特に時間の制限をせずに取り組む時間は大事だけど日々取り組むことを疎かにすべきではない

毎日、1人で過ごす時間を1時間ほどとることができているので、その時間を利用して、本を読むあるいは本の内容をノートにまとめたり、ブログを書いたり、数学を学んだり、日記を書いたりしています。
1時間に全部を詰め込んでいるので、1つにかけることのできている時間は長くて20分ほど。だいたい毎日15分から20分の時間でブログを書き進めたり、本を読んだりしています。

最近、久しぶりに時間をかけて本を読んだり書きものをしたりする時間をとることができた日がありました。それぞれ1時間ほど取り組むことができたのですが、、、感想は、「これぐらい時間をかけないと内容を把握できないことが・理解まで至らないことがある」というもの。

いついつまでやろうとか考えずとにかく取り組み始めたのですが、そうすると、時間を制限していないので、これまでまとめた内容を読み返したりしながら続きをまとめていくことができる。で、ふーっと一息つくと気づけば1時間ほど経っているので、そのタイミングで終了。
そんなとりくみ方をして、あぁ、あらかじめ時間を区切らず取り組むのはいぃなぁとしみじみ思いました。
1時間とはいえ、毎日そんな風に取り組むのもありだと思うのですが、それだと1つのことしか着手できない。それが嫌で、短く時間を区切りながらいくつかのことに取り組んでいます。

特に時間を制限せずに取り組む。そういう学びの時間は、とても大事だと感じました。
ただ、そんな風に思っていると、「今日は15分しかできそうにないから、やってもあんまし意味ないやん」と考えてしまいそうになるわけですが、そこは切り分けて考えなくてはいけなくて。
そう考えてしまうと、やらないという選択肢をとりがちになり、結局何もしないという結果に終わってしまいかねない。
なので、時間は短くとも、まず「やる」ってのはとても大事。さらには、時間を制限せずに取り組むことができる時があれば万々歳、くらいに考えて、今日もこうして短い時間ながらブログを書いている、というわけです。

では、お読みいただきありがとうございました。

「将来後悔したくないから」というのを動機にしなくなった

少し前から、旧ブログ記事を読み返して、そこで目に留まったものを必要であれば加筆し、このブログにて再投稿しています。過去記事の再投稿と、新たに書いたものとを交互に公開する形で、週2回更新を続けています。
前回に公開した「5年後、10年後に後悔はしたくない」は、過去記事の再投稿で、ちょうど10年前のものをほぼそのまま載せました。
で、10年後に後悔したくない、と書いてから、10年経って、昔の自分から見たら今の自分は果たしてどうなのか、ということを考えました。考えざるを得ませんでした。


未来の自分がこれを読み、どう感じるのか。若いなぁと思うのか、よしやるぞ!と奮い立つのか。そのときを迎えるまではわかりませんが、どうであっても成長し続ける自分でいてほしいとそう願います。

「成長し続けたい。」
幸い、この気持ちはなんだかんだあった中でもずーっと持ち続けています。
まだまだ学んでいきたいし、吸収していきたい。その気持ちがあるから、毎日短いながらも時間を確保し、本を読んだり勉強したり、学んだことをまとめたりすることができています。
なので、10年前の自分から及第点をもらうことはできるのではないか、とは思います。

日々の成長は見えにくく、本当にやってて意味があるのか疑問に思っても、勇気をもって続けていく。毎日の記録を怠らず、自分の成長を少しでも実感できる形にしながらとにかく続けていく。

「小さな継続」はずーっと途絶えることなく、今までやってこれています。
実際、自分が成長できているのかすらよくわからず、本当にやってて意味があるのか疑問に思って途絶える習慣はあったものの、でも、何かしら続けることができています。
たとえやらなくなったことがあったとしても、きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはないという心持ちで、でも成長するために何かしら行動することができている、という感じ。
ただ、仮に10年前のぼくが今の自分を見たとすると、きっと多少はがっかりするのかもな、とも感じます。

