欠乏はなにをもたらすのか〜『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学』を読んで学んだこと〜

余裕のあるときはついついダラダラ過ごしてしまい、そのために時間を浪費してしまう。余裕のあるときに、先に待ち構えている仕事に手をつけたり、仕事の進め方を見直したりすれば時間がない状況に陥らなくて済むと頭ではわかっていても行動に移せなかったりする。

これは、時間に対する欠乏感がないから、と考えられる。なので、仕事が立て込んできて時間がなくなってくると、欠乏感が出てきて心が今しないといけないことに占拠され、注意が集中していく。

478.仕事でも楽しみでも、時間があまりないときのほうが得るものは大きのだ。私たちはこれを「集中ボーナス」と呼ぶ。

欠乏は集中を引き出してくれるので、メリットに感じる。けれども本書で繰り返し繰り返し述べられるのは、欠乏はむしろデメリットの方が大きい、ということ。

829.欠乏への集中は無意識であり、人の注意を引きつけるので、ほかのことに集中する能力を邪魔する。

924.本性の中心的仮説、つまり「欠乏は直接的に処理能力を低下させる」につながる。低下するのは個人の生来の能力ではなく、その能力のうち現在使えるものである。

欠乏は、処理能力の低下を引き起こしてしまう。で、これが実に厄介で、人の行動の全ての足を引っ張ることになりかねない。
欠乏が集中力を引き出すものの、つねに注意が向いている事柄が頭を占拠することになる。常時気になるので、意志力が消費し続けられる。それが処理能力を低下させ、欠乏感が増す。もはやほかのことには意識が向けられなくなり、さらなる処理能力の低下を引き起こす、みたいに。

3042.余裕があまりに少ないと、抵抗しなくてはならないことが多くて、結局自制心が枯渇してしまう。

余裕の存在が、自制心に大きな影響を与える。自制心がきかなくなるとは意志力が低下するということ。


興味深かったのは、欠乏に陥っている人たち(貧困者をとりあげている)に対しておこなう、欠乏から抜け出すためのプログラムのデザインについて書かれている部分。

3180.なぜパイロットの操作ではなくコックピットの設計を見ないのだろう?なぜクライアントの弱点ではなくプログラムの仕組みに目を向けないのか?パイロットは失敗することもあり、コックピットはそのような失敗を制御できるような賢い構造にする必要があると認めるのであれば、なぜ貧困者についても同じことができないのか?

まず、プログラムの仕組みに目を向けることの重要性を述べ、

3180.重荷を背負って疲れきっているクライアントが授業を一度欠席するとどうなるだろう?授業中にぼんやりしていたらどうなるだろう?次の授業がちっともわからなくなる。もう一度か二度と欠席すると、脱退するのが当然の成り行きである。もはや授業の内容をほとんど理解できないのだから、脱退が最善の選択とさえ言えるかもしれない。柔軟性に欠けるー一回の授業が前回の授業をもとにつくられているーカリキュラムは、処理能力に過剰な負荷がかけられている生徒にとって寛容な環境ではない。

柔軟性に欠けるカリキュラムは、処理能力に過剰な負荷がかけられている生徒にとって寛容ではない、と指摘する。柔軟性に欠けるカリキュラムとは、一回の授業が前回の授業をもとにつくられているもの。
学校での教科の教育は基本的にこのカリキュラムで進む。前回があって、今回の内容を理解することができる。数学は特にその傾向が強いがために、生徒にとってもっとも寛容でない教科なのかもしれない。
では、どういった授業の進め方がいいのか。
今はまだわからない。けど、この事実を念頭に入れて授業の流れをデザインすることは、難しい・わからないと感じられがちな数学をもっと楽しめるように提示していくためには必要なことだと感じている。


欠乏感がどの程度自分に影響を与えているのかは、実際のところは自覚しにくい。けれども、「余裕がないと、知らず知らずの間に自制心が低下してしまっている」という知識は、自分の行動や状況を見る目に変化を与える。
余裕があるかないかというのは主観的なものなので、置かれた状況は同じでも、自分が余裕を感じれるような対策を講じれば、もしかしたら処理能力は回復してくれるかもしれない。で、これはライフハックに通じていく話だろうと思う。
本書から、「欠乏」がもたらすことについて知ることができたのは、大きい。

