ブログはじっくり書きつつも、Scrapboxは毎日ページ作成・更新

ブログの毎日更新を目標にして頑張っていました。でもあっさり途切れてしまい。
こういう時は、毎日更新をまたやっていくのか否かを、否応なしに問われます。
毎日更新をするか否かの決断は、毎日更新をしてみてどうだったか、に影響を受けるわけで。で、思いを馳せたわけです。毎日更新しててどうやったかなぁ、と。

やり始める時は、もちろん毎日書くことは良いことだ、と思っていました。「良いこと」って偉い漠然としていますが、「読んでもらうことを想定した文章を書く」のは、メモなどの「自分のための文章を書く」のとは全く違うわけで。
理解できている、と思っていることでも、他の人に伝わる形にしようとすると、その理解はただ単に「わかった気」になってただけだった、みたいなことって結構あります。「わかった気」というのはかなり厄介な奴でして。わかった気に陥っている時は、自分がわかった気になっているだけだということに気づくことが結構難しかったりします。
だって、わかっていると思い込んでいるんですから。
それを打開してくれるのが、他の人に説明してみる、という行為。
なので、他の人が読んでも理解できるように書くというのは、自分の「わかった気」に気づかせてくれ、理解が確実に深まります。
また、自分自身の理解を前提に文章を書くべきではない。
色々と補足的なことを書かないと、自分とは違う誰かに、できるだけ伝わるように伝えることはできません。
そんなことを頭の片隅に持って書いた文章と、ただただ自分がわかれば良いと思ってる文章は、どう考えても変わってきます。
なので、ブログを書くこと自体は、良いことなのは間違いない。

ただ、毎日更新となると、時間という制約をもろに受けて、30分くらいで1記事を更新するる必要がありました。時間が切迫していると、読んでもらう人たちに十分な注意を払って書くことはかなり難しくなるわけで。
1つの記事を、じっくり書くか、その都度完成させていくかは悩ましいところなわけです。
とにかく毎日書きたい。今はじっくり書くよりもとにかく更新したい。そう思って日々時間の許す範囲で、もしくは少し睡眠時間を削りながらもブログを仕上げ、毎日更新してました。
1記事ごとの分量はさほど多くはなく、1000文字あるかないか、といったところ。限られた時間ではそれが限界でした。30分で書いて、えいやっと更新。
自分が満足できる状態まで仕上げられず、最後はえいやっと更新する日がほとんど。満足するものを書けてない感があったので、そこにちょこっと引っかかってたのも、更新が途絶えた理由かもしれません。

とはいえ、ブログをなかなか更新できなかった日々に戻りたくはない。書きたいのに書けないのは避けたい。
また、ブログとScrapboxがリンクしてるのも、書き続けていきたいという気持ちの一つ。

ブログは、Scrapbox上で書き、公開しています。で、Scrapboxで書いた文章もそのまま残しているので、ブログを更新すると、それに伴いScrapboxのページも1つ増える、ということになります。
ブログを書きさえすれば、知のネットワークであるScrapboxがどんどん充実していく。一石二鳥感があります。
でも、実際は一石二鳥ではなかった。
毎日更新では、1記事多くて1000文字程度。その文字量では、ブログとしては中途半端で、でも1記事で話の流れを成立させるために、補足的な文章も結構あるがために、Scrapboxの1ページとしてはちょっと助長な面がある。
どっちつかずな感じです。

  • 毎日更新は良かった。できれば続けていきたい。
  • でも、今のように、ブログの1記事ともScrapboxの1ページとも言えない、どっちつかずなものを毎日書くことはやめようかな。

ということで、ScrapboxはScrapbox用の情報の残し、そちらは毎日1ページずつ増やすためにScrapboxのページは毎日更新していく(既にあるページのリライトもOKということに)。
ブログは自分が満足のいく記事を書いていく。もっと、読んでもらうことを意識した、何度か推敲を重ねた「読み物」として成立したブログ記事を書いていく。
その両方をやっていこう、という結論に至りました。

というわけで、ブログの更新は時々忘れた頃に、になっちゃうとは思いますが、Scrapboxは毎日何かしら書いていこうと思うので、 この「iPhoneと本と数学となんやかんやと – あなたになんやかんやな、なんやかんやを」とあわせて、「book scrapbook」もよろしくお願いします。

