読書メモと本の感想、同じページで保存しておき、本の感想の部分だけ切り出してScrapboxへ

本を読むときにメモをとり、読み終わった後は本の情報に簡単な感想を添えて、Scrapboxの公開プロジェクト、「book scrapbook」に保存しています。
読書メモには本文の引用がたくさん書いてあるので、Scrapboxに保存するのは最後に書く感想のみ。Scrapboxは公開していて誰でも見れるため、あまりに本文の引用をたくさんしている読書メモを載せるのはよろしくないからです。

Obsidianを使うようになり、読書メモを書きながら読んだ後、読了後の感想ページを新たに作成して、そちらだけScrapboxで公開する、という形を取っていました。
手元には読書メモページと、読了感想ページがあり、Scrapboxには読了感想ページだけ保存する。
ただ、この手元にある2つのページは、別々である必要はないわけです。手元にあるだけで公開しているわけではないので。
Obsidianなので、2つをリンクで結ぶことは簡単なのですが、読書メモの最後に簡単な感想があった方が自然です。別々よりも、1つのページにまとまっておいてほしい。

Obsidianで扱うファイルと同じものをモバイルでも閲覧・編集するために、1Writerというアプリをつかっています。

このアプリ、javascriptが使えて、テキストの取得や置換をすることができる。なら、手元で読書ページと読了感想ページをそれぞれ作成して片方だけを公開して、、、とかしなくても、1ページに読書メモも読了後の感想も書き込み、javascriptのアクションで感想の部分をScrapboxに切り出せばいいわけです。

流れはこんな感じ。

  • 本を読みながら読書メモを書き書き
    • Image
  • 読了した後、本の情報と感想を書き込むためのテンプレートを呼び出して読書メモページに追記
    • Image
  • Scrapboxに切り出すアクションを発動
    • Image
    • 無事、Scrapboxにページが作成されてる

Scrapboxにページを作成するのに、「Porter」というiPhoneアプリを使っています。URLスキームにて、タイトルと本文をPorterに受け渡し、ページを作成する、という流れで。

この手順を踏むことで、読書メモに本の情報と感想を追記し、本の情報と感想だけを切り出してScrapboxのページを作成することができるようになりました。
手元にあるのは1冊につき1ページになり、収まりがいい。いい感じです。
あとは読書するのみ。
今年もいろいろな出会いがあるといいな。

では、お読みいただきありがとうございました。

楽しそうなところに加わりたくて

楽しいことを書いていくのです。あるいはブログを愉しむのです。何をすれば楽しくないのかは、一週目でさまざまに経験したでしょうから、その判断はきっとやりやすいかと思います。

皆さんは、どのように考えられるでしょうか。

気がつけば、ブログを10年以上書き続けてきました。
正確には書き続けたというか、途中幾度となく更新が途切れながらも、でもやはりブログを書くことを再開し、、、ということを繰り返しています。

「何をすれば楽しくないのかは、一周目でさまざまに経験したでしょうから」とあります。
自分はどうだろう?と考えてみました。

ぼくがブログを書き始めようと思ったきっかけになったブログがいくつかあります。
その一つが、「R-style」の存在です。
今も「R-style」というブログ名の横にたたずむ「Sharing is Power!」の文字。
その一言は、「ブログを始めてみたいな、どうしようかな」と迷うぼくの背中を、強く強く押してくれました。

10年前のことですし、記憶は正確ではないかもしれませんが、そのころ、まだ自分がブログを始めていなかったころに読んでいた、RSSに登録していたブログの多くが、とても面白かったことを強烈に覚えています。
毎日それらを読むのを楽しみにしていました。
「そこに加わりたい!」と思うのには時間はかかりませんでした。
おもしろいと感じることを書きあう、楽しそうな世界に。