では、お読みいただきありがとうございました。

アドラー心理学を教育現場に〜クラスはよみがえるを読んで学んだこと〜

アドラー心理学を知り、いくつかの書籍を読んだのちにこの本を読んだ。
どれほど実践できるかわからないものの、でも、根底にはやはりアドラー心理学の考えを持ちつつ、生徒と接していきたいと思う。


人間のもっとも根元的な欲求は『所属欲求』であると私たちは考えています。人間にとって集団に所属する欲求は、生存の欲求よりも強いのです。

人間は強い「所属欲求」を持っている。
その前提に立つと、教室に「競争原理」を持ち込むと、他に勝つことがすなわち所属の欲求を満たすことに、他よりも特別な存在に自分をおくことが所属欲求を満たすための手段になる。
するとどうなるか。
何か得意なことがある者は、それを認められる機会があるけれども、もしそれがないなら。。。
どういう手段をとることになるか。
どうやって他に勝ち、どうやって特別な地位につくか。

また、競争相手は他の生徒に加え、教師もその相手になる場合も考えられる。生徒対教師。
競争原理を持ち込むくらいなので、教師はもちろん生徒に負けてはならないと考えるだろう。そうやって負かされた生徒は、果たしてそのあとどうするか。

どちらの場合も、問題行動が現れるには十分な状態が整う。

というように、所属欲求を前提にすると、クラスに競争原理を持ち込むのはいささかまずいことになる。だから、アドラー心理学では、競争原理を生むような働きかけはすべきではない、と考える。「ほめる」もその一つになるので、ほめてはいけないという方針が立つことになる。
「ほめてはいけない」という言葉だけをきくと、いやいやそんなわけないと否定したくなるけれども、その訳を聞き、考えてみると、論理を重ねた結果に得られる帰結であることがわかる。

アドラー心理学の考えは、常識にとらわれてないがために斬新に感じるし、拒否反応を起こす人も中にはいるかもしれない。
でも、アドラー心理学で語られる、「当たり前でない」言葉の数々は、背景にはこのような論理がしっかりと組み立てられており、当たり前は脇に置いて読むと腑に落ちていくことも少なくない。


個々の問題児とどう接するのかの前に、教室が正常に運営されていることがすべての鍵であることを、私たちは多くの経験を通じて知りました。

アドラー心理学は、普段はあまり持たない視点を与えてくれる。当たり前と思っている、盲点とも呼べるような視点を。

頭で考えていくら正しい方法でも、無効なものは無効なのです。別の方法を実験してみるべきです。それが科学的な態度というものです。

正しい思ってやっていたとしても、他のみんなもやってることであっても、効果がないものは効果がない。じゃあ同じことを何度繰り返してても拉致があかず、他の方法を考え試してみるのが建設的なのは明らか。でも、固執してしまいがち。

どうしても視線は個に向かいがちになる。けど、個よりも集団へのアプローチを考えてみると、もしかしたら何かしら変化させることのできる一手が得られるかもしれない。


実践のハードルは決して低くない。むしろ、常識とは違うアプローチも多く、ハードルはかなり高いといえそう。
とはいえ、もし今あまり上手くいっていないことがあるなら、これまでのやり方をいったん脇に置いて、別の切り口を探す必要がある。
また、短期的にはうまくいっていそうに見えても、ちょっと先に目を向けるとそうではないこともある。

将来的な自立を目指して。
ぼくにできる働きかけを考え、続けていきたいと思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

全体像を把握しやすい本の読みかた2つ

再読をしたい。常々思っていることの一つです。
日々、いろんな本の存在を知ります。読んでみたくなります。読みたい本は増える増える増え続ける。
過去に読んで、もう一度読みたいな、と感じる本があります。それも読みたい。また読みたい本は増える。
読みたい本だらけ。でも、もちろんすべてを読む時間はありません。
読むからには、自分のものにしたい。けれども、読む時間がなかなかとれないと、日を多くまたぎながら読み進めることになり、読了するのに時間が、長い期間がかかってしまいます。
ぼくの読書のスタンスは、「じっくり」なのです。
読書メモをとりながら、じっくり読んでいきます。
じっくり読みすぎるがために、全体像を思い描くことが難しくなっちゃったりします。じっくり読むので読み切るのに長い期間がかかり、内容を忘れつつ、読み進めることになるから。
読んだ内容が頭からこぼれ落ちつつ、一定期間読書ができないときとかもあったりして、さらに内容が頭から離れていき、そんな中また読み始めて「これどうやったっけ?」と戻りつつ、戻ってはさらに時間がかかって、なんとか最終的に読了する、という感じです。
なので、もう一度読みたいと感じる本が多くなってしまいます。2回目なら、きっと内容をさらに理解でき、全容も把握しやすいやろう、と思うから。

