原因のせいにせず、良くしていくためには?を考える〜アドラー心理学について⑧〜

アドラー心理学の本を読んでいると、徹頭徹尾よりよく生きていくには?建設的に生きていくには?が考えられているな、と感じる。
その考えは、絶対ではない。ただ、「こうしたほうが、こう考えたほうが、こうとらえたほうが、良くなっていくことができそうやよね?」という提案。
あらゆる物事に、どう意味づけしたほうが、良くなっていけそうか。

その一つが、原因のせいにしない、という姿勢。
人は、いろんな物事をなにかの原因に持ち出しすぎている。
基本姿勢として、原因をさぐる。こうなったのは、あれが原因や、と。
思考の基本が原因論やと、悪いあなた、かわいそうな私に終始してしまいがち。
「あれのせいでこうなった」と考えると、悪いあなたの話をしているだけ。
「自分は、あれが原因でこうなってしまった」と考えると、かわいそうな私の話をしているだけ。

今に至る原因を探し、そのせいにして、じゃあ何になるのか。
悪いあなた、かわいそうな私の話をして、事態はどう好転するのか。
原因を求め、そのせいにすることで、いっときの安定は得られるかもしれない。
でも、それでは、結局何も変わらずじまい。結果的に現状になんの変化も起こらない。
その場で足踏みをしているだけ、ということになる。

まぁ、それでもいい。けど、もう少し、「良くなっていくにはどうしよう?」ということに目を向けると、その場で足踏みをするよりも、一歩前へ踏み出していくにはどうすればいいか考えていくと、悪いあなた、かわいそうな私の話は置いておいたほうがいいな、となる。
原因をさぐってそのせいにしていたらその場であしぶみするだけになってしまうのなら、原因は一旦棚上げして置いて、これから自分にできることを考える。
そのほうが、現状を良くしていけそうやよね?という提案。

では、お読みいただきありがとうございました。

「変われないの」ではなく「変わらないと決断している」という視点に立つ〜アドラー心理学について⑦〜

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』」のはじめの方は、「僕」が変われないと話すところからはじまる。
『性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)』」でも、性格は変えられるよ、という話から入る。
「変われるかどうか」は、アドラー心理学に足を踏み入れていくはじめの話として、よく用いられている。

アドラー心理学は、人は変わる力があると信じつつ、でも、変わることへの恐怖は強い、とも思ってる。変わることは、それまでの慣れた、安定した今までの世界を捨てて、慣れない先がわからない不安定な世界へと足を踏み入れる行為やから。
怖いから、変わらないでいる言い訳に劣等感が使われることがよくある。

自分は変わらないのではなく、安定した状態を保つために、変わらないことを決断している。
何かしら自分を変えたければ、この変わらないという決断をやめて、同じでいることをやめる決断をする。
次に何がおこるかわからないことを引き受ける勇気があれば、性格は変えられる。

安定した状態から抜け出すためには、恐怖に打ち勝つ勇気が必要。だから勇気づけ
もう一つの手としては、「『性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)』(野田 俊作)」では、「瞑想」が挙げられている。瞑想は、考えて怖くなって動けない、を防げるから。
変わるためにすべきことは、どうやったら変われるのか考える、ことではなく、勇気を持ち、何がおこるかわからない怖さを引き受けるか、そもそも考えずとにかくやってみるか。
恐怖に打ち勝つ勇気を持つか、恐怖を覚えずとにかくやってみるか。

違うことをやってみて、うまいこといくと、それからはそのうまくいったことを選択するようになってくる。

とにもかくにも、視点の転換が必要。
「人は、変わらない・変われない」のではなく、それまでの安定した状態にこだわって、「変わらないことを日々決断している」という風に。
変わらないという目的があるから、劣等感はその言い訳、変われない言い訳にはもってこい。
でも、そこから抜け出し、変わる一歩を踏み出していくこと。
アドラー心理学は、そうやって生きていくほうがいいと思いませんか?という提案なんやろうと思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

