自分で書いた記事・R-styleの記事ではっきり覚えているもの WRM「今週のQ」

倉下忠憲のWRM 「読む・書く・考えるの探求」第546号、ラディカルなRashitaのスタイルの変容の「今週のQ」での問いかけです。


ふと考えてみて、すぐに思いつくのは。「数学からぼくが学んだこと」と題しての連載です。

この4つのエントリで、自分が思う数学の良さや数学との向き合い方をけっこう伝えることができたのではないかと感じるくらいに、かなり力を入れた、じっくりと書き上げた記事となりました。

他には、

もとても思い入れの強い記事です。

は、かなり前に書いたものを、他の人が6年越しにツイートしてくれて、ふと目に飛び込んできて読み返して少しだけ修正を加えて新たにポストしたもの。

自分で書いた記事ではっきり覚えているものはこれらの記事かな、と思います。
どれも、数学に関して書いたもの。
数学についてどんどんブログで書きたい、と思っているものの、なかなかにそれができておらず、でもなんとかしっかりまとめ切れたという感覚があるからこそ、これらの記事はかなりはっきりと覚えているのだろうな、と思います。


R-styleの記事ではっきり覚えているのは、個人の書くブログの楽しさを教えてくれた

から始まる、一連の連載。
R-styleで展開される、Evernoteというツール越しに見る知的生産についての話が、すごく面白く、興味深く、ブログというのは面白いんだなーと思うようになったきっかけの記事となります。
で、そこから自分もブログを書きたい、となって実際に更新を始めるまでさほど時間はかかりませんでした。で、今もまた更新している、とうわけです。

他には、今ふと思い出したのが、

という、4月1日に書かれた記事。もう11年前になるんですね。
なぜこの記事が記憶に残っているかというと、

という本が、後に発売されることとなるからです。
書評 クラウド時代の知的生産の技術(倉下忠憲)が書かれたのは、倉下さんが物書きになる前、『Evernote「超」仕事術』の発売される前だったと思います。まだ本を1冊も世に出していない状況で、自分が本を出した体で記事がかかれているのがこの記事。
やがてコンビニの店長から物書きにジョブチェンジされて、『Evernote「超」仕事術』が発売され、『Evernote「超」知的生産術』がその後に続きます。
そして、『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』が発売され、その告知エントリが書かれて。
「ついに!!」と感動・興奮した記憶があるので、とても記憶に残っているのだと思います。

他にも、

は、よく覚えている記事の一つ。R-styleにて倉下さんの書く記事に触発されて自分も記事を書いたりしますが、やはりそういう触発を生んでくれた記事は覚えているものが多いように感じます。


自分のブログとR-styleの記事の中から覚えているものをあげてみました。
記憶力に自信がないく、基本的に忘れっぽい自分でも覚えている記事たちは、自分の中に色濃く残っているものたち、ということになると思います。
そういう記事をもっと書いていけたらなぁと思わなくもありませんが、ぼちぼちと日々書き続けるのを楽しくやってるので、まずは楽しむことを第一に今後も書き続けたいと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

過去の自分と今の自分の共同執筆

前回の記事、「概念の拡張と日常への適用」は、実は6年ほど前に書いた記事をリライトしたもの。
たまたまTwitterで自分の過去ブログの記事をツイートしてくれているものを発見し、どんな内容か気になって読み返したのが発端。

読み返しての感想は、「昔の自分、めっちゃいいもん書いてるやん」。
単なる自画自賛に過ぎないけど、読むことができて良かったーと感じる出来栄えだった。
と同時に、こういう記事が過去のブログにはけっこうたくさん埋もれてしまっているのかも、ということも感じた。
ぼくは、「はてなダイアリー」でブログ「 iPhoneと本と数学となんやかんやと」を開設し、6年ほどそこで書き続けた。で、4年前からWordpressに移行し、今に至っている。
Wordpressに移行するときに、過去記事を全て移すということをしなかった。
記憶の中にあった、印象深い数記事を移すだけに留めた。
今回の「概念の拡張と日常への適用」は、その印象深い数記事には含まれていなかった。だからWordpressのブログに移したいという思いが湧き、リライトして載せることにした。
こういう、印象には残っていなかったけど読み返してみると「えぇなぁ」と感じる記事は、放置されてそのままになっている。

