知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると

「知的生産」とはなにか。
知的生産の技術」での定義は、

知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ

ということになっています。
そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。

すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。


ノートは何のために存在しているのか。
書かれるためです。
ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキストエディタやアウトライナーなど、広く「記録する媒体」のように考えておきます(「すべてはノートからはじまる」でのノートと同じ定義としておきます)。
書いたものは多岐にわたるでしょうが、中には「なにかあたらしいことがら」にあたるものも存在するでしょう。
となると、ノートに書かれたものは、知的生産になり得る、と言えます。
たとえ個人的な、自分以外の人が見返さないノートに書かれたことがらであっても、知的生産の対象に自分を含めれば、それは知的生産と呼んでも何もおかしくないと思います。

書くことと知的生産は、決して同じではないにしろ、近しいものである、ということになります。
ただ書くだけでは、「知的生産の技術」での定義における知的生産にはなりにくいとはいえ、書くことは「知的生産」のはじまりであると言えるでしょう。
この意味において、メモもまた知的生産のはじまりと位置付けることができます。


かーそる 2021年7月号」のテーマは、ノート・メモについて。
メモを残すことについて、ノートを書くことについて、書いたものをどう扱うのかについて、ほんとうに彩のある1冊になっていると思います(かーそるという雑誌は、いつもそうです)。
「知的生産の技術で盛り上がる雑誌」の名に恥じないド直球のテーマでありながら、直球から変化球まで多彩な文章の数々に出会える雑誌です。
かーそるの書き手の中の一人としてノート・メモについて書かせていただき、光栄であるとともに、この雑誌が、求める人の手に届くことを願っています。


奇しくも、同じ時期に、同じくノートが主題の、かーそる編集長の倉下さんの著作「すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術」が発売されました。
まだすべてを読んだわけではありませんが、読み始めてすぐ感じたのが、「これこそが知的生産の技術ではないか」「ここで語られている記録術についての話と知的生産とは同一のものであると言えるのではないか」といったもの。
楽しく読ませていただいています。
そして読み始めて確信したのが、本書はぼくの中では待望の書だったんだということ。自分が書いたものではないのに、本のタイトルでエゴサーチしてしまうほどに、どう受け止められるのかが気になる本です。
それはきっと、一人の倉下ファンとして、「こんな書き手がいるのですよみなさん!」という気持ちと、まだ見ぬ倉下ファンに届いて欲しいという気持ちがぼくの中に強くあるからだと想像します。


では、お読みいただきありがとうございました。

いろんな過去記事のいくつかの傾向

このブログは毎週火曜と金曜に更新しています。
で、1,2ヶ月ほど前から始めているのが、金曜の更新の時には、旧ブログの過去記事から選んだエントリに手を加えて改めて投稿する、というもの。
その試みをはじめてから、過去の10年前から6年前ほどの記事を読み返す機会が増えたのですが、記事によって抱く感想が違い、違う中にもある程度の傾向が見えてきました。

まずは、今、読んでも面白いと感じるもの。
自分の過去記事って、けっこう面白いと感じてしまうんですよね。
言い回しや文章の持って行き方が自分好みなのが一番の理由だと思いますが、中には着眼点に感心させられる記事もあったり、あぁえぇ記事やなぁと思うものも少ないながらもあったり。
過去記事のほとんどが、書いた内容を忘れているので、読み返すとなかなかに新鮮で、かつ楽しく読めます。
で、面白いと感じた記事を、少し手を加えて金曜日に投稿しています。
全体の記事数に対して、再度投稿できそうだと感じる記事はかなり少なく、そんな記事を探すために毎週けっこうな数の過去記事を読み返しています。

一番多いのは、情報が古くなっていて改めて投稿することはできないと感じるもの。
iPhoneのホーム画面を共有する記事や、アプリの解説記事はさすがにもう再度投稿するような内容でもないので、読み返すだけで終わり、となります。
個人的には楽しい記事だけど、公開はしないまま放置となる記事たちです。