もっと授業の力を上げために頑張れるんじゃないかと思うでしょうし、日々数学を学んでいけるのでは?と考えるでしょうし、ガツガツ努力している自分であってくれよと願うでしょう。
過去の自分の理想と比較したら、まぁダメダメやろなぁと思います。
ただ、後悔は特に感じていなくて。
昔は、将来後悔したくないからというのは、自分の中で結構大きな動機になっていたように思います。行動する原動力の一つになっていました。でも今は、そういう、将来後悔したくないから、という考えを抱かなくなりました。
今出来うるかきりのことを、楽しんでやっていこう。
そんなゆるい気持ちにシフトしたと感じます。で、今の自分は、そんくらいの心持ちの方がいいのではないかなと、そのほうがかえって後悔は少ないのではないかなと思っています。

「5年後、10年後に後悔はしたくない」という気持ちはあんまりなく、もちろん後悔はしたくはないですが、将来後悔したくないからというのを動機にしなくてもいいかな、と。
まぁ楽しく頑張っていけたらなーというスタンスでいければいいなー、それで結果的にも満足のいく日々を歩めたらいいかなーという感じです。
もちろん、成長していきたいという気持ちを軸として。

では、お読みいただきありがとうございました。

5年後、10年後に後悔はしたくない

(この記事は、今からちょうど10年前の2011年6月に書かれたものです)

自分は成長することができているのか。いつも不安に思います。
やめようと思ってもやめられない、続けようと思っても続けられない。それの繰り返しで、いつしか自身をすっかりなくし、成長をあきらめる日が来てしまうのではないかと思ったりします。
でも、今なんとか踏ん張れている、成長したいという気持ちを絶やさず持ち続けることができているのは、とにかく「5年後、10年後に後悔はしたくない」から。

日々の変化は目に見えない

一日を経るごとに、ちょびっとすぎて目に見えないだけで、自分のどこかは変化を見せているはずです。
しかし、この「目に見えない」というのがなかなかやっかいです。

■やめても気づかない

行動をし始めたとしても、少しの変化しか起きていないなら、成長が実感できないなら「本当にこのままで大丈夫か」と不安になります。もしそこでやめてしまったとしても、変化が小さい分、今は「やめてもどうってことない」と思ってしまいます。でもそれが5年後、10年後にはどうなっているのか。
ほんの些細な成長でも、それが積み重なれば脅威となります。それを自覚していないと、つよく意識していないと、貧弱なぼくはすぐに弱音を吐き、何かに付けて言い訳をし、やがて行動することをやめてしまいます。

今何かをしないと、し続けないと

そんな弱い自分を奮い立たせるためにも、「今のような日々を繰り返し、5年後、10年後に後悔はしなくてすむのか?」という問いかけを常にしていくことが、自分には必要です。そして何か行動を起こしたのであれば、それを愚直にやり続けること。

■「大きな単発」よりも「小さな継続」

大きな行動を一回やってはいおしまいよりも、小さい行いでもずーっと継続して続けていくことが、成長には大切だと感じます。日々の成長は見えにくく、本当にやってて意味があるのか疑問に思っても、勇気をもって続けていく。毎日の記録を怠らず、自分の成長を少しでも実感できる形にしながらとにかく続けていく。それが後々大きな違いとなって現れると信じて。

バタフライ・エフェクト

1963年、気象学者のエドワード ローレンツがシンガポールの1羽の蝶の羽ばたきが、ノースカロライナにハリケーンを起こしうるという理論を発表しました。これを「バタフライ・エフェクト」と言うそうです。真偽のほどは定かではありませんが、こんな風に「通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象」って、実際に起こりうると思うのです。自分の成長にも。

■今こそ羽ばたくとき

今起こしたほんの些細な行動が、将来大きな渦となってかえってくるのではないか。そう思うといてもたってもいられません。バタフライ・エフェクトの蝶のように、今こそ羽ばたくとき。やり始めることに早いも遅いもありません。今この瞬間から、自分を変えていきたいと思います。

おわりに

今回は記念すべき本ブログ100エントリ目。ということで、自分の中で特別な内容にしてみました。未来の自分がこれを読み、どう感じるのか。若いなぁと思うのか、よしやるぞ!と奮い立つのか。そのときを迎えるまではわかりませんが、どうであっても成長し続ける自分でいてほしいとそう願います。