ぼくのブログのはじまりがそこなのです。
他のことを求めたことはありません。
楽しくないことをしていないので、一周まわってなんていなくて、フラフラしながらも、ときには停止しながらも、同じ方向にずっと進んでいけている感があります。
それはやっぱり、ブログを書くきっかけを与えてくれたブログが、楽しそうだったからなんだと思っています。

儲けるため、成功するためにブログをかくのではない、と。

立派なことだったと思いますし、倫理的に正しいことだったとも思います。

一方で、その高貴な思いは必要以上に削りすぎてしまったのかもしれません。ブログにまつわる、雑多な楽しみを。

幸い、高貴な思いもあまり抱いたことはなく。
それは、ぼくが好んで読んでいるブログは、変に盛り上がったり煽り立てるでもなく、とても面白いものを、でもきっと広くは読まれないだろうなぁと感じることを、広く読まれることはないと分かりながらも淡々と書き続けていることに影響を受けているのだと思います。
淡々と、自分の興味・関心を書いてシェアすれば、それをおもしろいと感じる人はきっといる。だって自分は、そういうものに強く心惹かれるのだから。
そう思えているからこそ、今まで高貴な思いを抱くことなく、楽しみを削ることなく、だからブログを続けることができているのだと思います。

実は実利ではなかったのかもしれません。謳われていた「実利」は、飲み会の口実のようなものであって、実際は「やりとり」とそこから形成される「つながり」こそが人を呼び寄せていたのかもしれません。

ぼくがブログを書き続けることができているのは、好きなブログがあるからこそ、ということです。
これはもう、感謝するしかありません。
ありがとうございます。

そして、ぼくのブログも、誰かにとってのそんな役割になっていてくれたらな、と願うばかりです。

ぼくはそんな風なことを考えました。

Obsidianにて連用手帳

職場のデスクでは、Obsidianを常に開いています。
Obsidian上でタスク管理をおこなっており、毎朝その日の日付をタイトルとした新たな1ページ作成することから1日が始まります。
そこに色々と、その日やることや、思いついたことや、新たに発生したタスクや、実行したことに関するログを書きつけていっています。
デイリーページと呼ぶことにしますが、このデイリーページの作成にはテンプレートを用いています。

去年あたりから「連用形式」で手帳やノートを使うことがいいと感じ、どのノートを使う際にも、連用形式で使うにはどうしようか?と自然と考えています。
「連用形式」とは、「連用日記の形式」のことで、同じ日付のページを数年にわたって使用する、というもの。
例えば、1月17日というページを作成し、今年はその日はそのページを使う。で、来年の1月17日にも、同じページを使う。
こうすることによって、去年書いたことが勝手に目に入る使い方です。

紙のノートを手帳のかわりに使い、それをやり始めました。それからというもの、手帳的な役割を担ってくれているものに関しては、すべて「連用形式」でいくのがいいのでは?と思っておりまして。
Obsidianを手帳的に使っているので、じゃあObsidianも連用形式にしよう、となるのは自然な流れです。
どうしようかあれこれ考え、試した結果、「埋め込み」の機能を使うことにしました。

Obsidianでは、ダブルブラケット「[[]]」でリンクの記述をしている部分の前に「!」をつけると、プレビューした時にリンク先のページをそのまま表示してくれる「埋め込み」機能があります。

これを利用すれば、各デイリーページに去年と一昨年の同じ日付のデイリーページへのリンクを貼り、「!」をつけておけば、プレビューした時のみ、過去の同じ日付のページが表示される、という形にすることができます。
基本的に、デイリーページにあれこれ書き込んでいる時は表示されず、プレビューすれば見える。いい感じです。
という様に、Obsidianにて連用形式でのデイリーページの運用が可能になりました。
しばらくはこれにて、Obsidianを「連用手帳」として使っていこうと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

日記を書き続けたいと思った理由はわからんけど、今、日記を続けることができているのはなぜかはわかる

日記は、始めた当初は一定期間ごとに書く媒体や書き方が変化していってたけど、6年前からは統一してる。
毎日日記を書き、過去6年分の同じ日付の日記を見返してる。
じゃあ、なぜ日記を書き続けているのか。