そして、過去記事には、読むと恥ずかしく、切なく、それでいてうらやましくなる類の記事も結構あります。
大学院生の時から始めたブログであり、学生のときにはかなり多くの記事数を更新していました。
記事数は減りつつも、卒業して働き始め、結婚し、生活がガラリと変化しつつもなんとか続けてきたブログなので、その時々によって自分の様子が違ってきます。
なんだか一生懸命な感じが記事に出ていたり、色々試して紆余曲折していたり、貪欲な部分があったり。
目標を定めてそれに向かって行こうとしている記事や、必死になって習慣化に取り組んでいる記事、継続していくためにもがいている記事。
あれこれ試してみては、その結果について考え、次の手をまた試している記事。
そういうのを読むと、恥ずかしく、切なく、それでいてうらやましくなるわけです。
今は、昔ほどに懸命でない、頑張っていないよなぁと。
昔の方が、理想を掲げて進んでいってたよなぁと。
別にそのことに対してネガティブな感情は持っておらず、今は今で充実しているのですが、それでもやはり今は持っていないものを過去の自分は持っていたんだな、と感じます。

あらためて読むとあぁおもしろいなと感じる記事、今は情報が古くなっている記事、恥ずかしく、切なく、それでいてうらやましくなる類の記事。
読み返して、そういった色々な記事に触れ、刺激を受けながら、金曜日の更新を楽しんでいこうと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

一人で考えるよりも、シェアすればいい

先日、とりとめのないことを書きました。

ただ単に読書メモに対して自分がどう考えるのか書いただけのエントリですが、そこには「いろんな方の読書メモスタイルを知りたい」という願いを込めました。
より良い、自分に合った読書メモの形を考えてはいますが、一人で考えるよりもいろんな方の意見を聞く方がよっぽど良いからです。そしてそれは、他の多くの方にとっても参考になります。自分が考えつかないアイデアを、他の人は必ず持っている。これはもう紛れもない真実です。

アイデアの宝庫

ここで、紙とえんぴつを使って次のことをやってみてください。
「3つの丸と1つの線で、絵を描く」
どんな絵をお描きになりましたか?ぼくは発想力に乏しいのか、こんな絵を描きました。

「だんご」です。この絵を描いた人も多いのではないでしょうか。お暇があればここからさらにどんな絵が描けるのか考え、1つでも多くの絵を生み出してみてください。どんなに多く生み出したとしても、次にお見せするいくつかの絵の中には自分の描いた絵と違うものが必ずあると思います。

「自分が考えつかないアイデアを、他の人は必ず持っている。」言わば”他の方の考えたち”というのは、”アイデアの宝庫”です。じゃあ、自分一人で考えるよりも悩みをシェアしてしまえばいい。ぼくのブログの場合、返答がくることは少ないですが、それでも書かないよりは書いた方が良い。そう強く思う今日この頃です。

おわりに

ぼくにブログを書くきっかけを与えてくれたのが、@rashita2さんのR-styleです。そこでいの一番に書かれているのが「Sharing is Power!」という言葉。ブログを書き始めた当初はシェアするということがどういうことなのかわかっていませんでした。気がつけばこの「iPhoneと本と数学となんやかんやと」も半年以上経過し、ようやくその言葉の意味をぼく自身感じるようになってきたのかもしれません。
では、お読みいただきありがとうございました。

おわりにのおわりに

さらに10年が経ちました。
今もこうしてブログを更新しているのは、シェアすることで誰かの、何かの役にたったらうれしいなーという気持ちから。
この気持ちが続く限り、何かしら書き続けていくんだろうなーと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

「過去の自分」のに触れれることのおもしろさ

iPhoneを持つようになり、Evernoteを利用するようになって、「メモる」という行為が自分の中に根付きました。
また、ブログを書き始めたことで、「今、自分が考えていることを、ある程度まとめておく」という、それまでになかった習慣も身につきました。
「メモ」と「ブログ」。この二つは、「今現在の、自分の考えを切り取り、保管する」ということをしてくれています。3年ほど前までなら、Evernote内をさかのぼってメモを見ることができますし、2年半前ならブログの記事も読み返すことができます。
それ以前の自分も、ノートにあれこれ書いたりしていました。でもそれは、特定の分野についてであって、今ほどなんかっちゃぁメモしていたわけではありません。日記も続けて書いたことありませんでした。「メモ」や「ブログ」を書いていなかった、それ以前の”自分”に出会うことはなかなか困難なわけです。

