知的生産その5「授業」〜一個人の、知的生産・タスク管理の技術15〜

授業」を組み立てるときにも、頭をはたらかせます。生徒にわかるかたちはどういうものを、どういう順序で、どういったように伝えたらいいか、を。
ただただ考えるわけではなく、段階によって少し考える方法や用いるものがかわってきます。

章ごとに

数学の教科書は、数学を伝える単位として、内容ごとに「章」や「節」に分かれています。新たな章に入るときに、その章全体のロードマップを思い描きます。もちろん、高校には定期考査というものがあるので、考査によってその「章」や「節」は分断されるのでそれも考慮に入れつつ、最終的な目標と、そこに至るまでの道筋を考えます。
ここで用いるのが、紙とペンiPadApple Pencilではなく、です。なぜかというと、この段階では、書くスペースの大きさの制約が考える妨げになってしまうから。
最低でもA4サイズ、理想はA3サイズの紙に、最終的な目標に至るためにはこういうことを押さえて置きたいというものを書き出していきます。配置に気をつけつつ、でもそこまで神経質にならないように。教科書の内容と照らし合わせつつ、道筋を描いていきます。
この段階では、アウトライナーを使うこともあります。どういった順序で進めていくかを考えるので、道筋としては直線的です。そこがアウトライナーとマッチすることもあるので、時に大きな紙を、時にアウトライナーを使って考えます。

毎回の準備

章ごとに流れを考えて置き、次に毎回の授業前には今回の授業では何をどのように伝えていくのか、を考えます。
この時にもA4サイズの紙をよく使います。毎回の授業を考える時には、基本的に考えた後は捨てしまっても差し支えはないので、裏紙に、今回の内容をどうやって伝えようか書きながら考えます。
そしてある程度まとまった後は、iPadとApple Pencilの登場です。というのも、板書計画は、配置や言葉をなんども修正しつつ完成に向かうことになるので、何回でも修正可能で、言葉の配置の修正に優れているiPadのノートアプリがうってつけです。加えて、そこに書いた板書計画の一部を黒板に投射して授業をす流、というスタイルを取っているので、その点においてもiPadで計画していた方がいいわけです。
そして、板書の補助になりそうな部分をスライド化して置きます。

授業では

授業では黒板にチョークで、重要な部分や押さえてほしいことを書いていくわけですが、書くのに時間を取られすぎるのもよくないかな、と思い、書き写してほしい問題文などはあらかじめスライドの中に盛り込んで置き、その内容を黒板に投射し、そこに書き足していくスタイルで授業をしています。
しっかり集中して話を聞いてほしいので、なるべく話す時間は短く、そこでの理解をノートに書いて置けるような進め方をイメージしています。

授業は、頭をはたらかせて、数学の内容を生徒にわかるかたちで提出する場になります。
まだまだまだまだ全然うまく授業できていないので、なんとか少しずつでも数学を伝えることをうまくなっていきたいなーと思うばかりです。

知的生産その1「知的生産とは」〜一個人の、知的生産・タスク管理の技術11〜

タスク管理についてはひと段落したので、今後は知的生産について考えていきたいと思います。

知的生産

「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」

『知的生産の技術 (岩波新書)』(梅棹 忠夫)において、知的生産は上記のように定義されています。ぼくも、この定義のもと、話を進めていきたいと思います。

では、実際にぼくの環境で、置かれた状況で、活動の中で「知的生産」と言える部分はどこか、というのを考えてみますと、このブログも仕事でおこなっている日々の授業も、仕事の一つ一つにおいても、知的生産の要素を多分に持っているなーと感じます。
ブログは、なにかを書く行為です。もちろん、頭をはたらかせます。考えないと、ちゃんと文章は書けません。新しい事柄を提示できているかはわかりませんが、誰かにとって何かの役に立ってくれればいいな、誰かにとっての新しい事柄であってくれればいいな、という気持ちをもちつつ、書いています。実際、自分でなにか新しいことを試してみて、考えたりやってみて、それをブログで書くことが多いので、その時点ではぼくにとっては新しい事柄なわけで。ということは、それを書けば、誰かにとっては新しいと感じることかもしれないので、「新しさ」については、そこまで気にすることはないかな、と思ったりしています。で、書いたものをネットの世界に提出しています。なので、ブログを書くのは知的生産の一つと呼んで差し支えはないかな、と思います。