では、お読みいただきありがとうございました。

手書きが圧倒的。でも、他も使う。

iPadApple Pencilを手に入れたのと、連用バレットジャーナルを使い始めて、手書きする機会が増えました。iPadとバレットジャーナルという、手書きするツールをいつでも持ち歩くようになったことが、手書きを身近にしてくれています。また、スキャンしてiPadに取り込みさえすれば続きや追記はiPad+Apple Pencilでできるので、裏紙でもバレットジャーナルでもノートでも、どこでもいいから書いちゃえばいいか、と思えるようになったことが大きいように思います。
頻繁に手書きするようになって改めて感じるのは、「何かを考えるときには手書きが圧倒的にやりやすい」ということ。
人によって違うと思いますが、ぼくの場合は、キーボードでぱたぱた打ち込んだり、アウトライナーを用いて文章を組み替えるよりも、手で書き出して矢印や線を引きながら関連を明示したり、範囲選択して移動させたりしつつ考える方がはるかに思考しやすい。考えがまとまりやすい。把握しやすい。気付きやすい。理解しやすい。さらには、考えやすいがゆえに、取り掛かろうという気が起こりやすい。

頭の中だけで処理できることが多くないので、書き出すだけでかなりの効果を感じますが、手書きの方が効果が大きい。
特に効果が大きいというか、手書きにかなりのアドバンテージを感じるのが、一枚の紙に収まりきるくらいの情報であるとか。それ以上になると、手書きでは紙面の大きさの限界に直面してしまいます。
また、手書きでは、言葉を平面上に自由に配置できるがゆえに、時間が経ってしまうとパッと見ただけでは構造を、話の流れを、繋がりを理解できない時があるということ。その点においては、アウトライナーにて階層構造で表現されているものにはかないません。
なので、最近やりはじめたのが、まず手書きで書き出して把握し、理解し、気づきを書き留めて、そのあとアウトライナー上にまとめる、というもの。大きめのタスクなんかも、この方法を取るようにしています。

人によってどういう方法が合っているかは違うと同時に、やり方やツールにも向き不向きがあるわけで。自分に合ったものを使うことと、ツールの特性を活かすこと。その両方ができれば、きっと「考える」という行為はどんどん豊かになっていくのではないかな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

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時間によって集中度合いがかんなり変わってくる

集中して数学をやっていると、時間を長く感じる。同じ時間でできることが、頭に入ってくることが格段に違う。
グググっと入り込んで数学を学んでいると、時間を忘れる。忘れるというか、時間に気が行かなくなる。
こうなると、同じ時間内でできることが、だいーぶ増える。経験則でしか話せないけど、これまはず間違いない。
集中して取り組んで、今日はけっこうやったなーと思って時計を見ると、思ったよりも時間がたっていない。短い時間ながら、「今日はけっこうやったなー」と感じることができている、ということ。

数学に限らず、仕事でもそう。なんでもそう。何かしらの作業に取り掛かっていて、グググっと集中できていると、時間に意識がいかなくなる。で、ふと時計に目をやると、こんなにできたのにまだこれだけしか時間経ってなかったんやな、と感じる。
単位時間あたりの仕事量が、集中している時としていない時では、全く違う、ということ。これは、数学を勉強しているときに最も強く感じる感覚かなぁと。

で、この素晴らしき集中タイムがどんな時間帯に現れてくれるかというと、基本的には午前のような気がする。これには個人差があるやろうけども。
とはいえ、朝の時間が一番疲れがない状態であるので、集中して取り組みたいことは朝にやってしまうのがいいかもしれない。

では、お読みいただきありがとうございました。

じっくり書くのもいいし、サクッと更新するのもいい。ただ、今は、毎日書きたい気持ちなだけで。

ブログを書き始めてから、いい循環が起きている、気がする。

このブログのタイトルは、「iPhoneと本と数学となんやかんやと」。言わば、何を書いちゃってもいい。
いろいろと考えていることを書いてもいいし、やってみていることを書いてもいい。それを読んでもらって何になるのかはわからないけど、考えたことや実践したことで見えることはあると思うので、それを書けば参考になることもあるだろう、と都合良く思っていまはせっせと更新している。
ハードルをわざと下げている。

ただ、そこまでハードルを下げたとしても、ずっと書けていなかった。
沈黙の期間がだいぶあった。
この期間、あんまり書こうとしていなかったってのはあるけれども、今思えば、いろいろと考えたり試してみたりってことができてなかったように思う。

ブログの更新を再開して、あ、やってみたことってブログに書けるやん、と再確認することができた。そういう目線でいると、自分が試しにやってみたことが結構見えて来る。
別にブログのネタになりそうやからやってみるってわけではなく、こういうことも試してみた、あぁいうことも考えてみてる、って気づけるようになったというか。
ネタのストックがあるわけでもなし、記事のストックがあるわけでもなし、その日その日で何書こうと考えていることもあれば、あこれについて書けそうやん!と気づくこともある。
たいていは、ちょっとしたメモから書き始めることが多い。
で、そういうちょっとしたメモは、何かについて考えていたり、何かを試していたりする時に思いつく。
たとえ思いつかなくても、何かしらの理由が合って取り組んだことがあるなら、活動報告的に書ける。