いやぁ、もったいないことをしてまいました。

”過去の考え”は新鮮でおもしろい

メモを習慣的にしてこなかったころは、自分は自分であって、まるで別人に感じることなんてないやろうと思ってたと思います。
でも、メモをとるようになって、それが勘違いであることがわかります。だって、たった一月前のメモとかでも、まったく自分が書いた覚えのないものが1つならず、3つも4つもあるんですから。
これはブログにも言えます。ブログはメモと違い、ある程度は考えをまとめて書いてるので、より記憶に残りやすいはず。いやいや甘い甘い。自分が書いたとは思えない記事なんてわんさかあります。
そういうのんに出会うのが、すんごい楽しい。今の自分とは違う自分との出会いです。

過去の自分が考えたことやから、新鮮でもなんでもないはずやのに、今の自分が見たらすんごく新鮮に感じる。過去の自分が新鮮だなんて。
「こんなこと考えてたんか!」と、感心することもしばしばです。ほんま、過去の自分さまさまです。ただ単にぼくの記憶力がなさすぎなだけかもしれませんが。
中でも、読み返して一番新鮮に感じるのは、「メモ」です。その刹那に思いついたことは、別にすごいこととか書いてる訳でなくても、くだらんことを書いてても、ほとんどがくだらないことしか書いてないんですが、見返すと面白いです。
刹那的に思いついたことの方が、確実に忘れていますものね。

おわりに

メモをとり、ブログを書くことで、今の自分を切り取る。これは、よっぽどのことがないかぎり、これからも続けていくと思います。
読み返してるのは、過去の自分が書いたものなので、別に役立たんのですが、おもしろい。
過去の自分がおもしろいとなると、自分がどんなこと考えてるのかってのをより記録していこうと思うわけで。そんな、”自分の考え”ってのに、以前より確実に興味をもつようになりました。
自分ってのはなかなか興味深い生き物です。
「ほんまかいな?」と思うのならば、しばらく思いついたことやら気づいたことをメモって保管しておいてみてください。それを読み返すと、きっとそれまで以上に自分に興味を持つはず。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりのおわりに

、、、という、過去に自分の書いた記事に触れ、ちょっと修正し、過去のブログから今のブログに移植しました。
少し前から旧ブログの過去記事を読み返し、ちょびっと修正して現ブログにて公開し直す、ということをやっています。
中にはほんとに読みかえせてよかったと感じたり、なかなかに良いなぁと思う記事もあったり。
「過去の自分」のに触れることは、あいも変わらず面白いものです。

では、お読みいただきありがとうございました。

近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになりそうと感じた

5月21日。この日を待ちに待っていました。
4月30日に注文してから約3週間。とても待ち遠しかったです。
新品を購入するのは、約8年半ぶり。長い間中古を買い替えて過ごしてきましたが、今回は新品を、満を持しての購入。

はい、iPadの話です。


主に仕事で、iPadを活用しています。
板書計画とiPad+Apple Pencilの相性は抜群で、書いては消し、書いたものを移動しながら適切な場所を模索し、といったことをしながら、板書計画を立てています。
これまでは、一昨年の夏に中古で購入した10.5インチのiPad Proを使っていました。正直、この昔のiPad Proで何不自由なかったのですが、新しいiPadが発表されたら買おう!と決意していて、なおかつAppleの発表会を見たらM1チップがiPad Proに乗るということで、予約開始日に必死こいて予約をし、発売日にゲットすることができました。
届いてしばらく試し、もちろん動作はサクサク快適なのですが、これまでと別にたいして変わったことをするわけでもないので、今まで通り使っていこうかな、といった感じです。

では、今まで使っていた10.5インチの古い方のiPad Proはどうなったかというと、子どもが使う用にすることにしました。
自分が使わなくなったiPadやMac子どもにあげよう!と決意していたので。
今回新たにiPadを購入し、古いiPadは子どもが使えるようにセットアップし直しました。

一番上の子は小学校に入ったばかりで、ひらがなを毎日の宿題として練習しています。また、次女は英語を習っており、アルファベットのなぞり書きを練習中です。
そこで、ネットでなぞり書きのPDFを探し、受け渡したiPadに入れることにしました。
そうすることで、何回でも何回でも練習することができるようになります。
そして、思いました。やはり、将来的にはノートはタブレット+専用のペンに置き換わっていくかもな、と。
近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになっていきそうだな、と。

