本から勇気づけられることって、すごくあると思う〜アドラー心理学について10〜

アドラー心理学は、人の変化を後押しする考え方で、後押しのために「勇気づけ」というアプローチを用いる。
アドラー心理学の「勇気」という言葉を狭ーく捉えれば、「困難に向かおうとする活力」と言えると思う。

「事実」を知ることが、勇気づけになることがある。

これらは、努力次第では自分の能力を伸ばしていける、ということを、その事実を教えてくれる本。
難しいなー、できるかなー、大丈夫かなー。そう思いつつも、それに立ち向かおうと思える活力を勇気とするならば、これらの本は間違いなくぼくを勇気づけてくれた。

日々悩むことは多いし、落ち込むことも少なくはない。どうやってもあかんのちゃうか、と思ってしまうことも多い。
でも、やり方を変えたら、努力の仕方を変えたら、別の方法を試してみたら、打開策が出てくるのではないか。なぜなら、人は自分のもってる力を伸ばしていけるし、変化させていけるって事実がそこにあるから。本が教えてくれたから。

まだやれることはあるという期待は、自分を次の行動へと後押ししてくれる。勇気づけてくれていると思う。
そう考えると、読む本の種類にもよるけれども、本から勇気づけられることってすごい多い気がする。

ぼくは教員なので、生徒の成長のサポートができればいいなという、後押しがしたいがためにこの職業を選んだようなもの。
成長できる、変わっていけるという事実そのものが、生徒に対して貢献しうるのではないかって思わせてくれるし、生徒の力を信じることにもつながってくる。

本というものに、ほんまに自分は影響をうけ、変化してきたって実感がある。きっとそれは、本に何度も何度も勇気づけてもらってたんやなぁと、ようやく気づいた。
今後も本を読み、学び、ときには勇気づけられ、なんとか1歩ずつ進んでいければな、と思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

便利で使える心理学 「アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門」を読んで感じたこと〜アドラー心理学について⑨〜

MM読了『アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門』(深沢 孝之)という本を読み終えました。
本書は、アドラー心理学の考えを、スクールカウンセリングに用いて、学校生活で悩んでいる児童生徒や、その担任の先生に対してどうサポートしていくのか、の実際例が書かれています。
本書を読んで、アドラー心理学は、他者や自分を一歩前に進むよう促すために便利な心理学だ、という思いを一層強めました。
もちろん、勇気づけというアプローチがその主なものなのですが、他にも色々とアドラー心理学の考えを使って、スクールカウンセラーの方々は児童生徒・教員と向き合っていることがわかります。
いくつか、本書から引用します。

p21.私たちには、「目指しているもの」があって、それに向かって自分の心身を使っている、という立場です。

この考え方は過去にこだわらず未来志向になり、悪いもの探しより「できること探し」になり、対話が建設的になりやすいという利点があります。

p108.目的は善だけど方法が不適切だと解釈すると、臨床的には介入がしやすくなるように思います。

p109.「言葉を見ないで行為を見る」という視点がアセスメントには使える

p150.様々な事例は一人ではなく、必ず「相手役」との対人関係で発生する行動と考え、その行動の「意味」は、その人の心の中にあるのではなくて、その人と「相手役」の人との対人関係に及ぼす影響から、判断・理解することができると考えるのです。
このような「対人関係論」に立って考えてみると、ある人物の問題行動に対して、その人自身だけの心理的な原因を考えない、あるいは原因探し(=悪者探し)を重視しなくなります。

どれも、アドラー心理学の考えから、それをどう使うのか、使うことでどんな便利なことがあるのか語られています。
アドラー心理学は、「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」に注目するという点で、「使用の心理学」と言われているのですが、同時に、便利で使える心理学でもあるなーと思うわけです。
本書では、児童生徒が主な相手ですが、対人関係全般において、使える考えがほとんどです。
対人関係において、こう考えると建設的に前に進んでいけるよね、という提案ばかり。後ろ向きではなく、あくまでも前に進むために便利な考えがたくさんつまっているのがアドラー心理学だな、と思います。

