大阪弁と標準語とメモとブログと

キーボードで書くのとiPhoneのフリック入力で書くの。
話すときの言葉と、書くときの言葉。
口に出してしゃべるのと、声には出さず書くの。

同じ内容を考えてたとしても、考えるスピードや書くスピードは違ってくるように思う。
なので今回、話すときの言葉、つまり、大阪弁でエントリを書いてみようと思い立った。そのほうが早くブログを書ききることができるかな、なんて考えて。
それが、以下の二つ。

普段、何かしら考えごとをするときは「大阪弁」。内容があんまり見えず、思いついたことをだぁーっと書き出すときも大阪弁。つまり、考えるときは話すときの言葉を使う。
それら大阪弁で書かれているメモを見返し、内容を定め、ほかの人が読める形に「仕上げる」ときは標準語。文章を書くぞ、というときは、標準語を意識する。大阪弁ではない。
上記の二つのエントリは、話すときの言葉で書いた。考えたことをだぁーっと書いていくときの言葉で。
じゃあ、二つのエントリは、だぁーっと書き出してそのままブログになったのかというと、やっぱり違う。いつも通り、書き出す段階とブログの形に仕上げる段階に分けて書いてた。


ブログという形で人の前に提出する文章は、ほぼほぼ2回書いている。
まず、あれこれ書き出す。頭の中のモヤモヤがなくなるまで。
「これについて書けそう」と思ってても、ぼくの場合、スラスラと文章が出てくる、なんてことはない。書けそうな気はするけど、モヤモヤしてる、という感じ。まだ頭の中で固まっていない、見えてきていない感じ。
それは、あれこれ書き出すうちにちょっとずつクリアになっていく。
で、だいぶクリアになってきたら、これまで書いた文章を横に表示し、参照しながら書く。つまり、2回書いてるということ。
なんではじめから書き直すことをするのか。そのほうがいいと思うのか。
メモは大阪弁で、ブログは標準語だからだと思ってた。書き出すときは大阪弁で、仕上げるときは標準語だからだと思ってた。
フェーズが、大阪弁と標準語によって分かれているから、仕上げるときには、はじめから書き直したほうが手っ取り早いからだ、と。

大阪弁を敬体に直そうと思うと、なかなかに修正は大掛かりになる。かつ、仕上げに向かうためには、今まで書いた文章を整えていく必要があり、さらに修正は大掛かりに。というか、修正っていうレベルではなくなってくる。
だぁーっと頭の中を書き出していくことでクリアになり、文章の内容、流れはもうほぼ出来上がっているので、大きく構造をいじる必要はない。書き直していって、結果的に大きく構成を変えるときはあるものの、基本的にはできあがってる流れに沿って書き直していけばいい。
ってことで、これまで書いた文章を参照しながら、一から書き直し、仕上げる方法がしっくりくる。そう思ってた。
でも、今回大阪弁で書いてみて、いや、そうでもないなと感じた。大阪弁で書いたらからといって、2回書く必要はなくなるわけではない。早くブログを書ききることができるわけではない。
まぁそうやろうなと、うすうすは気づいてたけど。


大阪弁のブログエントリを書こうと思い、最終的な仕上がりを標準語ではなく大阪弁にしようと思いながら書いていたのに、やっぱり2回書いた。大阪弁を、また大阪弁で書き直していった。結局は、大阪弁や標準語やという区別によらず、「書き出すフェーズ」と「仕上げるフェーズ」に分かれていたほうが、ぼくは書きやすいということ。
でも、いつもと違う感覚もあった。
内容が定まって、ブログ用に仕上げていく段階、いつもは標準語で書こうと思いながら進めるけど、今回は大阪弁で書いた。明らかに、いつもよりも筆の進み具合がよかった。さらさらーっとかけていけた感じ。
大阪弁のほうが、やっぱり書きやすい。文章が比較的すらすらと出てくる感じ。言い換えないで、いつも使ってる言葉、素のままの文章。そのほうが、書きやすい。


メモをできるだけそのままブログに仕上げられんものか、そうできたほうが、ブログを書くスピードは速くなり、更新頻度が上がるのではないか、そんなことを考えてるときもあった。
でも、今回大阪弁でエントリを仕上げてみて、そうは問屋が卸さないことがよくわかった。
たとえ、敬体になおさず、標準語になおさず、大阪弁を大阪弁のままブログの一つのエントリを仕上げようと思っても、もう一度書き直す必要があった。
やっぱり、ブログの一つの記事として仕上げるための、文章を整える作業というか、言葉遣いを修正する作業とかは必要。
ちまちま修正するよりも、一から書いたほうが手っ取り早い。今回も、いつもと同じように手っ取り早かった。
メモとかを集めて、全体の流れを整えて、文章を仕上げていくためには、もうこれは必要なことと割り切っていくのがいい。


一発で文章を仕上げようとは考えない。
けっこうそれが、文章を書く上では大事じゃないかな、と思う。
まずは。
次の文章を頭から出そうとうんうん悩まず、思いついたことをそのまま書いていく。だぁーっと書いていく。書いたことを読み返すと、また何か思いつく。思いついたことをまた書いていく。それを繰り返していくと、はっきりしてくる。頭の中ではおぼろげにしかみえてなかったことが、クリアになっていく。
書き出すのは、クリアになるまで続ければいい。なかなか仕上がらなくても、気にせず。見えてくるまで書いては読み返し、書き足しを繰り返す。
そしてクリアになってから、これまで書いたことを見返しながら文章に仕上げていく。
実はこのブログエントリは、仕上がるまで半年以上かかってたりする。一番はじめのメモを書いてから、半年以上。
そっから折に触れて書いては読み返しを繰り返すことで、だんだんとクリアになってきて、書く内容が見えてきて、ようやく一つのエントリに仕上げることができた。そういう書き方も、あったりする。そういう書き方も、いいですよね。

では、お読みいただきありがとうございました。

余談

2度書くことについては、「書いてから、書く。」と題して、こちらでも書いております。

思いつかないこともある。だからおもしろい ー数学からぼくが学んだこと4-

数学はこれまで、何百年も、何千年もかけて発展してきました。
そして、ぼくたちが学ぶ数学は、数学にたずさわる多くのかたがたが、年月をかけて整えてきたものです。
「あーでもないこーでもない」と苦心したうえに出来上がった道なはずです。
数学が何百年も、何千年もかけて発展してきた道を、ぼくたちは10数年で進んでいきます。
考えると、これって、ものすごいスピードです。
過去の数学的知見を最短コースで学ぶことができる道が、ぼくたちには与えられている。
一見その道を歩いていくと、確かにスピーディーにいろんな数学の内容を学ぶことができるかに見えます。


「そんなん思いつかへんわ」
数学を学んでいて、こう思ったことが一度や二度はあるはず。
数学の理路整然な様を見たとき。
証明を理解しようとあがいているとき。
問題が解けず、解答・解説を読んできるとき。
思いつかないと感じるのは、整えられた道を進むがゆえだと思うんです。
何百年、何千年の発展の歴史を、10数年で学ぼうとするがゆえだと思うんです。
ある概念が定義され、その次にはその定義から導かれる定理の証明に入っていく。
さらにその定理からまた新たな定理が導かれていく。
そうして、スススーっと進んでいってしまう。
新しい定義がどんどん出てきて、定理がポンポンと生まれ、問題に鮮やかな解答が与えられていくってのを見せられ続けると、「そんなん思いつかへんわ」だらけになってしまいます。
数学が「思いつき」や「ひらめき」だけを頼りに発展したもののように感じてしまいます。
でも、ちょっと考えてみてください。
数学は、できあがっているその最中から、発展を遂げているまさにそのときから、ぼくたちが学ぶ数学のように整っていたのでしょうか。
そうではないはず。
「あーでもないこーでもない」という苦心を経て、整理されてきたはず。