とはいえ、実際に今のようにえんぴつで紙に書く練習がなくなるのかというと、「?」です。それは、やはり鉛筆の方が書きやすく、練習にはもってこいだから。
上の子は小学校に入り、ひらがなを熱心に練習しています。使う鉛筆は、「4B」のかきかたえんぴつ。
4Bなんてもうほとんど使うことがないくらい、芯の柔らかい鉛筆です。
力を込めて書いても芯が折れにくく、芯が柔らかい分、紙との摩擦がしっかりしており、HBとかと比べるとやはり書きやすい(好みにもよると思いますが)。
そういう、書きやすさの面では、iPadは(今のところ)紙と鉛筆にはかないません。
文字を練習し始めたばかりの子どもにとって、柔らかい鉛筆を使うことは必要なことなのかも、と感じます。
いきなりiPadにて書く練習をするよりも、しっかりと力を入れて書きやすい紙と濃い鉛筆から入り、慣れてきたら移行したほうが良さそうかなーと。
また、画面の広さの制約があるため、紙が必要なくなるのはまだ先のことだろうな、とも感じます。
それもこれも、今後手書きがどう発展していくかによるとは思いますが。


手書きというのはいいものです。
紙に鉛筆やペンを使って文字や絵を書くのは、タブレットとペンを使うよりも心地よく、色鉛筆やクーピー、クレヨンで描くという行為にも、独特の手触りが、感触があります。iPadとはいえ、それにはまだまだ及ばない。けれども、今後の発展次第では、書き心地の差は埋まっていくのかもしれませんし、それとは違った体験をさせてくれそうな気もします。
いずれにせよ、子どもと一緒に使っていけるのが嬉しいので、今後も新しいのを買うごとに受け渡していこうかな、と考えています。
お古ばっかりでごめんね。

では、お読みいただきありがとうございました。

ObsidianPublishとブログの明確な境界線

これまでいろいろと書いたり試したりしてきました。
ブログから始めて、動画を載せる別ブログを立ち上げたり、Scrapboxに書いたり。
今は、やろうと思えばYouTubeで動画の公開ができたり、ポッドキャストで音声の配信ができたり、Substackでニュースレターを書けたり。
選択肢は色々とありますが、そんなに試してはおらず、ぼくの場合は2つの媒体に絞っています。

どちらも「文章を書いてそれを公開する」場なのですが、この2つには明確な違いがありまして。
「これについてはどっちに書こうかなぁ」と迷うことはありませんし、書き方・記述の仕方も違います。

Obsidianは、1ページ1テーマをつらぬく

Obsidianでは、1ページ1テーマをつらぬく気持ちで書きます。とにかく、1つのことについて書く。
未来の自分は他人という気持ちできちんとした文章で書きつつも、必要以上に説明しすぎることをせず、そこはリンクで別ページとのつながりを作りながら。
いわゆる豆論文を書く気持ちで。
ObsidianのPublishの一つひとつのページは、1ページ1テーマであるが故に、ブログなど他の文章を書く際に、言及・引用がしやすい状態である、と言えます。それらを組み合わせさえすれば文章が書ける、とまでは行かないまでも、1つのテーマについて書かれたものは、取り回しが良く、使いやすいのは間違いありません。
『知的生産の技術 (岩波新書)』(梅棹忠夫)を読んで何年も経ちますが、ようやく1枚1テーマで書く、ということに対する理解が追いついた気持ちです。
また、Obsidianのリンクする機能を使うことで、ページ同士がつながってくれており、それもまた言及・引用のしやすさに一役を買っています。Obsidian上のページをひらけば、それに関連するページが必ず表示されるので、思い起こすことができるから。

ブログは、1つの完成したものを

一方でブログは、はじめから読んでいけば内容を理解でき、それだけで完結することを意識して書いています。
そのためには、文中に出てくる語句の解説を入れる必要があったり、前提となる条件を書いたり、最後にまとめ的なことを書いたりすることが必要になります。
となると、1つの記事にはいくつものテーマが混在することになり、それでようやくはじめから読んでいけば内容を理解できる、読めるものが出来上がる、と思います。
ブログの記事は、それ一つで完結したものになるように心がける、ということです。

