本だけでは学び得ない何か

アドラー心理学を学び続けています。
これまではいろんな本を読んで勉強していました。が、本で学んだことを実生活にて実践することがなかなかできていませんでした。
特に、自分の子どもと接する時に実践できてないなぁと感じることばかりで、怒りを使ってなんとかすることも多く(大抵はなんとかなっていない)、難しいなぁと思う日々でした。

いつかは研修に参加してみたいと思いつつも、日々の忙しさやらなかなか研修が近場で開催されないことやらで、2,3年が過ぎ。
ようやく、京都で開催される「アドラーギルド」という会社のセミナーに参加してみました。
結果、とても、とても良かったです。

土日2日連続で開催され、その2週間後の土日にまた開催されるという、全部で4日間の研修でした。
いろいろな本に手を出し、読んでいたので、知識はまぁまぁあるのではないかと思いながらの参加でしたが、研修から得られたものは、これまで読んだどの本からも得られたことのなかったものになったと断言できます。
実際に研修を受け、他の参加者の方々とのワークをしたりする中で、本からは得られなかった、実践においての勘所をいくつか掴めた感覚があります。
前半の2日間と後半の2日間の間には2週間の期間があり、研修で得たことを、何か1つに絞って実際に実践してみてくださいとの軽い宿題が出ました。
研修内でも何度か語られていたのが、アドラー心理学は、実践ありきである、ということ。学んだことを実践しないことには、より深く理解することはできない、と。
前半2日間の研修を受け、本では感じることのなかった、「これは、日々実践していけそうだ」という感覚を得ていたので、研修が終わる頃には今までになく自信がありました。本からは、そういう感覚を得たことがなかったので。
まぁ案の定、そんなうまくはいかなかったわけですが、前半から2週間の実践を経た上での後半2日間も学びの多い研修でした。

参加してみて感じたのは、実際に講義を聞いたり他の参加者の方々とのワークや会話からの学びは、本からは得られないものがある、ということ。
講義の構成がとてもよく考えられているというか、巧妙に深い理解へと導いてくれた感じ。特に2日目は、霧がパッと晴れる演出のされた講義で、感動を覚えました。
他の参加者の方々と取り組んだワークでは、自分が事例を上げたこともあり、その分析を手伝ってもらったおかげで、自分と他の人とのやりとりをアドラー心理学的に見るとどうなのか、という部分を体験することができました。
そういった中で、なぜぼくはアドラー心理学が好きなのか、「これや!」と感じているのかがわかってきた部分もありました。
学んだことについては、また何らかの形でまとめていく予定です。


実際に研修に参加し、講義を聞き、他の人とのやりとりの中から学んだことは、本だけでは学び得ないなーと今回強く感じました。

アドラー心理学は、実践ありき。研修後も、今も、今後も実践し続けること。
また研修に参加した時に、より学び多いものにするために、日々実践し、本を読んでいければなと考えています。

では、お読みいただきありがとうございました。

「そういうもの」のうちのひとつについて

長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。
時期ごとに熱中したものはあれど、どこかで飽きるというか、熱が冷めるもんです。
でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。
ずっと好きなことに出会うと、それは生活にしみわたり、それにふれるために時間をつくったり、日々の活力になったり。
それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいになります。
そういうものに出会うことができるのは、幸せなんちゃうかなぁ。
そんな風に思います。
ぼくにとって数学や本を読むことが「そういうもの」にあたります。
今回は数学について、ちょっと書きたいと思います。


いつから数学が好きなのか、と考えてみると、小学校のころにさかのぼります。

先生:じゃあ、算数ドリルの27ページを開いて、そのページの問題を解きましょう。
解けた人は先生に持ってきてねー。
いつものように、はやく全問正解した5人には、先生の代わりに「マルつけ先生」をやってもらいますからね。

ぼく:(よしゃ!今日もはやく問題解いて、マルつけ先生しよう!)