自分のブログを読み返して感じることは、「けっこうえぇこと書いてるやん。書いたことぜんっぜん覚えてないけど」といったもの。
ほんとにきれいさっぱり忘れている。
今回のように、自分の過去記事に、大切なこと(大切に思っていたけど忘れていたこと)を教えてもらうことも多い。
その一方で、書き換えたくなる部分もある。修正すればより良くなるのでは、と。

旧ブログから今のブログに移行したのは4年前。
旧ブログは、約6年間分の過去記事が、そのままになっている。
旧ブログから学ぶことがある。
旧ブログの内容を多少良くできるのでは、と感じる部分もある。

ということで、これはもっと過去記事を読み返して、多少の修正を加えて改めて新規エントリとして更新するのも、なかなかにありではないか、と思えてきた。
過去に書いたものを読んで感じるのが、「大切に思っていたけど忘れていたことがある」ということ。けっこうあるな、と感じること。
今回のように、過去記事のリライト記事を、ちょっとずつでもいいから更新していければな、と思う。

ブログに投稿するもの、Obsidianでpublishするもの、ブログに投稿してObsidianでもpublishするもの〜その1〜

Obsidianのpublishを利用して、これまでのメモをObsidianでどんどん公開していってる。

で、最近考えているのが、ブログとObsidian publishをどう使い分けるのか、というところ。
また、過去のブログの下書きがObsidianにはあるけれども、それをpublishするか否か、というところ。


まず、「ブログとObsidian publishをどう使い分けるのか」について考えたこと。
Obsidianのpubloshで何を公開していくかというと、Scrapbox「book scrapbook」で公開していたようなものをpublishしていこうかな、と考えてる。
Scrapboxでは、

  • 読んだ本について
  • 考えたことをまとめたことについて
  • ブログ記事の下書き

を公開していた。自分が読んだこと、考えたことについて書いたことのほぼ全て。
そのうちのブログの下書き以外はObsidian publishでも同じように公開しようかな、と決めたけど、ブログの下書きについてはどうするか。とりあえず、Scrapboxの時のように下書きをそのまま公開するのはやめようと思った。
じゃあどうするか。
考えたのは、Obsidian publishでObsidianの中のどのページを公開していこうと思っているか、ということ。
デイリーページなどタスク管理に使っている個人的なページは公開する気はないけれども、それ以外の、考えたことややってみたことなんかは積極的に公開していくのがいいのでは、と思っている。
で、それらのページの作成の方法を、Scrapboxで公開してた時とはちょっと変えていこうと思っていて。

Scrapboxでは、単語のリンクを介して繋げていくのが多かった。
例えば、「Obsidian」や「アウトライナー」などをブラケット「[]」で囲んでリンクにし、単語をリンクすることでページ同士をその単語を介してつなげていた。単語のリンクは、タグ的な役割を果たし、同じタグがついているページ一覧が下に表示されるイメージ。
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Obsidianではその方法ではなく、ページ同士をつなげていこうかな、と。
1ページ1テーマで書き、関連するものを直接つなげる。しばらくはこれまでのメモを見返し、書き換えつつ、書き足しつつ、関連するページ同士をつなげつつ。
で、これまでScrapboxでタグ的につけていたリンクに関しては、Obsidian上ではリンクという形ではなく、タグをつけよう、と。
Scrapboxではタグとリンクの表記以外の区別はなかったけど、Obdisianでは二つは役割が違う。タグをクリックすればそのタグがつけられているページ一覧を見れるという機能になっているので。Obsidianでは、リンクとタグの使い分ける方針を取り、リンクはページ同士を直接つなぐ。
で、1ページ1テーマを保つために、ブログ記事の下書きをそのままObsidianでpublishはしないでおこうと思う。
ブログの記事は、1記事で完結したものにするために、色々と説明を加えたり、Obsidian publishよりも他の人が読むことをより意識したものになり、1ページ1テーマではなく、いくつも盛り込むことが多い。
また、雑記的なものはテーマを持たないことがほとんど。
なので、ブログ記事は1ページ1テーマではないことか多いので、Obsidianでpublishするときには書き換えたりページを分けたりして、1ページ1テーマに加工してからpublishしようと考え中。ブログとObsidian publishは、全然違ったものにしていく予定。