短い期間で、「一気に読み切る」

あるとき、再読を中心に、読書しようときめ、しばらく読んだことのある本ばかりを選んでは読み進めたことがありました。そのときの読み方が、なかなか気に入り、どんどん本を再読していくことができたんです。
いつもとちょっと読み方を変えることで、1冊の本の全体像を把握しやすくなることを知ったんです。
単純な方法です。「一気に読むぞ」という気持ちで、再読の本たちを読み進めていくというとても単純な。
速読という技術は持ち合わせてはいません。「一気に読むぞ!」って意識し、いつもよりはやめに文字を追っていくだけ。
一度読んだことのある本なので、思い切ってさささっと読むことができたのだと思います。たぶん、一読目の本であれば、どうしてもじっくりな読み方になっちゃうので。
「一気読み」では、メモもとりません。いつもより早く読む意識で、いっさいメモをとらず読み進めていきます。
目的は一つ。短い期間で読み切るため。
短い期間、1日2日の間に、一気に読み切る。そのほうが、いくら忘れっぽいぼくでも、本の内容の多くが頭の中にのこっておいてくれます。なので、全体像を把握しやすい。
一度読了している、という安心感があるので、再読するときには、この方法がぴったりだと感じるようになりました。
その思いは、オーディオブックを聞いくことで強くなりました。

頭に内容が残ったままグイグイ進むオーディオブック

今年の1月あたりから、オーディオブックを利用しはじめました。
芥川賞もオーディオブックで”聴ける” – FeBe(フィービー)
そのときに、こんなメモを残していました。

オーディオブックで本を聞くと、読むよりも短い期間で最後まで聴き終える。から、内容が記憶に残ってる状況で読み進めることができる。
最近思うように読書の時間をとれておらず、どうしても一冊にかかる期間が長くなっちゃってる。と、読んだ内容を忘れながら読み進めることになり、思うように理解できず読み終えてしまう、みたいなことがおこりがち。
オーディオブックやと、それがない。意外な事実やった。オーディオブックのほうが、聞き流してしまうし、読書メモも取ることなく進んでしまうので、頭に内容が残らんのではないか?と危惧していたから。

目次を書き足していって、流れを都度思い起こす

内容が頭からこぼれ落ちる前に、一気に読み切る。
いつでもそれができればいいのですが、一気に読み切るためにはそのぶん時間も必要なわけで。となると、時間が確保できないときには、その方法はちょっとしんどい。
読みたい本がオーディオブックにあるとも限りません。
一気に読み切れない。そんなときには、「読みながら目次を書き写していく」ことが、全体像の把握にはとても有効です。
限られた時間の中で、少しずつ本を読み進めていくわけですが、その際、読んだところの目次を書いていくんです。手間ですが、この効果はとても大きい。
具体的な方法としては、本を読みはじる際に、その日付と本の名前をメモしておきます。で、大きな章を読み終えるごとに、そのメモに読み終えた部分の目次を追記していくんです。
そうすると、目次を書き写すごとに、前に読み終えた部分の目次が目に入ります。目に入ると、「あぁ、あんな内容のこと書いてた章やな」と記憶がよみがえってくれます。
はじめから今読んでいる部分までの目次に目を通すことになるので、そこまでの流れが想起してくれやすい。
書くだけで、「あぁそうや、あの話がこうきて、そこへと進んだんや」と、全体の流れの把握にとても大きな役割を買ってくれるんです。
これは、書物を使って勉強していくときにも、とても有効です。
勉強となると、おそらく普通に読み進めるよりも一冊読み切るまでの時間はかかるでしょうし、本の全体像を把握するのってかなり大事ですから。
目次が増えていくのも、うれしい。これだけ進んできたんやな、と確認できるので、モチベーションにもつながります。

おわりに

全容を把握するための読み方は、

短い期間で読み切る意識を持つ
読み終えた章の目次を追記していく

全体像が把握できると、じっくり通読するのとはまた違った理解が得られます。
「メモをとりながらじっくり読む」のと、「一心不乱に一気読み切る」の。
「細部を読み込む」のと、「全体像を把握する」の。
両方合わさったら、1冊から得られることは、きっと何倍にも増してくれる。そう信じながら、これからもちょくちょく再読に取り組んでいこうかな、と思っています。

では、お読みいただきありがとうございました。