活動全てがブログネタになる。
そう考えると、俄然何かを試したり活動していこうという気も起きやすい。
何か試したら、またそれを文章にしていける。なぜ試したのか、試してどうやったか、いい感じかどうか、なに考えたか。
というように、いい循環が生まれてる。

じっくり考え、書き、1つの記事を作り上げるのもいい。
サクッと軽めな記事でも、書いて更新するのもいい。
別に、どんなんがいいとか、ベストとかない。
自由に書けば、振る舞えばいい。
今はただ、毎日書きたいと思ってるだけで。
その気持ちが続く限りは、どんどん書いていくことを目標に、日々コツコツ更新していきたいな、と思う。
あれこれ試して、考えて。

では、お読みいただきありがとうございました。

シェイクの始まりはキーボードショートカットから

最近やっとようやくアウトライナーを使えるようになったな、と感じる。「あぁ、これがシェイクなんか」と実感できた気がする。

これまで、アウトライナーを使ってきてたこともあり、シェイクとはなんぞやってことも理解しているつもりでいた。けど、実はあんましわかってへんかってんな、と気づけた。

基本的に、ぼくはiPhoneとiPadを使っていた。なので、アウトライナーもこの両方で使えるものをあれこれさがしては試していた。
iPhoneではアウトライナーを親指で操作する。
iPadでは、キーボードを接続してアウトライナーを操作する。けど、ショートカットキーが思うように使えるものが、ほぼない。一番いいかな、と思ったのが「outlinely」というアプリやったけど、コピペにバグがあるっぽくて、やっぱり思うようには使えない。
つまり、iPhoneやiPadでアウトライナーを使っている限り、キーボードショートカットを思うがままに使う、ということができない。

Tak.さんは、アウトライナーとは、

  • アウトライン表示の機能
  • アウトラインを折りたたむ機能
  • アウトラインを組み替える機能

の3つを備えているもの、と定義してはる。
シェイクを行うために必要なことが、これら3つの操作が思うがままに使えること。iPhoneとiPadのアウトライナーアプリから離れ、PCにてアウトライナーを使うことでようやくそれに気付くことができた。

シェイクの入り口は、キーボードショートカットを使い、アウトライナーを操作すること。アウトライン操作の5つの〈型〉は、ショートカットによってスムーズに行うことが可能になり、結果、文章はシェイクされる。

長くアウトライナーを使ってきたけども、まだまだ奥が深く、そして楽しい。
では、お読みいただきありがとうございました。

「ぜーんぶWorkFlowy」から適材適所へ

プロジェクト管理、読書メモの管理、書きかけの文章、着想メモ、ログの蓄積にフリーライティング。。。

これまでWorkFlowyにいろいろなことを任せてきました。上記はすべて、以前はWorkFlowyに任せていたことです。
WorkFlowyは、PCでもiPhoneでも同じように扱えるように環境を整えることができ、ある程度自分の望むようにカスタマイズできるために、あれこれ詰め込みまくってました。とりあえずWorkFlowyさえあれば大丈夫、みたいな環境にしていたわけです。
でも、最近はちょっとそこから脱しつつあります。
きっかけは、「Bear」を使い始めたあたりから。

Bear – 美麗なノート作成・テキストエディタアプリ
カテゴリ: 仕事効率化, ユーティリティ

「書く」のはすべてBearに

以前はWorkFlowyをエディタとしても使っており、WorkFlowyのスタイルをいじることで、文章を書きやすいような見た目にしていました。が、実際、細かいところはちょっと使いづらいなって思いがあったのも事実で、試しに他のエディタを使ってみようとなりました。そこで「Bear」に触れてみたわけです。
で、やっぱり、文章を書くためのアプリなだけあって、Markdown記法ですごく書いていきやすい。しかも見た目も「美麗なノート作成・テキストエディタアプリ」というだけあってきれい。
Bear Proにしなければデバイス間での同期ができないのですが、Bearが気に入ったぼくはすぐに契約してMacとiPhoneの両方でこのアプリを使い、ブログの文章を書き、仕上げまで持っていくようになりました。
Bearを使い始め、WorkFlowyで文章を仕上げることがなくなりました。WorkFlowyに任せていたことが一つ、減ったわけです。
そして、Bearが使いやすいと感じたことから、ちょっと使いづらいなと思いつつもWorkFlowyでやっていることは、他のアプリやWebサービスを使うとかなり快適になってくれるのではないか。そんなことを思い始めました。