20歳くらいになるまで、日記とは縁がなかった。というか、日記を続けることができるとは全く思ってなかった。
何かしら大きな出来事があれば、「このことを書き残すために、日記を書いていこう!」と思ってノートを買い、書き始めるけれども、続かず。
一番初めに日記を書き始めた時は、習慣化する方法とか全然知らなかったし、今のように文房具好きでもなく、適当にノートを買い、おもむろに書き始めた。
まぁ、続くわけもなく。
でも、1ヶ月ほど書くことができたので、それはそれで良しやったのかな、という感じ。
日記を書き始めた理由は、やっぱり自分にとって大きな出来事があって、それについて書き残したくなったから、やったと思う。
じゃあ、なぜそこから今まで日記を続けているのか。

日記を書き続けることに挫折するも、また日記を書いていきたいな、という気持ちは不思議と湧いてきて。
で、確かそれと同時期くらいから色々と小説以外のビジネス書を読むようになり、色々と知識を得て、日記のテンプレートを作成してそこに書きつけていくようになった。
ルーズリーフにテンプレートを印刷して、それに日々日記を書いていく。
これはある程度うまくいって、数ヶ月続けることができた。確か、半年以上。
テンプレートを作るとなると、一体自分はどういうことを書き綴っていきたいのか?日記には何を書きたいのか?を真剣に考えた。
この、何について書き残すか決めておくことは、書き続ける上でかなり大事じゃないかな、と思う。
でも次第にテンプレートの印刷が億劫になり、途絶えてしまった、と記憶してる。
当時はデジタルでは書かず、手書きしていたので、テンプレートを使いたければ印刷しなければいけなかった。
じゃあなぜ、そんなたびたび途絶えているのにもかかわらず、今まで日記を続けているのか。

次にチャレンジしたのは、連用日記。というのも、テンプレを印刷して日記を書く媒体としてルーズリーフを選んだのは、連用日記にしていきたいって思ってたから。
綴じノートではなくルーズリーフなら、去年書いた同じ日の次のページに、今年の日記を差し込むことができる。
あらかじめ差し込んでおけば、書くときに去年の日記が勝手に目に入る
連用日記の良さは、去年書いたものが勝手に目に入るところやと思っていたので、それを実現するためのルーズリーフの利用やった。
で、それが続かなかったので、今度はテンプレは特に用意せず、綴じノートを線で区切って連用日記として使うようになった。
これが、続いた。
丸2年は続いたと記憶してる。実際、去年の日記が目に入りつつ、今年の日記を書いた記憶があるから。
で、書くうちに、これをデジタルでやっていきたい、Evernote上に書き残していきたいと思ったので、Evernoteに日付ごとのノートを作成し、毎年同じ日付の日に同じノートに日記を書き残すことで、過去の日記が勝手に目に入る形で日記を書き続けている。
その方法が、今6年目に突入しているところ。
Evernote上の日記のノートを開くと、2015年から毎年の日記が書き綴られていて、書いたらその流れで下にスクロールして、過去の同じ日付に書かれた日記たちを毎日見返している。
それが楽しいし、あぁこの時期にこれしてるんやな、と参考になるし、読み返すこと自体は5分もかからないのに、得るものはけっこう多い。
なぜ日記を続けたいと思ったのかはわからんけど、今、日記を続けることができている理由はわかる。
「読み返すのが楽しいし、読み返すことで今の日々の過ごし方の参考になるから」

書いている時は、多少の面倒臭さを感じる。
けど、来年それを読み返すことができるなら、その面倒くささくらい引き受けることができるほどには、読み返すことが好きになってる。
ただ、読み返すのは、簡単なことではない、と思う。
連用日記はその点でとても優れている、って話は、また機会があればすることにして。
「読み返すのが楽しいし、読み返すことで今の日々の過ごし方の参考になるから」を実感するには、まずは書き続けなあかんってのがきっとネックなんやろうな。