ぼくの職業は、教員です。教えることが仕事です。日々の授業は、知的生産の場である、と思っています。
授業を考えるときは、もちろん頭をはたらかせます。はたらかせまくります。生徒にとっての新しい事柄をどうやったらわかりやすい形で提出できるのかに尽力します。そこには、ただ新しい事柄を提出するだけでなく、いかにわかりやすく、興味を引くような形で、しかも教えすぎず、生徒自身が考え発見できるような形はどんなものか考えながら、加えてどうやって20〜30人の集団に対して身に付けてほしいものを伝えていくかを日々実践しています。と書いたものの、なかなか十分に取り組めていない現状があるのですが。ひとにわかる形で、しかも身につく形を模索して、伝えていく行為が授業だと思うので、紛れもなく知的生産である、と言えます。

仕事の一つ一つも知的生産の要素を多分に含んでいます。何かの書類を作るにしても、ただ書けばいいというわけではなく、その書類を意味のあるものにしようと思えば、他の人がわかる形で書くことが求められます。形式的に書かなければいけない書類もなかなかに多いのが現状ですが、会議の資料なんかは、ちゃんと頭を働かせるべきときでしょうし、みんなで問題を解決するために必要な情報を、まだ皆さんが知らないことがらを提出することが多いわけで。
もちろん、会議をどう進めるか、展開するのか、なんて考えることも情報を提出する上では重要な要素となってきそうです。
と、考えると、資料ひとつとってもそこには知的生産があるなーと思うわけです。

とまぁ知的生産の風呂敷を広げたわけですが、今回はなかでも「ブログ」と「授業」についての話を中心に展開して行こうかなと考えております。

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アイデアは、実行してみると想定とは違ってくることは多々あるものの、だからこそ書き残しておいて実行に移してみたくなる

Scrapboxでブログを書いてみるのはどうか?というメモを、2年以上前にしていた。

文章を育てながら、適宜リンクをつけていく。と、そのリンクに紐付けされている他のページが画面下部に表示されていく。そこから新たな着想を得ながら、書き進めることができるんじゃないか、と思って。

今、ブログのほとんどを、Scrapboxで書いている。ブラケット「[]」でリンクをつけて、ページ下部に表示される関連ページを利用して書く、なんてことはまったくしていない。
確かに、ブラケットによってリンクをつけながら書いてはいるけど、下に表示されるページはほとんど参照していない。

詳しく説明するタイミングでない事柄なんかをリンク化して新たなページを作成し、あとでそのことについて解説していく、みたいな方法で、書き進めていく。

これは、やってるかも。ただ、あとでそのことにつきて解説ってのはしてなくて、リンク化することを繰り返す中で同じ言葉をリンク化することが出てきて、それらがつながっていくという感じ。

Scrapboxでブログを書いてみるのはどうか?と考えて、実際にどう書いていくのが良さそうか想定して、メモを残した。けど、実際にScrapboxでブログを書くようになったけど、そのとき想定されていた書き方ではない書き方で、毎日ちまちま書いている。
アイデアとして書き残しておいたけど、実際にやってみると全然違った。きっと、こういうことなんやなーと思う。

最近よく来年度の授業のことを考える。
今の実情を見ていて、授業の形態を大きく変えたいという気持ちと、改善のためのアイデアを持っている。変えるためには、自分だけでなく、他の先生の賛同が必要で、ただ、反対の意見が多い。
ぼくの案はあくまでもまだやってみたことのないアイデアでしかない。成功するかどうかわからない。、きく変えるので、成功する見込みは全然ないっちゃない。
実際アイデアを試してみても、全然違うところに着地するかもしれない。たぶん、そうなる。
けれども、やってみないことには、アイデアは実行に移してみないことにはどうなるかわからない。からこそ、アイデアはどんどん残しておきたい。
来年度は無理にしても、なんとかアイデアを試してみる機会を作っていきたいな。

では、お読みいただきありがとうございました。

「考える」ときに、本から学んだ知識が役に立ちそうな時がきっとある

どうやら、仕組みや仕掛けを「考える」ことが好きなようだ、と気づいたのですが、考えるときには、読んだ本がやっぱりすごい参考になるなーと思った話です。

ぼくは、生徒に数学の力をつけてもらいたいなーと考えてるわけです。論理的に考え、組み立てられるようになって欲しいなーと。いわゆる論理的思考力というやつです。
生徒の力を伸ばしたい、能力を身につけて欲しいわけです。
で、これが今読みかえしている本、「『超一流になるのは才能か努力か? (文春e-book)』(アンダース・エリクソン,ロバート・プール)」と結びつきます。

