知的生産って?と、かーそると、すべてはノートからはじまると

「知的生産」とはなにか。
知的生産の技術」での定義は、

知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ

ということになっています。
そしてぼくは、この定義の「ひとにわかる」という部分の「ひと」には、自分も含めてしまえばいいと考えています(これについてはかーそる第1号にて書きました)。

すると、「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、(自分も含めた)ひとにわかるかたちで提出すること」となります。


ノートは何のために存在しているのか。
書かれるためです。
ここでいうノートは、紙のノートはもちろん、テキストエディタやアウトライナーなど、広く「記録する媒体」のように考えておきます(「すべてはノートからはじまる」でのノートと同じ定義としておきます)。
書いたものは多岐にわたるでしょうが、中には「なにかあたらしいことがら」にあたるものも存在するでしょう。
となると、ノートに書かれたものは、知的生産になり得る、と言えます。
たとえ個人的な、自分以外の人が見返さないノートに書かれたことがらであっても、知的生産の対象に自分を含めれば、それは知的生産と呼んでも何もおかしくないと思います。

書くことと知的生産は、決して同じではないにしろ、近しいものである、ということになります。
ただ書くだけでは、「知的生産の技術」での定義における知的生産にはなりにくいとはいえ、書くことは「知的生産」のはじまりであると言えるでしょう。
この意味において、メモもまた知的生産のはじまりと位置付けることができます。


かーそる 2021年7月号」のテーマは、ノート・メモについて。
メモを残すことについて、ノートを書くことについて、書いたものをどう扱うのかについて、ほんとうに彩のある1冊になっていると思います(かーそるという雑誌は、いつもそうです)。
「知的生産の技術で盛り上がる雑誌」の名に恥じないド直球のテーマでありながら、直球から変化球まで多彩な文章の数々に出会える雑誌です。
かーそるの書き手の中の一人としてノート・メモについて書かせていただき、光栄であるとともに、この雑誌が、求める人の手に届くことを願っています。


奇しくも、同じ時期に、同じくノートが主題の、かーそる編集長の倉下さんの著作「すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術」が発売されました。
まだすべてを読んだわけではありませんが、読み始めてすぐ感じたのが、「これこそが知的生産の技術ではないか」「ここで語られている記録術についての話と知的生産とは同一のものであると言えるのではないか」といったもの。
楽しく読ませていただいています。
そして読み始めて確信したのが、本書はぼくの中では待望の書だったんだということ。自分が書いたものではないのに、本のタイトルでエゴサーチしてしまうほどに、どう受け止められるのかが気になる本です。
それはきっと、一人の倉下ファンとして、「こんな書き手がいるのですよみなさん!」という気持ちと、まだ見ぬ倉下ファンに届いて欲しいという気持ちがぼくの中に強くあるからだと想像します。


では、お読みいただきありがとうございました。

自分にあったメモのとりかたは、試して見つけていくもん

ふとしたメモは、のがさず、なんでもかんでも書いていきたい。そう思っているものの、なかなかメモをガシガシかけてないな、という感覚がずーっとあります。
iPhoneのアプリをいろいろと設定して、メモを自分の望む形で_カードみたいに、くれるように_保管できるようにしたり、5×3情報カードを普段から肌身はなさず持ち歩いたりしてきました。「メモ帳」は常に装備してたわけです。でも、思うようにメモが増えない。
で、最近はカードをやめて、ノートを持ち歩くようになりました。すると、カードを持っていたときよりもメモをガシガシ書けるようになってきたんです。カードの方があとあとうんじゃかんじゃ考えるには絶対いいんですけれども、でも、ノートを持ってる方がメモは増える。役立つメモが増えたわけではないとは思うんですが、それでもメモが増えることは望ましいこと。ひっさびさにノートを持ってみて、「あぁ、ぼくにはノートがあってるんだな」とすごく感じました。