ぼくは一生懸命に問題を解き、「マルつけ先生」の役をゲットし、はりきって友だちのドリルのマルつけをしていました。
そろばんを習っていたこともあってか、みんなよりも計算をすばやくおこなうことができていました。
計算問題がササッと「できる」ことがうれしく、「マルつけ先生」になれるのが楽しかった小学校のころ。
算数が、少し好きでした。
小学校でのこの経験は、ぼくの中の大切な思い出の一つとなっています。
そして、そこからちょくちょく、数学はぼくに、強烈に印象に残る出来事を与えてくれます。

中学生のころ。
週に3日ほど塾に通っていたおかげもあってか、数学、理科、英語がまずまず得意でした。
ある日の塾での出来事を、すごく鮮明に覚えています。

先生:ノートに5cmの長さの線分をかきましょう。
みんなかけた?
じゃあここで問題です。
その線分から、2cmの距離にある点がえがく図形をかいてみましょう。

ぼく:まず線分の両側に同じ長さの線分を平行にかいて。。。
・・・
先生:おぉ、すごいな。これ、正解です。みんな、ちょっとこれ見てみて。
先生、これまで塾で教えてきたけど、正確に作図できてたのはキミがはじめてやわ。すごいすごい。

今考えれば、先生の「キミがはじめて」という言葉は、ほんとうかどうか実際のところはわかりません。
でも、ぼくは、自分で考えて、定規とコンパスを使って図をかき、それが正解であったことがむちゃくちゃうれしかった。
しかも先生に「キミがはじめて」と言われたことも、すごく誇らしかった。
考え、自分の答えを出し、それを強烈にほめてもらえた経験は、おそらくずーっと忘れないことと思います。

高校に進学し、数学がとたんに難しく感じるようになりました。
定期テストの前だけ必至こいて勉強し、なんとか赤点をまぬがれるように乗り切る。
そんな風にして、いつしか高校3年生。
大学進学のため、これまでの人生で最も勉強に励む時期に入ります。
理系クラスに進学したものの、中学まで好きだった数学は、難しくてなかなか身につかず、好きという風に感じなくなっていました。
そのころ好きだったのは、化学と物理だったでしょうか。
中学までは、数学を、問題の解き方を暗記することで対応していました。
それでなんとかなっていたんです。
けれども、高校では学ぶ内容がすごく多くなり、解き方の暗記では、自分の中に吸収しきれなくなってしまいました。
これが、数学から気持ちがはなれた原因だと思います。
でも、いくつかの出来事によって、またぼくは数学にグググッと惹きつけられていきます。
その中でも特に印象的なのは、高校3年になってからの、予備校での授業でした。

ぼくが教わった先生は、

  • 解き方の暗記ではなく、「なぜ?」を考えること。

について、熱く伝えてくれました。

  • なぜそう考えるのか?なぜそう進むのか?なぜそう扱っていくのか?
  • 数学は、その「なぜ?」に必ず答えてくれる。
  • やみくもに問題を解くのではない。
  • やみくもに式変形するのではない。
  • 条件と求めるものを明確にし、一歩一歩求めるものに向かって進んでいく。