プロジェクトはTodoist

プロジェクトのタスクを書き出していく際、アウトライナーというものはとても便利というか、個々のタスクを書き出して適切そうな順番に並べ、プロジェクトの達成までの道のりを定める際に力を発揮してくれます。なので、プロジェクト管理をWorkFlowyに任せていました。
ただ、日付を設定する機能がなかったり、書き出したタスクを毎日必ず「たすくま」へと送り込まなければならなかったり、ちょっとした一手間が必要だったのも事実で。
Bearが心地よく支えたのと同様に、プロジェクト管理のアプリを使えば快適なんじゃないかと思い始め、今は「Todoist」に落ち着いています。

Todoist: ストレスフリーのタスク管理
カテゴリ: 仕事効率化, ビジネス

ログの蓄積はEvernote

ログの蓄積は、そもそもEvernoteにしているのになぜWorkFlowyにも?って感じだったので、サクッとやめて、これでなかなかにスッキリ。

今はもうWorkFlowyには「読書メモの管理」「着想メモをとらえるところ」の2点を主な仕事として頑張ってもらっています。

Evernote
カテゴリ: 仕事効率化, ユーティリティ

着想メモを束ねて、育てる場としてScrapbox

そして、昨年から本格的に使い始めたのがScrapbox。WorkFlowyや情報カードでとらえた着想メモをいくつか束ねて1テーマ1ノートでこちらに書き写していき、リンクをはってタグをつけて保管していってます。で、Scrapboxを参照しながらBearで文章を仕上げていくわけです。

また、自分が読んだ本について書き、デジタルな本棚を公開する場所としても活用しています。

おわりに

以前はEvernoteとWorkFlowyくらいしか使っていませんでしたが、適材適所かつiPhoneとMacで同じ環境にできるということを重視しつつ、

  • WorkFlowy:着想メモ置き場
  • Scrapbox:着想メモを束ねて、育てる場
  • Bear:育った文章を仕上げる場
  • Evernote:完成品やログを保存する場
  • Todoist:プロジェクトリストを管理する場

というラインナップに落ち着いています。ここに、手書きとして

  • 名刺サイズ情報カード:着想メモ
  • 手帳:日々の把握とメモ

が加わっている、という感じです。なかなかにいい感じなので、しばらくはこのままいくんではないか、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

名刺サイズで遊ぶ (情報カードの大きさについて)

情報カードにメモをするってのを、休み休みずーっと続けてる。で、そのときに使ってたのは、5×3サイズの情報カードばっかりやった。43Tabsを実践してるときも、5×3サイズ。最近またカードを使い始めたけど、やっぱり5×3サイズ。
でも2,3週間ほど前から、名刺サイズを使い始めた。というのも、5×3サイズは、ちょうど程よい大きさやと思ってたけど、ポッケにはちと大きくておさまりがわるいため。名刺サイズは、小さいぶんポッケに無理なくおさまる。
そして、iPhoneのケースにもおさまる。これがけっこう、いやかなり重要やったりする。
名刺カードは、50枚ほどをクリップでとめて、ひとまとめにして持ち歩いてる。
思いついたら、そこに書き込んで、書いたカードはクリップから引き抜く。その引き抜いたカードのやり場に困ることがあったけど、名刺サイズはiPhoneのケースにおさまる。書き終えたものを、iPhoneにしまえる。

iPhoneは常に持ち歩いていることが多いので、そのケースにさえ入れておけば、どこにでも持ち運べる。朝一番に必ずとりくんでる、前日のメモを見返すときにも、カードの見返しを忘れることがなくなった。見返しのときにも、iPhoneは持ってるので。
最終的には、一日に書いた分はまとめて、ボックスへ。


カードの使い方は、「何かしら思いついたら書く」。以上。
なんか思いついたら、書く。タスクでもなんでも。着想でも、スケジュールでも。メモしておかなあかんそうなことは、カードに。
着想を書きおいていくのであれば、そんなに大きいサイズは必要ない。
そう、タスクをメモるにしても、思いついたことをメモるにしても、140文字くらいあれば事足りる。メモるときはそれで十分。140文字なら、名刺サイズが程よい感じ。ぎっしり書けばそんくらいの文字数が書ける。140文字も書くこと自体少ないし。やからちょうどいい。
これは、「知的生産の技術」で語られている情報カードの使い方とは違うけれども、そこで述べられている「規格化」や「くれる」って利点はそのままあるわけで。

小さいサイズのカードは、B6サイズとは違い、一時的にしたためておく場って意味合いが強い。名刺サイズでは、豆論文はなかなか書けない。でも、一時的に書いておく場であれば、名刺サイズで十分。ちょっとしたつぶやきを残しておくのであれば、一文をしたためておくくらいならば、140文字くらいの文章ならば。なんかそれが、心地いい。


じっくり考えたいときは、いつもどおり大きめの紙をひろげればいい。考えようとするときは、野帳くらいの大きさがあってもちょっとせまい。やから野帳を使わなくなっちゃった。
で、実は、考えるときも名刺サイズのカードは使える。考え事して思いついたことを、次々にカードに書いていく。それがなかなかにいいことにも気がついた。
机の上にぶぁーっと広げることができるから。