では、お読みいただきありがとうございました。

個別にページを与えてログを取っているものたち

自分が好きなもの・ことのログをとるのが好きです。
Evernoteを使い始めて身についたログをせっせととる習慣は、WorkflowyScrapboxなどのデジタルツールを渡り歩いて、今使っているObsidianになっても続いています。
具体的に何のログをとっているのか?というと、

  • 読書メモ
  • 読了した本
  • 飲んだビール・日本酒
  • 観た映画
  • コーヒー豆焙煎の記録

あたり。これらについては、毎回個別のページを作成し、そこにあれこれ書きつけていってます。
毎日その日のデイリーページを作成し、そこに日中あれこれ書いているので、何かしら書くならそのデイリーページに書いておきさえすればいいっちゃいいのですが、上記については、わざわざ個別ページを新規に作成しています。

読書メモ、読了した本

もう10年以上、本を読んでいるときにはいわゆる「ねぎま式」で読書メモをとっていってます。本文の引用と、それに対して自分が考えたことを書き添えていく、という方式。
で、1冊読み終えたら、また新たにページを作成し、本の画像や本の著者や出版年、出版した会社名、ざっくりまとめた本に対する感想、などの情報を、テンプレートに沿って書いていきます。
読書メモのページと読了した本のページを分けているのは、読了した本については、Scrapboxに公開するから。
Scrapboxの公開プロジェクト、book scrapbookには、いろんなメモが、主に着想を捉えたメモや、ブログの下書きなんかが集まっています。本についての感想を書いてると、そういうメモたちとリンクで繋がることがよくある。だから、book scrapbookにてメモと読了した本のページを一緒くたにしています。
ほんとうなら、読書メモもScrapboxにおきたいところなんですが、というか読書メモページと読了した本ページを分けずに一緒にしたいのですが、読書メモページの方はあまりにも引用箇所が多いので、それを公開するのは憚られるので、分けています。

飲んだビール・日本酒、観た映画

ビールが大好きでして、スーパーやコンビニ、デパートなどで、今まで飲んだことのないビールが売っていれば、ついつい買って見ては飲んでいます。
大好きなものなので、飲んでみた感想を書いて残しておきたい。ということで、テンプレートを作成し、飲んだビールについて書き残していってます。
日本酒も飲むので、ビールに倣っていろいろ飲み試し、そのログを書いていってます。
映画を観るのも好きなので、観たら必ずこれまたテンプレートにのっとってメモを残しています。友だちと映画の話をすることも多く、そんなときは最近観た映画のログを一覧し、おもしろかったものを共有したり。

コーヒー豆焙煎の記録

コーヒーも大好きで、あれこれ試していくうちに、しまいには生豆を手に入れて自分で焙煎するようになりました。
焙煎は温度変化の仕方により仕上がりが大きく変わっていく代物。豆を焙煎機に(コンロに置いて使焙煎するものを使っています)投入してからの温度変化を追いかけ、どのあたりで終了したか、などを記録しています。
で、合わせて、試飲してみた感想もそのページに追記し、果たしてその焙煎で豆の味を引き出せているのか、というのを確認できるようにしています。
同じ豆を使って何度か焙煎するので、うまくいったと感じる温度調整があれば、それを再現するように努め、自分で焙煎した美味しいコーヒーを飲むためにログを取っています。
ちゃんと記録を残しておくことが大切なので。


大抵はデイリーページにメモするだけに留めておきますが、わざわざ新たにページを作成してログをきちんと残していっているモノたちは大体このくらいでしょうか。
加えて、デイリーページに書いている着想メモの中で、1つの項目としてまとめることができそうなものに関しては、ページを作成して書き残し、Scrapboxで公開しています。
ほとんどはデイリーページへのメモで済ませているので、ログとしてちゃんと個別にページを与えているのはこれくらいかな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