解き方を暗記する数学から、考えて進む数学へ、180°転換した瞬間でした。
そして、その先生が教えてくれたことは、今のぼくの中に、深く深く根付いています。

予備校の先生の教えのもと、無事大学に合格できたわけですが、大学に入ってすぐに打ちのめされます。
代数学、線形代数、微分・積分学、幾何学。。。
どれもが難しく、いまひとつわからない。
それでもなんとか単位をとりつつ、3回生からはゼミがはじまりました。
あえて、ぼくのいる学部で一番厳しい先生のゼミに入り、必至こいて勉強し始めました。
ゼミの形式は、教科書を理解し、ゼミにて90分間先生に対して、何も見ずに理解した内容を解説する、というもの。
内容を理解し、頭に叩き込んでゼミにのぞまなければいけません。
少しでも理解が不十分であれば、解説の際にすぐに先生に見抜かれてしまいます。
苦労しながらも、同じゼミの友だちと協力し合いながら、なんとか教科書を読み進めていました。
ある日、勉強していて、どうしてもわからない部分にぶつかりました。
いくら考えてもわからない。
しかも、たった3行の記述について、どうしても理解することができないんです。
考えても考えてもしっくりこない。意味がとれない。後の内容につながっていかない。
その部分について、ずーっと考えました。
先生に質問することもできたのですが、そうしませんでした。
ある程度自分で考えると、躍起になって、どうにかこの部分を自分の力で理解したい、という気持ちになります。
だから、すっと考えました。
文字通り三日三晩考えました。
そしてその瞬間が訪れました。
「なるほど!そういうことか!」
この瞬間。すべてがつながる瞬間。理解できた!と確信する瞬間です。

そんなこんなで、今もまだ数学をちまちまと学んでいます。
大学生の時のこの体験、三日三晩考え、自分で理解できた体験がなかったら、もしかしたら今はもう数学を学び続けていなかったかもしれません。
それほどに強烈な体験でした。


長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。
でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。
それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいの。
そういうものに出会うことができるのは、幸せなことだと思います。
ぼくにとって数学は、「そういうもの」です。
だから、今もまだ数学を学び続けていますし、そんな数学の魅力を伝えたいと思っています。
ぼくが数学について語り、伝えていくことで、ちょっとでも数学が好きになったり、興味を持ってもらえるように。
究極は、ほかの誰かにとっても数学が「そういうもの」になってくれるように。
ずーっとそこを目指して、生きていきたいものです。

では、お読みいただきありがとうございました。

概念の拡張と日常への適用

数学では、新しく世界を広げるために、「概念を拡張する」ことがある。

拡張するとは、適用範囲を拡げること

例えば、「数」。ぼくたちが一番初めに学ぶのが、1、2、3、4などの「自然数」とよばれるもの。この自然数に対し、「+」「−」「×」「÷」の計算ー「四則演算」ーが定義されていくこととなる。
すると、「1÷3」や「2-5」など、計算の結果が自然数ではなくなるものが出てくる。出てきた数を認め、はじめは自然数に対して定めた「+」「−」「×」「÷」を、新たに出てきた自然数ではない数に当てはめてもいいかを確かめる。
そうして、これらの演算を、小数や負の数などの自然数以外へと、拡張していく。さらには、有理数、無理数、虚数へと進んでいき、どんどん演算の及ぶ範囲を拡げていく。

こんな風に、概念を拡張していくことで、考え得る世界を拡げていくのが、数学の大きな目的の一つと言える。

”知識”自体が大切なのではない

こんなことをよく聞く。「日常で出てくるのは、たすひくかけるわるくらい。それさえできればいいので、必要なのは算数まで」。

確かに、数学で学ぶような、「三角関数」であったり「微分・積分」であったりは、日常ではまず出てこない。はっきり言って必要ない。でもそれはあくまでも、「知識としては」という前提がつく。

「知識としては必要ない」のであって、「学ぶ必要がない」わけではない。ここを取り違えてはいけない。

数学を学ぶのは、数学的知識を蓄えることが目的ではなく、数学で培うことのできるものの見方・考え方を、日常へと拡張することが目的と言える。

拡張して、適用範囲を拡げることが目的

数学では、論理的に考えることや、記号を使ってシンプルにとらえること、グラフや図を用いて、視覚的にとらえること、問題を解決する際のアプローチの方法、、、などなどを学ぶことができる。
これらは「知識」ではなく、「見方や考え方」であり、覚えておくものではなく、身につけるもの。
この身につけたことを、日常へと適用範囲を拡げること。数学のいないところにも、概念を拡張すること。それこそが、数学を学ぶ目的と言える。

拡張の経験が日常にも活かされる

数学では、新しく世界を広げるために、「概念を拡張する」ことがある。頻繁にある。
ということは、数学に触れることで、概念の拡張を数多く経験できる、ということになる。この経験が、数学の身につけたものを日常生活へと拡張することにも、役立っている、と思う。