「1枚1項目」「1ページ1項目」が、どうやら合わない

カードにメモをとるときは、一枚につき一つのテーマについて書いていきます。また、以前「100円ノート『超』メモ術」式にノートを使っていたときは、見開き1ページで一つのテーマについて書く、ということをしていました。けれども、それ、ぼくにはあんまり合わないんじゃないか、なんて思ってきたんです。実際、再びノートを持つようになって、今回は1ページ一項目とか関係なく、順番に書き連ねていってるんですが、そのほうが格段にメモしようって気になるんです。
1ページ一テーマとか考えず、そんな決まりなんてもうけず、好きなことを書いちゃえ。そういうスタンスでいたほうが、メモって増えるもんなんですね。ぼくはそうみたいなんです。だから、あとあと利用しやすい、活かしやすい「カード」よりも、「ノート」に書き付けていった方がメモ自体は増えてくれる。

もちろん、カードもこれまで通り使っていきますが、今までがカードに偏りすぎてたと感じるので、ほどよく、どっちも十分に活かすことができるようなバランスを探していこうと思います。

フリック入力では、なかなかメモらない

iPhoneのメモ環境もこれまで模索し続け、満足いく形でテキストメモを保管できるようになったことはなったのですが、なかなかメモが増えていかない。なんでだろうと考えてみると、原因は「フリック入力」にあることに気づきました。

フリック入力で文章を打つのが、あんまり好きではない。だから、紙に書けないときにだけ、iPhoneを使ってメモをとろうという、サブ的な役割になる。と、この時点で、ガシガシメモをとろうという気持ちでなくなってるわけです。「やむを得ないときにはiPhoneでメモろうかな」、なんて消極的な姿勢では、メモは増えてはいきませんでした。

夏場って季節も、フリック入力には向きません。だって、手汗かくと入力しづらくなっちゃうんですもの。手汗かきのぼくにとっては、これはなかなか乗り越えがたい壁かもしれません。対して、冬場は手汗は比較的ましになるので、もっとガッツリメモをとっていけるようになればいいな、なんて期待をしております。

季節に影響を受けるフリック入力。快適なメモの環境を手に入れるためにも、今後も模索し続け、さらに快適さを追い求めていく必要がありそうです。

試してみなけりゃ、見えてこない

iPhoneを使うようになり、Evernoteを利用し、メモをとるという行為を日常的に行うようになって数年。たくさんの方法を模索してきました。
iPhoneでは、いろんなアプリを使ったり、Evernoteにメモを保管したりしなかったり、快適にメモがとれるよう、メモアプリの環境整備につとめたり。
手書きでは、メモパッドを持ち歩くようになり、母艦ノートとメモパッドの体制でしばらくメモをとり続けたり、A6サイズのノートを常にポケットに携帯するようになったり、情報カード一本に絞ってみたり、ルーズリーフを試してみたり。
振り返ってみれば、かなりいろいろなことをやってきたなぁ、と。で、結局ノートに戻ってきたのは、いろいろ試してみたからこそ。必要なメモ試しまくり期間だったんだと思います。
メモの量は、メモをとる環境が快適であれば、増えます。自分のふとした思いつきをキャッチできるかどうかは、いかに自分が快適と感じる環境を手に入れるかにかかっています。その環境をゲットするための近道はないんだろうと思います。考えて、試して、変えてみて、また試して。なんでもそうですが、やってみないとわからないことも多いので、とりあえず試してみるってのが大事なんでしょう。

おわりに

なんだかすごく当たり前な結論にたどりついたんですが、久々に「すべてを書き付けていく用」のノートを持ち歩くようにしてみて、メモが増えているうれしさから、書きたくなったので。
たぶん、今後もあれこれ試しては、より自分にあったメモの形ってのを探していくことと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

おわりのおわりに

この記事を書いたのは今から7年前。
今でも、「すべてを書きつけていく用」のノートにすべてを書きつけていってます。
その日やろうと考えているタスクから、やったことに対するメモから、なんやらかんやら。
書きつける対象は紙のノートからアウトライナーに代わり、また紙のノートを使ってはiPadのメモ帳にいき、今はObsidianに行きついている、という感じ。
その時々で何に書きつけているかは変化してきましたが、本記事書かれていることは今でも変わっていません。
「何に書くか」は変化するかもしれませんが、「どう書くか」は結構固まってきたので、引き続き「すべてを書きつけていく用」のノートを使い続けることと思います。