「超一流になるのは才能か努力か?」には、人の力は伸ばせること、脳を変化させていくことができること、そのためには正しい努力が必要であることが述べられています。で、具体的にどんな練習をすれば良いのかってのも語られてるわけです。そして、「目的のある練習」が、力を伸ばすのに必要だ、と。
もし、授業を「目的のある練習」ができる時間になるようデザインできれば、、、今よりももっと力を伸ばしてもらえるんでないか。
そう思えてきました。

目的のある練習をするには、以下の4つを満たす必要があるそうです。

562.一 、目的のある練習には 、はっきりと定義された具体的目標がある

581.二 、目的のある練習は集中して行う

600.三 、目的のある練習にはフィ ードバックが不可欠

619.四 、目的のある練習には 、居心地の良い領域から飛び出すことが必要

ぼくの赴任している高校は、勉強の苦手な生徒がほとんどで、小学校の算数の内容もおぼつかない生徒もいます。なので、1年生のときに、小中学校の内容のおさらいを1年かけてやるのですが、その部分にこの「目的のある練習」を念頭においた授業が合うのではないか、という考えに至りました。
フィードバックの部分は、今までみたいな講義形式の授業では十分にできていないと思います。できれば即時にフィードバックできるような環境を整えれたら。それには教員数は足らないので、映像教材や電子教材の活用が、、、と思考が進んでいっています。

いろいろ考えていますが、使えるリソースは限られていで、時間もかなり限られている。その中で何ができるか。思いついたことは試してみたい。何が効果あるなんてはっきりわからないので。
本からいろいろ学び、実際の授業への応用を考え、試し、改善して、また並行して本からいろいろ学び。
そういったことをできていけばなーと思ったりします。

では、お読みいただきありがとうございました。

超一流になるのは才能か努力か?
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本から勇気づけられることって、すごくあると思う〜アドラー心理学について10〜

アドラー心理学は、人の変化を後押しする考え方で、後押しのために「勇気づけ」というアプローチを用いる。
アドラー心理学の「勇気」という言葉を狭ーく捉えれば、「困難に向かおうとする活力」と言えると思う。

「事実」を知ることが、勇気づけになることがある。

これらは、努力次第では自分の能力を伸ばしていける、ということを、その事実を教えてくれる本。
難しいなー、できるかなー、大丈夫かなー。そう思いつつも、それに立ち向かおうと思える活力を勇気とするならば、これらの本は間違いなくぼくを勇気づけてくれた。

日々悩むことは多いし、落ち込むことも少なくはない。どうやってもあかんのちゃうか、と思ってしまうことも多い。
でも、やり方を変えたら、努力の仕方を変えたら、別の方法を試してみたら、打開策が出てくるのではないか。なぜなら、人は自分のもってる力を伸ばしていけるし、変化させていけるって事実がそこにあるから。本が教えてくれたから。

まだやれることはあるという期待は、自分を次の行動へと後押ししてくれる。勇気づけてくれていると思う。
そう考えると、読む本の種類にもよるけれども、本から勇気づけられることってすごい多い気がする。

ぼくは教員なので、生徒の成長のサポートができればいいなという、後押しがしたいがためにこの職業を選んだようなもの。
成長できる、変わっていけるという事実そのものが、生徒に対して貢献しうるのではないかって思わせてくれるし、生徒の力を信じることにもつながってくる。

本というものに、ほんまに自分は影響をうけ、変化してきたって実感がある。きっとそれは、本に何度も何度も勇気づけてもらってたんやなぁと、ようやく気づいた。
今後も本を読み、学び、ときには勇気づけられ、なんとか1歩ずつ進んでいければな、と思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

便利で使える心理学 「アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門」を読んで感じたこと〜アドラー心理学について⑨〜

MM読了『アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門』(深沢 孝之)という本を読み終えました。
本書は、アドラー心理学の考えを、スクールカウンセリングに用いて、学校生活で悩んでいる児童生徒や、その担任の先生に対してどうサポートしていくのか、の実際例が書かれています。
本書を読んで、アドラー心理学は、他者や自分を一歩前に進むよう促すために便利な心理学だ、という思いを一層強めました。
もちろん、勇気づけというアプローチがその主なものなのですが、他にも色々とアドラー心理学の考えを使って、スクールカウンセラーの方々は児童生徒・教員と向き合っていることがわかります。
いくつか、本書から引用します。

p21.私たちには、「目指しているもの」があって、それに向かって自分の心身を使っている、という立場です。

この考え方は過去にこだわらず未来志向になり、悪いもの探しより「できること探し」になり、対話が建設的になりやすいという利点があります。

p108.目的は善だけど方法が不適切だと解釈すると、臨床的には介入がしやすくなるように思います。

p109.「言葉を見ないで行為を見る」という視点がアセスメントには使える

p150.様々な事例は一人ではなく、必ず「相手役」との対人関係で発生する行動と考え、その行動の「意味」は、その人の心の中にあるのではなくて、その人と「相手役」の人との対人関係に及ぼす影響から、判断・理解することができると考えるのです。
このような「対人関係論」に立って考えてみると、ある人物の問題行動に対して、その人自身だけの心理的な原因を考えない、あるいは原因探し(=悪者探し)を重視しなくなります。

