2021年現在の、日々の記録あれこれの利用の仕方

2021年現在の、日々の記録あれこれにて、現在どういったものを日々の記録として残していっているのかについて述べました。今回は、その残しているものをどうしているのか、についてです。


デイリーページ

日々「デイリーページ」をObsidian上に作成し、そのページを開きっぱなしにして日中過ごして何かあれば書き込んだり、タスクを書き出してそれに倣って行動しているのですが、そのデイリーページのログは、来年の同じ日付の日に見返されることになります。
「連用手帳」という形式をとっており、日々のデイリーページには1年前・2年前の同じ日付の日を埋め込んでおり、プレビューによって毎日見返しているからです(Obsidianにて連用手帳)。
1年や2年前はまだObsidianを使っていませんでしたが、Scrapboxにてデイリーページを作成して過ごしていた時期があるので、それをObsidianにインポートし、毎日見返しています。
なので、今日かいたページは、確実に1年後、見返すこととなります。
去年や一昨年の1日を見返し、今日を過ごす参考にする、という感じです。あるいは、そこに書かれているメモを読み返し、何かしら書き加えたくなることもあったり、です。

たすくまの記録

Obsidian以外に、「たすくま」にて行動を記録していますが、こちらはほぼ見返されません。
ごくごくたまーに、「あの日は何をしていたのだ?」ということを知りたくなることがあるので、そういう時には過去の記録を振り返りますが、その程度。
デイリーページのように確実に見返されることが決まっている、というわけではなく、ごくごくたまーに特定の日の記録を見返すだけです。

日記

日記はEvernoteに連用日記を書いていっており、デイリーページと同様、今日かいた日記は来年の同じ日に見返されることになります。
2015年から書き加え続けているので、今は毎日過去5年分の日記を見返しています。
日記は読み返すだけで楽しいですし、結構「あぁこの時期にこれをやってるんか」と、今年を過ごす上で参考になることも多い。
それもあって、手帳も連用形式にしよう、となったわけですが。
まぁでも、日記は読み返すだけで面白いので、書くのは多少面倒に思いつつも、毎日欠かさず書き続けています。

個別にページを与えてログを取っているものたち

自分の好きなものに関しては個別にページを与え、記録をとっていってるわけですが、これらはあまり見返しません。
お酒の記録であれば、時々「これって飲んだことあるっけ?」と検索をかけてみたり、映画の記録は友達と面白かった映画を共有するときに振り返ってみるくらい。
コーヒー豆焙煎の記録は、同じ豆を焙煎するときに少し振り返り、次の焙煎はどうするか考えるときに。
読んだ本や読書メモも、とってはいるもののさほど見返すことはありません。以前は読んだ本についてブログで書いたりするときに読み返していましたが、今はそれがやりたいのになかなかできていないという現状です。


デイリーページと日記は、1年をサイクルとして必ず見返します。
そのほかはたまに検索をかけて見返したり、といったところでしょうか。

ぼくというものはどうやら「定期的に見返すぞ」と思っても確実にちゃんと見返してはくれないようなので、連用形式で1年後勝手に目に入るようにしています。
意図的に見返して使っていきたいものに関しては、勝手に目に入るような状況を作り出し、活用している、という感じです。

では、お読みいただきありがとうございました。

「黒板の前に立ち全体に向かって講義する形」ではない授業を試す

ぼくは、高校で数学を教えています。
赴任している学校が「学びなおし」の学校でして。
小中学校で学んだことを1年間でどう復習し、高校数学につなげるか〜新しい授業の形について考える①〜でも触れましたが、学びなおしということで、勉強を苦手としてきた生徒がけっこういます。そこで、毎日30分間、小中学校で学んだことを復習するという授業形態(モジュール授業)をとっており、国数英に関しては毎日授業があります。その授業も他と同様、基本的には前で教員が解説する講義形式で授業しているのですが、やり始めたときから全く違ったものにしたい、と考えていました。