では、お読みいただきありがとうございました。

未熟さの痛感は、成長のチャンス

自分の「未熟さ」というのを、痛感するときがある。
全然うまくいかなかったり、自分の力量のなさを感じたり、できていないことばかりに目がいったり。
こういうときは、落ち込む。ヘコむ。気持ち的に沈む。
がんばっても報われないんじゃないか、やる意味ないんじゃないか、もうなんでもいいや。
そんな気持ちに、投げやりな感じになってしまうこともある。
こういうときには、冷静に今の状況をみることが大切になってくる。

立ち止まって考えると、、、

「未熟さ」は、常日頃痛烈に感じている、というわけではない。
自分にはまだ足りない部分を感じつつも、でもそれに打ちひしがれることはなく過ごしている。
「未熟さ」を感じつつも、打ちひしがれるほどではない状況。これが、普段の状況、と言える。
に対して、落ち込むほど「未熟さ」に打ちひしがれているときは、いつも以上に未熟さを感じているわけで、ヘコみ、落ち込みながらも、なんとかしたいという気持ちもいつも以上に持っている。
この、「なんとかしたい」という気持ちを、プラスのパワーに変えることができれば、「未熟さ」を痛感しているときというのは、いつも以上に成長のチャンスが秘められているんではないか。
「未熟さ」に打ちひしがれている自分を、沈んでいる自分をはねのけることができれば、自分に大きな変化を起こせるのではないか。
未熟さの痛感は、成長のチャンスではないか。
そう、思うことができた。

未熟さに打ちひしがれるたび、こう思うことができれば、そのたびに一つ、成長できる気がする。

おわりに

「未熟さ」にヘコみ、沈みながらも、「これはチャンスや、チャンスなんや」と思えた。
そう思えた自分を褒めてやろうと思うし、そう思えたんだってことを残しておきたいから、ここに書き記しておこうと思った。

未熟さの痛感は、成長のチャンス。どんと来い、自分の「未熟さ」。

では、お読みいただきありがとうございました。

読み返してみて

この文章は過去のブログにて公開したもので、書いたのは7年前。
今でも未熟さを感じることはいくらでもあるし、きっとこれからも未熟さを感じ続けると思う。
で、今は「どんと来い、自分の「未熟さ」」って気持ちはあまりなく、どんと来いとは思っていないけども、未熟やねんからそのぶん調べたり、人に聞いたり、他の人に話してみたりできることが多くなった。
自分で考えることも必要やけど、じゃんじゃん聞いてみよう、話してみようと思うようになった。

未熟さの痛感は成長のチャンスという考え方は、未熟さは乗り越えていくもんだ、というニュアンスがなくもない。
もちろん、成長の糧とすることが大事ではあるけれども、ことによっては自分の未熟さを受け入れ、他の人の手をかりながら進んでいった方がいい結果につながることは多々あると思う。
そういう視点を得ることができていることは、いいことだなと感じる。

では、お読みいただきありがとうございました。

おもしろいポッドキャストを紹介します

おもしろいポッドキャストを紹介します。

1つ1つが長いです。1時間以上あります。
哲学とか倫理とか、難しそうなことを話しているときもあります。
何より、本をじっくり読みたくさせられます。


読みたい本は尽きないもので、今も読まれることを待っている本が家の中に何冊もあります。
読みたい本がスタンバイしていると、どうしても次に次に読んでいきたい気持ちになり、1冊読み終えたらすぐ次の本に手を出し、となってしまいがちです。
でも、ここには厳しい現実が待ち構えています。
そうやって次々読んだとしても、読みたい本の増加のペースと、本を読了していけるペースは、どうあがいても読みたい本の増加ペースの方が早いという現実が。
そうなんです。
次々に本を読んでいったとしても、読みたい本はそれ以上のペースで増えていきます。
これは、抗いようのない事実。