どれも、アドラー心理学の考えから、それをどう使うのか、使うことでどんな便利なことがあるのか語られています。
アドラー心理学は、「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」に注目するという点で、「使用の心理学」と言われているのですが、同時に、便利で使える心理学でもあるなーと思うわけです。
本書では、児童生徒が主な相手ですが、対人関係全般において、使える考えがほとんどです。
対人関係において、こう考えると建設的に前に進んでいけるよね、という提案ばかり。後ろ向きではなく、あくまでも前に進むために便利な考えがたくさんつまっているのがアドラー心理学だな、と思います。

もちろん、本書は、アドラー心理学のスクールカウンセリングへの応用について書かれていますから、アドラー心理学のこういう考え方・捉え方が実際に便利だ、という話が多くなるのは当たり前と言えます。が、でも、それこそがアドラー心理学の一側面であり、便利な心理学であるという部分を明確に表してくれていると感じました。

アドラー心理学は、常識を覆すような部分を多く持ち合わせており、中には受け入れにくい部分もあるように思います。
が、別にアドラー心理学というものは絶対的なものではなく、あくまでも「こう考えた方が便利ですよね」という提案だととらえれば、いくぶん理解しやすくなるのではないか、と思います。
その点で、本書は、アドラー心理学が全体的にどういったものか把握した後読んでみる本としていいかもな、と感じます。

では、お読みいただきありがとうございました。

理解しちゃっていても、まだ理解に至らずうんうんと頭を悩ませる状態をイメージできるか〜M-1グランプリ 2019の「かまいたち」の漫才を見て考えたこと〜

M-1グランプリ 2019の「かまいたち」の漫才。決勝でやっていた、トトロを見たことがないことを自慢しているという内容の漫才。
トトロをすでに見たことがある人、見てしまっている人は、見ていない状態には戻れない、というやつ。

そうやよなぁ。

トトロをすでに見たことがある人、見てしまっている人は、見ていない状態には戻れないように、
キャッチボールをうまくできる人は、はじめてキャッチボールをした、まだうまくできない状態にはもう戻れない。
何かを学んで理解した人は、まだ理解できていない、うんうんと頭を悩ませたときには戻れない。

とはいえ。
人に何かを教えるときには、まだ理解できていない人に対して、理解できるようサポートしていくことになる。
もう理解できている人が、まだ理解に至っていない人に対して。
もう理解できている人は、理解しちゃってる。戻れない。
時間という壁に阻まれちゃってる。
そんなとき、すでにできちゃっている人、理解しちゃっている人にできることはなにか。
最大限、まだ理解に至っていないときのことを想像すること。
また、常に自分も理解できていない状態に放り込むこと。新たに何かを学ぶことによって。

何かを教えるには、学ぶ側の人よりも、何段も理解の階段を上がっている必要がある、と思う。
けれども、いつでもその段を降りることができる必要も、同時にある。

すでにトトロを見ちゃっていて、見ていない状態には戻れないにしろ、一緒に見て楽しむことはできる。
自分の子どもを見ていると、飽きずに何回も何回もトトロを見ている。何十回も見ている。毎回、楽しんでいる。楽しめる。

理解しちゃっていても、一緒に考え、楽しむことはできるはず。
それを忘れないでいたい。

では、お読みいただきありがとうございました。

的を絞っての勉強に切り替え。まずは、微分方程式(数検1級合格まで(8)12/15-12/21)

数検の勉強

12/15-12/21

  • 1週間の勉強時間:2時間32分 21.7min/day

微分方程式を勉強中。マセマの少し古い参考書を説き進めてる。
微分方程式については、はじめて勉強するので、新鮮で、微分積分の復讐にもなって楽しい。

使っている問題集

ブログ書き書き

今週書いたの

アドラー心理学と「人を伸ばす力」の親和性は、なかなか。動機づけという視点で研究して得たものが、アドラーが語っていたことと似てるという点から言っても、アドラー心理学を学んで実践することは、教育にとってはかなり重要なことちゃうかな、と思えてくる。
メモやScrapboxについては、書いてて、考えてて楽しいね。