数学がすごく苦手な生徒もおり、これまでの経験から、学ぶ意欲が失われているのでは?と感じる生徒もいます。
モジュール授業では、2クラスを習熟度によって3つのグループに分けており、ぼくはその中で一番数学が苦手な生徒が集まるのクラスを担当しています。
小学校2、3年生あたりの内容でも正確に解くことができなかったり、小数の計算になるとクラスの半分は正解に至ることができず、分数ではさらに3分の2は足し算・引き算ができない、というような感じです。
その生徒たちに、集団講義という形、前で教師が生徒とやりとりしながら解説していく形で、小中の内容を1年間で復習するわけです。が、どう考えてもそれでは生徒が計算を身に付けることができるようには思えないわけです。
そこまで数学が苦手であれば、おそらくは小学校の頃から何らかのつまづきをしているはずです。小学校の授業形態は、基本的には集団抗議の形になるでしょう。もちろん、生徒同士のやりとりや1つの単元にかける時間数は、モジュール授業よりも多いはずです。そこで、何らかのつまづきがあった生徒が、今、モジュール授業を受けている、と考えていいと思います。
そんな生徒相手に、相変わらず集団講義の形式で授業をするのは、しかも小中学校の時代よりも短い時間で多くの内容をこなしていくのは、どう考えても生徒の力を伸ばす結果にはならない、と思うわけです。

  • 小中学校の頃よりも短い時間で進んでいかないといけない。
  • そのため、小中学校でやっている授業よりも一つ一つの内容をじっくりやっていくことができない。
  • モジュール授業の相手は、小中の授業を受けても十分に理解できず、どこかでつまずき、取り残されてしまった生徒達。
  • であるにもかかわらず、小中学校の授業と同じように、教師一人が、生徒多勢に黒板を用いて授業する形態をとっている。

そんな中で数学の力を、基礎的な部分を伸ばすことができる生徒は、ほんのほんの一握りでしょう。もしかしたら、一人もいないかも。
そう感じていたため、集団講義の形式での授業をするのはもうやめにしないか、と常々思っていました。

今年度の授業があとわずかとなり、試しに教師が黒板の前に立ち全体に向かって講義する形ではない授業を試すことにしました。定期考査対策のプリントを配り、その解説動画を見て、自分のペースで勉強を進める形を。
わからない部分があれば、これまでに書いたノートを見返し、見ながら解いてみる。それでもわからなければ、プリント上に印刷されているQRコードをスマホで読み取り、動画を見て学ぶ。それでもわからないところは、教員が個別に対応する。そんな授業です。
1回目の授業は、物珍しさもあってかとても手応えのあるものでした。
いつもは私語が目立つ生徒や、わからないからとすぐに顔を伏せてしまう生徒が、熱心に動画を見ながらプリントに取り組んでいたんです。
みんな見慣れているので、操作もお手の物。わからないところは一時停止し、ときには巻き戻してもう一度見返したりしながら集中してくれていました。
「このほうがいい」という生徒の声も聞け、とても収穫のある授業となりました。
もちろん、問題点はたくさんあります。
関係のない動画を見るかもしれないですし、スマホが使えてしまうとメールやSNSなどに気を取られてしまう恐れがある、教員1人が個別に対応できる人数には限界がある、などなど。
とはいえ、それらの問題点を解消する策はありそうですし、効果的にこの授業の形を取り入れることはできる、という感触を得ることができました。かなり大きい収穫だと感じています。

次年度は、講義形式と動画を用いての授業を、どう効果的に織り交ぜていくか、が焦点になってきそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。

小説読みたい欲を満たしてくれる「オーディオブック」

本を読むことが好きです。
思い返せば、高校生の頃、小説に、ミステリにハマって以来、ずーっと本を読むことが好きです。今では人生の中でも本を読む時間はけっこう大切にしたい時間になっています。
高校生からガッツリハマり出し、大学の3回生くらいまではずーっと小説ばっか読んでました。
数々の伏線が見事に回収されていき、最終的には驚きの結末に至る。そんなミステリに魅了されていました。
大学の3回生からは、ビジネス書・実用書もよく読むようになりました。やがて比重が少しずつ小説からビジネス書に移っていき、働き始めた頃にはほとんど小説を読まなくなりました。