もちろん、本書は、アドラー心理学のスクールカウンセリングへの応用について書かれていますから、アドラー心理学のこういう考え方・捉え方が実際に便利だ、という話が多くなるのは当たり前と言えます。が、でも、それこそがアドラー心理学の一側面であり、便利な心理学であるという部分を明確に表してくれていると感じました。

アドラー心理学は、常識を覆すような部分を多く持ち合わせており、中には受け入れにくい部分もあるように思います。
が、別にアドラー心理学というものは絶対的なものではなく、あくまでも「こう考えた方が便利ですよね」という提案だととらえれば、いくぶん理解しやすくなるのではないか、と思います。
その点で、本書は、アドラー心理学が全体的にどういったものか把握した後読んでみる本としていいかもな、と感じます。

では、お読みいただきありがとうございました。

的を絞っての勉強に切り替え。まずは、微分方程式(数検1級合格まで(8)12/15-12/21)

数検の勉強

12/15-12/21

  • 1週間の勉強時間:2時間32分 21.7min/day

微分方程式を勉強中。マセマの少し古い参考書を説き進めてる。
微分方程式については、はじめて勉強するので、新鮮で、微分積分の復讐にもなって楽しい。

使っている問題集

ブログ書き書き

今週書いたの

アドラー心理学と「人を伸ばす力」の親和性は、なかなか。動機づけという視点で研究して得たものが、アドラーが語っていたことと似てるという点から言っても、アドラー心理学を学んで実践することは、教育にとってはかなり重要なことちゃうかな、と思えてくる。
メモやScrapboxについては、書いてて、考えてて楽しいね。

読書

今、読んでるの

「生きる意味」は寝る前に、「アドラー心理学によるスクールカウンセリング入門」は日中時間をつくって、「超一流になるのは才能か努力か?」は再読で、朝に読んでる。
けっこうしっかり本が読めてて、いい感じ。

おわりに

数学とブログと読書。どれもが充実してる感がある。
で、このエントリ書くために振り返って、ちゃんとできてるなーと確認することで、「よしよし、いいぞいいぞ」と感じれる。
書くのが、自分にとってプラスに働いてくれてる。

では、お読みいただきありがとうございました。

なぜ「自らを動機づける条件を生み出せるか」が重要な問いなのか?

動機づけには、自分の内側から起こる内発的動機づけと、外部から報酬や賞賛による外発的動機づけとがあります。

先日紹介した『人を伸ばす力』(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト)において、外発的動機づけの限界とも言える部分が語られています。

p69.人が報酬を得ることを目的として行動するようになると、その行動が続くのは報酬が与えられているあいだだけになる。

これは、報酬に依存してしまうということに他なりません、

賞賛や承認も、報酬になり得ると思いますが、それもまたまずいことも本書には書かれています。

p22.報酬は行動の出現率を高めるかもしれないが、それは報酬が提供され続ける範囲内での話である。

p167.賞賛は、真の自尊感情ではなく随伴的な自尊感情を育てる危険をはらんでいる。またそのプロセスの中では、人を賞賛に依存させるような統制的な精神力動過程が強まっていく。すると彼らは、より多くの賞賛を得、それによって自分に価値があると思いたいがために行動するようになる。

人を、賞賛に依存させる方向に舵を切らせてしまう危険性。だから、ほめることや報酬を与えることによる動機づけは、あまりよろしくないどころか、すべきでないという結論にいたるわけです。
アドラー心理学においても、「称賛の欲求」が問題行動の第一段階とされており、その危うさが強調されています。
だから目指すべきは、

p12.正しい問いは「他者をどのように動機づけるか」ではない。「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」と問わなければならない。