書いて書いて、机に広げる。と、A4の紙に書き出すよりも、広い面に書いてる感覚になれたりする。着想を書きためる、かつ、発想ツールでもあるということになる。
書きためたメモは、着想に関しては、ときどき広げて眺める。乱雑に机にほうりだしてもいいし、縦一列に並べてもいい。自由。その気になれば制限なく、広げれる。

なんしか、今のぼくには名刺サイズがしっくりきてます、名刺サイズのカードになにやら書きつけては遊んでますって話。

では、お読みいただきありがとうございました。

思いついては書き加えて、ブログの記事に仕上げていく(最近の文章の書き方)

長いことブログを書いています。細々と続けております。
長いこと書いてるので、記事を仕上げて更新するまでの流れを、あれこれ試してはしっくりくるものをしばらく続けてみて、、、みたいなことを何度も繰り返してます。
たいていは、「あ、ちゃうな、これ」ってなって、また前の書き方に戻る、となっちゃうわけですが。
でも、これまで何度か、ながーいこと同じ書き方を続けていたこともあります。

一つは、エントリの最後に「マインドマップ」みたいなものを載せていた時期が挙げられます。2年くらいは、エントリを書き進めていくときに、必ずマインドマップもどきを描いてから文章を書きはじめていました。
もう一つが、アウトライナーを使って文章を書き始める方法。これは今も現在進行形で、長いことその方法で書いています。マインドマップもどきを描いていたころより、今のほうがしっくりきてる感覚があります。
これは、かなり大きな変化です。だって、書くことを明らかにしていく手法が、マインドマップからフリーライティングっぽいものになり、トップダウン寄りなものからボトムアップ寄りなものにかわったってことですから。


マインドマップもどきを描いてからブログを更新していた時の流れはこんな感じでした。

何について書くのかを決める
 ↓
マインドマップを描く
 ↓
マインドマップにのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

テーマを決めて、マインドマップを描いて、文章書いて、アップしての一方通行。たいていは一日で記事を仕上げてしまうため、「読み返し」がほとんどなかったように思います。
マインドマップを描くことで見出しが決まってきて、だいたいはそれにのっとって書く。多少手を加えつつも、おおむねマインドマップで書き出したことを文章化していく。
シェイクがなかったわけです。

アウトライナーを使うようになっては、こんな感じです。

とりあえず思いついたことを書く
 ↓
書いたものを読み返す
 ↓ ↑ (何往復もする)
読み返して思いついたことを書き加える
 ↓
全体の構成が見えてくる
 ↓
見えてきた構成にのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

思いつくことを書き出して、書き出して、書き出して、書き出したことを読み返して、読み返して思いついたことを書き加えて、読み返しては書き加えて、そうしている間になんか見えてきて、見えてきてからはその見えたものにのっとって文章を書いていきます。
まず、書き始める。フリーライティングからはじめる。とりあえず一歩目を歩き始めることができる。
階層化はあんまりしません。そのかわり改行を多用します。たくさん改行して、文をかたまりにわけます。
文の順序の入れ替えは、頻繁におこないます。書き出した文章を入れ替えたり、書き加えたりしながら、全容をさぐっていく。
そのためか、エントリに「見出し」がないものが多くなりました。必要であれば見出しつけようかな、程度にしか考えていないので。ちょっと一呼吸おきたいときに、区切り線を入れるくらいです。

「書きたいこと定めてから書き始める」が、「なんか、とにかく書いているうちに書きたいことが浮かんでくる」にかわりました。間違いなく、大きな変化です。


マインドマップの時は、「何について書くのかを決める」の段階、すなわち一番初めの段階で、大まかに全容が見えてないと書き始められませんでした。
というのも、ぼくのはあくまでもマインドマップ”もどき”で、発想を広げるというよりも、頭の中にあることを整理しながら紙にひろげていく、という意味合いが強いものであったから。そもそも頭の中に、ブログに書けそうなことがなければ、それをマインドマップ上に吐き出すことがなかなかできないわけです。
中心から伸びたノードが「見出し」で、そこから先はその内容を書いているような感じでした。頭の中を構造化しながらマインドマップっぽく落としこんでいました。マインドマップが完成すれば、あとは必要な部分を補いながら文章化していくだけ。
マインドマップさえ描ければ記事はできあがるのですが、マインドマップを描き始めるまでがなかなかに困難だったように思います。頭の中で、ある程度は「何についてどう書くのか?」を描けていなければ、一歩目を踏み出すことができませんでした。
なので、ブログを書く時間を確保していても、一文字も書けないことがざらにありました。
一文字も書かずに時間が過ぎていく、なんてことがあると、モヤモヤします。書きたくても書けてない感がただよって、「あぁ、書かれんかったー」と多少落ち込む。
そんな感じでした。