どうせ、読みたい本、積読は増える一方なのははじめから決まった事実なんだから、次々読んでみたい本が積み上がっていくのを防ごう、なんて、あきらめちゃってもいいようなものです。
でも、なぜなんでしょう。そう簡単に、あきらめられない何かが、そこにはあります。
「ブックカタリスト」は、その「あきらめられない何か」を突き崩してくれる力があるように感じます。
次々読んでも読みたい本はどうせ増えていくのだから、それはもう仕方ない。
読むペースは落ちるとしても、1冊1冊をじっくり読むのもいいもんだ、読んでみたい本が積み上がってもいいじゃないか、と思えてくる。
もっと、1冊1冊をじっくり、その本について人に語ることができるまでに読み込みたいなぁと。
だって、そうやって本を読み込んでいるお二方のブックカタリストで繰り広げられる話は、すこぶる面白いのですから。

せめて、読んだ本についてブログに書けるほどにはしっかり読みたい。
今は、読めば次の本、読めば次の本と、次々に本を読んでいっており、じっくりは読めてない。
せめて、もう少しは、語るまではいかなくとも、書けるまでは。
書くよりも語る方が何倍も深く読み込まないといけないはずなので、読んだ本について語ることができるところまではもっていけないかもしれませんが、次に次にと読むよりも絶対にいい。


おもしろいポッドキャストを紹介します。

1つ1つが長いです。1時間以上あります。おもしろい話を長い時間聞けるなんて最高です。
哲学とか倫理とか、難しそうなことを話しているときもあります。それを、お二人のやりとりの中で深掘りしたり、質問から話が展開したりで、紐解かれていく過程が、聞いているこちら側を理解へと導いてくれます。
何より、本をじっくり読みたくさせられます。それこそが、このポッドキャストのおもしろい証です。

ぜひぜひ。

「丁寧に生きたい」が、切実な願いに

大抵のことはごめんで済むと思うけど、ほんまにごめんで済まへんものは、いくらごめんって謝っても、謝る気持ちがあっても、向こうもしくは謝ってるこっちの気が済まないことやと思う。
そんなことがもう起きないように対策を考えていきたい。
どれだけ謝ってもこっちの気が済まないようなことがあったから。

とはいえ、生きていれば予測できないようなことがいくらでも起こってしまう。
そう考えると、防ぐなんて不可能なように思える。
でも、たとえ防ぐのが不可能なことがあるとしても、防ぐことができるものに関しては、すべて防ぎたい。
傷つけるようなことになってほしくない。
何か起こってからの対処法ではなく、起こることを未然に防ぎたい。

予測不可能なことが起こり続ける現実で、防ぐことが可能な事故をすべて防ぐためにはどうすればいいのか。
いくらごめんという気持ちがあっても謝りきれないようなことが起こらないようにするには、どうしたらいいのか。

「丁寧さ」がかなり大切やと思ってる。

ぼくは、丁寧さに欠けるところがある。
「神は細部に宿る」と言うけれど、神が宿ってくれるうよな細部にまで丁寧に気を払うことができた試しがない。
「まぁ、こんくらいでえぇか」で済ませてしまう。
「十分頑張ったよね」でやめてしまう。
大抵のことは、それでいい。大きな問題は起こらない。
ただ、たまーに、とてもまずい事態に陥ることがある。
細部といかないまでも、ちゃんと確認せずにやってしまって手痛い失敗を犯すことがこれまで何度もあった。
たとえば、羽田空港発の便やのに成田空港の便を予約していると勘違いしていて、成田空港に着いてから気づいて途方に暮れたり。

ちらっと確認すれば失敗を犯さずに済んだのに。
ちゃんと見ておけば防げたのに。

何気ない言葉や行動で、人を傷つけたことも何回もある。
何度謝っても、謝りきらない。

ちょっと考えれば、わかりそうなことやのに。

もしかしたら、「大抵のことは、こんくらいでえぇかでいい。それで大きな問題は起こらない」と思ってるのが間違いである可能性もある。
こんくらいでえぇかの積み重ねが、大きな事態に発展するのかも。
「まぁまぁできたかな」が、実はヒヤリハットを量産していて、やがて大きな事態を引き起こしてるのかも。
と考えると、やはり「丁寧さ」はとても大事やと思う。

丁寧さは、どう身につけていけばいいのか。どう身につけていくことができるのか。
もう、あぁほんまに時間戻ってくれへんかな、どうにか無しにできひんかな、と思うようなことを起こさないためにも、防ぐことができるものに関しては防ぎ切るためにも、大きく傷つけないためにも、物事に丁寧に取り組むことを身につけていきたい。
この願いは、年々強くなっていってる。
これはもうずーっと頑張ろうと思う。
丁寧に生きる」という人生の目標。