意識的かどうかは別として。
数学で培った力が拡張されていることを、自分自身意識できているのかは別として。

気づかない間にでも、数学のものの見方、考え方が、日常へと拡張されているのであれば、やっぱり数学を「学ぶ必要がない」わけはない。

おわりに

将来的に使わないから、というのは、学ばなくていい理由にはならない。教科によって差こそあれ、何かを「学ぶ」ということは、知識を蓄えることのみならず、その教科で養える力を習得するためにあることだから。

ぼくは、歴史や漢文が大嫌いだった。「覚えるだけ」の教科だと勝手に決めつけ、覚えても将来役立たないではないか、と、自分に言い訳をして、なるべく避けようとしていた。でも、今では思う。歴史や漢文も、覚えるだけが目的ではないと。「学ぶ必要がない」わけはないと。もう少し真面目に取り組むべきだったな、という、少しの後悔だけがのこっている。

数学に対して、そんな後悔がのこる人が、一人でも少なくなればいいな、と思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはない。

やろうと決めて結局やめちゃったことはいろいろとあるわけですが、できなかったからといって特にダメージを受けることもなく、今日は今日の過ごし方をして日々ぼちぼちと生きています。

もちろんやり始めるときには真剣に続けていくつもりだったわけですが、まぁうまくはいかないことがあるもんで。
ただ、ずーっと継続することはできなかったものの、いつかまたやろうという気持ちは無くしたわけではありません。無くしていないからこそ、こうしてブログを書くことを再開することができたわけで。

目標習慣化との付き合い方はそんなもんでいい、と個人的には考えています。

やろう、と思ったことが当初の思い描いていたようにはできなくとも、まぁいいか、と。
習慣化しよう、と考え、計画を立てていたことが途絶えてしまっても、まぁそんなもんやろう、と。
そう思えるのは、ほんまにしたいことがあるなら、そのうちちゃんとやるときがくるはず、と考えているからです。
いい例が、数学の勉強
これまでなんども試み、やがてやらなくなってしまった代表格です。
学ぶテーマを決めて、やり始める。
ときには満足いくほどに勉強を続けることもありますが、やり続けれないことも多い。数検の勉強とか。
でも、「まぁいいか」です。
だって、これまで何度も何度も勉強し始めることはできてきたんですから。
ここまで開始と中断を繰り返していると、やっていない期間はとりあえず休止中なだけで、またいずれ勉強をし始めるんだろうという確信があります。
きっと、また勉強したくなって毎日やり始めるときがくる、という確信が。
だから、その時まで休止しといたらいいか、と。

学びたいなーと思ったときにまた学びはじめればいいだけのこと。
もし、また学ぶときが、学びたいと思うときがこなかったとしても、こなかっただけのこと。別にそれでいい。そこまで自分はそれを重要視していなかっただけなので。
ほかに取り組みたいことができてるかもしれませんし、ただ単になーにもやる気がおきないだけかもしれない。でもまぁ、それでいいか、と。
また学びたい、続けたいと思ったときにやり始めればいいよなーと。
とりあえず、できなくても自分を責める必要は全くないですし、その時はやろうと思えなかったとしても、またやり始める可能性は常に開かれているわけで。
そう、可能性は常に開かれているんです。
学びたいことは、いつまででも待ってくれてるもんなんですよね。

そんな感じで、今後もいろいろなことに取り組めたら取り組んでいけたらなーと思っている2021年元旦です。

では、お読みいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

知識を実践につなげるために、「独学大全」にて得た知識を実践していこう

アドラー心理学と出会ったとき、「これや!」という思いを抱き、その教えを生かすことができないか、実践することができないか、と考えて過ごしてきました。
思うように実践できている気がせず、また、より深くアドラー心理学を理解したいと思い、これまでいろんな本を読んできました。
知識は増え、理解が深まっていっている感覚はあります。が、思うように実践できていないという気持ちは依然として抱き続けたままで、もう何年も経っています。
こんな時にぼくがとる方法は、「さらに新たな本を読む」ということ。
時間が経てば立つほど、アドラー心理学について書かれた本が増えていきはするものの、実践できていないという気持ちは抱き続けたまま。