定義というのは、ただやみくもにされていくものではありません。それを定義する理由が、必然性があります。
定理というのは、ぽっと出現するものではありません。ある事柄を定め、それについて考えに考えて考え抜いた末に出てきたものです。
「思いつき」や「ひらめき」には、必ずその背景が、思いつく理由が、ひらめくストーリーが隠されています。
その思いつく理由は、とても単純な疑問であったりします。
ひらめいたストーリーは、シンプルな問いから生まれていたりします。
ごくごく自然に抱く小さな疑問。そこから数学の世界は広がっていってるんです。
その背景を知らずに、ストーリーに触れずに数学を学んでいくのは、なんともったいないことか。


整えられている道を歩んでいると、その道が昔は全然整えられておらず、でこぼこであった事実を想像する事は確かに簡単ではありません。
つい、ずっとそうであったように、はじめから整った状態であったように思ってしまいます。
整えられすぎているがゆえに、「思い付き」や「ひらめき」の連続であるかのように錯覚してしまいます。
なので、「そんなん思いつかへんわ」と感じることは、ある意味仕方のないこと。
思いつかないこともあるに決まってます。だって、すごい年月をかけて発展してきた数学を、ものすごいスピードで学んでいくわけですから。
でもね、「そんなん思いつかへんわ」と感じ、思いつかないから覚えちゃえってなっちゃうのは、ぼくは嫌なんです。
そんな数学、楽しくない。
「思いつかへんわ」ってなって、もう数学イヤってなってしまうのが悲しい。
数学はすごくおもしろいのに。
だからどうか、「思いつかへんわ」と思っても、そこで見切りをつけないでほしいんです。
思いつかないと感じても、一度立ち止まり、「思いついた理由がどこかにあるはず」ととらえてみてほしいんです。
「あーでもないこーでもない」と考えてみてほしいんです。
「確かに思いつかないかもしれない。けど、思いついた理由がどこかにあるはず」と考え、数学に触れていったほうが、驚きや発見と出会う機会は格段に増えます。
いっそこう考えるのもいいかもしれません。
「ひらめきなんてないはず」と。
そして、ストーリーを明らかにするために、いったん立ち止まり、考えてみる。
それができるか否かで、数学の楽しさは大きく違ってくるように思います。


「”ひらめき”はいらない」」という視点で眺めることができるようになると、それまで思考停止の要因であった「そんなん思いつかへんわ」が、思考を進めるトリガーとなってくれます。
「そんなん思いつかへんわ」。でも、「ひらめきなんてない」はず。じゃあ、「そう思いつく理由を、ひらめいたわけを明らかにしてやろう」と。
思いつく理由さがしや、ひらめきいたわけを明らかにしていく術として、「条件と求めるものを確認」することや「ツッコミを入れる」ことなんかが役立ってくれるのではないか、と思います。

連載のおわりに

数学のおもしろさを、もっとたくさんの人に感じてほしい。楽しみ方を知ってほしい。
そういう思いから、「数学からぼくが学んだこと」を書きました。
ぼくは、数学をおもしろいと、楽しいと感じています。じゃあ、なぜそう感じるようになったのか。どういったことを学んできてそんな思いに至ったのか。それが少しでも伝わればいいな、と考えての連載でした。
ちょっとでもいいから、数学を楽しむ一助になれば、うれしい限りです。

では、お読みいただきありがとうございました。

「過去に書いたことが否応なしに目に入る」環境づくり

過去の日記が「否応なしに目に入る」ように、日記を書いていく。この「否応なしに」は、けっこう重要なキーワード。


テキストデータを扱うのが主流になって久しいけど、それでも紙のノートを使ってる人は多い。
アイデアメモしたりとかにもノートを使ってたり、日記はノートやったり。

ノートの良さは、「ペラペラめくれる」ところが一番じゃないか、と感じる。これは、タブレットとかでは実現できない。
ペラペラめくる時に、過去に書いたことが目に入る時がある。そういうのんが、紙のノートの最も優れた点の一つじゃないか、と。
で、これをテキストデータでも実現したい。ペラペラは現状実現は無理。となると、「過去に書いたことが目に入る時がある」ようにできないか?ってことになる。で、この解として、「連用日記」が思いつく。

紙の連用日記は、同じページに3年や5年分の、同じ日の日記を書くことになる。自然と、「1年前の今日」が目に入る。そう、「過去に書いたことが目に入る」ことになる。これしかない。
Evernoteで実践する。同じノートに、同じ日付の日記を書いていく。まさに連用日記。
ノートのタイトルは「日付」。内容が「2016 Mon」という風に、西暦と曜日を入れて、その年のその日の日記を書くようにし始めてはや2年ほど。イメージとしては、こんな感じ。

  • 2016 Sun
    • 日記を書き書き。
  • 2015 Thu
    • 去年の日記が書き書きされている。

去年の日記が、確かに「目に入る」のですごく気に入ってる。で、それを「1日のログ」にも応用させて、たすくまの実行記録とそのメモも連用の形で書いていってる。
同じノートに、同じ日付の記録が並ぶ。並べていく。確かに「目に入る」ので、これまたすごく気に入ってる。


ノートでは、「ペラペラめくる」ときに、過去に書いたことが目に入る。一方で、同じ手書きでも、カードではまったく事情が変わってくる。
紙のノートなら、新しく何か書き込む時に、一番新しいページまでたどり着くためにペラペラとページをめくることになり、過去に書いたものが目に入りやすい。
けど、カードはそうはいかない。ノートのように、新しく書くときに過去に書いたカードをペラペラすることはない。新しく何かを書く時には、新しいカードを取り出す。過去に書いたカードには、目もくれず。
カードの弱さというか、弱点はここにあるかも。自分から見返しにいかないといけないところ。
意識的に「見返す」をしなければいけない。それは、見返さなかったら過去に書いたものは目に入ってこない、ということ。ただ単にカードを書きためて、束にしておいておくだけでは、「否応なしに目に入る」にはなり得ないということ。
ぼくはどうやら意識的に「見返す」が苦手なようで、カードは使ってみては破綻し、また使ってみては断念し、を繰り返してる。今また使ってみてるところやけど。

そこで、「否応なしに目に入る環境」が一つのヒントになるかな、なんて思ったり。
とりあえず今やってみてるのは、書いたカードをデスクの上にほったらかしておく、というもの。
家のデスクの上には、iMacがのってて、その下のスペースにカードを乱雑にほったらかしてる。ほったらかしてたら、「否応なしに目に入る」。そこからなにかがうまれるのかはわからんけれども、とりあえず続けていこうと思う。

ノート、カード、テキスト。それぞれに合った「否応なしに目に入る」ような管理の仕方。過去に書いたことたちに日が当たるような、蓄積のさせ方。手間なく実践できるようなものを考え、試していきたい。