ということになるわけです。

では、お読みいただきありがとうございました。

「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」〜「人を伸ばす力」を読んで学んだこと〜

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『人を伸ばす力』(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト)
教師が生徒の成長と関わることができる期間というのは、高校では3年間。
生徒の一生に比べれば、”わずか”3年間。
では、この3年間でできることはなにか、何を目指して、目標として接していくのが良いのか。
そういう視点で考えると、テストの点数を上げることでも、細かな校則を守るよう指導することでも無いように思えてきます。
強制的に何かをするように統制するなんてもってのほか。
じゃあ、統制的ではなく、物事に自分から取り組むよう動機づけていけばいいのか。そこを目標とすれば良いのか。
それもやはり違う。
こちらからの動機づけを必要とするのであれば、高校生活の3年間が終わってしまえば、もう動機づけられなくなってしうわけで。
確かに、動機づけられて何かをおこない、そこから学び、知識を得て、それが糧になるということもあると思います。けれども、もっと良いのは、自分で自分を動機づけることができるようになること。
そうなれば、自分で歩んでいきやすくなる。
他者からの動機づけに依存せずとも自分で取り組んでいけるように働きかけることができれば、一番いいよなぁと思うんです。

本書の序盤には、こう書かれています。

p12.正しい問いは「他者をどのように動機づけるか」ではない。「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」と問わなければならない。

この問いへの、より良い答えの考察が、本書を通して述べられていきます。
その内容は、驚くほどにアドラー心理学と呼応します。

具体的にどうすればいいかについても書かれているものの、アドラー心理学でいうところのライフスタイルを変えていくことそのものが必要である、とも感じます。

p199.あなたが為し得る最善のことは、自律性を支援することなのである。…自律性を支援するには、彼らの視点をとれること、すなわち、彼らが見ているように世界を見ることが必要である。

『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(岸見 一郎、古賀 史健)では、相手を尊敬を示す第一歩として同じことが書かれています。
まずは、尊敬からはじめよと。
絶えず、尊敬の眼差しで相手と接すること。

p279.真の自律性は、他者への尊重を忘れない。

「真の自律性」が求められている、ということです。

まだまだまだまだ道のりは長そうですが、自分自身が自立できるようになっていきたいな、と思う今日この頃です。

では、お読みいただきありがとうございました。

2019年、出会いは少なかったけれども、良い出会いが多かったように思います #mybooks2019

本を読むことが好きです。
これは、けっこう小さい時からそうで、絵本を好んで読んでいたそう。
小中学生の頃はそれが漫画になり、高校生からは小説に。
大学生から小説以外の、実用書やビジネス書などの自分の学びになりそうな本を好んで読むように、と、変遷をしてきています。

大学生の頃は、気になった本は片っ端から読む、という感じで、多くの時間を読書にあてていました。
推理小説を読んだり、ミステリを読んだり、はたまた自己啓発書に手を伸ばしたり、実用書を次々読んだり。

働きはじめ、家庭を持ち、確かに、本を読む時間は少なくなっています。
でも、「読まない」という選択肢はなく、必ず何かを読み続けいています。
数は多くなくとも、今年も何冊かの本に出会うことができました。

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『人を伸ばす力』(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト)
この本を挙げずにはいられません。
「何度も読み返すやろうな」と感じる本は、そう多くはありません。でも本書は、確実にまた読むことになりそうです。
成長を後押しできる存在になりたいと思っているので、本書とアドラー心理学は、ぼくにとっての指針となります。

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『思春期・青年期支援のためのアドラー心理学入門 どうすれば若者に勇気を与えられるのか』(深沢孝之)
アドラー心理学についての本を、次に次にと読んでいってます。
最近は、アドラー心理学の実際の実践例について書かれている本を中心に。
本書は、はじめにアドラー心理学についてのコンパクトなまとめがあり、その後は高校や大学、専門学校などでのカウンセリングの実践についての事例と考察がのっており、実践的です。

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『プロ研修講師の教える技術』(寺沢 俊哉)
何度も再読をしている本です。
今年の読書は、積極的に再読をしてきました。中でも本書は、何度も読み返すことの多い本で、自分の授業づくりにとても影響を与えてくれている本です。