以下は、同じ「明日をInboxにする」ということについて書いた、Obsidianとブログの記事。かなり違いが表れていると思います。

おわりに

ブログに投稿するもの、Obsidianでpublishするもの、ブログに投稿してObsidianでもpublishするもの〜その1〜ブログに投稿するもの、Obsidianでpublishするもの、ブログに投稿してObsidianでもpublishするもの〜その2〜にて、その当時のObsidianPublishとブログの分け方を書いていました。
その時にも今回と同じような結論が出ていたのですが(書いたこと完全に忘れてた)、特に今後意識していきたいのは、「Obsidianは、1ページ1テーマをつらぬく」こと。で、ページ同士をリンクさせておくこと。
その気になれば、ブログには基本的には何を書いてもいいと考えているので、完成したものをと思いつつも、そこにはあまり縛られず、気軽に書いていきたい。
なので、ある意味Obsidianにてpublishする方が、そっちにちゃんと書いていく方が、結構難しかったりするかもしれません。
ただ、あまり書く前からハードルをあげすぎるのもよくないので、とりあえず書いて、後からどんどん手入れしていくという方針で、1ページ1テーマをつらぬいていこうと考えています。

では、お読みいただきありがとうございました。

自分で書いた記事・R-styleの記事ではっきり覚えているもの WRM「今週のQ」

倉下忠憲のWRM 「読む・書く・考えるの探求」第546号、ラディカルなRashitaのスタイルの変容の「今週のQ」での問いかけです。


ふと考えてみて、すぐに思いつくのは。「数学からぼくが学んだこと」と題しての連載です。

この4つのエントリで、自分が思う数学の良さや数学との向き合い方をけっこう伝えることができたのではないかと感じるくらいに、かなり力を入れた、じっくりと書き上げた記事となりました。

他には、

もとても思い入れの強い記事です。

は、かなり前に書いたものを、他の人が6年越しにツイートしてくれて、ふと目に飛び込んできて読み返して少しだけ修正を加えて新たにポストしたもの。

自分で書いた記事ではっきり覚えているものはこれらの記事かな、と思います。
どれも、数学に関して書いたもの。
数学についてどんどんブログで書きたい、と思っているものの、なかなかにそれができておらず、でもなんとかしっかりまとめ切れたという感覚があるからこそ、これらの記事はかなりはっきりと覚えているのだろうな、と思います。


R-styleの記事ではっきり覚えているのは、個人の書くブログの楽しさを教えてくれた

から始まる、一連の連載。
R-styleで展開される、Evernoteというツール越しに見る知的生産についての話が、すごく面白く、興味深く、ブログというのは面白いんだなーと思うようになったきっかけの記事となります。
で、そこから自分もブログを書きたい、となって実際に更新を始めるまでさほど時間はかかりませんでした。で、今もまた更新している、とうわけです。

他には、今ふと思い出したのが、

という、4月1日に書かれた記事。もう11年前になるんですね。
なぜこの記事が記憶に残っているかというと、

という本が、後に発売されることとなるからです。
書評 クラウド時代の知的生産の技術(倉下忠憲)が書かれたのは、倉下さんが物書きになる前、『Evernote「超」仕事術』の発売される前だったと思います。まだ本を1冊も世に出していない状況で、自分が本を出した体で記事がかかれているのがこの記事。
やがてコンビニの店長から物書きにジョブチェンジされて、『Evernote「超」仕事術』が発売され、『Evernote「超」知的生産術』がその後に続きます。
そして、『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』が発売され、その告知エントリが書かれて。
「ついに!!」と感動・興奮した記憶があるので、とても記憶に残っているのだと思います。

他にも、

は、よく覚えている記事の一つ。R-styleにて倉下さんの書く記事に触発されて自分も記事を書いたりしますが、やはりそういう触発を生んでくれた記事は覚えているものが多いように感じます。


自分のブログとR-styleの記事の中から覚えているものをあげてみました。
記憶力に自信がないく、基本的に忘れっぽい自分でも覚えている記事たちは、自分の中に色濃く残っているものたち、ということになると思います。
そういう記事をもっと書いていけたらなぁと思わなくもありませんが、ぼちぼちと日々書き続けるのを楽しくやってるので、まずは楽しむことを第一に今後も書き続けたいと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