〜余談〜

目に入った時に少し考える時間をもてる、ちょっとゆとりもあれば、尚いい。というか、それがないと、目に入ってきても意味がなくなっちゃう。
過去に書いたことが目に入った時に少し考える時間をもてるようなゆとりを得るために、「ライフハック」はあると思ったりする。


では、お読みいただきありがとうございました。

ツッコミを入れて、ストーリーを読み解く ー数学からぼくが学んだこと3ー

「”ひらめき”は必要でない」という目で数学を眺める。ストーリーを読み解く気持ちで解説を追う。
そうしていくと、問題の解説や定理の証明を読んでいるとき、ことあるごとに「ここはなぜこう考えるのか?」「式を変形すると確かに成り立つ。けど、なぜこう式を変形しようと思うのか?」などの疑問を抱くようになります。
”ひらめき”は必要ではないと思うということは、すべてに対し、「そう考えていく理由があるはず、手がかりがあるはず」と考え、「そう考えていく理由はなにか?」を問い、その答えを探していくことになります。
ぼくはこれを、「ツッコミを入れる」と言っています。ことあるごとに「(そう考えていく理由は)なんでやろう?」と問うていくわけですから。


\(\sin \theta + \cos \theta = \displaystyle\frac{1}{3}\)のとき、\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta}\)の値を求めよ。

問題を読み、考える。条件と求めるものを確認し、さらに考える。
でも、わからない、解き進めれないことだってあります。はじめからなんだって解けちゃう、なんてことはありません。
そこで解説を読んでいってみます。一行目には、こんな式変形が書かれていました。

\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta} = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta} + \displaystyle \frac{\cos \theta}{\sin \theta}\)

解答を読み、こう考えるかもしれません。「なんでこう式変形するんやろう?」「なぜこう式変形しようと思うんやろう?」と。


「なんで?」というちょっとした疑問を大切にしてほしいな、と思います。
ツッコミを入れ、考えてみてほしいな、と思います。


この式変形では、\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)という、\(\tan \theta\)と\(\sin \theta , \cos \theta\)との関係を表す式を用いて、\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta} = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta} + \displaystyle \frac{\cos \theta}{\sin \theta}\)と式変形しています。
もしかしたら、「なぜこう式変形しようと思うんやろう?」と考えながら式を眺ると、すぐにその理由がわかる人が多いかもしれません。
ここでは丁寧に、式変形の理由を考えていきます。条件と求めるものを確認しましょう。

  • 条件:\(\sin \theta + \cos \theta = \displaystyle\frac{1}{3}\)

  • 求めるもの:\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta}\)の値

となります。
求めるものは\(\tan \theta\)で表されているのに対し、条件としては\(\sin \theta , \cos \theta\)の関係式が与えられている。
つまり、このままでは、求めるものに対して、条件を利用することができそうにありません。
となると、条件の\(\sin \theta , \cos \theta\)を式変形して\(\tan \theta\)を登場させるか、あるいは求めるものにある\(\tan \theta\)を変形して\(\sin \theta , \cos \theta\)を登場させるかしたい。
もしそうできれば、条件を利用することができそうだから。
\(\sin \theta , \cos \theta\)を変形して\(\tan \theta\)を登場させるか、もしくは\(\tan \theta\)を変形して\(\sin \theta , \cos \theta\)を登場させるか。
いずれの場合であっても、\(\tan \theta\)と\(\sin \theta , \cos \theta\)との関係を表す式が必要なことに変わりない。
ということで、頭の中にある\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)という関係式を登場させて、式変形していこうと思うわけです。
求めるものを式変形していくほうが、\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)をそのまま代入できるので、話が単純に進んでいきそう。ということで、\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta}\)に\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)を代入し、

\(\tan \theta + \displaystyle \frac{1}{\tan \theta} = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta} + \displaystyle \frac{\cos \theta}{\sin \theta}\)

というふうに進んでいっている、ということになります。
条件は\(\sin \theta\)と\(\cos \theta\)、求めるものは\(\tan \theta\)。だから\(\tan \theta = \displaystyle \frac{\sin \theta}{\cos \theta}\)を使ってみようかな、というとても単純な動機を出発点にしているわけですね。


「そう考えていく理由はなにか?」を問う。ささやかな疑問を大切にし、「なんでやねん」と積極的にツッコミを入れていく。考えていく理由に注目し、解説の流れを、そこにあるストーリーを読み解く。
「そう考える理由があるはず」 という目で定義や定理、定理の証明、問題の解説をながめ、ツッコミを入れ、理由が明らかになったとき、一つにつながる感覚を覚えます。道筋が見えるようになってきます。これこれこういう理由で、この考えが出てくる、と。
道筋が明らかになること。一つにつながること。これらは、理解を深いレベルに掘り下げてくれます。
深く理解したことは、忘れにくく、また、自分でその理解を使えるようにもなります。自分の足で、道筋を追えるようになる、ということです。
小さな疑問を大切にし、「そう考えていく理由はなにか?」を問えば問うほどに、ツッコミを入れれば入れるほどに、自分の足で進む力はついていきます。
「あ、前もこんな風に考え、進んでたな」「以前もこの理由で考えてったことあったな」という、既視感を得ることも多くなってきます。
「つながり」の部分がしっかり結びついているので、考えの流れを自分で追うことができるようになる。
それは、「自分で考えていく力」が育っていっていることに他ならないと思うのです。
また、一つにつながった瞬間「なるほど!」と自分の中にピシッと走るものがあります。この感覚は、強烈です。強烈な、快感です。この快感は、学ぶことでしか味わうことはできない。
つながる感覚、つながる快感を得たいから、学ぼうと思えるのかもしれません。


ツッコミを入れ、考え、理解する。
このプロセスを経るか経ないかで、数学に対する向き合い方が大きく変わってしまうように感じます。
関西人になったつもりで、ことあるごとに「なんでやねん!」とツッコミを入れて欲しいな、と思います。
では、お読みいただきありがとうございました。

ノートに書き出し、「事前装填」することで実行率は上がる

「アシタノレシピ」執筆陣の一人として、習慣化についての連載を書いています。

その中で、「信頼できるシステム」があるかないかで習慣化のしやすさは変わり、とくに「タスクシュート式」は、なにかを習慣化するのに適したシステムである、と書きました。

実際、「たすくま」を使い、「タスクシュート式」にてその日の「やること」を管理するようになり、その気になれば大抵のことは習慣化できそうやな、という感触を抱いてます。
が、それは実は平日に限って言えることだったりします。というのも、休日は、「タスクシュート式」がぼくにとっての「信頼できるシステム」にはなっていないため。「たすくま」でのやること管理がイマイチうまくいっていないため。
平日と休日では、「たすくま」への信頼度が全然違ってしまってるんです。