思い出話はこれくらいにして、何の話をしたいかというと、「オーディオブック」の話をぼくはしたいのです。


働き始め、やがて家庭を持ち、子どもが生まれ。それにともない、読書の時間は減っていきました。
もっと読みたい。でもなかなか思うように本に向かうことができないという思いから、オーディオブックを聴き始めます。
これが良くて。
移動中や家で洗濯物を干している時間など、耳で聞いて本を読む、ということが身についていきました。
ただ、色々なオーディオブックを聴く中で、あることに気づきます。
本によっては、全然頭に入ってこないものがある、ということに。

もちろんどのオーディオブックもしっかり聴くつもりで聴き始めるわけですが、気づいたら本と関係のないことを頭は考え始め、耳から音は入ってきているのに頭で考えていることに負けてしまい、見事にまるっと聴いてなかったりする。
どの本を聴いていてもそうなってしまう時が多少はあったりしますし、本によっては聞くたびに他のことを考え始めるものもあったり。
そうなると、本の内容が全然頭に入ってこなくなってしまいます。
ただ唯一例外がありまして、いつも集中して聴くことができるものが存在するんです。
それは、小説や、ストーリー仕立てのもの。
かなり入り込むことができます。別のことを考えてただ流すだけになってしまう、ことなんてまったくありません。

audiobook.jp」でオーディオブックを買っているのですが、基本的に実用書系は1人の方の朗読が続きます。一方で、小説やストーリー仕立てのものは登場人物ごとに何人もの声優さんがその役を演じており、それも入り込むことができる一つの要因かもしれません。
なので、ある時を境に、オーディオブックでは主に小説を狙って読むようになりました。

元来小説が、特にミステリが大好きで、今はほとんど読んでいないものの、やはりすごく読みたい気持ちは強いんです。ただ、小説はどうしても続きが気になってきて、それを我慢できない。読み始めるとまず間違いなく寝る時間を削って読みふけってしまうことになってしまう。なので、読まないようにしているものの。
でも、やっぱり読みたい。読みたいなーって気持ちはずーっとある。絶えずある。
そんなぼくの、小説読みたい欲を満たしてくれているのが、オーディオブックというわけです。

オーディオブックで小説の世界に浸るのも、なかなか素晴らしい読書体験です。

では、お読みいただきありがとうございました。

書いたものの仕上がりに満足できるようなペースで更新する

11月からブログを再開し、2ヶ月が経ちました。
一昨年から去年にかけては毎日更新をしていましたが、数ヶ月続けることができたものの、途絶えてしまい。そこから1〜2ヶ月に1回更新するくらいの頻度にまで落ち込んでしまいました。
で、11月からは更新頻度を週2回と定め、書き続けています。
こんくらいがちょうどえぇわぁ、と言う感じです。

毎日更新のときは、やはりなかなかに無理してました。
それなりにちゃんとしたものを、との思いで書いてたので、そうなるとまずまず時間がかかるわけで。けっこう無理やり時間を捻出して書く、という感じだったように思います。
その無理からかわかりませんが、毎日更新が途絶えてしまうととたんに書かなくなり。時間の確保を放棄してしまったので、途絶えた後には記事が続かず。

今は週2回の更新です。火曜と金曜。
2回の更新とはいえ、書く時間は毎日確保しています。だいたい10分〜20分ほどでしょうか。
新たなエントリを書き始めるときには、何書こうかなぁなんてのんびり考え、思いついたことを書き出していき。
すると、だいたい何かしら書きたいことが見つかる。
で、それについて2
3日かけて本文を完成させていく、という形でやっています。
毎回ちゃんと書くことが見つかるので、けっこう自信がついてきたのか、とりあえず書き始めたら書けるさ、という心持ちで更新を続けることができています。

更新まで3
4日あるので、書く内容が定まればたいていは急がずに書き切ることができます。ときには2日ほどで本文が仕上がり、残りの2日を推敲に使える、なんてときも。
自分として満足のいく仕上がりにできることが多く、やはりそのほうが楽しく書けますね。

週2回更新と定めていますが、実は「更新できたらいいな」くらいのゆるーい目標でしかなくて。
ゆるすぎたからか、前回のエントリは、早く書き上がったと同時に思わず更新ボタンを押してしまい、火曜に更新する予定のものを日曜に公開してしまいました。逆に早く上げすぎたパターンです。
順調に書き進めることができているわけですが、もしかしたら今後更新できない日がくるかも。まぁでも、更新できなかったとしても気にせずに、次の更新日までに書いて公開できればいいかな、というようなゆるさを維持していこうと思っています。
きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはない。
たとえ途絶えても、そのうちまた書き始めると思うので、更新が途絶えちゃってもいいや、という感じで。

