「変われないの」ではなく「変わらないと決断している」という視点に立つ〜アドラー心理学について⑦〜

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』」のはじめの方は、「僕」が変われないと話すところからはじまる。
『性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)』」でも、性格は変えられるよ、という話から入る。
「変われるかどうか」は、アドラー心理学に足を踏み入れていくはじめの話として、よく用いられている。

アドラー心理学は、人は変わる力があると信じつつ、でも、変わることへの恐怖は強い、とも思ってる。変わることは、それまでの慣れた、安定した今までの世界を捨てて、慣れない先がわからない不安定な世界へと足を踏み入れる行為やから。
怖いから、変わらないでいる言い訳に劣等感が使われることがよくある。

自分は変わらないのではなく、安定した状態を保つために、変わらないことを決断している。
何かしら自分を変えたければ、この変わらないという決断をやめて、同じでいることをやめる決断をする。
次に何がおこるかわからないことを引き受ける勇気があれば、性格は変えられる。

安定した状態から抜け出すためには、恐怖に打ち勝つ勇気が必要。だから勇気づけ
もう一つの手としては、「『性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)』(野田 俊作)」では、「瞑想」が挙げられている。瞑想は、考えて怖くなって動けない、を防げるから。
変わるためにすべきことは、どうやったら変われるのか考える、ことではなく、勇気を持ち、何がおこるかわからない怖さを引き受けるか、そもそも考えずとにかくやってみるか。
恐怖に打ち勝つ勇気を持つか、恐怖を覚えずとにかくやってみるか。

違うことをやってみて、うまいこといくと、それからはそのうまくいったことを選択するようになってくる。

とにもかくにも、視点の転換が必要。
「人は、変わらない・変われない」のではなく、それまでの安定した状態にこだわって、「変わらないことを日々決断している」という風に。
変わらないという目的があるから、劣等感はその言い訳、変われない言い訳にはもってこい。
でも、そこから抜け出し、変わる一歩を踏み出していくこと。
アドラー心理学は、そうやって生きていくほうがいいと思いませんか?という提案なんやろうと思う。

では、お読みいただきありがとうございました。

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