「授業は難しい。だから楽しい」とはなかなか言えないけど、うまくいってない部分を打開して楽しめるようになりたい

授業で難しい、と感じるのは、「どうすれば数学を学ぶ気になってくれるのか?」というところ。これがほんまに難しい。
ぼくの赴任している高校の生徒は、勉強することに苦手意識というか、高校に入るまでの経験で勉強することに対してポジティブな感情よりもネガティブな感情を抱きがち。
そうならざるを得ないこともあるよな、と感じる。
特に数学のような積み上げていく教科は、小学校あたりでつまずき、そのつまずきから先「わからない」の経験が積み重なっていってしまうことがある。
そうなると、なかなか数学を学ぶことに対してポジティブな感情を抱きにくい。
聞いてもわからん授業を受け続けるのは、かなりの苦痛やから。
そういう生徒もいる中で、どうやったら「ちょっとやってみよう」と実際に取り組んでもらえるのか、「これはどうなるかな?」と考えてもらえるのか。
加えて、ぼくの赴任校は単位制の高校なので、「単位さえ取れたらいい」と考える生徒も多い。
中には、進級できる分の単位があればいいから、数学の単位は取れなくても他を取ればいいし、と考える生徒もいる。
そんな生徒たちに授業に、数学に取り組んでもらうには、どうすればいいのか。
いかにして単位目的ではなく、学んでもらえばいいのか。
とても、難しい。

と、ここまで書いてて、「何を弱音ばっかり言うてるんやい」「ぐちぐちと不満を漏らしてるんやい」と言う気になってきた。
何かしら、打開策はないものか。

今、顕著に現れてるのは、同じ内容を扱い、同じように授業を展開していても、うまくいっているクラスと全然うまくいってないクラスがある、ということ。
授業は、ぼく一人でやるものではない。授業を受けている生徒と一緒に作るもの。
みんなの協力がなければ、まともに授業をおこなうことなんてできない。
一人一人、日によって調子にばらつきがあるので、みんながみんな毎回ちゃんと授業をうけることができなあかんとは思ってない。
けど、日によってばらつきがあったとしても、「よし、やろう!」と思ってくれている生徒が一定数いると、クラス全体が自ずと取り組む雰囲気が出来上がる。
取り組む雰囲気ができているクラスは、多少の私語はあれど授業の妨害になるようなことをする生徒も少ないので、授業をしやすいし、生徒もよくやってくれるので、定期考査の平均点を見ても明らかに高い。
じゃあ、いかにそのようなクラスの雰囲気に持っていけばいいのか、という話になってくる。
クラスが違えば同じように授業をするとうまくいかない。であれば、何かしら変化を加えないと。
同じ題材を使うからといって、同じ授業にしないといけないわけじゃない。
クラス全体の授業に取り組む雰囲気づくりがうまくいきそうなやり方を考えればいいのか。
クラスによって、やり方を変えて雰囲気を引き出せばいいのか。
うまくいっていないクラスに関しては、大胆に変えていっていいかも。
うん、打開策になるかはわからないけど、やってみようと、試していこうと思うことは定まった。
もっと生徒に目を向け、分析して、取り組む雰囲気を作っていけたら。

と、こんな風に、授業について考える時間をもっととることができればなぁと感じる。
考え、試し、いい方法を探っていきたい。

では、お読みいただきありがとうございました。

「丁寧に生きたい」が、切実な願いに

大抵のことはごめんで済むと思うけど、ほんまにごめんで済まへんものは、いくらごめんって謝っても、謝る気持ちがあっても、向こうもしくは謝ってるこっちの気が済まないことやと思う。
そんなことがもう起きないように対策を考えていきたい。
どれだけ謝ってもこっちの気が済まないようなことがあったから。