「過去のブログの下書きがObsidianにはあるけれども、それをpublishするか否か」については、、、長くなってきたのでまた次回ということで。

2021年現在の、日々の記録あれこれ

個別にページを与えてログを取っているものたち」にて、毎日作成して色々と書き込んでいるデイリーページに書き込むのではなく、わざわざ新たにページを作成して記録を残している、自分の好きなものに関するページについて書いてみました。
今回は、デイリーページに代表される、日々の記録はどんなものをとっているのか、ということについて。


まず、ぼくが「デイリーページ」と呼んでいるのは、Obsidianにて毎日作成する、「その日の日付をタイトルとしたページ」のことで、仕事中は基本的にそのページを開きっぱなしにし、あれこれ書き付けています。
その日にやろうと思うこと、その日に予定されているスケジュールをまずデイリーページに書き、一つ一つ消化しながら仕事を進めていきます。それについては、「Obsidianにて連用手帳」でも触れさせてもらいました。
デイリーページは、1日が終える頃には、その日の記録となって残ることになります。日々の記録として残している代表格がこのデイリーページということになります。

一方で仕事以外の時間は、常にObsidianを開いているわけでもなく、尚且つルーチンとして毎日行うようなことがほとんどなので、「たすくま」を使って自分の行動のログをとっています。1日が終わり、次の日を迎えたら、たすくまのログをEvernoteに送信し、その日の行動ログとして残しております。これも日々記録していることの一つ。

あと外すことができないのが「日記」です。
日記は断然「連用日記をEvernoteに」がオススメ」でも書いたように、Evernoteに連用日記を書いていっております。2015年から続けているので、かれこれ6年間続いており、毎日、同じ日の過去の日記5年分を読み返しているのですが、まぁ5年となるといろいろなことがあったわけで。毎日の日記から、その色々あったことを思い出し、「あ、3年前の今日、そういえばこんなことあったなー」と感慨にふける。毎日そんな楽しみ方をしております。
書き方は、と言うと、366日分の「○月○日」というタイトルのノートがEvernoteには作成されていますので、今日の日付のノートに日記を追記していく、という単純なもの。ショートカットを使って、質問項目によって保存先を分けつつ日記を書くってことをしており、書き込むこと自体は省略化し、日記を書き終えたらEvernoteを起動して同じ日の過去の日記を読み返しています。
連用日記の楽しさと、過去の日記が「勝手に目に入る」ことの強力さを感じ、今ではこの連用形式を手帳に応用して「Obsidianにて連用手帳」をしているというわけです。


要するに、あれこれと記録を残していくのが好きなようだ、ということになります。
以前は、紙の綴じノートに日記を書いたり、手帳としてモレスキンを使ったりして、それらは本棚に大事に保管されているのですが、最近はほぼデジタルで記録を残していっております。
手元にiPhoneがあり、MacBookもすぐ近くにあり、手書きがしたければiPadを使えばいい、ということで、紙のノートの出番はかなり少なくなってきているので、デジタル寄りの記録たちになっている、という感じです。
今後は、Obsidianを中心に、あれこれと日々の記録を残していくことになりそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。

ゆるめの締め切り設定と、毎日書き続けることと、何を書こうかなーと考えて思いついたことを書き出すことから始めることと

次の火曜日更新の分について考えよう
何を書こうかなぁ。なんか書こうと思ったことがあったようななかったような。
最近のブログ更新のスタイルについて書こうかな。何を書こうかな、というところから始めて、という話。
他は、教員の授業以外の仕事、分掌の仕事について書くのもいいかもね。
最近何かあったかなぁ。特にないか。
じゃあやはり、2つのうちのどちらかを書こう。明日決めよう。

ブログを再開してからというもの、いい具合に肩の力が抜けた状態で毎日書くことができています。
書いたものの仕上がりに満足できるようなペースで更新することができているので、書くこと自体が楽しい。とてもいい感じです。

思い返せばこれまでいろんな書き方をしていました。
ブログをはじめた当初は、文章なんて定期的に書いた経験なんてなかったのと、自分が書いたものを誰でも見れるところに置くことに対する恐れからか、1記事にすんごい長い時間をかけて書いていました。何日もかけて、他のブログの見様見真似で。
やがて慣れてきて、毎日更新を目標としはじめました。その頃には、どう書けばいいかわかってきて、下書きとしてマインドマップもどきを描いてから本文を書きはじめ、合計1時間〜1時間半くらいで日々書いていました。