全然関係ないことなのですが、読み返して感じたのが、今と改行の仕方が全然違う、ということ。
文章を書くリズムも、時と共に変遷していってるのかもなーと思いました。

では、お読みいただきありがとうございました。

近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになりそうと感じた

5月21日。この日を待ちに待っていました。
4月30日に注文してから約3週間。とても待ち遠しかったです。
新品を購入するのは、約8年半ぶり。長い間中古を買い替えて過ごしてきましたが、今回は新品を、満を持しての購入。

はい、iPadの話です。


主に仕事で、iPadを活用しています。
板書計画とiPad+Apple Pencilの相性は抜群で、書いては消し、書いたものを移動しながら適切な場所を模索し、といったことをしながら、板書計画を立てています。
これまでは、一昨年の夏に中古で購入した10.5インチのiPad Proを使っていました。正直、この昔のiPad Proで何不自由なかったのですが、新しいiPadが発表されたら買おう!と決意していて、なおかつAppleの発表会を見たらM1チップがiPad Proに乗るということで、予約開始日に必死こいて予約をし、発売日にゲットすることができました。
届いてしばらく試し、もちろん動作はサクサク快適なのですが、これまでと別にたいして変わったことをするわけでもないので、今まで通り使っていこうかな、といった感じです。

では、今まで使っていた10.5インチの古い方のiPad Proはどうなったかというと、子どもが使う用にすることにしました。
自分が使わなくなったiPadやMac子どもにあげよう!と決意していたので。
今回新たにiPadを購入し、古いiPadは子どもが使えるようにセットアップし直しました。

一番上の子は小学校に入ったばかりで、ひらがなを毎日の宿題として練習しています。また、次女は英語を習っており、アルファベットのなぞり書きを練習中です。
そこで、ネットでなぞり書きのPDFを探し、受け渡したiPadに入れることにしました。
そうすることで、何回でも何回でも練習することができるようになります。
そして、思いました。やはり、将来的にはノートはタブレット+専用のペンに置き換わっていくかもな、と。
近い未来の「ノートの技法」は、タブレットをノートとして活用する技術のことを指すことになっていきそうだな、と。

とはいえ、実際に今のようにえんぴつで紙に書く練習がなくなるのかというと、「?」です。それは、やはり鉛筆の方が書きやすく、練習にはもってこいだから。
上の子は小学校に入り、ひらがなを熱心に練習しています。使う鉛筆は、「4B」のかきかたえんぴつ。
4Bなんてもうほとんど使うことがないくらい、芯の柔らかい鉛筆です。
力を込めて書いても芯が折れにくく、芯が柔らかい分、紙との摩擦がしっかりしており、HBとかと比べるとやはり書きやすい(好みにもよると思いますが)。
そういう、書きやすさの面では、iPadは(今のところ)紙と鉛筆にはかないません。
文字を練習し始めたばかりの子どもにとって、柔らかい鉛筆を使うことは必要なことなのかも、と感じます。
いきなりiPadにて書く練習をするよりも、しっかりと力を入れて書きやすい紙と濃い鉛筆から入り、慣れてきたら移行したほうが良さそうかなーと。
また、画面の広さの制約があるため、紙が必要なくなるのはまだ先のことだろうな、とも感じます。
それもこれも、今後手書きがどう発展していくかによるとは思いますが。


手書きというのはいいものです。
紙に鉛筆やペンを使って文字や絵を書くのは、タブレットとペンを使うよりも心地よく、色鉛筆やクーピー、クレヨンで描くという行為にも、独特の手触りが、感触があります。iPadとはいえ、それにはまだまだ及ばない。けれども、今後の発展次第では、書き心地の差は埋まっていくのかもしれませんし、それとは違った体験をさせてくれそうな気もします。
いずれにせよ、子どもと一緒に使っていけるのが嬉しいので、今後も新しいのを買うごとに受け渡していこうかな、と考えています。
お古ばっかりでごめんね。

