「そういうもの」のうちのひとつについて

長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。
時期ごとに熱中したものはあれど、どこかで飽きるというか、熱が冷めるもんです。
でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。
ずっと好きなことに出会うと、それは生活にしみわたり、それにふれるために時間をつくったり、日々の活力になったり。
それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいになります。
そういうものに出会うことができるのは、幸せなんちゃうかなぁ。
そんな風に思います。
ぼくにとって数学や本を読むことが「そういうもの」にあたります。
今回は数学について、ちょっと書きたいと思います。


いつから数学が好きなのか、と考えてみると、小学校のころにさかのぼります。

先生:じゃあ、算数ドリルの27ページを開いて、そのページの問題を解きましょう。
解けた人は先生に持ってきてねー。
いつものように、はやく全問正解した5人には、先生の代わりに「マルつけ先生」をやってもらいますからね。

ぼく:(よしゃ!今日もはやく問題解いて、マルつけ先生しよう!)

ぼくは一生懸命に問題を解き、「マルつけ先生」の役をゲットし、はりきって友だちのドリルのマルつけをしていました。
そろばんを習っていたこともあってか、みんなよりも計算をすばやくおこなうことができていました。
計算問題がササッと「できる」ことがうれしく、「マルつけ先生」になれるのが楽しかった小学校のころ。
算数が、少し好きでした。
小学校でのこの経験は、ぼくの中の大切な思い出の一つとなっています。
そして、そこからちょくちょく、数学はぼくに、強烈に印象に残る出来事を与えてくれます。

中学生のころ。
週に3日ほど塾に通っていたおかげもあってか、数学、理科、英語がまずまず得意でした。
ある日の塾での出来事を、すごく鮮明に覚えています。

先生:ノートに5cmの長さの線分をかきましょう。
みんなかけた?
じゃあここで問題です。
その線分から、2cmの距離にある点がえがく図形をかいてみましょう。

ぼく:まず線分の両側に同じ長さの線分を平行にかいて。。。
・・・
先生:おぉ、すごいな。これ、正解です。みんな、ちょっとこれ見てみて。
先生、これまで塾で教えてきたけど、正確に作図できてたのはキミがはじめてやわ。すごいすごい。

今考えれば、先生の「キミがはじめて」という言葉は、ほんとうかどうか実際のところはわかりません。
でも、ぼくは、自分で考えて、定規とコンパスを使って図をかき、それが正解であったことがむちゃくちゃうれしかった。
しかも先生に「キミがはじめて」と言われたことも、すごく誇らしかった。
考え、自分の答えを出し、それを強烈にほめてもらえた経験は、おそらくずーっと忘れないことと思います。

高校に進学し、数学がとたんに難しく感じるようになりました。
定期テストの前だけ必至こいて勉強し、なんとか赤点をまぬがれるように乗り切る。
そんな風にして、いつしか高校3年生。
大学進学のため、これまでの人生で最も勉強に励む時期に入ります。
理系クラスに進学したものの、中学まで好きだった数学は、難しくてなかなか身につかず、好きという風に感じなくなっていました。
そのころ好きだったのは、化学と物理だったでしょうか。
中学までは、数学を、問題の解き方を暗記することで対応していました。
それでなんとかなっていたんです。
けれども、高校では学ぶ内容がすごく多くなり、解き方の暗記では、自分の中に吸収しきれなくなってしまいました。
これが、数学から気持ちがはなれた原因だと思います。
でも、いくつかの出来事によって、またぼくは数学にグググッと惹きつけられていきます。
その中でも特に印象的なのは、高校3年になってからの、予備校での授業でした。

ぼくが教わった先生は、

  • 解き方の暗記ではなく、「なぜ?」を考えること。

について、熱く伝えてくれました。

  • なぜそう考えるのか?なぜそう進むのか?なぜそう扱っていくのか?
  • 数学は、その「なぜ?」に必ず答えてくれる。
  • やみくもに問題を解くのではない。
  • やみくもに式変形するのではない。
  • 条件と求めるものを明確にし、一歩一歩求めるものに向かって進んでいく。

解き方を暗記する数学から、考えて進む数学へ、180°転換した瞬間でした。
そして、その先生が教えてくれたことは、今のぼくの中に、深く深く根付いています。

予備校の先生の教えのもと、無事大学に合格できたわけですが、大学に入ってすぐに打ちのめされます。
代数学、線形代数、微分・積分学、幾何学。。。
どれもが難しく、いまひとつわからない。
それでもなんとか単位をとりつつ、3回生からはゼミがはじまりました。
あえて、ぼくのいる学部で一番厳しい先生のゼミに入り、必至こいて勉強し始めました。
ゼミの形式は、教科書を理解し、ゼミにて90分間先生に対して、何も見ずに理解した内容を解説する、というもの。
内容を理解し、頭に叩き込んでゼミにのぞまなければいけません。
少しでも理解が不十分であれば、解説の際にすぐに先生に見抜かれてしまいます。
苦労しながらも、同じゼミの友だちと協力し合いながら、なんとか教科書を読み進めていました。
ある日、勉強していて、どうしてもわからない部分にぶつかりました。
いくら考えてもわからない。
しかも、たった3行の記述について、どうしても理解することができないんです。
考えても考えてもしっくりこない。意味がとれない。後の内容につながっていかない。
その部分について、ずーっと考えました。
先生に質問することもできたのですが、そうしませんでした。
ある程度自分で考えると、躍起になって、どうにかこの部分を自分の力で理解したい、という気持ちになります。
だから、すっと考えました。
文字通り三日三晩考えました。
そしてその瞬間が訪れました。
「なるほど!そういうことか!」
この瞬間。すべてがつながる瞬間。理解できた!と確信する瞬間です。

そんなこんなで、今もまだ数学をちまちまと学んでいます。
大学生の時のこの体験、三日三晩考え、自分で理解できた体験がなかったら、もしかしたら今はもう数学を学び続けていなかったかもしれません。
それほどに強烈な体験でした。


長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。
でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。
それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいの。
そういうものに出会うことができるのは、幸せなことだと思います。
ぼくにとって数学は、「そういうもの」です。
だから、今もまだ数学を学び続けていますし、そんな数学の魅力を伝えたいと思っています。
ぼくが数学について語り、伝えていくことで、ちょっとでも数学が好きになったり、興味を持ってもらえるように。
究極は、ほかの誰かにとっても数学が「そういうもの」になってくれるように。
ずーっとそこを目指して、生きていきたいものです。

では、お読みいただきありがとうございました。

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