とはいえ、生きていれば予測できないようなことがいくらでも起こってしまう。
そう考えると、防ぐなんて不可能なように思える。
でも、たとえ防ぐのが不可能なことがあるとしても、防ぐことができるものに関しては、すべて防ぎたい。
傷つけるようなことになってほしくない。
何か起こってからの対処法ではなく、起こることを未然に防ぎたい。

予測不可能なことが起こり続ける現実で、防ぐことが可能な事故をすべて防ぐためにはどうすればいいのか。
いくらごめんという気持ちがあっても謝りきれないようなことが起こらないようにするには、どうしたらいいのか。

「丁寧さ」がかなり大切やと思ってる。

ぼくは、丁寧さに欠けるところがある。
「神は細部に宿る」と言うけれど、神が宿ってくれるうよな細部にまで丁寧に気を払うことができた試しがない。
「まぁ、こんくらいでえぇか」で済ませてしまう。
「十分頑張ったよね」でやめてしまう。
大抵のことは、それでいい。大きな問題は起こらない。
ただ、たまーに、とてもまずい事態に陥ることがある。
細部といかないまでも、ちゃんと確認せずにやってしまって手痛い失敗を犯すことがこれまで何度もあった。
たとえば、羽田空港発の便やのに成田空港の便を予約していると勘違いしていて、成田空港に着いてから気づいて途方に暮れたり。

ちらっと確認すれば失敗を犯さずに済んだのに。
ちゃんと見ておけば防げたのに。

何気ない言葉や行動で、人を傷つけたことも何回もある。
何度謝っても、謝りきらない。

ちょっと考えれば、わかりそうなことやのに。

もしかしたら、「大抵のことは、こんくらいでえぇかでいい。それで大きな問題は起こらない」と思ってるのが間違いである可能性もある。
こんくらいでえぇかの積み重ねが、大きな事態に発展するのかも。
「まぁまぁできたかな」が、実はヒヤリハットを量産していて、やがて大きな事態を引き起こしてるのかも。
と考えると、やはり「丁寧さ」はとても大事やと思う。

丁寧さは、どう身につけていけばいいのか。どう身につけていくことができるのか。
もう、あぁほんまに時間戻ってくれへんかな、どうにか無しにできひんかな、と思うようなことを起こさないためにも、防ぐことができるものに関しては防ぎ切るためにも、大きく傷つけないためにも、物事に丁寧に取り組むことを身につけていきたい。
この願いは、年々強くなっていってる。
これはもうずーっと頑張ろうと思う。
丁寧に生きる」という人生の目標。

では、お読みいただきありがとうございました。

きっと、またやりたくなるときはくるし、こなかっても別にたいしたことはない。

やろうと決めて結局やめちゃったことはいろいろとあるわけですが、できなかったからといって特にダメージを受けることもなく、今日は今日の過ごし方をして日々ぼちぼちと生きています。

もちろんやり始めるときには真剣に続けていくつもりだったわけですが、まぁうまくはいかないことがあるもんで。
ただ、ずーっと継続することはできなかったものの、いつかまたやろうという気持ちは無くしたわけではありません。無くしていないからこそ、こうしてブログを書くことを再開することができたわけで。

目標習慣化との付き合い方はそんなもんでいい、と個人的には考えています。

やろう、と思ったことが当初の思い描いていたようにはできなくとも、まぁいいか、と。
習慣化しよう、と考え、計画を立てていたことが途絶えてしまっても、まぁそんなもんやろう、と。
そう思えるのは、ほんまにしたいことがあるなら、そのうちちゃんとやるときがくるはず、と考えているからです。
いい例が、数学の勉強
これまでなんども試み、やがてやらなくなってしまった代表格です。
学ぶテーマを決めて、やり始める。
ときには満足いくほどに勉強を続けることもありますが、やり続けれないことも多い。数検の勉強とか。
でも、「まぁいいか」です。
だって、これまで何度も何度も勉強し始めることはできてきたんですから。
ここまで開始と中断を繰り返していると、やっていない期間はとりあえず休止中なだけで、またいずれ勉強をし始めるんだろうという確信があります。
きっと、また勉強したくなって毎日やり始めるときがくる、という確信が。
だから、その時まで休止しといたらいいか、と。