劣等感と劣等コンプレックス・優越コンプレックス〜アドラー心理学について⑥〜

昨日のエントリ、「マインドセットによって変わる、劣等感への対処の仕方〜アドラー心理学について⑤〜」にサラッと挙げた、劣等感と劣等コンプレックス・優越コンプレックスについて。

アドラー心理学の本を読んでいて感じるのは、劣等感は、「できない」「もってない」など、「〜ない」感覚、くらいのものっぽい、ということ。ただ、他と比べて劣ってるなーと感じることで、それ以上でもそれ以下でもない。
劣等感自身は、別に悪いものではなく、ただできてないなーと感じるだけのもの。
やから、誰しもが持ってるもの。

『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(岸見 一郎、古賀 史健)では、人は皆、生まれた時から劣等感を抱いているとも言ってる。
生まれてからしばらくは、周りは大人や年長者ばかり。
そんな周りと比べて、「できない」ことが多いから、劣等感を抱くもの、と。

で、この劣等感にたいして、どう振る舞うか。
自分の成長につなげるのか。
劣等感があってもいい、と思えるか。
あるいは、その劣等感を言い訳や、ひた隠しにするか。

劣等コンプレックス優越コンプレックス
劣等感を「できない言い訳」に使うのが、劣等コンプレックス。
劣等感に向き合わず、ただ否定するのみで、あたかも自分は優れていることを強調して、偽りの優越感に浸るのが、優劣コンプレックス。

コンプレックス=劣等感、ではくて、コンプレックスの本来の意味は、思考や意識、感情などが複合したもののことを指す、らしい。
ということは、劣等コンプレックス・優越コンプレックスとは、劣等感(「できてない」感)を“認識“するだけではなく、他の思考や感情、意識にまで混ぜ込んでしまうこと、と言えそう。

ということで、硬直マインドセットやど、劣等コンプレックス・優越コンプレックスに向かってしまいがちになりそう、というのが、前回の結論なわけでした。

では、お読みいただきありがとうございました。

マインドセットによって変わる、劣等感への対処の仕方〜アドラー心理学について⑤〜

マインドセット「やればできる! 」の研究」での「硬直マインドセット」と「しなやかマインドセット」という視点でアドラー心理学で挙げられる「劣等感」について考えた。

まず、アドラー心理学における劣等感について。
人は、優越性の追求、つまり、人にはもっといい存在になりたいという欲求があり、それがあるから、できていないところが見えてしまい、劣等感を抱く。
その劣等感に、いかに対処するか。

マインドセットが硬直か、しなやかか、という目線で考えてみる。

p13.自分の能力は石版に刻まれたように固定的で変わらないと信じている人ー「硬直マインドセット」の人ーは、自分の能力を繰り返し証明せずにはいられない。

しなやかな心の持ち方、「しなやかマインドセット」である。その根底にあるのは、人間の基本的資質は努力しだいで伸ばすことができるという信念だ。

硬直マインドセットであれば、劣等感を言い訳に使うか(劣等コンプレックス)、自分の凄さをことさらアピールするか(優越コンプレックス)して、自分に能力がないことを否定したがるやろう。
なにせ、人間の能力は固定的と思ってて、自分に能力がないことは是が非でも認めたくはないやろうから。
優越性を、他者が自分をどう見るかに注目して、追求していくことになる。

しなやかマインドセットであれば、劣等感を抱いた後どうするか。
自分の劣っている、まだいたらないところに目を向け、変えていけばいいと思い、実際に帰る行動をとっていく。
人は変わっていけるという信念があるから、自分の劣等感に向き合い、それをもとに変えていこうとしていく。
優越性を、自分の変化によって追求していく、ということ。

マインドセットの違いにより、劣等感への向き合い方に違いが表れそうなのは容易に想像できる。で、その対処の違いが、アドラー心理学においての自立できていない人・自立している人の違いとほぼ一緒なところも、すごく興味深い。
引き続き、マインドセットとアドラー心理学について考えていけたらな、と思う。アドラー心理学の理解が、より深まりそうやから。

