「丁寧に生きたい」が、切実な願いに

大抵のことはごめんで済むと思うけど、ほんまにごめんで済まへんものは、いくらごめんって謝っても、謝る気持ちがあっても、向こうもしくは謝ってるこっちの気が済まないことやと思う。
そんなことがもう起きないように対策を考えていきたい。
どれだけ謝ってもこっちの気が済まないようなことがあったから。

とはいえ、生きていれば予測できないようなことがいくらでも起こってしまう。
そう考えると、防ぐなんて不可能なように思える。
でも、たとえ防ぐのが不可能なことがあるとしても、防ぐことができるものに関しては、すべて防ぎたい。
傷つけるようなことになってほしくない。
何か起こってからの対処法ではなく、起こることを未然に防ぎたい。

予測不可能なことが起こり続ける現実で、防ぐことが可能な事故をすべて防ぐためにはどうすればいいのか。
いくらごめんという気持ちがあっても謝りきれないようなことが起こらないようにするには、どうしたらいいのか。

「丁寧さ」がかなり大切やと思ってる。

ぼくは、丁寧さに欠けるところがある。
「神は細部に宿る」と言うけれど、神が宿ってくれるうよな細部にまで丁寧に気を払うことができた試しがない。
「まぁ、こんくらいでえぇか」で済ませてしまう。
「十分頑張ったよね」でやめてしまう。
大抵のことは、それでいい。大きな問題は起こらない。
ただ、たまーに、とてもまずい事態に陥ることがある。
細部といかないまでも、ちゃんと確認せずにやってしまって手痛い失敗を犯すことがこれまで何度もあった。
たとえば、羽田空港発の便やのに成田空港の便を予約していると勘違いしていて、成田空港に着いてから気づいて途方に暮れたり。

ちらっと確認すれば失敗を犯さずに済んだのに。
ちゃんと見ておけば防げたのに。

何気ない言葉や行動で、人を傷つけたことも何回もある。
何度謝っても、謝りきらない。

ちょっと考えれば、わかりそうなことやのに。

もしかしたら、「大抵のことは、こんくらいでえぇかでいい。それで大きな問題は起こらない」と思ってるのが間違いである可能性もある。
こんくらいでえぇかの積み重ねが、大きな事態に発展するのかも。
「まぁまぁできたかな」が、実はヒヤリハットを量産していて、やがて大きな事態を引き起こしてるのかも。
と考えると、やはり「丁寧さ」はとても大事やと思う。

丁寧さは、どう身につけていけばいいのか。どう身につけていくことができるのか。
もう、あぁほんまに時間戻ってくれへんかな、どうにか無しにできひんかな、と思うようなことを起こさないためにも、防ぐことができるものに関しては防ぎ切るためにも、大きく傷つけないためにも、物事に丁寧に取り組むことを身につけていきたい。
この願いは、年々強くなっていってる。
これはもうずーっと頑張ろうと思う。
丁寧に生きる」という人生の目標。

では、お読みいただきありがとうございました。