では、お読みいただきありがとうございました。

2021年現在の、日々の記録あれこれ

個別にページを与えてログを取っているものたち」にて、毎日作成して色々と書き込んでいるデイリーページに書き込むのではなく、わざわざ新たにページを作成して記録を残している、自分の好きなものに関するページについて書いてみました。
今回は、デイリーページに代表される、日々の記録はどんなものをとっているのか、ということについて。


まず、ぼくが「デイリーページ」と呼んでいるのは、Obsidianにて毎日作成する、「その日の日付をタイトルとしたページ」のことで、仕事中は基本的にそのページを開きっぱなしにし、あれこれ書き付けています。
その日にやろうと思うこと、その日に予定されているスケジュールをまずデイリーページに書き、一つ一つ消化しながら仕事を進めていきます。それについては、「Obsidianにて連用手帳」でも触れさせてもらいました。
デイリーページは、1日が終える頃には、その日の記録となって残ることになります。日々の記録として残している代表格がこのデイリーページということになります。

一方で仕事以外の時間は、常にObsidianを開いているわけでもなく、尚且つルーチンとして毎日行うようなことがほとんどなので、「たすくま」を使って自分の行動のログをとっています。1日が終わり、次の日を迎えたら、たすくまのログをEvernoteに送信し、その日の行動ログとして残しております。これも日々記録していることの一つ。

あと外すことができないのが「日記」です。
日記は断然「連用日記をEvernoteに」がオススメ」でも書いたように、Evernoteに連用日記を書いていっております。2015年から続けているので、かれこれ6年間続いており、毎日、同じ日の過去の日記5年分を読み返しているのですが、まぁ5年となるといろいろなことがあったわけで。毎日の日記から、その色々あったことを思い出し、「あ、3年前の今日、そういえばこんなことあったなー」と感慨にふける。毎日そんな楽しみ方をしております。
書き方は、と言うと、366日分の「○月○日」というタイトルのノートがEvernoteには作成されていますので、今日の日付のノートに日記を追記していく、という単純なもの。ショートカットを使って、質問項目によって保存先を分けつつ日記を書くってことをしており、書き込むこと自体は省略化し、日記を書き終えたらEvernoteを起動して同じ日の過去の日記を読み返しています。
連用日記の楽しさと、過去の日記が「勝手に目に入る」ことの強力さを感じ、今ではこの連用形式を手帳に応用して「Obsidianにて連用手帳」をしているというわけです。


要するに、あれこれと記録を残していくのが好きなようだ、ということになります。
以前は、紙の綴じノートに日記を書いたり、手帳としてモレスキンを使ったりして、それらは本棚に大事に保管されているのですが、最近はほぼデジタルで記録を残していっております。
手元にiPhoneがあり、MacBookもすぐ近くにあり、手書きがしたければiPadを使えばいい、ということで、紙のノートの出番はかなり少なくなってきているので、デジタル寄りの記録たちになっている、という感じです。
今後は、Obsidianを中心に、あれこれと日々の記録を残していくことになりそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。

日記を書き続けたいと思った理由はわからんけど、今、日記を続けることができているのはなぜかはわかる

日記は、始めた当初は一定期間ごとに書く媒体や書き方が変化していってたけど、6年前からは統一してる。
毎日日記を書き、過去6年分の同じ日付の日記を見返してる。
じゃあ、なぜ日記を書き続けているのか。

20歳くらいになるまで、日記とは縁がなかった。というか、日記を続けることができるとは全く思ってなかった。
何かしら大きな出来事があれば、「このことを書き残すために、日記を書いていこう!」と思ってノートを買い、書き始めるけれども、続かず。
一番初めに日記を書き始めた時は、習慣化する方法とか全然知らなかったし、今のように文房具好きでもなく、適当にノートを買い、おもむろに書き始めた。
まぁ、続くわけもなく。
でも、1ヶ月ほど書くことができたので、それはそれで良しやったのかな、という感じ。
日記を書き始めた理由は、やっぱり自分にとって大きな出来事があって、それについて書き残したくなったから、やったと思う。
じゃあ、なぜそこから今まで日記を続けているのか。