過去の自分と今の自分の共同執筆

前回の記事、「概念の拡張と日常への適用」は、実は6年ほど前に書いた記事をリライトしたもの。
たまたまTwitterで自分の過去ブログの記事をツイートしてくれているものを発見し、どんな内容か気になって読み返したのが発端。

読み返しての感想は、「昔の自分、めっちゃいいもん書いてるやん」。
単なる自画自賛に過ぎないけど、読むことができて良かったーと感じる出来栄えだった。
と同時に、こういう記事が過去のブログにはけっこうたくさん埋もれてしまっているのかも、ということも感じた。
ぼくは、「はてなダイアリー」でブログ「 iPhoneと本と数学となんやかんやと」を開設し、6年ほどそこで書き続けた。で、4年前からWordpressに移行し、今に至っている。
Wordpressに移行するときに、過去記事を全て移すということをしなかった。
記憶の中にあった、印象深い数記事を移すだけに留めた。
今回の「概念の拡張と日常への適用」は、その印象深い数記事には含まれていなかった。だからWordpressのブログに移したいという思いが湧き、リライトして載せることにした。
こういう、印象には残っていなかったけど読み返してみると「えぇなぁ」と感じる記事は、放置されてそのままになっている。

自分のブログを読み返して感じることは、「けっこうえぇこと書いてるやん。書いたことぜんっぜん覚えてないけど」といったもの。
ほんとにきれいさっぱり忘れている。
今回のように、自分の過去記事に、大切なこと(大切に思っていたけど忘れていたこと)を教えてもらうことも多い。
その一方で、書き換えたくなる部分もある。修正すればより良くなるのでは、と。

旧ブログから今のブログに移行したのは4年前。
旧ブログは、約6年間分の過去記事が、そのままになっている。
旧ブログから学ぶことがある。
旧ブログの内容を多少良くできるのでは、と感じる部分もある。

ということで、これはもっと過去記事を読み返して、多少の修正を加えて改めて新規エントリとして更新するのも、なかなかにありではないか、と思えてきた。
過去に書いたものを読んで感じるのが、「大切に思っていたけど忘れていたことがある」ということ。けっこうあるな、と感じること。
今回のように、過去記事のリライト記事を、ちょっとずつでもいいから更新していければな、と思う。

ブログに投稿するもの、Obsidianでpublishするもの、ブログに投稿してObsidianでもpublishするもの〜その1〜

Obsidianのpublishを利用して、これまでのメモをObsidianでどんどん公開していってる。

で、最近考えているのが、ブログとObsidian publishをどう使い分けるのか、というところ。
また、過去のブログの下書きがObsidianにはあるけれども、それをpublishするか否か、というところ。


まず、「ブログとObsidian publishをどう使い分けるのか」について考えたこと。
Obsidianのpubloshで何を公開していくかというと、Scrapbox「book scrapbook」で公開していたようなものをpublishしていこうかな、と考えてる。
Scrapboxでは、

  • 読んだ本について
  • 考えたことをまとめたことについて
  • ブログ記事の下書き

を公開していた。自分が読んだこと、考えたことについて書いたことのほぼ全て。
そのうちのブログの下書き以外はObsidian publishでも同じように公開しようかな、と決めたけど、ブログの下書きについてはどうするか。とりあえず、Scrapboxの時のように下書きをそのまま公開するのはやめようと思った。
じゃあどうするか。
考えたのは、Obsidian publishでObsidianの中のどのページを公開していこうと思っているか、ということ。
デイリーページなどタスク管理に使っている個人的なページは公開する気はないけれども、それ以外の、考えたことややってみたことなんかは積極的に公開していくのがいいのでは、と思っている。
で、それらのページの作成の方法を、Scrapboxで公開してた時とはちょっと変えていこうと思っていて。

Scrapboxでは、単語のリンクを介して繋げていくのが多かった。
例えば、「Obsidian」や「アウトライナー」などをブラケット「[]」で囲んでリンクにし、単語をリンクすることでページ同士をその単語を介してつなげていた。単語のリンクは、タグ的な役割を果たし、同じタグがついているページ一覧が下に表示されるイメージ。
Image