平日は実にすばらしく「たすくま」は機能してくれています。日々のリピートタスクに今日やるべきタスクを加え、朝に一日の計画を立てます。で、まったくそれ通りとはいかなくても、たいていは計画しておいたタスクを終え、眠りにつくことができています。
「基本的には、たすくまに書かれていることを実行していきさえすればいい」と思えています。この感覚こそが、システムを信頼しているということなんでしょう。
対して休日となると、大きく様相は違ってきます。
平日は起きてから寝るまでだいたいの流れは予想がつき、毎日それが大きく変わることはありません。が、不確定要素の多い休日は、休日ごとに過ごし方が大きく違ってきます。となると、朝と晩はだいたいいつも同じであるものの、日中がいつもいつも違った過ごし方になってきて、なかなかたすくまでは対応できません。で、リストに書いたタスクが実行されなかったり、ログがとれないことが多い。
こうなると、たすくまにタスクが載っていても実行しないし、実行できない。実行できないと信頼が下がる。信頼が下がるとさらに実行できなくなる、、、の悪循環がおこってきます。そして、休日のたすくまへの信頼度がどんどん下がっていってしまいました。やがて、「書いても書いてなくても結局やらんやん」と、すべきことを書いてても実行されない、なんてことに。
平日はすこぶる調子よく働いているシステムなのに、休日はてんでダメ、ってな感じになっちゃったわけです。
休日は「信頼できるシステム」を持ち合わせていないことになります。気がつけば休日に何かを習慣化するのがすごく苦手になっていました。
「信頼できるシステム」の有無は、習慣化にとってはとても大きい。このままではいつまでたっても休日の過ごし方が改善されへん、と思い、何かしら、休日用のシステムが必要やな、ということになりました。


休日の信頼度を上げるためにしたこと。それは、新たにノートを用意するってこと。
そのノートを「休日専用の手帳」として使い始めることにしました。たったこれだけで劇的に変化しました。
たすくまに登録するってのは一緒ですが、登録する前にノートにやることを書き出し、一度計画を立てるようにしました。
平日に比べ、なにをするのか不確定な休日ですが、不確定でどのような過ごし方をするかが読めないとはいえ、事前にタスクをやる”タイミング”は考えておくことができます。不確定な部分が大きく、「何時にこれこれをする」という風に時間帯を指定することは難しい。でも、「このタイミングであれをしよう」というように、実行するタイミングは考えておけます。
家族と過ごすことが多く、時間帯を指定していろいろとやる時間を確保することは難しいです。けども、ずーっと一緒というわけではなく、やることにとりくむ時間もあります。「娘がお昼寝の時」や「アンパンマンを見ている時」とか。
お昼寝の時は一人であれこれできるので、書いたり学んだりの集中してとりくむ必要のあることができます。
アンパンマンに夢中になっている時は、目の端には娘をとらえながらも、ある程度自分のことにとりくむことができる時間になります。ぐっと集中する必要のないこと、例えば一週間の振り返りとかならやることができます。
そういう、実行する「タイミング」をあらかじめ考えておくんです。「これのタイミングに、あれをする」みたいなことを。
つまり、ノートを使ってやっていることは、「事前に考えておく」ってことだけ。休日のどのタイミングで何をするのか考え、やることを事前に装填しているだけ。でも、その効果はやっぱりなかなかのものなんです。
「事前装填」の威力です。あるいは、コミットメントしているか否かの違いとも言えましょうか。
ノートにて休日の過ごし方を計画することにより、実行できる時間帯・タイミングに、あらかじめタスクを装填することができるようになりました。「この時間がきたらこれをする」と、自分にコミットメントすることができるようになりました。
ノートで計画するとしないとでは全然違います。

おわりに

ノートを用いて、休日にやろうと思ったことを、どのタイミングで実行するのか考え、事前に装填しておく。
これだけのことで、休日においても、「たすくま」をまた「信頼できるシステム」へと成長させることができました。「休日手帳」と「たすくま」の二つがそろっての「信頼できるシステム」です。
タスク管理をいろいろ試し、自分なりのシステムを構築し、「これでいける!」と思っても、なにかのきっかけで信頼度が落ちてしまうことはきっとあると思います。そんなときにまたあれこれ考え、試し、また信頼のおけるシステムへと育てられるのか。そのへんが結構大事なんじゃないかな。
「休日手帳」を使ってみる、という経験から、そんなことを考えました。
「これでかんぺき!」はずーっと完璧なままではいてくれない。から、ちょくちょく手を入れながら、今後もぼちぼちやっていきたいです。
では、お読みいただきありがとうございました。

「”ひらめき”はいらない」という目で見る ー数学からぼくが学んだこと2ー

“とりあえず”・”なんとなく”進むのではなく、まずは、「条件と求めるものを確認」し、今自分のいる場所と、向かうべき目的地を確認する。
こんな当たり前のことが、実はとても大切です。
「条件と求めるもの」は、最初に確認しさえすればいい、というものでもありません。
間違った道を進んでいることに気付いた時にも、再度「条件と求めるものを確認」するという行為は、別の一歩を探る手がかりとなってくれます。
また、「条件と求めるものを確認」することは、「ひらめき」に頼らず、一歩一歩着実に進んでいくための基本にもなってきます。


\(x\)軸に接し、\(2\)点\((2, 3), (-1, 12)\)を通る2次関数の方程式を求めよ。

この問題の解答を眺めてみます。はじめの一行だけ。こんな風に書かれていることが多いはず。

解)求める2次関数の方程式は、\(y=a(x-p)^2\)とおける。

問題を自分で解くことができずに解答をひらいた人は、この一行を見ると、もしかすると「なんでいきなりそうおけるってわかるねん!」とツッコミを入れたくなるかもしれません。
実際ぼくはそうでした。「なんでいきなりそうおけるってわかるねん、なんでそうおこうと思うねん」とモヤモヤしながらも、問題の解答を覚え、とりあえずその問題については解けるようにする、というスタンスで数学を勉強していました。
ずっとモヤモヤを抱いたままなのですっきりせず、楽しく学ぶことなんてできませんでした。
そんなぼくは恩師に出会い、「条件と求めるものを確認」することの大切さを学びました。それに加え、「”ひらめき”は必要ではない」ということも。


「条件と求めるものを確認」してみましょう。

  • 条件:\(x\)軸に接し、\(2\)点\((2, 3), (-1, 12)\)を通る2次関数
  • 求めるもの:2次関数の方程式

求めたいのは、「2次関数の方程式」なわけです。じゃあ、「2次関数の方程式」ってのはいったいなんなのか。そう疑問を持つことができれば、次に進んでいくことができます。
2次関数の方程式は\(y=ax^2+bx+c\)という形をしています。2次関数なので、\(a \neq 0\)です。\(a=0\)だと、\(x^2\)が消えてしまい、次数が\(2\)の項がなくなり、「2次」の関数ではなくなってしまうからです。
そして2次関数では、もう一つの表現方法も大切です。それが、\(y=a(x-p)^2+q\)という形。一つ目の式を平方完成し、頂点の座標が\((p, q)\)とわかるように式変形したものになります。

この二つの表し方は基本的な事柄で、2次関数を学ぶと必ずでてくること。ひらめく類のことではありません。
次は条件をみてみます。「\(x\)軸に接し」と書かれています。

つまりこれは、「頂点が\(x\)軸上にある」ということ。条件として、”頂点に関すること”が与えられていることがわかりました。

求めたい2次関数には二つの表現がありました。一般的な\(y=ax^2+bx+c\)と、頂点の座標が\((p, q)\)である\(y=a(x-p)^2+q\)です。
一方、条件を読むと、”頂点に関する情報”が与えられていました。
2次関数の二つの表現のうち、条件の”頂点に関する情報”を扱うためには、頂点の座標が\((p, q)\)である、\(y=a(x-p)^2+q\)という方が使えそうです。
「頂点が\(x\)軸上にある」ので、頂点の\(y\)座標は\(0\)です。つまり、\((p, q)\)の、\(q=0\)。
となると、\(y=a(x-p)^2+q\)の\(q\)が\(0\)であることから、求める2次関数の方程式は\(y=a(x-p)^2\)という形をしているはずだ、とわかります。
ということで、解)の一行目にあるように、「求める2次関数の方程式は、\(y=a(x-p)^2\)とおける」わけです。