では、お読みいただきありがとうございました。

しなやかマインドセットと勇気づけ〜アドラー心理学について④〜

人は、変化していける。人間は前に進めないような脆弱な存在ではなく、変わっていける。

アドラー心理学の根本的な考えとして、人間の持つ力への信頼がある。
これは、「マインドセット「やればできる! 」の研究」で挙げられる2つのマインドセットのうちの、「しなやかマインドセット」と同じだろう。

しなやかな心の持ち方、「しなやかマインドセット=growth mindset」である。その根底にあるのは、人間の基本的資質は努力次第で伸ばすことができるという信念だ。

「マインドセット「やればできる! 」の研究」では、しなやかマインドセットを持っていることが人の成長にどう作用するのかが述べられる。

相手の成長を願うなら、願うもの自身が、成長できる、やればできると信じていないことにははじまらない。成長への信頼、つまり、しなやかマインドセットを持っていなければ。
そのマインドセットで、他者と接すること。それこそが、勇気づけなのではないか。
変化できる存在であること、進んでいける存在であること、やればできること。
それらを繰り返し伝えていくこと。
そして、変化を後押しし、自立に向けて歩んでいくことをサポートする。
実際、しなやかマインドセットを育む声かけと、アドラー心理学にて推奨される声かけとは、まったく一致している。
能力を褒めるのではなく、努力に注目する。
結果を評価するのではなく、過程を重視する。

なにより自分自身、しなやかにありたい。

では、お読みいただきありがとうございました。

毎日継続はできているものの、やり方は少し考えた方がいいかも(数検1級合格まで(2)11/03-11/09)

一週間の振り返りは、日曜日に固定することに。
数検の勉強もブログも毎日継続できてて、ナイス。ただ、睡眠時間の確保がやはり課題になってくるので、無理のないようにしたい。

数検の勉強

11/03-11/09

  • 1週間の勉強時間:2時間29分 21.28min/day

まだ問題集の1回目のテストを解いているところ。線形代数で忘れてること多かったのと、固有値を求める問題での計算ミスが頻発してしまって、正答までたどりつくのに時間がかかってしまった。
勉強するのが、夜寝る前になりがちで、眠気とお酒も入ってるのとで効率が悪い。時間帯を変更するのを考えねば。朝にできればベストやけど、時間の確保がなかなか。
何かを変えていかないと。

ブログ書き書き

毎日更新中。
アドラー心理学についてや、理解や教育、数学について考えていることを書いていけたらいいなぁと思う。

おわりに

この振り返りエントリがあるおかげで、勉強の仕方やブログを書くための課題について改めて目を向けることができる。
活動自体にも修正を加えつつ、今後もぼちぼちいきたい。

では、お読みいただきありがとうございます。

長期的な視点を常に持つ 〜アドラー心理学について①〜

アドラー心理学に出会ってから、アドラー心理学を実践することで、生徒たちに良い影響を与えることができないかと、常にアドラー心理学の教えを念頭に置くようになった。
いくつか理由はあるけれども、その中でも、けっこう中心的な部分について、ピックアップしていきたい。

まずは、アドラー心理学の視点は、長期的であるってことについて。

基本的に、叱ることと褒めることが教育には必要とされているけれども、アドラー心理学ではそれを否定する。褒めたり叱ったりすることの先には、相手をコントロールするっていう目的が隠れているから。
でも、本当に必要なのは、コントロールではない、と思う。コントロールってつまり、教師の都合のいいようにさせるってことやから。
そうではなく、相手の変化を後押ししたい。こちらがコントロールするのではなく、相手が変化するのを後押しする。

人は、変化には臆病である(臆病であると思う)ので、変化するのは簡単じゃないし、短期的な関わりではなかなか後押しができない。
褒めたり叱ったりするのは、あくまでも短期的。
そうではなく、時間がかかっても良いから、変化を後押ししていきたい。