ーーー

独学大全」を発売と同時に購入しました。読み始めたのは1週間くらい前から。
学びたい、と思っていることはいくつもあります。
数学の力をなんとか伸ばしていきたい。
プログラミングも身に付け、アプリを作れるようになりたい。
アドラー心理学を学び、実践していきた。
もっと授業のうまい教師になりたい。

その状態で本書を読むと、試してみたい、今学びたいと思っていることに活用してみたくなる技法がちらほら出てきます。
学びたいことを持っている人が読むと、きっとぼくと同じように「この技法、学びのために使えそうかも!」と感じることが多いはず。
それだけに、読んでいて楽しいです。

ーーー

気付きました。
これまでのぼくは、を読むだけで今の状況を打開できるのではないか、と期待していたことに。
読むだけでは何も変わらないのにもかかわらず。
だって、「新たな本を読む」という選択肢しか持ち合わせていなかったんですから。
そうではなく、必要なことは、「いかに知識を実践につなげるか」。

ーーー

ただ読むだけでは、読むだけで終わってしまいます。
独学大全の技法の数々は、読むだけを目的としたものではなく、独学の際に実践すること、やってみることを想定しているものたち。
読んでいてそれをひしひしと感じるので、自然と「書かれていることを試してみよう!」となるわけで。


知識を実践につなげるために、独学大全にて得た知識を実践していっております。

では、お読みいただきありがとうございました。

iPadで数検の勉強を快適にするための、ちょっとした工夫

ブログでの報告はしなくなりましたが、相変わらず数検の勉強を続けています。
勉強する際、必要なのはiPhoneiPadApple Pencil。これらは基本的にどこにでも持っていくので、いつでも数検の勉強に取り組むことができます。
勉強の際には参考書を使っているのですが、まずは学ぼうと思うページをすべてスキャンしておくことで、参考書自体は持ち歩いてはいません。1ページ1ページパシャパシャとiPhoneのスキャナアプリで写すのはなかなか面倒ではあるものの、iPadを使って学ぶのであれば、その手間をかけるだけの価値は間違い無くあります。
なぜなら、簡単にスキャンしたページの画像を、ノートに貼り付けることができるから。しかも、何度でも何度でも貼り付けることができるから。

数学の問題を解けるようになるには、反復練習が必要になってきます。同じ問題を何回も解く必要が。
一度スキャンしておくことで、ノートアプリに問題を貼り付けて、何回でも解くことができるようになります。この利点はほんとにすばらしい。

微分方程式の本を一通り読み終え、今はとにかく問題演習をこなす段階に入っているので、同じ問題に何度も取り組んでいるところです。
で、どこをやったか、解けるようになったか把握するために、その記録をつける専用のページを作り、できるようになったかを確認していってます。こんな感じに。
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2回自分で解けたらその問題はできるようになったという基準で、四角のマスを半分に割ったものを、1回目解けたら半分塗りつぶし、もう一度解けたらもう半分を塗りつぶしていってます。
こういう、記録をつけておくページは、勉強をするには必ず必要になってくるかな、と思います。

最近一つ工夫を加えました。それは、問題番号は太い大きな文字で書くということ。
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なぜかというと、こうしておくことで、全体のページ一覧を見た時にも、問題番号がわかるようになるから。
ページ一覧を表示すると、多くのページを俯瞰できるものの、1ページ1ページはとても小さい表示となるので、文字までは読み取ることができません。なので、目当の問題のページを探すのに一苦労します。問題を何度も解くので、過去にその問題を解いたページを見返したいときが頻繁にあるので。
こうして大きな文字で問題番号を書いておけば、ページ一覧からでも見つけることができるため、便利。
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というわけで、いくつか工夫しつつ、iPadで快適に勉強を進めています。