社会人になってからはなかなかに時間の確保が難しくなり、その中でもなんとかチラホラと更新を続ける、というのが続いています。
マインドマップもどきを描くことは減り、書く内容を考えた後、いきなり本文を書き始める、というスタイルで。
事前にマインドマップを描いてからブログ記事にするときの感じに気づいたのは、去年の、毎日更新を頑張っていたときのこと。なのでマインドマップを描いてから書く、というのは、もうまったくやっていません。

最近は、週2回更新をゆるい目標としているおかげで、書いたものの仕上がりに満足できるようなペースで更新することができており、いつになく毎日楽しく書けています。
この、更新に向けてのんびり書くことができるという状態にあるからか、1点、今までとは違った書き方をするようになりました。
「次の火曜日の更新には、何を書こうかな」という感じの一文から書き始め、ぼんやり思いついたことをとりあえず書いていってみる、という書き始めかたです。
このエントリの冒頭部分が、それにあたります。
いつもは、更新する際にはこの部分以外を切り出しているのでブログにはこの部分は残っていませんが、だいたい毎回こんなふうなことを書くことから始めています。
週2回更新ということで、3日後に更新できるような状態にさえなっていたらいい。毎日書く時間を取ることができれば、慌てる必要はない頻度です。ゆるゆると考え始めて、頭に思い浮かんだことを書いて、何を書くのか探ることから始めても十分に間に合う感じがしています。
少なければ5行ほど、多い時でだいたい20行も書いていれば何について書いていくか定まってくるので、その段階でブログの文章を書くことにスイッチし、書き進めていきます。
とりあえず最後まで書いていき、最後の1日に読み返して修正して更新する、という流れが定着してきています。特にここ2、3回の更新は、余裕を持って最後まで書くことができているので、2回ほど読み返してから更新することができていて、いつになく完成させたものを提出できているなぁと感じています。

「毎日更新」という常に切羽詰まった状態ではなく、「更新できるときにする」という何の締め切りも設けない状態でもなく、「週2回更新」というゆるめの締め切り設定に向けて毎日書き進める。それがとても功を奏しているなぁ、と。
週2回の更新であっても、更新日にだけ書くのではなく、毎日書き進めるというところがキーポイント。
毎日書くことは決定事項とし、更新は3、4日後。何回か書くうちに完成まで持って行ければいいや、と楽に取り組むことができる。しかも、書くことは毎日やるので習慣づけやすい。
今後も肩の力を抜いて、楽な気持ちで毎日書き進め、週2回更新を続けることができればな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

書いたものの仕上がりに満足できるようなペースで更新する

11月からブログを再開し、2ヶ月が経ちました。
一昨年から去年にかけては毎日更新をしていましたが、数ヶ月続けることができたものの、途絶えてしまい。そこから1〜2ヶ月に1回更新するくらいの頻度にまで落ち込んでしまいました。
で、11月からは更新頻度を週2回と定め、書き続けています。
こんくらいがちょうどえぇわぁ、と言う感じです。

毎日更新のときは、やはりなかなかに無理してました。
それなりにちゃんとしたものを、との思いで書いてたので、そうなるとまずまず時間がかかるわけで。けっこう無理やり時間を捻出して書く、という感じだったように思います。
その無理からかわかりませんが、毎日更新が途絶えてしまうととたんに書かなくなり。時間の確保を放棄してしまったので、途絶えた後には記事が続かず。

今は週2回の更新です。火曜と金曜。
2回の更新とはいえ、書く時間は毎日確保しています。だいたい10分〜20分ほどでしょうか。
新たなエントリを書き始めるときには、何書こうかなぁなんてのんびり考え、思いついたことを書き出していき。
すると、だいたい何かしら書きたいことが見つかる。
で、それについて2
3日かけて本文を完成させていく、という形でやっています。
毎回ちゃんと書くことが見つかるので、けっこう自信がついてきたのか、とりあえず書き始めたら書けるさ、という心持ちで更新を続けることができています。

更新まで3
4日あるので、書く内容が定まればたいていは急がずに書き切ることができます。ときには2日ほどで本文が仕上がり、残りの2日を推敲に使える、なんてときも。
自分として満足のいく仕上がりにできることが多く、やはりそのほうが楽しく書けますね。