今の書き進めかたがとてもいい感じなので、しばらくは週2回の更新ペースでやっていってみようと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

楽しそうなところに加わりたくて

楽しいことを書いていくのです。あるいはブログを愉しむのです。何をすれば楽しくないのかは、一週目でさまざまに経験したでしょうから、その判断はきっとやりやすいかと思います。

皆さんは、どのように考えられるでしょうか。

気がつけば、ブログを10年以上書き続けてきました。
正確には書き続けたというか、途中幾度となく更新が途切れながらも、でもやはりブログを書くことを再開し、、、ということを繰り返しています。

「何をすれば楽しくないのかは、一周目でさまざまに経験したでしょうから」とあります。
自分はどうだろう?と考えてみました。

ぼくがブログを書き始めようと思ったきっかけになったブログがいくつかあります。
その一つが、「R-style」の存在です。
今も「R-style」というブログ名の横にたたずむ「Sharing is Power!」の文字。
その一言は、「ブログを始めてみたいな、どうしようかな」と迷うぼくの背中を、強く強く押してくれました。

10年前のことですし、記憶は正確ではないかもしれませんが、そのころ、まだ自分がブログを始めていなかったころに読んでいた、RSSに登録していたブログの多くが、とても面白かったことを強烈に覚えています。
毎日それらを読むのを楽しみにしていました。
「そこに加わりたい!」と思うのには時間はかかりませんでした。
おもしろいと感じることを書きあう、楽しそうな世界に。

ぼくのブログのはじまりがそこなのです。
他のことを求めたことはありません。
楽しくないことをしていないので、一周まわってなんていなくて、フラフラしながらも、ときには停止しながらも、同じ方向にずっと進んでいけている感があります。
それはやっぱり、ブログを書くきっかけを与えてくれたブログが、楽しそうだったからなんだと思っています。

儲けるため、成功するためにブログをかくのではない、と。

立派なことだったと思いますし、倫理的に正しいことだったとも思います。

一方で、その高貴な思いは必要以上に削りすぎてしまったのかもしれません。ブログにまつわる、雑多な楽しみを。

幸い、高貴な思いもあまり抱いたことはなく。
それは、ぼくが好んで読んでいるブログは、変に盛り上がったり煽り立てるでもなく、とても面白いものを、でもきっと広くは読まれないだろうなぁと感じることを、広く読まれることはないと分かりながらも淡々と書き続けていることに影響を受けているのだと思います。
淡々と、自分の興味・関心を書いてシェアすれば、それをおもしろいと感じる人はきっといる。だって自分は、そういうものに強く心惹かれるのだから。
そう思えているからこそ、今まで高貴な思いを抱くことなく、楽しみを削ることなく、だからブログを続けることができているのだと思います。

実は実利ではなかったのかもしれません。謳われていた「実利」は、飲み会の口実のようなものであって、実際は「やりとり」とそこから形成される「つながり」こそが人を呼び寄せていたのかもしれません。

ぼくがブログを書き続けることができているのは、好きなブログがあるからこそ、ということです。
これはもう、感謝するしかありません。
ありがとうございます。

そして、ぼくのブログも、誰かにとってのそんな役割になっていてくれたらな、と願うばかりです。

ぼくはそんな風なことを考えました。

「授業は難しい。だから楽しい」とはなかなか言えないけど、うまくいってない部分を打開して楽しめるようになりたい

授業で難しい、と感じるのは、「どうすれば数学を学ぶ気になってくれるのか?」というところ。これがほんまに難しい。
ぼくの赴任している高校の生徒は、勉強することに苦手意識というか、高校に入るまでの経験で勉強することに対してポジティブな感情よりもネガティブな感情を抱きがち。
そうならざるを得ないこともあるよな、と感じる。
特に数学のような積み上げていく教科は、小学校あたりでつまずき、そのつまずきから先「わからない」の経験が積み重なっていってしまうことがある。
そうなると、なかなか数学を学ぶことに対してポジティブな感情を抱きにくい。
聞いてもわからん授業を受け続けるのは、かなりの苦痛やから。
そういう生徒もいる中で、どうやったら「ちょっとやってみよう」と実際に取り組んでもらえるのか、「これはどうなるかな?」と考えてもらえるのか。
加えて、ぼくの赴任校は単位制の高校なので、「単位さえ取れたらいい」と考える生徒も多い。
中には、進級できる分の単位があればいいから、数学の単位は取れなくても他を取ればいいし、と考える生徒もいる。
そんな生徒たちに授業に、数学に取り組んでもらうには、どうすればいいのか。
いかにして単位目的ではなく、学んでもらえばいいのか。
とても、難しい。