では、お読みいただきありがとうございました。

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時間によって集中度合いがかんなり変わってくる

集中して数学をやっていると、時間を長く感じる。同じ時間でできることが、頭に入ってくることが格段に違う。
グググっと入り込んで数学を学んでいると、時間を忘れる。忘れるというか、時間に気が行かなくなる。
こうなると、同じ時間内でできることが、だいーぶ増える。経験則でしか話せないけど、これまはず間違いない。
集中して取り組んで、今日はけっこうやったなーと思って時計を見ると、思ったよりも時間がたっていない。短い時間ながら、「今日はけっこうやったなー」と感じることができている、ということ。

数学に限らず、仕事でもそう。なんでもそう。何かしらの作業に取り掛かっていて、グググっと集中できていると、時間に意識がいかなくなる。で、ふと時計に目をやると、こんなにできたのにまだこれだけしか時間経ってなかったんやな、と感じる。
単位時間あたりの仕事量が、集中している時としていない時では、全く違う、ということ。これは、数学を勉強しているときに最も強く感じる感覚かなぁと。

で、この素晴らしき集中タイムがどんな時間帯に現れてくれるかというと、基本的には午前のような気がする。これには個人差があるやろうけども。
とはいえ、朝の時間が一番疲れがない状態であるので、集中して取り組みたいことは朝にやってしまうのがいいかもしれない。

では、お読みいただきありがとうございました。

数学を「わかる」ことと「解ける」こと

数検1級合格に向けて、毎日短い時間ではありますが、数検に向けた勉強をしています。毎週の数検の勉強報告をやめた後も、勉強は続けることができています。
今までちゃんと勉強する機会のなかった「微分方程式」について学んでいるのですが、理解することよりも問題を解くことができることを重視して、演習主体で学んでいます。
「わかる」ことよりも「解ける」ことを重視した勉強をしている、ということです。

数学を「わかる」ことと、数学の問題を「解ける」こと。この2つって全然違うよなぁと感じます。
わかっていても問題を解けないことはありますし、解けても全然わかっていないことがあります。どちらかというと、解けてもわかっていないことが多いかな、とは思いますが。

大学受験で志望校への合格を目指して勉強していたときは、「解ける」ことに重点を置いていました。「なんで?」の部分に納得がいっていなければ前に進めないこともありましたが、どこかでその気持ちには折り合いをつけて、試験前は問題の演習をメインとする勉強をしていました。
大学に入った後からは、「わかる」「理解する」ことに主眼を置いた勉強が始まりました。特に、ゼミが始まったあたりから、その傾向は一層強くなり、数検に向けた勉強を始めるまでは、解けなくてもいいから理解しよう、理解することが大事だって気持ちで未知の分野を学んだりしていました。つまり、10年以上「解ける」ことは重視していなかったことになります。
でもね、数検を勉強しだしてからは、やっぱり「解ける」ことも大事なんだろうな、という気になっています。それは、理解するだけではなかなか身についていかないから。
大学院を卒業してからも、不十分ながら数学を勉強する時間をとっていました。その中で、新たに理解したことや、知識を蓄えたことはあります。けど、それがなかなか広がりを見せないというか。高校数学の範囲は、全体像をちゃんと把握できている感覚があり、互いの分野の結びつきを掴むことができていると感じる。けれども、大学に入ってから以降に学んだことは、確かに難しいからって理由はありますが、高校数学のように全体を把握した感覚が、いつまで経っても得られないんです。
これは、「解ける」ものが足りていないんじゃないかな、と。

そういう意味で、今数検の合格を目指して「解ける」ことを重視して学び進めているわけですが、これがちょっとでもいいから、自分の中の数学の世界を広げてくれることにつながればなーと思ったりしています。