週2回更新と定めていますが、実は「更新できたらいいな」くらいのゆるーい目標でしかなくて。
ゆるすぎたからか、前回のエントリは、早く書き上がったと同時に思わず更新ボタンを押してしまい、火曜に更新する予定のものを日曜に公開してしまいました。逆に早く上げすぎたパターンです。
順調に書き進めることができているわけですが、もしかしたら今後更新できない日がくるかも。まぁでも、更新できなかったとしても気にせずに、次の更新日までに書いて公開できればいいかな、というようなゆるさを維持していこうと思っています。
きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはない。
たとえ途絶えても、そのうちまた書き始めると思うので、更新が途絶えちゃってもいいや、という感じで。

今の書き進めかたがとてもいい感じなので、しばらくは週2回の更新ペースでやっていってみようと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

日記を書き続けたいと思った理由はわからんけど、今、日記を続けることができているのはなぜかはわかる

日記は、始めた当初は一定期間ごとに書く媒体や書き方が変化していってたけど、6年前からは統一してる。
毎日日記を書き、過去6年分の同じ日付の日記を見返してる。
じゃあ、なぜ日記を書き続けているのか。

20歳くらいになるまで、日記とは縁がなかった。というか、日記を続けることができるとは全く思ってなかった。
何かしら大きな出来事があれば、「このことを書き残すために、日記を書いていこう!」と思ってノートを買い、書き始めるけれども、続かず。
一番初めに日記を書き始めた時は、習慣化する方法とか全然知らなかったし、今のように文房具好きでもなく、適当にノートを買い、おもむろに書き始めた。
まぁ、続くわけもなく。
でも、1ヶ月ほど書くことができたので、それはそれで良しやったのかな、という感じ。
日記を書き始めた理由は、やっぱり自分にとって大きな出来事があって、それについて書き残したくなったから、やったと思う。
じゃあ、なぜそこから今まで日記を続けているのか。

日記を書き続けることに挫折するも、また日記を書いていきたいな、という気持ちは不思議と湧いてきて。
で、確かそれと同時期くらいから色々と小説以外のビジネス書を読むようになり、色々と知識を得て、日記のテンプレートを作成してそこに書きつけていくようになった。
ルーズリーフにテンプレートを印刷して、それに日々日記を書いていく。
これはある程度うまくいって、数ヶ月続けることができた。確か、半年以上。
テンプレートを作るとなると、一体自分はどういうことを書き綴っていきたいのか?日記には何を書きたいのか?を真剣に考えた。
この、何について書き残すか決めておくことは、書き続ける上でかなり大事じゃないかな、と思う。
でも次第にテンプレートの印刷が億劫になり、途絶えてしまった、と記憶してる。
当時はデジタルでは書かず、手書きしていたので、テンプレートを使いたければ印刷しなければいけなかった。
じゃあなぜ、そんなたびたび途絶えているのにもかかわらず、今まで日記を続けているのか。

次にチャレンジしたのは、連用日記。というのも、テンプレを印刷して日記を書く媒体としてルーズリーフを選んだのは、連用日記にしていきたいって思ってたから。
綴じノートではなくルーズリーフなら、去年書いた同じ日の次のページに、今年の日記を差し込むことができる。
あらかじめ差し込んでおけば、書くときに去年の日記が勝手に目に入る
連用日記の良さは、去年書いたものが勝手に目に入るところやと思っていたので、それを実現するためのルーズリーフの利用やった。
で、それが続かなかったので、今度はテンプレは特に用意せず、綴じノートを線で区切って連用日記として使うようになった。
これが、続いた。
丸2年は続いたと記憶してる。実際、去年の日記が目に入りつつ、今年の日記を書いた記憶があるから。
で、書くうちに、これをデジタルでやっていきたい、Evernote上に書き残していきたいと思ったので、Evernoteに日付ごとのノートを作成し、毎年同じ日付の日に同じノートに日記を書き残すことで、過去の日記が勝手に目に入る形で日記を書き続けている。
その方法が、今6年目に突入しているところ。
Evernote上の日記のノートを開くと、2015年から毎年の日記が書き綴られていて、書いたらその流れで下にスクロールして、過去の同じ日付に書かれた日記たちを毎日見返している。
それが楽しいし、あぁこの時期にこれしてるんやな、と参考になるし、読み返すこと自体は5分もかからないのに、得るものはけっこう多い。
なぜ日記を続けたいと思ったのかはわからんけど、今、日記を続けることができている理由はわかる。
「読み返すのが楽しいし、読み返すことで今の日々の過ごし方の参考になるから」