必要なのはコントロールではなく、変化できるよう勇気づけていくこと。
最終的には、こちらの働きかけや後押しから脱し、自分で歩んでいけるようになってもらうことを目指す。
アドラー心理学には、そういう考えが根底にある。人は、力をもった存在である、という信頼とともに。

長期的な視点、人への信頼、コントロールすることへの疑問が、アドラー心理学はあるので、ぼくは強い共感を覚えるのだと思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

アドラー心理学を教育現場に〜クラスはよみがえるを読んで学んだこと〜

アドラー心理学を知り、いくつかの書籍を読んだのちにこの本を読んだ。
どれほど実践できるかわからないものの、でも、根底にはやはりアドラー心理学の考えを持ちつつ、生徒と接していきたいと思う。


人間のもっとも根元的な欲求は『所属欲求』であると私たちは考えています。人間にとって集団に所属する欲求は、生存の欲求よりも強いのです。

人間は強い「所属欲求」を持っている。
その前提に立つと、教室に「競争原理」を持ち込むと、他に勝つことがすなわち所属の欲求を満たすことに、他よりも特別な存在に自分をおくことが所属欲求を満たすための手段になる。
するとどうなるか。
何か得意なことがある者は、それを認められる機会があるけれども、もしそれがないなら。。。
どういう手段をとることになるか。
どうやって他に勝ち、どうやって特別な地位につくか。

また、競争相手は他の生徒に加え、教師もその相手になる場合も考えられる。生徒対教師。
競争原理を持ち込むくらいなので、教師はもちろん生徒に負けてはならないと考えるだろう。そうやって負かされた生徒は、果たしてそのあとどうするか。

どちらの場合も、問題行動が現れるには十分な状態が整う。

というように、所属欲求を前提にすると、クラスに競争原理を持ち込むのはいささかまずいことになる。だから、アドラー心理学では、競争原理を生むような働きかけはすべきではない、と考える。「ほめる」もその一つになるので、ほめてはいけないという方針が立つことになる。
「ほめてはいけない」という言葉だけをきくと、いやいやそんなわけないと否定したくなるけれども、その訳を聞き、考えてみると、論理を重ねた結果に得られる帰結であることがわかる。

アドラー心理学の考えは、常識にとらわれてないがために斬新に感じるし、拒否反応を起こす人も中にはいるかもしれない。
でも、アドラー心理学で語られる、「当たり前でない」言葉の数々は、背景にはこのような論理がしっかりと組み立てられており、当たり前は脇に置いて読むと腑に落ちていくことも少なくない。


個々の問題児とどう接するのかの前に、教室が正常に運営されていることがすべての鍵であることを、私たちは多くの経験を通じて知りました。

アドラー心理学は、普段はあまり持たない視点を与えてくれる。当たり前と思っている、盲点とも呼べるような視点を。

頭で考えていくら正しい方法でも、無効なものは無効なのです。別の方法を実験してみるべきです。それが科学的な態度というものです。

正しい思ってやっていたとしても、他のみんなもやってることであっても、効果がないものは効果がない。じゃあ同じことを何度繰り返しててもらちがあかず、他の方法を考え試してみるのが建設的なのは明らか。でも、固執してしまいがち。

どうしても視線は個に向かいがちになる。けど、個よりも集団へのアプローチを考えてみると、もしかしたら何かしら変化させることのできる一手が得られるかもしれない。


実践のハードルは決して低くない。むしろ、常識とは違うアプローチも多く、ハードルはかなり高いといえそう。
とはいえ、もし今あまり上手くいっていないことがあるなら、これまでのやり方をいったん脇に置いて、別の切り口を探す必要がある。
また、短期的にはうまくいっていそうに見えても、ちょっと先に目を向けるとそうではないこともある。

将来的な自立を目指して。
ぼくにできる働きかけを考え、続けていきたいと思う。

では、お読みいただきありがとうございました。