今は、フリーライティングからはじめています。特に「これについて書く」というものがなくても、まず書いちゃう。
とりあえずなんか書ければいいや、なにが書きたいとかなくても、なんか書ければいいや、という気持ちでいるので、何かしら文章は出てきます。だって、思いついたことをそのまま書いちゃえばいいから。なんも書かれんかったー、みたいなことがほぼほぼなくなりました。モヤモヤ感は、あまりありません。何も書けずに終わる、ってのがなくなったから。
過去に書いたものを読み返して呼び水にすることもあれば、なにもせずただ頭に思い浮かんだことを書き出すこともあります。
「記事を仕上げよう」ではなく、「まぁそのうち仕上がっていくでしょ」って感覚で書いています。
いつ文章を書き終えることができるかわからないまま書き進めることになりますが、それなりに更新できてるので、書いてるうちに仕上がっていくもんなんだと思います。それでいいかな、と。

以前のように、ブログにまとまった時間がとれないってのも影響が大きいように思います。
ブログに時間をかけることができていたときは、マインドマップを小1時間かけて描き、これまた小1時間かけて文章を書くことでエントリを完成させていました。1日のうち、1時間半くらいをブログに費やすことができたからこその書き方と言えます。
けど今は、1日の中でそんなに長い時間ブログを書くことはできません。毎日長くて20分とか。細かく分割されます。分割された中では、ちまちま書き加えていく今のスタイルがあっているみたいです。マインドマップは、ちまちま書き足すのんがどうもやりにくいので。

おわりに

文章を書く。そのこと自体への親しみと楽しみが、以前よりも大きくなっているように思います。これも大きな変化。
うんうんひねり出しながら書くことが多かったのに、とりあえず書いたことをあれこれいじりたおすほうが楽しい。自分の書いた文章って読み返すとそれなりにおもしろいもんです。読み返しが刺激になり、新たに何か思いつくことだってあるもんです。
一日のなかで書くことに費やせる時間をなんとか捻出し、書く。
読み返しては、書き加えていく。
それを続けて、ブログの記事として公開しちゃう。そんなスタンスで、楽しみながら書くことができています。
そんな楽なスタンスでブログを更新するってのも、いいもんです。

では、お読みいただきありがとうございました。

ちなみに

今回のエントリは、下書きを複製しては書き加え、また複製しては書き加え、を繰り返して完成までもっていきました。というのも、文章の変遷を残しておき、それも見てもらおうかな、と考えたためです。以下にその下書きたちを載せますので、興味あればこちらもどうぞ。

最近の文章の書き方。

最近の文章の書き方。 (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

大阪弁と標準語とメモとブログと

キーボードで書くのとiPhoneのフリック入力で書くの。
話すときの言葉と、書くときの言葉。
口に出してしゃべるのと、声には出さず書くの。

同じ内容を考えてたとしても、考えるスピードや書くスピードは違ってくるように思う。
なので今回、話すときの言葉、つまり、大阪弁でエントリを書いてみようと思い立った。そのほうが早くブログを書ききることができるかな、なんて考えて。
それが、以下の二つ。

普段、何かしら考えごとをするときは「大阪弁」。内容があんまり見えず、思いついたことをだぁーっと書き出すときも大阪弁。つまり、考えるときは話すときの言葉を使う。
それら大阪弁で書かれているメモを見返し、内容を定め、ほかの人が読める形に「仕上げる」ときは標準語。文章を書くぞ、というときは、標準語を意識する。大阪弁ではない。
上記の二つのエントリは、話すときの言葉で書いた。考えたことをだぁーっと書いていくときの言葉で。
じゃあ、二つのエントリは、だぁーっと書き出してそのままブログになったのかというと、やっぱり違う。いつも通り、書き出す段階とブログの形に仕上げる段階に分けて書いてた。


ブログという形で人の前に提出する文章は、ほぼほぼ2回書いている。
まず、あれこれ書き出す。頭の中のモヤモヤがなくなるまで。
「これについて書けそう」と思ってても、ぼくの場合、スラスラと文章が出てくる、なんてことはない。書けそうな気はするけど、モヤモヤしてる、という感じ。まだ頭の中で固まっていない、見えてきていない感じ。
それは、あれこれ書き出すうちにちょっとずつクリアになっていく。
で、だいぶクリアになってきたら、これまで書いた文章を横に表示し、参照しながら書く。つまり、2回書いてるということ。
なんではじめから書き直すことをするのか。そのほうがいいと思うのか。
メモは大阪弁で、ブログは標準語だからだと思ってた。書き出すときは大阪弁で、仕上げるときは標準語だからだと思ってた。
フェーズが、大阪弁と標準語によって分かれているから、仕上げるときには、はじめから書き直したほうが手っ取り早いからだ、と。