書いている時は、多少の面倒臭さを感じる。
けど、来年それを読み返すことができるなら、その面倒くささくらい引き受けることができるほどには、読み返すことが好きになってる。
ただ、読み返すのは、簡単なことではない、と思う。
連用日記はその点でとても優れている、って話は、また機会があればすることにして。
「読み返すのが楽しいし、読み返すことで今の日々の過ごし方の参考になるから」を実感するには、まずは書き続けなあかんってのがきっとネックなんやろうな。

では、お読みいただきありがとうございました。

キレイな画面と書き心地のトレードオフ

今持っているiPad Pro10.5インチは、はじめからApplePencilを使うことを前提に買いました。iPadとApplePencilの同時購入です。
iPadを買ったら必ず手に入れておくのが、画面を保護するフィルム。ApplePencilを使うことを前提としているので、当然の如くペーパーライクフィルムを購入しました。なので、iPadとApplePencilを手に入れてすぐにペーパーライクフィルムを貼り、使っていました。

iPadを購入して一年以上になるのですが、つい先日、フィルムを交換しました。1年も使えば、フィルムにはペンのあとやキズがついており、白っぽく汚れている部分などもあり、試しにペーパーライクフィルムではなくガラスフィルムを使ってみようと思い、買いました。
それに張り替える際、ペーパーライクフィルムを剥がすわけですが、剥がした瞬間、あぁiPadの画面はこんなにもキレイなのか!驚きました。
ペーパーライクフィルムは、その特性上、どうしても白っぽいもやのかかったような感じのフィルムです。
そのフィルムを剥がしたiPadは、とてもとても鮮明で、キレイでした。
このキレイさを享受できていなかったなんて!と思うほどに。と同時に、ガラスフィルムを買ってよかったなぁと感じました。ペーパーライクフィルムのようにモヤがかかっていない、透明なガラスフィルムは、iPad本来の鮮やかさを損ないません。
毎日、鮮やかな画面のiPadを使う事ができるようになりました。

キレイなことはとても嬉しかったのですが、じゃあペーパーライクフィルムからガラスフィルムに変えてどんな変化が起こったのか。
iPadで手書きを、ApplePencilをあまり使わなくなりました。
ガラスフィルムは透明でiPadの画面の鮮やかさを損なわない反面、ツルツルです。カチコチです。
ApplePencilを使うには、表面が硬すぎて、ツルツル滑り、書き心地がよくありません。
加えて、ガラスフィルムは反射がきつく、書く際に部屋の明かりが画面に映り込みます。これも、手書きをする際にはよろしくない。書く気が間違いなく削がれます。
書き心地の悪さと画面の映り込みがつい頭をよぎるからか、iPadに手書きする事が激減してしまいました。

画面はキレイな方がいい。
でも、書く道具にしたいのであれば、画面のキレイさよりも書き心地が重要になってくる。
キレイな画面をとるか、書き心地をとるか。
これはもうどう足掻いてもトレードオフの関係です。両方をとることはできません。
結果、書き心地を取りました。
新たにペーパーライクフィルムを購入し、ガラスフィルムを剥がして張り替えました。
また、快適な優れた手書きの道具としてのiPadが戻ってきました。
今後はガラスフィルムに浮気せず、このままずーっとペーパーライクフィルムの書き心地で使っていきそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。

思っていたよりも色々と読めていた2020年の「びっくら本」 #mybooks2020

なかなか思うように読書の時間がとれていません。
とはいえ、本を読まない日はなく、毎日ちびちびと、少しずつ少しずつ読み進めています。
そのおかげか、2020年を振り返ると、それなりにいろいろな本を読むことができていました。
読んだのに読んだことを忘れていたりするのですが、一年に一度、この時期に思い返すことができ、毎年、この「びっくら本」を機会に今年の読書をかみしめます。
いつもと大きく違う一年でしたが、いつもと同じように本を読むことができ、嬉しいです。

なぜ心は病むのか いつも不安なひとの心理

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『なぜ心は病むのか いつも不安なひとの心理』(アルフレッド・アドラー)

これまで色々とアドラー心理学の本を読んできました。その中でも本書は、アドラーがどのように人を見ているか・捉えているかということが一番わかる本だと感じました。
であるがゆえに、とても興味深く、面白く読むことができました。
本書はアドラーの著作の翻訳であり、数冊のシリーズになっているので、とりあえずすべて読みたいな、と思っています。