少し、混み入った話になってしまいました。混み入った話になったものの、”ひらめき”が必要となる部分は、一切ないように思います。
まず「条件と求めるものを確認」する。それに、自分の知識を組み合わせて思考を進めていく。
数学のそういう側面が伝わってほしいな、と思います。
「”ひらめき”が必要ではない」と学び、実際の問題たちを通してそれを実感してから、ぼくは数学がすごく楽しくなりました。問題の解説というのは、はじめから最後まで忠実に組み立てられた”流れ”があることがわかったからです。それはもう、よくできた「ストーリー」です。
もちろんこれは数学の”問題”に限ったことではありません。数学で学ぶいかなる”定義”や”定理”においてもそう。
自分では答えまでのストーリーを組み立てることができないかもしれない。自力では結末まで進めないかもしれない。でも、そのストーリーを理解し、味わうことはできる。
そういう思いで数学を学んでいます。楽しんでいます。
数学の魅力的なストーリーたちが、どんどん語られ、味わわれていけばいいな、と願っています。
魅力的なストーリーを、その魅力を失わせることなく、伝えることができるようになりたいと思っています。

では、お読みいただきありがとうございました。

問題の解説

「条件と求めるものを確認」してみましょう。

  • 条件:\(x\)軸に接し、\(2\)点\((2, 3), (-1, 12)\)を通る2次関数
  • 求めるもの:2次関数の方程式

求める2次関数の方程式を、\(y=a(x-p)^2\)とおきます。
先ほど確認したように、条件にて、”頂点に関する情報”として「\(x\)軸に接する」と与えられており、このことから、「頂点の\(y\)座標が\(0\)となるので、\(y=a(x-p)^2\)とおける」のでした。
与えられている条件をさらにみると、「\(2\)点\((2, 3), (-1, 12)\)を通る」とあります。
例えば、関数が「点\((1, 2)\)を通る」ということからわかることは、関数の\(x\)に、点\((1, 2)\)の\(x\)座標である\(1\)を代入すると、そのときの\(y\)の値は点\((1, 2)\)の\(y\)座標である\(2\)になる、ということ。つまり、\(x\)と\(y\)のそれぞれに、点\((1, 2)\)の\(x\)座標、\(y\)座標を代入した式が成り立つ、ということです。
\(y=a(x-p)^2\)が\((2, 3)\)を通ることから、\(x=2\)と\(y=3\)を代入した式、\(3=a(2-p)^2\)が成り立ちます。
同様に、\((-1, 12)\)を通ることから、\(12=a(-1-p)^2\)が成り立ちます。
あとは、この2つの式を利用して、\(a\)と\(p\)の2つの文字の値を求めていきます。
2つの未知数\(a\)と\(p\)に対して、2つの式を導くことができました。2つの式があれば、2つの未知数\(a\)と\(p\)の値を求めることができるはずです。

\[
\left\{
\begin{array}{l}
3=a(2-p)^2 \mbox{・・・(1)}\\
12=a(-1-p)^2 \mbox{・・・(2)}
\end{array}
\right.
\]

(1)の両辺を\((2-p)^2\)で割って、

\[
3=a(2-p)^2 \Leftrightarrow \frac{3}{(2-p)^2}=a
\]

これを(2)に代入すると、

\[
\begin{eqnarray}
&~&12=a(-1-p)^2 \\
&\Leftrightarrow &12=\frac{3}{(2-p)^2}(-1-p)^2
\end{eqnarray}
\]

これを解いていきます。

\[
\begin{eqnarray}
&~ &12=\frac{3}{(2-p)^2}(-1-p)^2 \\
&\Leftrightarrow &12(2-p)^2=3(-1-p)^2 \mbox{ (両辺を}(2-p)^2\mbox{倍した)} \\
&\Leftrightarrow &4(2-p)^2=(-1-p)^2 \mbox{ (両辺}\div 3 \mbox{)}\\
&\Leftrightarrow &4p^2-16p+16=p^2+2p+1 \\
&\Leftrightarrow &3p^2-18p+15=0 \\
&\Leftrightarrow &p^2-6p+5=0 \mbox{ (両辺}\div 3\mbox{)}\\
&\Leftrightarrow &(p-1)(p-5)=0\\
&\Leftrightarrow &p=1, 5
\end{eqnarray}
\]

\(p=1\)のとき、(1)に代入すると、
\(3=a(2-1)^2 \Leftrightarrow a=3\)。このとき、求める2次関数は\(y=3(x-1)^2\)。
\(p=5\)のとき、(1)に代入すると、
\(3=a(2-5)^2 \Leftrightarrow a= \displaystyle \frac{1}{3}\)。このとき、求める2次関数は\(y=\displaystyle \frac{1}{3}(x-5)^2\)。

というわけで、答えは\(y=3(x-1)^2 , y=\displaystyle \frac{1}{3}(x-5)^2\)であることがわかりました。

「実行タスクにメモ残すときにな、実は心がけてることあるねん。

実行タスクに対して必ずメモ残すために、ちょっとした工夫をしてみた って話は前したでな。あの続きな。
あ、そうそう。あのあとな、「たすくま」がアップデートされて、メモを書いて完了を押したあとに、タスクの時間の計測が終わるように変更されたみたい。空白の時間がなくなるようになってくれてん。ありがたいな。
でやでや。ちょっとした工夫をして、実行タスクに対してメモを残すことができるようになった。じゃあ残したメモはどないするねん?って話やでな。
実行タスクに対してメモしておく理由はふたつあって、

  • その日1日をできるだけ鮮明に残すため

ってのがまずひとつ目。
たすくまを使ってると、実行したタスクたちがズラって並ぶ。自分の行動のすべてが。見返すと、この日何をしたのかってのがわかるようになってる。で、何をしたのかにくわえて、一つひとつの行動に1行かそこらで感想もそえておくと、より1日が鮮明になってくれそうやん。見返したとき、思い出しやすくなりそうやん。
あとはな、

  • 振り返り、改善につなげるため

ってのがもうひとつの理由。そのために、1行でもメモを残しておこう ってなったねんな。
振り返り、改善につなげるために、ひとつメモの残し方も工夫というか、ちょっとだけ意識してることがあるねん。それが「ブライト・スポットに注目する」てこと。
ちょっと前におまえからかえしてもらった、えーと、「象と象使い」が印象的な、、、そうそう、「スイッチ!」な。「うまくいったこと」に注目するってのも、「スイッチ!」から学んだことやねん。
えーと、どっかに書いててんなぁ。ちょっと待ってな。探してみるわ。。。あったあった。42ページや。