大阪弁を敬体に直そうと思うと、なかなかに修正は大掛かりになる。かつ、仕上げに向かうためには、今まで書いた文章を整えていく必要があり、さらに修正は大掛かりに。というか、修正っていうレベルではなくなってくる。
だぁーっと頭の中を書き出していくことでクリアになり、文章の内容、流れはもうほぼ出来上がっているので、大きく構造をいじる必要はない。書き直していって、結果的に大きく構成を変えるときはあるものの、基本的にはできあがってる流れに沿って書き直していけばいい。
ってことで、これまで書いた文章を参照しながら、一から書き直し、仕上げる方法がしっくりくる。そう思ってた。
でも、今回大阪弁で書いてみて、いや、そうでもないなと感じた。大阪弁で書いたらからといって、2回書く必要はなくなるわけではない。早くブログを書ききることができるわけではない。
まぁそうやろうなと、うすうすは気づいてたけど。


大阪弁のブログエントリを書こうと思い、最終的な仕上がりを標準語ではなく大阪弁にしようと思いながら書いていたのに、やっぱり2回書いた。大阪弁を、また大阪弁で書き直していった。結局は、大阪弁や標準語やという区別によらず、「書き出すフェーズ」と「仕上げるフェーズ」に分かれていたほうが、ぼくは書きやすいということ。
でも、いつもと違う感覚もあった。
内容が定まって、ブログ用に仕上げていく段階、いつもは標準語で書こうと思いながら進めるけど、今回は大阪弁で書いた。明らかに、いつもよりも筆の進み具合がよかった。さらさらーっとかけていけた感じ。
大阪弁のほうが、やっぱり書きやすい。文章が比較的すらすらと出てくる感じ。言い換えないで、いつも使ってる言葉、素のままの文章。そのほうが、書きやすい。


メモをできるだけそのままブログに仕上げられんものか、そうできたほうが、ブログを書くスピードは速くなり、更新頻度が上がるのではないか、そんなことを考えてるときもあった。
でも、今回大阪弁でエントリを仕上げてみて、そうは問屋が卸さないことがよくわかった。
たとえ、敬体になおさず、標準語になおさず、大阪弁を大阪弁のままブログの一つのエントリを仕上げようと思っても、もう一度書き直す必要があった。
やっぱり、ブログの一つの記事として仕上げるための、文章を整える作業というか、言葉遣いを修正する作業とかは必要。
ちまちま修正するよりも、一から書いたほうが手っ取り早い。今回も、いつもと同じように手っ取り早かった。
メモとかを集めて、全体の流れを整えて、文章を仕上げていくためには、もうこれは必要なことと割り切っていくのがいい。


一発で文章を仕上げようとは考えない。
けっこうそれが、文章を書く上では大事じゃないかな、と思う。
まずは。
次の文章を頭から出そうとうんうん悩まず、思いついたことをそのまま書いていく。だぁーっと書いていく。書いたことを読み返すと、また何か思いつく。思いついたことをまた書いていく。それを繰り返していくと、はっきりしてくる。頭の中ではおぼろげにしかみえてなかったことが、クリアになっていく。
書き出すのは、クリアになるまで続ければいい。なかなか仕上がらなくても、気にせず。見えてくるまで書いては読み返し、書き足しを繰り返す。
そしてクリアになってから、これまで書いたことを見返しながら文章に仕上げていく。
実はこのブログエントリは、仕上がるまで半年以上かかってたりする。一番はじめのメモを書いてから、半年以上。
そっから折に触れて書いては読み返しを繰り返すことで、だんだんとクリアになってきて、書く内容が見えてきて、ようやく一つのエントリに仕上げることができた。そういう書き方も、あったりする。そういう書き方も、いいですよね。

では、お読みいただきありがとうございました。

余談

2度書くことについては、「書いてから、書く。」と題して、こちらでも書いております。

ノートに書き出し、「事前装填」することで実行率は上がる

「アシタノレシピ」執筆陣の一人として、習慣化についての連載を書いています。

その中で、「信頼できるシステム」があるかないかで習慣化のしやすさは変わり、とくに「タスクシュート式」は、なにかを習慣化するのに適したシステムである、と書きました。

実際、「たすくま」を使い、「タスクシュート式」にてその日の「やること」を管理するようになり、その気になれば大抵のことは習慣化できそうやな、という感触を抱いてます。
が、それは実は平日に限って言えることだったりします。というのも、休日は、「タスクシュート式」がぼくにとっての「信頼できるシステム」にはなっていないため。「たすくま」でのやること管理がイマイチうまくいっていないため。
平日と休日では、「たすくま」への信頼度が全然違ってしまってるんです。