ブレンディッド・ラーニングの衝撃

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『ブレンディッド・ラーニングの衝撃』(マイケル・B・ホーン、ヘザー・ステイカー、小松 健司)

授業そのものを上手くなりたいという気持ちがずーっとあります。うまい授業をすることができれば、それを聞いている生徒の数学の取り組みもよくなるのではないか、という思いがあって。
一方で、授業の仕組みが、生徒の取り組みに大きく関わるのではないか、とも感じています。
それは、今の学校に赴任して、とても強く感じていることです。
本書のブレンディッド・ラーニングは、特に授業の仕組みについての固定概念を強烈に揺さぶってくれます。
授業に使える道具は、黒板とチョークから大きく変わりつつあります。
一度、これまで使っていたことはすべて忘れて、固定的な考えをぜんぶ取り払って、授業に有効に活用できそうなものは貪欲に取り入れていく姿勢が、今後必要になってくるのではないか、と思っています。

「書くための名前のない技術」シリーズ

これは、シリーズを読めば読むほど面白くなっていく類いのもの。
3つのケースを読みましたが、ほんとに3者3様で、それらの違いが、お互いの「名前のない技術」を際立たせているように感じます。
シリーズが増えるごとにその違いは多様になっていくので、続きが出れば出るほどおもしろくなっていきそうな感じです。


今年の読書は「全然読めてないなーもっと読みたいのになー」という感覚だったのですが、2020年の1年間で読んだ本を振り返ってみると、しっかり読めていて、いい出会いもあったなぁという印象に変わりました。
とはいえ、やっぱりもっと読みたい。知りたい。学びたい。
ということで、一気に10冊ほど本をまとめ買い。
ずっと欲しいなぁと思っていた本を中心に、読む時間が取れるかなんて気にせずとりあえず手に入れときました。
その中には、もしかしたら来年のびっくら本が含まれている、かも。
楽しんで読んでいきたいと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

タスクリストを使うにも、とりあえず書いていきやすいのが大事

最近は、Obsidianにてタスクリストを書き、実行していってる。
やったことを記録していってる。
Obsidianを使い出す前は、Dynalistを使っていた。
同じようにDynalist上にてデイリーページを作成して、そこに今日の予定やタスクを書き出し、実行していく。
書き出されていなかったことも、実行したことがあれば追記する。
できれば、タスクに関するメモもそこに書き込む。
タスク管理アプリを使うよりも、この方が自分には向いてるな、と感じるようになった。

もっと前は、iPhoneアプリ「たすくま」で今日のタスクを管理していた。
やってることは同じ。
1日のタスクを書き出し、実行していく。
書き出されていないものでやったことがあれば追記する。
1日の全ての時間をたすくまでログをとりつつ過ごしてた。
今もたすくまは使っており、主に仕事以外の時間の記録をとる役割を担ってくれてる。
もう長いこと、7,8年くらいはタスクシュートを実践して過ごしている。
DynalistやObsidianでやっていることも基本的には同じ。
仕事においては、たすくまよりも手に馴染む。

PCの前に座っている時間が長いというのが理由の一つとして挙げられる。
PCが前にあるため、キーボードによる文字入力ができ、書き込みやすい。
iPhoneを使い始めて10年ほどになるけど、手書きよりもキーボードよりも入力はしにくい。
入力しにくいから、入力しなくなりがち。
後、タスク管理アプリはアプリごとに新規タスク入力の際、たいがい画面上のどこかにある「+」ボタンを押して新規タスク入力画面を表示させ、必要項目を埋めていくけれども、その形式があんまり好きでなかったりする。
DynalistやObsidianの方が、好きなように記入できる。
タスクに対してメタ情報を入力しないため、後から実行タスクを分析したり、なんていうことはできないけれども、これまでろくに分析してこなかったけど全然大丈夫やったので気にならないし。
「なんにせよ転記は必要」と受け入れるために」でも触れたように、とりあえず、書いていくのが大事やと思うので、自分にとってとりあえず書きやすいタスク管理の方法が今の方法なので、手に馴染んでるのかな、と。
あと、Obsidianでは表示ファイルを画面上にいくつか並べることができるってのも大きい。
必要な、目に入れときたい情報を画面上に展開しておくことができ、今日のこと、今後数日のことを把握しやすい。

そんなこんなで、自由度の高い形で、好きなように書いていける管理方法を、最近は好んでやっています。

では、お読みいただきありがとうございました。