と、ここまで書いてて、「何を弱音ばっかり言うてるんやい」「ぐちぐちと不満を漏らしてるんやい」と言う気になってきた。
何かしら、打開策はないものか。

今、顕著に現れてるのは、同じ内容を扱い、同じように授業を展開していても、うまくいっているクラスと全然うまくいってないクラスがある、ということ。
授業は、ぼく一人でやるものではない。授業を受けている生徒と一緒に作るもの。
みんなの協力がなければ、まともに授業をおこなうことなんてできない。
一人一人、日によって調子にばらつきがあるので、みんながみんな毎回ちゃんと授業をうけることができなあかんとは思ってない。
けど、日によってばらつきがあったとしても、「よし、やろう!」と思ってくれている生徒が一定数いると、クラス全体が自ずと取り組む雰囲気が出来上がる。
取り組む雰囲気ができているクラスは、多少の私語はあれど授業の妨害になるようなことをする生徒も少ないので、授業をしやすいし、生徒もよくやってくれるので、定期考査の平均点を見ても明らかに高い。
じゃあ、いかにそのようなクラスの雰囲気に持っていけばいいのか、という話になってくる。
クラスが違えば同じように授業をするとうまくいかない。であれば、何かしら変化を加えないと。
同じ題材を使うからといって、同じ授業にしないといけないわけじゃない。
クラス全体の授業に取り組む雰囲気づくりがうまくいきそうなやり方を考えればいいのか。
クラスによって、やり方を変えて雰囲気を引き出せばいいのか。
うまくいっていないクラスに関しては、大胆に変えていっていいかも。
うん、打開策になるかはわからないけど、やってみようと、試していこうと思うことは定まった。
もっと生徒に目を向け、分析して、取り組む雰囲気を作っていけたら。

と、こんな風に、授業について考える時間をもっととることができればなぁと感じる。
考え、試し、いい方法を探っていきたい。

では、お読みいただきありがとうございました。

「丁寧に生きたい」が、切実な願いに

大抵のことはごめんで済むと思うけど、ほんまにごめんで済まへんものは、いくらごめんって謝っても、謝る気持ちがあっても、向こうもしくは謝ってるこっちの気が済まないことやと思う。
そんなことがもう起きないように対策を考えていきたい。
どれだけ謝ってもこっちの気が済まないようなことがあったから。

とはいえ、生きていれば予測できないようなことがいくらでも起こってしまう。
そう考えると、防ぐなんて不可能なように思える。
でも、たとえ防ぐのが不可能なことがあるとしても、防ぐことができるものに関しては、すべて防ぎたい。
傷つけるようなことになってほしくない。
何か起こってからの対処法ではなく、起こることを未然に防ぎたい。

予測不可能なことが起こり続ける現実で、防ぐことが可能な事故をすべて防ぐためにはどうすればいいのか。
いくらごめんという気持ちがあっても謝りきれないようなことが起こらないようにするには、どうしたらいいのか。

「丁寧さ」がかなり大切やと思ってる。

ぼくは、丁寧さに欠けるところがある。
「神は細部に宿る」と言うけれど、神が宿ってくれるうよな細部にまで丁寧に気を払うことができた試しがない。
「まぁ、こんくらいでえぇか」で済ませてしまう。
「十分頑張ったよね」でやめてしまう。
大抵のことは、それでいい。大きな問題は起こらない。
ただ、たまーに、とてもまずい事態に陥ることがある。
細部といかないまでも、ちゃんと確認せずにやってしまって手痛い失敗を犯すことがこれまで何度もあった。
たとえば、羽田空港発の便やのに成田空港の便を予約していると勘違いしていて、成田空港に着いてから気づいて途方に暮れたり。