では、お読みいただきありがとうございました。

忙しくなるとやはり時間の確保とかいろいろと厳しい面が出てくるなぁ(数検1級合格まで(14)01/26-02/01)

仕事が忙しく、色々と厳しめだった1週間。

数検の勉強

01/26-02/01

  • 1週間の勉強時間:2時間13分 19min/day

いつもより3,4分少なめの勉強時間。夜にやることも多く、寝不足な日も多かったので、なかなか捗らず。
微分方程式を、やったとこの問題演習と、まだやってない部分を進めていくのを並行して学び中。やっぱ、問題は何度か解かないと身につかない。

使っている問題集

ブログ書き書き

今週書いたの

読書とか手帳とか以外にも好きなことはあって、その一つがコーヒー。そういうのについても書いていこう、って思ったのが、「毎週せっせとKALDI Home Coffee Roasterで自家焙煎」。
勝手に、テーマに制限を設けてたけど、気にせず好きなもんについて書いてこうと思う。

読書

今、読んでるの

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「グッドバイブス ご機嫌な仕事」は、グッドモーニングバイブスを聞いていてかなり興味を持っていたので。他に読もうと思ってたやつがあったけど、先こっち読んでみることに。
「超一流になるのは才能か努力か?」は、まだ半分も読めてないことに少し驚きつつ、まぁぼちぼちと。

おわりに

この週はかっこう睡眠時間を削りつつブログや数学をしてたので、なんとかリズムを取り戻して、無理なくやっていきたいところ。

では、お読みいただきありがとうございました。

iPad+Apple Pencilで、書きながらあれこれ考えるのが快適

何かについて考えるとき、どうしてもなにかしらの紙とペンが欲しくなります。
文字を書いたり、図を書いたり、線をひっぱたり、言葉を平面状に配置したり、リスト形式で書いてみたり、矢印で結び付けたり。
そういうのを自由に、考えの赴くままにおこなうことができるのが、紙とペン。これに勝るものはない。
そう思っていました。

iPad Pro 10.5インチとApple Pencilはずっと欲しくて、思い切って買うまでは、どうしてもApple Pencilの書き心地えの疑いが晴れず、優れてるとはいえ紙にペンと比べてしまってなんだか違うなぁってなるんやろうなぁと思っていました。
実際、書き心地を比べてしまえば、紙にペンには勝るわけはないのですが、書くことにストレスを感じるかというと、まったくそうではない。むしろ思い通り書けて、インクのつき具合が好みのアプリを使えば心地よささえ感じるほど。
加えて、紙とペンより優れた部分もあるわけで。
つまり、iPadとApple Pencilには大満足です。

今では、何か考えるときに必要だった紙とペンだったのがiPadとApple Pencilに。
板書計画やマインドマップとiPad+Apple Pencilの相性は抜群」でも書きましたがまず、

  • 配置の移動

ができるのがいい。紙なら、書いて消してまた書く必要があるのが、サクッと一発でできる。
特に、紙面に言葉や図を自由に配置しながら考えるときに役立つので、マインドマップとの相性もいい、ということでした。

  • 1本のペンで色々な色・ペンを使い分けられる

のもやっぱり魅力的です。
書いた後から色を変えることができるのも重要なポイント。
配置といい色といい、「書いても後から変更できる」のが、書きながら考えることととてもマッチしていて、紙とペンで考える以上のものを感じます。

  • 書いたもののコピーが簡単

なのも、紙とペンにはない魅力。
図を簡単に複製したり、次のページに引き継いだり。

以上3点が、考えるときに便利だなー、紙より優れてるなーと思うところ。
Image
これらの機能を使いながら、書きながらあれこれ考えることが増えています。

もちろん、紙にペンで書くことやノートも好きですし、紙やノートにしかない良さももちろんあるわけで。
なので、もちろん考えるときに紙とペンを使うことはまだまだありますし、だから手帳は紙のノートを使うことに決めましたし。
いずれ、それらについても書けたらいいな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

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