村人たちに「ブライト・スポット」、つまりお手本となる成功例を探してもらうことだった。

「ブライト・スポット」や、「ブライト・スポット」。
なんかやってみるやろ。で、実行メモを残すわけやけれども、何かしらうまくいったことを積極的に書くようにしてるねん。ブライト・スポットを探すために。
何かしらうまくいったことを書きのこす。毎回毎回書きのこす。で、振り返ってみると、うまくいったことがずらっと表示されることになるやろ。そっからブライト・スポットが、そのタスクをより良くするためのキーポイントが見つかるかもしれんやん。やから、何かしらうまくいったことを、書く。「スイッチ!」では、問題に注目してばっかりやと

挙げられた意見は「真実だが役に立たない」ものばかり p96

になりがちや、と書いてる。やから、基本的なスタンスとして、

「何がうまくいっているか?それを広めるためにはどうすればよいか?」 p59

を考えやーってのが提案されてるねん。
でな、それに加えてな、ブライト・スポットをさがすために「うまくいったこと」をメモして残すのにはもうひとつ良いことがあってん。
楽しなるねん。ちょっと楽しくさせるというか、前向きな気持ちにさせてくれるねんな、そういうメモを書くのって。
やってみて、失敗することもあるやん。しもたぁーって思うこともあるやん。で、その原因を簡単に考えて書くこともあるけど、それやと失敗に目がいってもうて、同じタスクを次に実行するときに、ちょっとだけそのタスクに悪いイメージが入ってきそうやん。そうなるよりも、極力「うまくいったこと」に注目してメモしといたほうが、良いイメージが残せそうやん。実際良いイメージ残せてると思うねん。
ブライト・スポットを探すために、実行してみて良い感じやと思ったことを書く。おすすめやで。

前回も含めると、ちょっと話し長なったな。要するに、

  • 1行でもいいから記録しておく
  • 記録は「うまくいったこと」を書くように心がける

ってことやな。そうすれば、改善につながりやすいような、書くたびに良いイメージが残ってくれるような記録を残すことができるねん。
何かしら参考になった?参考になってくれればうれしいねんけども。
また機会があればしゃべるわ。ほな。」

参考

Taskuma — TaskChute for iPhone — 記録からはじめるタスク管理
カテゴリ: 仕事効率化, ライフスタイル

自分も習慣化に取り組みながら、「習慣化」についての連載を書くと、すごくいい

4月から「アシタノレシピ」の執筆陣に加えていただいています。
ほんとうに光栄なことで、ベックさんから声がかかったときは、「是非是非!」と参加を即決しました。というのも、アシタノレシピのいつかの記事で「書いてくれる人誰かおらんかなぁ」的なことを書いてて、立候補しようかなと思いつつ時が過ぎていってしまってたからです。なので、声をかけてもらえたのはほんまにうれしく、今も楽しみながらとりくむことができています。
というのは余談で。
現在、アシタノレシピでは「「習慣化」のための自己サポート集」と題した連載をしています。「習慣化」をテーマに記事を書いてるわけです。
連載の中でも書いているのですが、習慣化について書きはじめたくらいの頃から、「Mediumで日記を書く」ってのを新たにはじめました。習慣化について連載しながら、同時に自分自身も新たなことの習慣化にとりくみはじめたんです。で、これがすごくいいなと感じるんです。

「習慣化」について書きながら、自分も「習慣化」にとりくむ。
「習慣化」にとりくむことによって、それが連載を書く際の具体例となります。具体例があったほうが話は展開しやすいもの。自分が習慣化にとりくんでいる「Medium日記」について触れながら、習慣化についてより具体的に書くことができてる感じです。
さらには、書くことによって気づくこともたくさんある。連載で書くことで自分自身の理解も進み、新な気づきが起こり、習慣化にもプラスに働く。そういう良循環が起きている感じがします。
記事がすごく書きやすいんですよね。習慣化に取り組みながら、習慣化について書くってのは。

考えていることとやっていること、考えたこととやったこととが、書いてあるブログ

思えばこれは当たり前のことで、これってぼく自身すごく慣れ親しんでいる方法であることに気づきました。
ぼくのブログを書く際の基本的なスタンスが、考えたことを試してみて、試してみたことを書いてみる、というものだから。
ぼくの最も好きなブログは、「23-seconds blog」なのですが(ほんとうにおもしろいのでみなさんぜひ読んでみてください)、そのブログ内のあるエントリで、ぼくのブログをこんな風に表現してくれていたことがありました。
「考えることと、やってみることで満ちているブログです。」
このように表現してもらえて、ほんとうにうれしいですし、まさにこのブログを言い表してくれている言葉だと思います。
ぼくが考えていることとやっていること、考えたこととやったことを書くのは、それがやっぱり楽しいっていうのと、そうやって書いていくことでまたさらに考えてやってみて、、、が続いていくから、なのだと思います。
考えたことを試してみて、試したことを書いてみる。と、はじめに考えてたのんとはまた違った気づきが得られ、それを試してみてることに反映し、反映してみながらまた書く。また新たな気づきが得られて、、、の繰り返しがおこったりする。
それがすごく楽しくて。
「考えること、試すこと」と「書くこと」は互いにいい影響を及ぼしあってくれる。からぼくは、ブログを、考えていることとやっていること、考えたこととやったこととを、書く場にしているのだと思います。

おわりに

Atsushi – Medium
ぼくのMediumのアカウントです。自分で「Medium日記」と呼んでいる、1日の活動を振り返る日記は、毎日22時半くらいに更新されるか、と思います。とりとめのないことばかりを書いてるので、自分のために書いている、って部分が強いのですが。
Mediumでは他には、自分のブログの記事も載せたりしています。特に、はてなダイアリーで書いてたときのエントリを読み返し、「知的生産」に関する話をときどきMediumに再掲したりしてます。そんな感じで、Mediumで遊び始めているところです。なんとなしにのぞいていただければ、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

“とりあえず”・”なんとなく”からの脱却 ー数学からぼくが学んだこと1ー

地図をもっている。行きたい場所がある。のに、”とりあえず”東に向かったり、”なんとなく”道をわたってみることなんて、普通はしないと思います。
でもぼくは、何年もの間、”とりあえず”や”なんとなく”に身を任せていました。
”とりあえず”式変形したり、”なんとなく”値をあてはめたり。
そう、数学の話です。


少し、2次関数の話をします。
中学のころから「関数」を学び始めます。そして、高校に進み、関数をさらにふかく考えていくことになります。その一番はじめにじっくり学んでいくのが「2次関数」です。
2次関数は、「放物線」と呼ばれます。

2次関数において、とても特徴的な点が、「頂点」です。頂点を境に、それまで増加していれば減少に転じ、減少していれば増加に転じるからです。

それゆえ、2次関数に関する問いでは、頂点がカギを握ることがよくあります。5問出題されれば、そのうち3〜4問は頂点を求めて考えていかねばならない、と言っても過言ではないくらいの頻度です。