ちらっと確認すれば失敗を犯さずに済んだのに。
ちゃんと見ておけば防げたのに。

何気ない言葉や行動で、人を傷つけたことも何回もある。
何度謝っても、謝りきらない。

ちょっと考えれば、わかりそうなことやのに。

もしかしたら、「大抵のことは、こんくらいでえぇかでいい。それで大きな問題は起こらない」と思ってるのが間違いである可能性もある。
こんくらいでえぇかの積み重ねが、大きな事態に発展するのかも。
「まぁまぁできたかな」が、実はヒヤリハットを量産していて、やがて大きな事態を引き起こしてるのかも。
と考えると、やはり「丁寧さ」はとても大事やと思う。

丁寧さは、どう身につけていけばいいのか。どう身につけていくことができるのか。
もう、あぁほんまに時間戻ってくれへんかな、どうにか無しにできひんかな、と思うようなことを起こさないためにも、防ぐことができるものに関しては防ぎ切るためにも、大きく傷つけないためにも、物事に丁寧に取り組むことを身につけていきたい。
この願いは、年々強くなっていってる。
これはもうずーっと頑張ろうと思う。
丁寧に生きる」という人生の目標。

では、お読みいただきありがとうございました。

きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはない。

やろうと決めて結局やめちゃったことはいろいろとあるわけですが、できなかったからといって特にダメージを受けることもなく、今日は今日の過ごし方をして日々ぼちぼちと生きています。

もちろんやり始めるときには真剣に続けていくつもりだったわけですが、まぁうまくはいかないことがあるもんで。
ただ、ずーっと継続することはできなかったものの、いつかまたやろうという気持ちは無くしたわけではありません。無くしていないからこそ、こうしてブログを書くことを再開することができたわけで。

目標習慣化との付き合い方はそんなもんでいい、と個人的には考えています。

やろう、と思ったことが当初の思い描いていたようにはできなくとも、まぁいいか、と。
習慣化しよう、と考え、計画を立てていたことが途絶えてしまっても、まぁそんなもんやろう、と。
そう思えるのは、ほんまにしたいことがあるなら、そのうちちゃんとやるときがくるはず、と考えているからです。
いい例が、数学の勉強
これまでなんども試み、やがてやらなくなってしまった代表格です。
学ぶテーマを決めて、やり始める。
ときには満足いくほどに勉強を続けることもありますが、やり続けれないことも多い。数検の勉強とか。
でも、「まぁいいか」です。
だって、これまで何度も何度も勉強し始めることはできてきたんですから。
ここまで開始と中断を繰り返していると、やっていない期間はとりあえず休止中なだけで、またいずれ勉強をし始めるんだろうという確信があります。
きっと、また勉強したくなって毎日やり始めるときがくる、という確信が。
だから、その時まで休止しといたらいいか、と。

学びたいなーと思ったときにまた学びはじめればいいだけのこと。
もし、また学ぶときが、学びたいと思うときがこなかったとしても、こなかっただけのこと。別にそれでいい。そこまで自分はそれを重要視していなかっただけなので。
ほかに取り組みたいことができてるかもしれませんし、ただ単になーにもやる気がおきないだけかもしれない。でもまぁ、それでいいか、と。
また学びたい、続けたいと思ったときにやり始めればいいよなーと。
とりあえず、できなくても自分を責める必要は全くないですし、その時はやろうと思えなかったとしても、またやり始める可能性は常に開かれているわけで。
そう、可能性は常に開かれているんです。
学びたいことは、いつまででも待ってくれてるもんなんですよね。

そんな感じで、今後もいろいろなことに取り組めたら取り組んでいけたらなーと思っている2021年元旦です。

では、お読みいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

「なんにせよ転記は必要」と受け入れるために

書き写すのは、めんどうくさい。できることであれば、やりたくない。
なので、なんとか転記を発生させないで済む方法はないものか、と考え、メモを扱ってきた。

紙の情報カードにメモしているときには、必要であればそれをノートにそのまま貼って使えるような大きさのノートを併用したり。
ノートアプリを使っているときには、紙に手書きしたものは写真に撮って添付したり。
テキストであれば、MacでもiPhoneでデータを共有できるアプリを使ったり。
手書きもテキストも扱え、Mac・iPad・iPhone間で同期できる、ということで、Apple純正メモ帳に飛び付いたり。