読書

今、読んでるの

「生きる意味」は寝る前に、「アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門」は日中時間をつくって、「超一流になるのは才能か努力か?」は再読で、朝に読んでる。
けっこうしっかり本が読めてて、いい感じ。

おわりに

数学とブログと読書。どれもが充実してる感がある。
で、このエントリ書くために振り返って、ちゃんとできてるなーと確認することで、「よしよし、いいぞいいぞ」と感じれる。
書くのが、自分にとってプラスに働いてくれてる。

では、お読みいただきありがとうございました。

なぜ「自らを動機づける条件を生み出せるか」が重要な問いなのか?

動機づけには、自分の内側から起こる内発的動機づけと、外部から報酬や賞賛による外発的動機づけとがあります。

先日紹介した『人を伸ばす力』(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト)において、外発的動機づけの限界とも言える部分が語られています。

p69.人が報酬を得ることを目的として行動するようになると、その行動が続くのは報酬が与えられているあいだだけになる。

これは、報酬に依存してしまうということに他なりません、

賞賛や承認も、報酬になり得ると思いますが、それもまたまずいことも本書には書かれています。

p22.報酬は行動の出現率を高めるかもしれないが、それは報酬が提供され続ける範囲内での話である。

p167.賞賛は、真の自尊感情ではなく随伴的な自尊感情を育てる危険をはらんでいる。またそのプロセスの中では、人を賞賛に依存させるような統制的な精神力動過程が強まっていく。すると彼らは、より多くの賞賛を得、それによって自分に価値があると思いたいがために行動するようになる。

人を、賞賛に依存させる方向に舵を切らせてしまう危険性。だから、ほめることや報酬を与えることによる動機づけは、あまりよろしくないどころか、すべきでないという結論にいたるわけです。
アドラー心理学においても、「称賛の欲求」が問題行動の第一段階とされており、その危うさが強調されています。
だから目指すべきは、

p12.正しい問いは「他者をどのように動機づけるか」ではない。「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」と問わなければならない。

ということになるわけです。

では、お読みいただきありがとうございました。

「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」〜「人を伸ばす力」を読んで学んだこと〜

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『人を伸ばす力』(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト)
教師が生徒の成長と関わることができる期間というのは、高校では3年間。
生徒の一生に比べれば、”わずか”3年間。
では、この3年間でできることはなにか、何を目指して、目標として接していくのが良いのか。
そういう視点で考えると、テストの点数を上げることでも、細かな校則を守るよう指導することでも無いように思えてきます。
強制的に何かをするように統制するなんてもってのほか。
じゃあ、統制的ではなく、物事に自分から取り組むよう動機づけていけばいいのか。そこを目標とすれば良いのか。
それもやはり違う。
こちらからの動機づけを必要とするのであれば、高校生活の3年間が終わってしまえば、もう動機づけられなくなってしうわけで。
確かに、動機づけられて何かをおこない、そこから学び、知識を得て、それが糧になるということもあると思います。けれども、もっと良いのは、自分で自分を動機づけることができるようになること。
そうなれば、自分で歩んでいきやすくなる。
他者からの動機づけに依存せずとも自分で取り組んでいけるように働きかけることができれば、一番いいよなぁと思うんです。

本書の序盤には、こう書かれています。

p12.正しい問いは「他者をどのように動機づけるか」ではない。「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」と問わなければならない。

この問いへの、より良い答えの考察が、本書を通して述べられていきます。
その内容は、驚くほどにアドラー心理学と呼応します。

具体的にどうすればいいかについても書かれているものの、アドラー心理学でいうところのライフスタイルを変えていくことそのものが必要である、とも感じます。

p199.あなたが為し得る最善のことは、自律性を支援することなのである。…自律性を支援するには、彼らの視点をとれること、すなわち、彼らが見ているように世界を見ることが必要である。

『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(岸見 一郎、古賀 史健)では、相手を尊敬を示す第一歩として同じことが書かれています。
まずは、尊敬からはじめよと。
絶えず、尊敬の眼差しで相手と接すること。

p279.真の自律性は、他者への尊重を忘れない。

「真の自律性」が求められている、ということです。

まだまだまだまだ道のりは長そうですが、自分自身が自立できるようになっていきたいな、と思う今日この頃です。

では、お読みいただきありがとうございました。