときにまたあれこれ考え、試し、また信頼のおけるシステムへと育てられるのか。そのへんが結構大事なんじゃないかな。
「休日手帳」を使ってみる、という経験から、そんなことを考えました。
「これでかんぺき!」はずーっと完璧なままではいてくれない。から、ちょくちょく手を入れながら、今後もぼちぼちやっていきたいです。
では、お読みいただきありがとうございました。