では、お読みいただきありがとうございました。

知識を実践につなげるために、「独学大全」にて得た知識を実践していこう

アドラー心理学と出会ったとき、「これや!」という思いを抱き、その教えを生かすことができないか、実践することができないか、と考えて過ごしてきました。
思うように実践できている気がせず、また、より深くアドラー心理学を理解したいと思い、これまでいろんな本を読んできました。
知識は増え、理解が深まっていっている感覚はあります。が、思うように実践できていないという気持ちは依然として抱き続けたままで、もう何年も経っています。
こんな時にぼくがとる方法は、「さらに新たな本を読む」ということ。
時間が経てば立つほど、アドラー心理学について書かれた本が増えていきはするものの、実践できていないという気持ちは抱き続けたまま。

ーーー

独学大全」を発売と同時に購入しました。読み始めたのは1週間くらい前から。
学びたい、と思っていることはいくつもあります。
数学の力をなんとか伸ばしていきたい。
プログラミングも身に付け、アプリを作れるようになりたい。
アドラー心理学を学び、実践していきた。
もっと授業のうまい教師になりたい。

その状態で本書を読むと、試してみたい、今学びたいと思っていることに活用してみたくなる技法がちらほら出てきます。
学びたいことを持っている人が読むと、きっとぼくと同じように「この技法、学びのために使えそうかも!」と感じることが多いはず。
それだけに、読んでいて楽しいです。

ーーー

気付きました。
これまでのぼくは、を読むだけで今の状況を打開できるのではないか、と期待していたことに。
読むだけでは何も変わらないのにもかかわらず。
だって、「新たな本を読む」という選択肢しか持ち合わせていなかったんですから。
そうではなく、必要なことは、「いかに知識を実践につなげるか」。

ーーー

ただ読むだけでは、読むだけで終わってしまいます。
独学大全の技法の数々は、読むだけを目的としたものではなく、独学の際に実践すること、やってみることを想定しているものたち。
読んでいてそれをひしひしと感じるので、自然と「書かれていることを試してみよう!」となるわけで。


知識を実践につなげるために、独学大全にて得た知識を実践していっております。

では、お読みいただきありがとうございました。

ブログは、いろんな書きかたをするのがいいのかも

書きかたを固定せんほうがいいのかもな、とふと思った。
ブログ仕上げるまでに、使うツールとか、そんなに決めんでもええのかな、と。
情報カードを並べて、眺めて書くときもあっていいし、Scrapboxで書くときもあっていい。どれかに固定するのではなく、いろいろな書き方をするのがいいのやと思う。

使うツールが違えば、自然と考え方や書き方も違ってくる。それはもう間違いなく。特に、手で書くのかキーボードで打ち込むのかってのはもう全く違う。
今は、常にScrapboxでブログ記事を書いて、一つのページに切り出して、それをそのままブログにアップしてる。毎日更新するとなると、短時間で書けることがだいぶと重要になってくるので、いつも決まり切ったツールを使って更新までの手順を統一し、時間の短縮をはかってる。慣れた書き方は、書くことに対するハードルを下げてくれるので、いい面もたくさんある。
けど、文章を書くとなると、本来であればその日その日で別の書き方をした方が、書くことのスキルは上がり、頭ん中の色々ば部分を活性化させることができる、ように思う。

今は、「兎にも角にも毎日更新」を第一に考えているので、毎日同じ方法で書き、更新を続けているけど、慣れてきたら、慣れすぎてきたらまた他の書き方も試しつつ、でも更新頻度は落とさず、、、を頑張ってみたい。

では、お読みいただきありがとうございました。

硬直マインドセットへの圧力と、それへの対抗策と

『マインドセット「やればできる!の研究』(キャロル・S・ドゥエック)では、硬直マインドセットしなやかマインドセットという2つのマインドセットが出てきます。

そして、この本の内容としては、しなやかマインドセットが良いのですよってのが、あらゆる実験結果から手を変え品をかえ述べられていきます。
じゃあしなやかマインドセットでいる方がいいじゃないか、というと、話はそんな単純ではなく。
硬直へ向かう圧力があるために、人は硬直マインドセットに陥りがちになっちゃいます。