ひとつ、次の問題を考えてみます。

関数\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正であるような\(a\)の値の範囲を求めよ。

2次関数の問題だ、と判断し、「”とりあえず”頂点を求めてみよう」と考える。
とりあえず頂点を求めたくなる気持ちはわかります。実際それでうまくいくことも多い。なにせ、5問中3,4問ほどは頂点がカギになってくるくらいですから。
”とりあえず”頂点を求めたからといって、方向を間違え、答えまでたどり着くことができないわけではありません。実際、頂点を求め、考えを進めていくこともできます。
とはいえ、2次関数が与えられているからといって「”とりあえず”頂点を求めてみよう」というのは、地図があるのに、現在地や目的地を確認せずに歩き出すようなもの。5問中3,4問それでうまくいくとはいえ、今どこにいて、到達したいのはどこなのか、の把握が不十分であれば、いつか大きく道を間違ってしまうことになる。
現在地や目的地を確認せずに目的地にたどり着いたとしたら、それはすごくラッキーです。もしかしたら、とんでもない方向に進んでしまっている可能性もあるのですから。
目的地にたどり着きたいのであれば、まずは、自分がどこにいるのか、行きたい場所はどこかを確認するのが普通です。それらが地図上のどこにあるか確認できてこそ、目的地に向かうための最初の一歩が、歩き出す方向が定まります。
ぼくは、高校3年生まで、そんな当たり前のことすらまったく意識せず、数学の問題を考えていました。
この問題を読み、「2次関数やし、頂点頂点」と、”とりあえず”頂点を求めていました。


地図において「現在地と目的地を確認する」ことは、数学において「条件と求めるものを確認する」ことと同じ、と言えます。
まずはそこから。そこから、次にどう進むかを考えていく。
「”とりあえず”頂点を求める」のではなく、上記の問題に対し「条件と求めるものを確認する」ことからはじめてみます。まずは、現在地と目的地を確認するのです。
与えられているのは、2次関数\(y=ax^2-2x+a+2\)。求めるものは、この関数の値が常に正であるような\(a\)の値。
”とりあえず”頂点を求めたくなる気をおさえ、注意深く与えられている関数を眺めると、与えられている2次関数は、\(a\)の値によってその姿をいろいろと変化させることがわかります。
\(a>0\)であれば、2次関数のグラフは下に凸になります。
\(a<0\)ならば上に凸になります。
さらには、\(a=0\)であれば、与えられた関数は2次関数ではなくなってしまいます。

パッと見は2次関数の形をしているものの、実際は\(a\)の値により2次関数ではない場合も考えられる、というわけです。
このように「条件を確認」してみると、「”とりあえず”頂点を求めてみよう」というのは、さほどいい手ではないことがわかります。だって、\(a=0\)のときには、左辺は2次関数ではなく、頂点が存在しないのですから。
\(a\)の値によって、左辺はいろいろなケースに分けられる。まずは、はじめの一歩として\(a\)の値によって場合わけをするほうが良さそうです。


地図をもとに目的地に行きたい時には、地図上での現在地と目的地、つまり、今いるところと、たどり着きたいゴールを確認する。
同じように、数学の問題を解く時には、まずは条件と求めるもの、つまり、与えられていることと、それらを利用して明らかにしたいことを確認してから、どういう一歩を踏み出せばいいか考え、判断する。
数学の問題に取り組むと、繰り返し繰り返し、「条件と求めるものを確認してから、どう進むか考え、判断する」ことになります。
今わかることをもとに、次の一手を選択することになります。
この繰り返しが、ぼくの人生に与えた影響というのは、きっと小さくはないはず。
「条件と求めるものを確認してから、どう進むか考え、判断する」ことを教えてくれ、「”とりあえず”式変形したり”なんとなく”値をあてはめたりする」というそれまでの思考に終止符を打ってくれた高校時代の恩師には、感謝してもしきれません。
恩師がぼくに大きな影響を与えてくれたように、ぼくも数学を通して、何か良い影響を与えることができればな、と願うばかりです。

では、お読みいただきありがとうございました。

問題の解説

関数\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正であるような\(a\)の値の範囲を求めよ。

「\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正」
とは、
「\(y\)が、\(ax^2-2x+a+2\)という\(x\)の式で与えられており、その値が常に正」
という意味です。

関数は、グラフでとらえることで可視化することができ、それが理解の手助けになることがよくあります。
今回も、グラフの力をかりることにしましょう。
2次関数の値が「常に正」になるとはどういうことか。「常に正」になっているときの、グラフの状況を考えていきます。

例えば、\(y=x^2-4\)という2次関数を考えてみることにします。実際にいくつか\(x\)に値をあてはめて計算してみると、\(y\)の値が負になる時と正になる時があることに気づきます。
\(x=1\)のとき、\(y=1^2-4=-3\)や、
\(x=0\)のとき、\(y=0-4=-4\)などは、\(y\)の値が負になる。
\(x=3\)のとき、\(y=3^2-4=5\)などは、\(y\)の値が正になる。
つまり、\(y=x^2-4\)は、常に正ではない、ということです。このことをグラフでとらえてみましょう。
\(y=x^2-4\)のグラフを描くと、以下のようになります。

グラフにおいて、\(y\)の値が負になっているのはどの部分かを考えると、\(y=x^2-4\)のグラフの、\(x\)軸よりも下にきている部分であることがわかります。

つまり、\(y=x^2-4\)という2次関数のグラフを描いてみると、\(x\)軸よりも下にくる部分がグラフ上に存在する。グラフ上の\(x\)軸よりも下にきている部分は、\(y\)の値が負の値をとっているところである。
グラフ上で、\(x\)軸よりも下にくる部分があれば、その2次関数の\(y\)の値は負になるときがある、ということ。「常に正」ではないということです。

グラフを描いて、\(x\)軸よりも下にくる部分があれば、その関数は「常に正」ではない

わけですね。
では、「常に正」となるようなグラフは、どういったものになるのか。

以下のような状況であれば、負になる部分がなく、「常に正」である、と言えることになりますよね。

\(x\)軸よりも下にくる部分がないので、\(y\)の値は負にはならない。\(y\)の値が負になることはないので、すなわち「常に正」である、ということになる。
こんなグラフの状況になる条件を考えれば、問われている「関数\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正であるような\(a\)の値の範囲」を求めることができそうです。
ただ、忘れてはいけないのは、与えられている関数は、\(a\)の値によっていくつかの場合が考えられる、ということ。
\(a=0\)であれば、与えられた関数は2次関数ではなく、\(a>0\)であれば、2次関数のグラフは下に凸になり、\(a<0\)ならば上に凸になる。
ということで、それぞれについて考えてみましょう。

(i) まずは、\(a=0\)のとき。
このとき、与えられている関数は、\(y=ax^2-2x+a+2=0x^2-2x+0+2=-2x+2\)となります。2次関数ではなくなり、1次関数に姿を変えました。1次関数は、グラフでとらえると直線です。実際にグラフを書いてみると、、、

\(x\)軸よりも下にくる部分が存在し、負の値をとることがあるので、「常に正」ではないことがわかります。\(a=0\)のときは、題意を満たしません。つまり、\(a=0\)は、関数\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正であるような\(a\)の値ではない、つまり、求める解ではないということです。

(ii) 次に、\(a<0\)のときを考えてみます。
このとき、関数\(y=ax^2-2x+a+2\)は、\(x^2\)の係数が\(0\)より小さいことから、上に凸のグラフを描く2次関数となります。上に凸の2次関数は、どんな場合であれグラフ上で\(x\)軸よりも下にくる部分が存在するので、やはり題意を満たしません。

これまた\(a<0\)は、関数\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正であるような\(a\)の値の範囲ではない、ということになります。

(iii) 最後は、\(a>0\)のとき。
このとき、関数\(y=ax^2-2x+a+2\)は、\(x^2\)の係数が\(0\)より大きいことから、下に凸のグラフを描く2次関数となります。下に凸であるので、条件が整えば、グラフ上で\(x\)軸よりも下にくる部分が存在しないとき、つまり、「常に正」となるときがあることが、図の①をみるとわかります。