平日は実にすばらしく「たすくま」は機能してくれています。日々のリピートタスクに今日やるべきタスクを加え、朝に一日の計画を立てます。で、まったくそれ通りとはいかなくても、たいていは計画しておいたタスクを終え、眠りにつくことができています。
「基本的には、たすくまに書かれていることを実行していきさえすればいい」と思えています。この感覚こそが、システムを信頼しているということなんでしょう。
対して休日となると、大きく様相は違ってきます。
平日は起きてから寝るまでだいたいの流れは予想がつき、毎日それが大きく変わることはありません。が、不確定要素の多い休日は、休日ごとに過ごし方が大きく違ってきます。となると、朝と晩はだいたいいつも同じであるものの、日中がいつもいつも違った過ごし方になってきて、なかなかたすくまでは対応できません。で、リストに書いたタスクが実行されなかったり、ログがとれないことが多い。
こうなると、たすくまにタスクが載っていても実行しないし、実行できない。実行できないと信頼が下がる。信頼が下がるとさらに実行できなくなる、、、の悪循環がおこってきます。そして、休日のたすくまへの信頼度がどんどん下がっていってしまいました。やがて、「書いても書いてなくても結局やらんやん」と、すべきことを書いてても実行されない、なんてことに。
平日はすこぶる調子よく働いているシステムなのに、休日はてんでダメ、ってな感じになっちゃったわけです。
休日は「信頼できるシステム」を持ち合わせていないことになります。気がつけば休日に何かを習慣化するのがすごく苦手になっていました。
「信頼できるシステム」の有無は、習慣化にとってはとても大きい。このままではいつまでたっても休日の過ごし方が改善されへん、と思い、何かしら、休日用のシステムが必要やな、ということになりました。


休日の信頼度を上げるためにしたこと。それは、新たにノートを用意するってこと。
そのノートを「休日専用の手帳」として使い始めることにしました。たったこれだけで劇的に変化しました。
たすくまに登録するってのは一緒ですが、登録する前にノートにやることを書き出し、一度計画を立てるようにしました。
平日に比べ、なにをするのか不確定な休日ですが、不確定でどのような過ごし方をするかが読めないとはいえ、事前にタスクをやる”タイミング”は考えておくことができます。不確定な部分が大きく、「何時にこれこれをする」という風に時間帯を指定することは難しい。でも、「このタイミングであれをしよう」というように、実行するタイミングは考えておけます。
家族と過ごすことが多く、時間帯を指定していろいろとやる時間を確保することは難しいです。けども、ずーっと一緒というわけではなく、やることにとりくむ時間もあります。「娘がお昼寝の時」や「アンパンマンを見ている時」とか。
お昼寝の時は一人であれこれできるので、書いたり学んだりの集中してとりくむ必要のあることができます。
アンパンマンに夢中になっている時は、目の端には娘をとらえながらも、ある程度自分のことにとりくむことができる時間になります。ぐっと集中する必要のないこと、例えば一週間の振り返りとかならやることができます。
そういう、実行する「タイミング」をあらかじめ考えておくんです。「これのタイミングに、あれをする」みたいなことを。
つまり、ノートを使ってやっていることは、「事前に考えておく」ってことだけ。休日のどのタイミングで何をするのか考え、やることを事前に装填しているだけ。でも、その効果はやっぱりなかなかのものなんです。
「事前装填」の威力です。あるいは、コミットメントしているか否かの違いとも言えましょうか。
ノートにて休日の過ごし方を計画することにより、実行できる時間帯・タイミングに、あらかじめタスクを装填することができるようになりました。「この時間がきたらこれをする」と、自分にコミットメントすることができるようになりました。
ノートで計画するとしないとでは全然違います。

おわりに

ノートを用いて、休日にやろうと思ったことを、どのタイミングで実行するのか考え、事前に装填しておく。
これだけのことで、休日においても、「たすくま」をまた「信頼できるシステム」へと成長させることができました。「休日手帳」と「たすくま」の二つがそろっての「信頼できるシステム」です。
タスク管理をいろいろ試し、自分なりのシステムを構築し、「これでいける!」と思っても、なにかのきっかけで信頼度が落ちてしまうことはきっとあると思います。そんなときにまたあれこれ考え、試し、また信頼のおけるシステムへと育てられるのか。そのへんが結構大事なんじゃないかな。
「休日手帳」を使ってみる、という経験から、そんなことを考えました。
「これでかんぺき!」はずーっと完璧なままではいてくれない。から、ちょくちょく手を入れながら、今後もぼちぼちやっていきたいです。
では、お読みいただきありがとうございました。