  • 苦もなくあっさりやってみせる方が高く評価される
  • 努力への恐れ
    • 才能があれば努力は不要なはず
    • 努力してできなかったら、言い訳できなくなる

で、これらは「他者からの評価」以外の何物でもないわけです。
他者から“自分は”どう評価されているのか。
自分がどうみられているのか気にしていて、他者の評価に自分が依存している。
自分のことを中心に据えて、自分に執着している、自分しか見えていない状態。
アドラー心理学では、この状態から脱却して、他者に依存せず、自立することが大きな目標とされています。
とはいえ、それでも硬直マインドセットからしなやかマインドセットに方向転換することは難しいんではないか、と思います。少なくとも、簡単ではない。

じゃあ、「基本的資質は努力次第で伸ばすことができる」ということをこれでもか!と主張してくれるのなら、どうでしょうか。
『超一流になるのは才能か努力か? (文春e-book)』(アンダース・エリクソン,ロバート・プール)という本は、しなやかマインドセットに向かう後押しをしてくれる一冊である、と思います。

  • 脳には、想定をはるかにこえる適応性があること。
  • 正しい訓練を十分な期間にわたって継続することで、様々な能力を身につけていくことができること。
  • そのための、具体的な方法。

そういったことが、実例や研究結果を踏まえて述べられていきます。そこで語られる方法は、簡単に実践することは難しいことも多いのですが、少なくとも、人間の能力は努力で伸ばすことができる、ということを納得させてくれるような説得力をもっています。

なかなかうまくいかないことや、数々の失敗や、努力が報われないことって多々あるわけです。いやーもう無理なんじゃないか、なんて思ってしまうことが。それでもやっぱり、心しなやかにありたいな、あり続けたいな、と思う今日この頃です。

では、お読みいただきありがとうございました。

スケジュールやタスクがデジタルで管理できる今、紙のノートの連用バレットジャーナルに何をしてもらうか その①

Googleカレンダーに代表される、カレンダーアプリがあれば、スケジュールは紙の手帳で管理するよりも快適に把握することができるようになります。
巷にあふれるタスク管理ツールを使えば、紙の手帳でやることを管理するよりも数段便利に扱うことができます。
そんな中、あえて紙のノートにて連用バレットジャーナルなるものをはじめているわけですが、じゃあバレットジャーナルには一体何を、どこまで任せるのか?という問いが、解決できないまま絶えず頭の中にあります。

バレットジャーナルの基本構成は、

  • インデックス
  • フューチャーログ
  • マンスリーログ
  • デイリーログ
  • コレクション

の5つの種類のページからなります。
インデックスページとフューチャーログページはあらかじめ作成しておき、その他のページは都度追加していきます。
で、Googleカレンダーやタスク管理アプリを使う場合、この5つページのうち、未来を管理する「フューチャーログ」と「マンスリーログ」のページの役割とかぶってくることになります。
ここで、どうしていくかの選択を迫られます。

  • Googleカレンダーと同期するのか。
  • 同期せず、バレットジャーナルではフューチャーログとマンスリーログのページを使わないのか。
  • バレットジャーナルには、Googleカレンダーとは別の予定を書くのか。
  • はたまた、予定の管理ではない別の役割を担ってもらうのか。

今のところ、その答えは出ていません。なので、とりあえずGoogleカレンダーの予定をバレットジャーナルにも転記し、両者を同期して使っています。
とは言え、基本的にはGoogleカレンダーのほうを参照するので、バレットジャーナルのフューチャーログ・マンスリーログのページは、いまいち使えてない感があります。なので、別の役割を与えようかなーと考え中。
というのも、現状とりあえずタスクは回っているのですが、ただこなしてるだけって感じを覚えたりしていて。
全然それでいいんですが、でもやはりバレットジャーナルをもっと戦略的に、日々の舵をとっていくような存在にしたいなーと思ってきていて。そのためには、どう使うか。それについて考えていくと、もしかしたらフューチャーログやマンスリーログの使い方にも変化が起こってくるのかな、と思ったりしています。

では、お読みいただきありがとうございました。