日記を書き続けることに挫折するも、また日記を書いていきたいな、という気持ちは不思議と湧いてきて。
で、確かそれと同時期くらいから色々と小説以外のビジネス書を読むようになり、色々と知識を得て、日記のテンプレートを作成してそこに書きつけていくようになった。
ルーズリーフにテンプレートを印刷して、それに日々日記を書いていく。
これはある程度うまくいって、数ヶ月続けることができた。確か、半年以上。
テンプレートを作るとなると、一体自分はどういうことを書き綴っていきたいのか?日記には何を書きたいのか?を真剣に考えた。
この、何について書き残すか決めておくことは、書き続ける上でかなり大事じゃないかな、と思う。
でも次第にテンプレートの印刷が億劫になり、途絶えてしまった、と記憶してる。
当時はデジタルでは書かず、手書きしていたので、テンプレートを使いたければ印刷しなければいけなかった。
じゃあなぜ、そんなたびたび途絶えているのにもかかわらず、今まで日記を続けているのか。

次にチャレンジしたのは、連用日記。というのも、テンプレを印刷して日記を書く媒体としてルーズリーフを選んだのは、連用日記にしていきたいって思ってたから。
綴じノートではなくルーズリーフなら、去年書いた同じ日の次のページに、今年の日記を差し込むことができる。
あらかじめ差し込んでおけば、書くときに去年の日記が勝手に目に入る
連用日記の良さは、去年書いたものが勝手に目に入るところやと思っていたので、それを実現するためのルーズリーフの利用やった。
で、それが続かなかったので、今度はテンプレは特に用意せず、綴じノートを線で区切って連用日記として使うようになった。
これが、続いた。
丸2年は続いたと記憶してる。実際、去年の日記が目に入りつつ、今年の日記を書いた記憶があるから。
で、書くうちに、これをデジタルでやっていきたい、Evernote上に書き残していきたいと思ったので、Evernoteに日付ごとのノートを作成し、毎年同じ日付の日に同じノートに日記を書き残すことで、過去の日記が勝手に目に入る形で日記を書き続けている。
その方法が、今6年目に突入しているところ。
Evernote上の日記のノートを開くと、2015年から毎年の日記が書き綴られていて、書いたらその流れで下にスクロールして、過去の同じ日付に書かれた日記たちを毎日見返している。
それが楽しいし、あぁこの時期にこれしてるんやな、と参考になるし、読み返すこと自体は5分もかからないのに、得るものはけっこう多い。
なぜ日記を続けたいと思ったのかはわからんけど、今、日記を続けることができている理由はわかる。
「読み返すのが楽しいし、読み返すことで今の日々の過ごし方の参考になるから」

書いている時は、多少の面倒臭さを感じる。
けど、来年それを読み返すことができるなら、その面倒くささくらい引き受けることができるほどには、読み返すことが好きになってる。
ただ、読み返すのは、簡単なことではない、と思う。
連用日記はその点でとても優れている、って話は、また機会があればすることにして。
「読み返すのが楽しいし、読み返すことで今の日々の過ごし方の参考になるから」を実感するには、まずは書き続けなあかんってのがきっとネックなんやろうな。

では、お読みいただきありがとうございました。

個別にページを与えてログを取っているものたち

自分が好きなもの・ことのログをとるのが好きです。
Evernoteを使い始めて身についたログをせっせととる習慣は、WorkflowyScrapboxなどのデジタルツールを渡り歩いて、今使っているObsidianになっても続いています。
具体的に何のログをとっているのか?というと、

  • 読書メモ
  • 読了した本
  • 飲んだビール・日本酒
  • 観た映画
  • コーヒー豆焙煎の記録

あたり。これらについては、毎回個別のページを作成し、そこにあれこれ書きつけていってます。
毎日その日のデイリーページを作成し、そこに日中あれこれ書いているので、何かしら書くならそのデイリーページに書いておきさえすればいいっちゃいいのですが、上記については、わざわざ個別ページを新規に作成しています。