以上が、2019年の<びっくら本>です。

では、お読みいただきありがとうございました。

原因のせいにせず、良くしていくためには?を考える〜アドラー心理学について⑧〜

アドラー心理学の本を読んでいると、徹頭徹尾よりよく生きていくには?建設的に生きていくには?が考えられているな、と感じる。
その考えは、絶対ではない。ただ、「こうしたほうが、こう考えたほうが、こうとらえたほうが、良くなっていくことができそうやよね?」という提案。
あらゆる物事に、どう意味づけしたほうが、良くなっていけそうか。

その一つが、原因のせいにしない、という姿勢。
人は、いろんな物事をなにかの原因に持ち出しすぎている。
基本姿勢として、原因をさぐる。こうなったのは、あれが原因や、と。
思考の基本が原因論やと、悪いあなた、かわいそうな私に終始してしまいがち。
「あれのせいでこうなった」と考えると、悪いあなたの話をしているだけ。
「自分は、あれが原因でこうなってしまった」と考えると、かわいそうな私の話をしているだけ。

今に至る原因を探し、そのせいにして、じゃあ何になるのか。
悪いあなた、かわいそうな私の話をして、事態はどう好転するのか。
原因を求め、そのせいにすることで、いっときの安定は得られるかもしれない。
でも、それでは、結局何も変わらずじまい。結果的に現状になんの変化も起こらない。
その場で足踏みをしているだけ、ということになる。

まぁ、それでもいい。けど、もう少し、「良くなっていくにはどうしよう?」ということに目を向けると、その場で足踏みをするよりも、一歩前へ踏み出していくにはどうすればいいか考えていくと、悪いあなた、かわいそうな私の話は置いておいたほうがいいな、となる。
原因をさぐってそのせいにしていたらその場であしぶみするだけになってしまうのなら、原因は一旦棚上げして置いて、これから自分にできることを考える。
そのほうが、現状を良くしていけそうやよね?という提案。

では、お読みいただきありがとうございました。

「変われないの」ではなく「変わらないと決断している」という視点に立つ〜アドラー心理学について⑦〜

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』」のはじめの方は、「僕」が変われないと話すところからはじまる。
『性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)』」でも、性格は変えられるよ、という話から入る。
「変われるかどうか」は、アドラー心理学に足を踏み入れていくはじめの話として、よく用いられている。

アドラー心理学は、人は変わる力があると信じつつ、でも、変わることへの恐怖は強い、とも思ってる。変わることは、それまでの慣れた、安定した今までの世界を捨てて、慣れない先がわからない不安定な世界へと足を踏み入れる行為やから。
怖いから、変わらないでいる言い訳に劣等感が使われることがよくある。

自分は変わらないのではなく、安定した状態を保つために、変わらないことを決断している。
何かしら自分を変えたければ、この変わらないという決断をやめて、同じでいることをやめる決断をする。
次に何がおこるかわからないことを引き受ける勇気があれば、性格は変えられる。

安定した状態から抜け出すためには、恐怖に打ち勝つ勇気が必要。だから勇気づけ
もう一つの手としては、「『性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)』(野田 俊作)」では、「瞑想」が挙げられている。瞑想は、考えて怖くなって動けない、を防げるから。
変わるためにすべきことは、どうやったら変われるのか考える、ことではなく、勇気を持ち、何がおこるかわからない怖さを引き受けるか、そもそも考えずとにかくやってみるか。
恐怖に打ち勝つ勇気を持つか、恐怖を覚えずとにかくやってみるか。

違うことをやってみて、うまいこといくと、それからはそのうまくいったことを選択するようになってくる。

とにもかくにも、視点の転換が必要。
「人は、変わらない・変われない」のではなく、それまでの安定した状態にこだわって、「変わらないことを日々決断している」という風に。
変わらないという目的があるから、劣等感はその言い訳、変われない言い訳にはもってこい。
でも、そこから抜け出し、変わる一歩を踏み出していくこと。
アドラー心理学は、そうやって生きていくほうがいいと思いませんか?という提案なんやろうと思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