でも、もうそこにこだわるのはやめにした方がいいと気づいた。
書き写しをせずに済ますことにこだわるのは。

転記は必要なものである、と受け入れれば、その都度その都度で使いやすい、用途に合っているものやツールやアプリを使うことができる。
確かに、転記はめんどう。けれども、転記をせずに済まそうと思うと、使えるものが限られてしまう。だいぶ使い方が制限されてしまう。
テキストであれば、コピペで済むのでそこまで手間には感じない。
手書きの転記は、手間。手書き→手書きも、手書き→テキストも。でも、紙のノートとペンの方が、やっぱり初動は早いし気軽に書けるし書き心地がいい。
なら、手書きの転記があるとしても、ノートを使うのはいいもんだ、と思う。

とりあえず、書いていこう。
必要ならどんどん転記していこう。
めんどうに感じ、書かない選択をしてしまうこと、書くことを抑えてしまうことの方がよろしくない。
とりあえず思い浮かんだことをメモして捕らえた後に、適切なところに転記すればいい。
転記したくないなら、しなくてもいい。
書く、を抑制することは極力無くしていこう。
とりあえず、書いていこう。

何を書こうか考えた結果、やろうと決めて結局やめちゃったことについて書こうかな、と。

そんなん書いてるのんあんまし見たことないので、書いてみようかな、と。

やめちゃった1:ブログ毎日更新

ブログを積極的に更新すると決意し、宣言し、実際に半年ほどは毎日更新を続けることができた。
というか、そんなに続いてたなんて忘れてて、ブログを読み返して知った。半年も続けていたことにびっくり。
このエントリは実は、本日を以て – R-styleを読んで、書いた。とにかく、感謝を伝えたくて。

ブログを書き始めたきっかけは、もうあまりちゃんとは覚えていない。けどはっきり覚えているのは、先にブログを書いていた人たちがいた、ということ。ぼくはそれを毎日楽しみにして読み、いつしか自分も書きたいと思い、書くという一歩を踏み出すことができた、ということ。
そんなブログに、感謝感謝しかない。そんな魅力的なブログを書かれた方たちに、感謝感謝しかない。

この文章は、ほぼほぼ「R-style – Sharing is Power!」というブログに向けて、R-styleを書いている倉下さんに向けて書いた。実は。
で、その感謝を、行動で示していきたいなというか、何かできないものかと思い、毎日更新を決意した。
結局は毎日更新は途絶えてしまったけど、でもぼくにとって半年も続けることができたのは結構奇跡的なことで。

やめちゃった2:数検の勉強

数検1級合格を目指して勉強し始め、合格までをブログで定期的に追って行こう、と考えてたけど、2019年10月27日に報告を開始して2020年2月2日を最後にブログでの報告を中断、その後しばらくは勉強を続けていたけど、続かなくなった。
理由は、微分方程式の解法を勉強して問題を解けるようになったけど、そもそも微分方程式の公式はなぜ成り立つのか、定理や公式や解き方の背景を含めて理解したくなったから。そのために、微分積分学を学び直すことを始めたため。
何年かかってもいいから、やっぱり「解ける」だけに満足せず、理解した上で問題ができるようになりたくて。
微分積分学の勉強も楽しく、しばらく続けることができていた。けどそれもやがてやらなくなってしまい。
ただ、数学に関しては、今後もきっと何度でも何かしらを学ぶことにチャレンジしていくと思われるので、挫折したというよりかは今はいったん中断している、と言ったところ。

やめちゃった3:紙のノートによるバレットジャーナル

連用日記の手帳版を「連用バレットジャーナル」と名付け、紙のノートを手帳として使っていた。
ただ今はもう、紙のノートは使っていなくて。
iPadのApple純正メモ帳に移行したのち、今はObsidianを使っている。連用形式で。
それについてはまた書けたらな、と思う。

おわりに

なんとなく「やめちゃったことについて書こー」と思って書き始めたこのエントリやけど、ブログ毎日更新の経緯について書けてよかった。

では、お読みいただきありがとうございました。