読書メモ、読了した本

もう10年以上、本を読んでいるときにはいわゆる「ねぎま式」で読書メモをとっていってます。本文の引用と、それに対して自分が考えたことを書き添えていく、という方式。
で、1冊読み終えたら、また新たにページを作成し、本の画像や本の著者や出版年、出版した会社名、ざっくりまとめた本に対する感想、などの情報を、テンプレートに沿って書いていきます。
読書メモのページと読了した本のページを分けているのは、読了した本については、Scrapboxに公開するから。
Scrapboxの公開プロジェクト、book scrapbookには、いろんなメモが、主に着想を捉えたメモや、ブログの下書きなんかが集まっています。本についての感想を書いてると、そういうメモたちとリンクで繋がることがよくある。だから、book scrapbookにてメモと読了した本のページを一緒くたにしています。
ほんとうなら、読書メモもScrapboxにおきたいところなんですが、というか読書メモページと読了した本ページを分けずに一緒にしたいのですが、読書メモページの方はあまりにも引用箇所が多いので、それを公開するのは憚られるので、分けています。

飲んだビール・日本酒、観た映画

ビールが大好きでして、スーパーやコンビニ、デパートなどで、今まで飲んだことのないビールが売っていれば、ついつい買って見ては飲んでいます。
大好きなものなので、飲んでみた感想を書いて残しておきたい。ということで、テンプレートを作成し、飲んだビールについて書き残していってます。
日本酒も飲むので、ビールに倣っていろいろ飲み試し、そのログを書いていってます。
映画を観るのも好きなので、観たら必ずこれまたテンプレートにのっとってメモを残しています。友だちと映画の話をすることも多く、そんなときは最近観た映画のログを一覧し、おもしろかったものを共有したり。

コーヒー豆焙煎の記録

コーヒーも大好きで、あれこれ試していくうちに、しまいには生豆を手に入れて自分で焙煎するようになりました。
焙煎は温度変化の仕方により仕上がりが大きく変わっていく代物。豆を焙煎機に(コンロに置いて使焙煎するものを使っています)投入してからの温度変化を追いかけ、どのあたりで終了したか、などを記録しています。
で、合わせて、試飲してみた感想もそのページに追記し、果たしてその焙煎で豆の味を引き出せているのか、というのを確認できるようにしています。
同じ豆を使って何度か焙煎するので、うまくいったと感じる温度調整があれば、それを再現するように努め、自分で焙煎した美味しいコーヒーを飲むためにログを取っています。
ちゃんと記録を残しておくことが大切なので。


大抵はデイリーページにメモするだけに留めておきますが、わざわざ新たにページを作成してログをきちんと残していっているモノたちは大体このくらいでしょうか。
加えて、デイリーページに書いている着想メモの中で、1つの項目としてまとめることができそうなものに関しては、ページを作成して書き残し、Scrapboxで公開しています。
ほとんどはデイリーページへのメモで済ませているので、ログとしてちゃんと個別にページを与えているのはこれくらいかな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

キレイな画面と書き心地のトレードオフ

今持っているiPad Pro10.5インチは、はじめからApplePencilを使うことを前提に買いました。iPadとApplePencilの同時購入です。
iPadを買ったら必ず手に入れておくのが、画面を保護するフィルム。ApplePencilを使うことを前提としているので、当然の如くペーパーライクフィルムを購入しました。なので、iPadとApplePencilを手に入れてすぐにペーパーライクフィルムを貼り、使っていました。