劣等感と劣等コンプレックス・優越コンプレックス〜アドラー心理学について⑥〜

昨日のエントリ、「マインドセットによって変わる、劣等感への対処の仕方〜アドラー心理学について⑤〜」にサラッと挙げた、劣等感と劣等コンプレックス・優越コンプレックスについて。

アドラー心理学の本を読んでいて感じるのは、劣等感は、「できない」「もってない」など、「〜ない」感覚、くらいのものっぽい、ということ。ただ、他と比べて劣ってるなーと感じることで、それ以上でもそれ以下でもない。
劣等感自身は、別に悪いものではなく、ただできてないなーと感じるだけのもの。
やから、誰しもが持ってるもの。

『幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(岸見 一郎、古賀 史健)では、人は皆、生まれた時から劣等感を抱いているとも言ってる。
生まれてからしばらくは、周りは大人や年長者ばかり。
そんな周りと比べて、「できない」ことが多いから、劣等感を抱くもの、と。

で、この劣等感にたいして、どう振る舞うか。
自分の成長につなげるのか。
劣等感があってもいい、と思えるか。
あるいは、その劣等感を言い訳や、ひた隠しにするか。

劣等コンプレックス優越コンプレックス
劣等感を「できない言い訳」に使うのが、劣等コンプレックス。
劣等感に向き合わず、ただ否定するのみで、あたかも自分は優れていることを強調して、偽りの優越感に浸るのが、優劣コンプレックス。

コンプレックス=劣等感、ではくて、コンプレックスの本来の意味は、思考や意識、感情などが複合したもののことを指す、らしい。
ということは、劣等コンプレックス・優越コンプレックスとは、劣等感(「できてない」感)を“認識“するだけではなく、他の思考や感情、意識にまで混ぜ込んでしまうこと、と言えそう。

ということで、硬直マインドセットやど、劣等コンプレックス・優越コンプレックスに向かってしまいがちになりそう、というのが、前回の結論なわけでした。

では、お読みいただきありがとうございました。

マインドセットによって変わる、劣等感への対処の仕方〜アドラー心理学について⑤〜

マインドセット「やればできる! 」の研究」での「硬直マインドセット」と「しなやかマインドセット」という視点でアドラー心理学で挙げられる「劣等感」について考えた。

まず、アドラー心理学における劣等感について。
人は、優越性の追求、つまり、人にはもっといい存在になりたいという欲求があり、それがあるから、できていないところが見えてしまい、劣等感を抱く。
その劣等感に、いかに対処するか。

マインドセットが硬直か、しなやかか、という目線で考えてみる。

p13.自分の能力は石版に刻まれたように固定的で変わらないと信じている人ー「硬直マインドセット」の人ーは、自分の能力を繰り返し証明せずにはいられない。

しなやかな心の持ち方、「しなやかマインドセット」である。その根底にあるのは、人間の基本的資質は努力しだいで伸ばすことができるという信念だ。

硬直マインドセットであれば、劣等感を言い訳に使うか(劣等コンプレックス)、自分の凄さをことさらアピールするか(優越コンプレックス)して、自分に能力がないことを否定したがるやろう。
なにせ、人間の能力は固定的と思ってて、自分に能力がないことは是が非でも認めたくはないやろうから。
優越性を、他者が自分をどう見るかに注目して、追求していくことになる。

しなやかマインドセットであれば、劣等感を抱いた後どうするか。
自分の劣っている、まだいたらないところに目を向け、変えていけばいいと思い、実際に帰る行動をとっていく。
人は変わっていけるという信念があるから、自分の劣等感に向き合い、それをもとに変えていこうとしていく。
優越性を、自分の変化によって追求していく、ということ。

マインドセットの違いにより、劣等感への向き合い方に違いが表れそうなのは容易に想像できる。で、その対処の違いが、アドラー心理学においての自立できていない人・自立している人の違いとほぼ一緒なところも、すごく興味深い。
引き続き、マインドセットとアドラー心理学について考えていけたらな、と思う。アドラー心理学の理解が、より深まりそうやから。

では、お読みいただきありがとうございました。