もちろんいつでも「常に正」であるわけではなく、②のようなときは、\(x\)軸よりも下にくる部分が存在し、負の値をとることになります。

以上のことから、グラフが①のようになるような条件を考えればいい、ということになります。このようになるのは、「頂点の\(y\)座標が0より大きいとき」と考え、頂点を求めて計算してもいいのですが、ちょっと計算がややこしくなりそうなので、別の手で攻めようと思います。
それは、「判別式」です。判別式は、2次関数が\(x\)軸と共有点を持つときと持たないときを判別することができる公式です。

  • \(D=b^2-4ac<0\)のとき、共有点を持たない
  • \(D=b^2-4ac=0\)のとき、1点で接する
  • \(D=b^2-4ac>0\)のとき、2点で交わる

ということが言えます。

グラフが①のようになるのは、2次関数が\(x\)軸と共有点をもたないとき。なので、
\(D=b^2-4ac<0\)
となるときを考えます。まず\(D\)の値を計算してみましょう。
\begin{eqnarray}
D &=& b^2-4ac \\
&=& (-2)^2-4a(a+2) \\
&=& -4(a^2+2a-1)
\end{eqnarray}
この値が、\(0\)より小さくなるのは、

\begin{eqnarray}
&~&-4(a^2+2a-1)<0 \\\ & \Leftrightarrow & a^2+2a-1>0 \\
& \Leftrightarrow & a<-1-\sqrt{2}~,~~-1+\sqrt{2}<a
\end{eqnarray}

今、\(a>0\)のときを考えているので、常に正となるような\(a\)の値の範囲は、
\[-1+\sqrt{2}<a\]
となります。
以上、(i)、(ii)、(iii)より、関数\(y=ax^2-2x+a+2\)の値が常に正であるような\(a\)の値の範囲は\(-1+\sqrt{2}<a\)です。

「実行タスクに対して必ずメモ残すために、ちょっとした工夫をしてみたねん。

いや、それまでもなんとなーくはメモ残しててんで。でも、メモ残すタスクもあれば、めんどくてメモ書かずに完了させてまうタスクもあり、、、ってそんな感じやってん。
でもな、半年くらい前かな。『初速思考』て本を読み返してて、各タスクに対して、ちゃんとメモしていこうと思ってん。
どこ読んでやったかなー、あ、ここやここ。55ページ。

「振り返り」というと、どうしても面倒なイメージがあるかもしれません。そこで私は、1行でもいいから記録しておくという工夫をしています。

これ読んで、あぁ、1行だけメモしといたら、メモも残しやすいしあとで見返しもしやすいかも、と思てん。
なかなか時間取られんやんか。メモ書く時間も、見返す時間も。
だからってなんもせんかったら、今やってることから得たことはすぐに忘れてまう。
1行だけならなんとかなりそうって思えるし、真似しようと思ってん。

。。。あぁ、表示されるな、確かに。それそれ、その画面な。

でもメモはその画面ではしてないねん。
確かに「たすくま」は、タスクを完了させるとメモ画面になって、メモ書くのん促してくれるよ。その完了画面使ってメモを書いてってもいいんやけど。。。今は、ちょっと手間やけど別のアプリでメモ書いて、たすくまの完了画面にペーストしてメモ残していってるねん。かれこれ半年くらい。

いや、いう通りちょっとめんどうやよ。めんどうやけど。ちょっと気になってまうねん。ほんま細かいことやねんで、むちゃ細かいことやねんけど。
というのも、たすくまの完了画面表示してるときって、今までやってたタスクは完了してもうてる。でも、次のタスクは開始してへんって状況、つまりは、何も計測されてへん状況なわけやろ。空白の時間ができてもうてるわけやん。それが、ちょっといややねん。
せっかく時間のログをずーっととり続けてる、空白の時間がないようにタスクをこなしていってるねんから、完了画面はすぐ閉じて次のタスクを開始させたいやん。
細かいことやけど、な。
完了画面をはよ閉じたいから、自然と書き残すメモも短くなってまうやん。短くなってまうし、「あぁそんなんやったらもう書かんでえぇや」ってなりやすいやん。書かんかったら空白の時間はほぼなしで次いけるわけやし。

いやな、そんな1分1秒ももらさずに、タスクに取り掛かってる猛者ではないよ、そうじゃないけど、でもやっぱ空白の時間を許してもうたら、そこからズルズル空白が長くなってもうたりするやん。
付け入る隙はなくしていかんと。
自分はただでさえすぐ自分に甘えてまうのに、隙があったらよけい甘えていってまうやん。
甘えが隙に付け込んできよるやん。
確か今おまえにかしてる本にも書いてあったと思うねん。「象と象使い」が印象的な、、、そうそう、「スイッチ!」な。
あ、今持ってんの?ちょっとかして。
あったあった。「白黒の目標」やな。118ページから119ページか。

あいまいさが象に言い逃れの余地を与え、失敗を正当化しやすくする。このジレンマに対処するひとつの手は、超明確な目標を定めるという方法だ。

自宅や職場で正当化が心配なら、目標からあいまいさをそぎ落とす必要がある。「白黒の目標」が必要だ。

白か黒か、書かれているタスクをやっているかやっていないか。グレーな空白の時間とかあったらあかんねん。
すぐ付け込んできよるからな。

まぁあとは、単純に他のメモ専用のアプリで書くほうが書きやすいってのが理由やな。
メモに特化してるアプリって、いろいろ書きやすくする機能とかついてるから。
ぼく使ってるんは「Textwell」やねんけどな。そう、好きやねんこのアプリ。iPhoneで何かしら書くとき、こればっか。
最近「アクションバー」って機能付いて、普段よく使うアクションはキーボードの上に表示してくれるようになったし、ますます使いやすなってきてるし。

ぼく、iPhoneで何か書くってとき、ほぼ必ずTextwell使うから、Textwellを起動させたら何かしら書こうと思うねん。で、今までやってたタスクに関するメモを書く。たすくま起動させてペーストする。と、たすくまにメモが蓄積されていくやろ?各タスクに対して、メモが最低でも一行残っていく。
空白の時間をなくすためにも、メモをちゃんと残していくためにも、ほかのアプリでメモを書いてからたすくまでタスク完了させて、完了画面でメモをペーストしてるって手をとってるねん。多少は手間やけど、実際そのほうがタスクにメモを残せていってるから、必要な手間やね。
で、このメモを利用して「アクションリスト」を作っていくわけやん。あ、「アクションリスト」も『初速思考』に書いてたんやけどな。
まぁ、アクションリストとか別に作らんでも、実際ぼくもそんなガシガシ作ってるわけちゃうし。
やったタスクに対して、必ずメモが残っていってるってのがいいんよね。

ただ、たすくま上でメモを見返すのはちょっとめんどいから、WorkFlowyに、、、え?あぁ、ぼちぼち時間か。次のタスクに取り掛からなな。
見返す話は、また今度ってことで。
んじゃ、また。」

参考

Taskuma — TaskChute for iPhone — 記録からはじめるタスク管理
カテゴリ: 仕事効率化, ライフスタイル

Textwell
カテゴリ: 仕事効率化, ユーティリティ