iPadを購入して一年以上になるのですが、つい先日、フィルムを交換しました。1年も使えば、フィルムにはペンのあとやキズがついており、白っぽく汚れている部分などもあり、試しにペーパーライクフィルムではなくガラスフィルムを使ってみようと思い、買いました。
それに張り替える際、ペーパーライクフィルムを剥がすわけですが、剥がした瞬間、あぁiPadの画面はこんなにもキレイなのか!驚きました。
ペーパーライクフィルムは、その特性上、どうしても白っぽいもやのかかったような感じのフィルムです。
そのフィルムを剥がしたiPadは、とてもとても鮮明で、キレイでした。
このキレイさを享受できていなかったなんて!と思うほどに。と同時に、ガラスフィルムを買ってよかったなぁと感じました。ペーパーライクフィルムのようにモヤがかかっていない、透明なガラスフィルムは、iPad本来の鮮やかさを損ないません。
毎日、鮮やかな画面のiPadを使う事ができるようになりました。

キレイなことはとても嬉しかったのですが、じゃあペーパーライクフィルムからガラスフィルムに変えてどんな変化が起こったのか。
iPadで手書きを、ApplePencilをあまり使わなくなりました。
ガラスフィルムは透明でiPadの画面の鮮やかさを損なわない反面、ツルツルです。カチコチです。
ApplePencilを使うには、表面が硬すぎて、ツルツル滑り、書き心地がよくありません。
加えて、ガラスフィルムは反射がきつく、書く際に部屋の明かりが画面に映り込みます。これも、手書きをする際にはよろしくない。書く気が間違いなく削がれます。
書き心地の悪さと画面の映り込みがつい頭をよぎるからか、iPadに手書きする事が激減してしまいました。

画面はキレイな方がいい。
でも、書く道具にしたいのであれば、画面のキレイさよりも書き心地が重要になってくる。
キレイな画面をとるか、書き心地をとるか。
これはもうどう足掻いてもトレードオフの関係です。両方をとることはできません。
結果、書き心地を取りました。
新たにペーパーライクフィルムを購入し、ガラスフィルムを剥がして張り替えました。
また、快適な優れた手書きの道具としてのiPadが戻ってきました。
今後はガラスフィルムに浮気せず、このままずーっとペーパーライクフィルムの書き心地で使っていきそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。

自由に、好きなページを画面に並べることができるのはいいことだ

Obsidianを使い始めてから、かなりの部分をObsidianに任せるようになってきました。
Obsidianというのは、mdファイルを扱うテキストエディタです。
かなり気に入っており、なんでこんな「これえぇなぁ」と思うのか考えてみると、

  • 自由に、好きなページを画面に並べることができるのはいいことだ

ことが大きい、ということに気づきました。

Scrapboxで、ページ同士が気軽につながる威力を知り、Obsidianでも簡単にページ同士をリンクさせることができるので、まずそこが入りで使い始めました。
で、気に入ったのがそこだけなら、Scrapboxでも同じことできるやん、ってなるわけです。
でも、だいぶと使用感は違う。
どこの違いが一番大きいか、というと、ページを並べることができることだ、という結論に行き着いたわけです。

しかも、Obsidianでは、ただ単にページを並べられるだけではなく、サイドバーの中にページを置くことで、中央に表示するのとは違う働きをしてくれるようになります。
サイドバーに配置しているページの中のリンクを踏めば、メインの表示が、中央に表示しているページがそのリンク先のページに切り替わる。
一方で、メイン表示のページ上のリンクを踏めば、メイン表示がリンク先のページに切り替わります。
という風に、メイン表示のページとサイドバーに表示しているページとで、リンクを踏んだときの挙動が変わり、違う役割を持たせることができ、それがとても使いやすい。
自分の好きなものを中央やサイドバーに表示できるので、自分が使いやすいように画面の表示構成を調整できる。そこがObsidianのとても大きいな利点であると感じます。

で、Obsidianではさらに、メイン表示のページに連動してGraphやBacklinkが切り替わってくれます。小気味良く。
あ、ちなみに、「Graph」というのは、今開いているページとリンクでつながっているページたちを平面に配置して表示してくれる機能で、「Backlink」は、他のページ内で今開いているページにリンクを貼っている部分を表示してくれる機能のことです。