Obsidianではその方法ではなく、ページ同士をつなげていこうかな、と。
1ページ1テーマで書き、関連するものを直接つなげる。しばらくはこれまでのメモを見返し、書き換えつつ、書き足しつつ、関連するページ同士をつなげつつ。
で、これまでScrapboxでタグ的につけていたリンクに関しては、Obsidian上ではリンクという形ではなく、タグをつけよう、と。
Scrapboxではタグとリンクの表記以外の区別はなかったけど、Obdisianでは二つは役割が違う。タグをクリックすればそのタグがつけられているページ一覧を見れるという機能になっているので。Obsidianでは、リンクとタグの使い分ける方針を取り、リンクはページ同士を直接つなぐ。
で、1ページ1テーマを保つために、ブログ記事の下書きをそのままObsidianでpublishはしないでおこうと思う。
ブログの記事は、1記事で完結したものにするために、色々と説明を加えたり、Obsidian publishよりも他の人が読むことをより意識したものになり、1ページ1テーマではなく、いくつも盛り込むことが多い。
また、雑記的なものはテーマを持たないことがほとんど。
なので、ブログ記事は1ページ1テーマではないことか多いので、Obsidianでpublishするときには書き換えたりページを分けたりして、1ページ1テーマに加工してからpublishしようと考え中。ブログとObsidian publishは、全然違ったものにしていく予定。


「過去のブログの下書きがObsidianにはあるけれども、それをpublishするか否か」については、、、長くなってきたのでまた次回ということで。

2021年現在の、日々の記録あれこれ

個別にページを与えてログを取っているものたち」にて、毎日作成して色々と書き込んでいるデイリーページに書き込むのではなく、わざわざ新たにページを作成して記録を残している、自分の好きなものに関するページについて書いてみました。
今回は、デイリーページに代表される、日々の記録はどんなものをとっているのか、ということについて。


まず、ぼくが「デイリーページ」と呼んでいるのは、Obsidianにて毎日作成する、「その日の日付をタイトルとしたページ」のことで、仕事中は基本的にそのページを開きっぱなしにし、あれこれ書き付けています。
その日にやろうと思うこと、その日に予定されているスケジュールをまずデイリーページに書き、一つ一つ消化しながら仕事を進めていきます。それについては、「Obsidianにて連用手帳」でも触れさせてもらいました。
デイリーページは、1日が終える頃には、その日の記録となって残ることになります。日々の記録として残している代表格がこのデイリーページということになります。

一方で仕事以外の時間は、常にObsidianを開いているわけでもなく、尚且つルーチンとして毎日行うようなことがほとんどなので、「たすくま」を使って自分の行動のログをとっています。1日が終わり、次の日を迎えたら、たすくまのログをEvernoteに送信し、その日の行動ログとして残しております。これも日々記録していることの一つ。

あと外すことができないのが「日記」です。
日記は断然「連用日記をEvernoteに」がオススメ」でも書いたように、Evernoteに連用日記を書いていっております。2015年から続けているので、かれこれ6年間続いており、毎日、同じ日の過去の日記5年分を読み返しているのですが、まぁ5年となるといろいろなことがあったわけで。毎日の日記から、その色々あったことを思い出し、「あ、3年前の今日、そういえばこんなことあったなー」と感慨にふける。毎日そんな楽しみ方をしております。
書き方は、と言うと、366日分の「○月○日」というタイトルのノートがEvernoteには作成されていますので、今日の日付のノートに日記を追記していく、という単純なもの。ショートカットを使って、質問項目によって保存先を分けつつ日記を書くってことをしており、書き込むこと自体は省略化し、日記を書き終えたらEvernoteを起動して同じ日の過去の日記を読み返しています。
連用日記の楽しさと、過去の日記が「勝手に目に入る」ことの強力さを感じ、今ではこの連用形式を手帳に応用して「Obsidianにて連用手帳」をしているというわけです。


要するに、あれこれと記録を残していくのが好きなようだ、ということになります。
以前は、紙の綴じノートに日記を書いたり、手帳としてモレスキンを使ったりして、それらは本棚に大事に保管されているのですが、最近はほぼデジタルで記録を残していっております。
手元にiPhoneがあり、MacBookもすぐ近くにあり、手書きがしたければiPadを使えばいい、ということで、紙のノートの出番はかなり少なくなってきているので、デジタル寄りの記録たちになっている、という感じです。
今後は、Obsidianを中心に、あれこれと日々の記録を残していくことになりそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。