Image

これらの機能により、ページ同士のつながりを把握することができるというわけです。

Obsidianの特徴や優れたところは他にも色々とあると思うのですが、細かい部分でもかなり利用する際に決め手となりそうなのが、自由に、好きなページを画面に並べることができるところ。
今後も自分にあった状態を考えつつ、使っていこうと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

「なんにせよ転記は必要」と受け入れるために

書き写すのは、めんどうくさい。できることであれば、やりたくない。
なので、なんとか転記を発生させないで済む方法はないものか、と考え、メモを扱ってきた。

紙の情報カードにメモしているときには、必要であればそれをノートにそのまま貼って使えるような大きさのノートを併用したり。
ノートアプリを使っているときには、紙に手書きしたものは写真に撮って添付したり。
テキストであれば、MacでもiPhoneでデータを共有できるアプリを使ったり。
手書きもテキストも扱え、Mac・iPad・iPhone間で同期できる、ということで、Apple純正メモ帳に飛び付いたり。

でも、もうそこにこだわるのはやめにした方がいいと気づいた。
書き写しをせずに済ますことにこだわるのは。

転記は必要なものである、と受け入れれば、その都度その都度で使いやすい、用途に合っているものやツールやアプリを使うことができる。
確かに、転記はめんどう。けれども、転記をせずに済まそうと思うと、使えるものが限られてしまう。だいぶ使い方が制限されてしまう。
テキストであれば、コピペで済むのでそこまで手間には感じない。
手書きの転記は、手間。手書き→手書きも、手書き→テキストも。でも、紙のノートとペンの方が、やっぱり初動は早いし気軽に書けるし書き心地がいい。
なら、手書きの転記があるとしても、ノートを使うのはいいもんだ、と思う。

とりあえず、書いていこう。
必要ならどんどん転記していこう。
めんどうに感じ、書かない選択をしてしまうこと、書くことを抑えてしまうことの方がよろしくない。
とりあえず思い浮かんだことをメモして捕らえた後に、適切なところに転記すればいい。
転記したくないなら、しなくてもいい。
書く、を抑制することは極力無くしていこう。
とりあえず、書いていこう。

紙のノートのバレットジャーナルで、未処理メモを撲滅

「明日」をInboxにすることで、今日のタスクの受け渡しを確実にしてた。

  • タスクをiPhoneにメモする(無理な場合は紙片に)
  • 「明日」の日付のカレンダーにタスクを予定として登録する
    • 調整の時間があれば日付を設定し直す
  • 次の日「たすくま」に自動的にタスクが登録されている

こうすることで、新たに発生したタスクを必ず翌日確認できるにしていた。
でも今年から紙のノートのバレットジャーナルを使うようになり、明日をインボックスにする必要がなくなった。

明日をインボックスにしていたのは、新たに発生したタスクの確認し忘れ・やり忘れをしないため。
ぼくは基本、マニャーナの法則に従い、新たに発生したタスクに関して、今日やらず、明日以降に着手するようにしている。なので、確実に明日以降に引き継ぐ必要がある。
そのため、以前は毎日のルーチンに「その日メモしたものを見返す」タスクを設定してたけど、忙しくてバタバタしている時は、そのタスクをすっ飛ばしてしまうことがしばしばあった。すると、新たなタスクを見落とし、やり忘れ、締め切り当日に思い出して余計バタバタしてしまう。
それを防ぐための、「明日をインボックスに」だった。

紙のノートを1日1ページのバレットジャーナルとして使うと、しおりを使って今日のページの目印にする。
次の日になれば、その日になった早い段階で、しおりを今日の日付へと移動する。
この時、前日に書いたことたちが目に入る。必ず目に入る。
前日に書かれた内容が目に入り、もし未処理のメモがあれば、それに気づくことができる。
とても簡単な仕組みやけども、すごく大事な仕組み。
デイリーの手帳を使ったり紙のノートを1日1ページとして使うことのいいところは、バタバタして処理できていない、ちゃんと引き継げていないタスクがあったとしても、勝手に翌日目に入るようになっている、というところ。
[勝手に目に入る]仕組み。これが欠かせない。

では、お読みいただきありがとうございました。