学びたいなーと思ったときにまた学びはじめればいいだけのこと。
もし、また学ぶときが、学びたいと思うときがこなかったとしても、こなかっただけのこと。別にそれでいい。そこまで自分はそれを重要視していなかっただけなので。
ほかに取り組みたいことができてるかもしれませんし、ただ単になーにもやる気がおきないだけかもしれない。でもまぁ、それでいいか、と。
また学びたい、続けたいと思ったときにやり始めればいいよなーと。
とりあえず、できなくても自分を責める必要は全くないですし、その時はやろうと思えなかったとしても、またやり始める可能性は常に開かれているわけで。
そう、可能性は常に開かれているんです。
学びたいことは、いつまででも待ってくれてるもんなんですよね。

そんな感じで、今後もいろいろなことに取り組めたら取り組んでいけたらなーと思っている2021年元旦です。

では、お読みいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

iPhoneではショートカットと 1Writerを用いて、Obsidianのデイリーページへ一発アクセス

Obsidianをガッツリ使っています。
Scrapboxのページの移行を終え、次はDynalistに書き溜めていることも全てObsidianに転記したいなぁと考えている今日この頃なわけですが、一方でObsidianにはモバイルアプリがないことにちょっと不便さを感じています。
そこで、1Writerを使い、Obsidianで扱っているファイルにアクセスし、閲覧・編集できるような状態にしており、その環境をさらに快適にしようと考えて、iOSのショートカットを使うことにしました。
やったことは、

  • 1Writerにて、Obsidianのデイリーページを一発で開くショートカットを作成したことと、
  • 自分で作成しているマンスリーページへアクセスするショートカットを作成したことと、
  • デイリーページのテンプレートを、1Writerで扱えるjavascriptで作成したこと

の3つ。

1Writerは、mdファイルを閲覧・編集できるアプリで、指定のファイルを開くURLスキームが提供されています。そのURLスキームを使えば、デイリーページを一発で開くことが簡単にできそうだ、と思い、ショートカットを作成し始めました。
Obsidianのデイリーページのタイトルは、「20201226」という、日付がそのままファイルのタイトルになっているもの。これなら簡単にiOSのショートカットアプリで作れます。
また、Obsidian上にはマンスリーページも作成しており、同じようにショートカットアプリでそのページにアクセスするアクションを作成し、ホーム画面に配置しました。
これで、デイリーとマンスリーにはiPhoneからでも即座にアクセスできるようになり、基本的には不自由なく閲覧と書き込みができるようになりました。

ただ、デイリーページにアクセスする事ができるようになったものの、このままではアクセスするためにはあらかじめデイリーページが作成されてないといけません。作成されていなければ、当然ページは開かれません。
Macでは、pythonを使ってオリジナルのデイリーページを作成するコードを書いており、基本的には毎日Mac上でそのプログラムを走らせ、デイリーページを作成するところから1日を開始します。
でも、特に休みの日などは、Macの前に座っている時間は少なく、朝にMacを立ち上げる習慣もありません。
そこで、Macをわざわざ使わずとも、iPhone上で同じ内容が記述されているデイリーページをサクッと作成できるようにしよう、と考えました。

1Writerには、javascriptを扱う機能があります。それを使えば、デイリーページのテンプレートを作成できそうだな、と思ったので、いろいろと調べながらプログラムを組みました。
デイリーページのテンプレートの中に、昨日と明日の日付へのリンクや、1年前・2年前の同じ日付へのリンクを入れておきたいので、プログラムを組む必要があったので。
それを、Macではpythonで、iPhoneではjavascriptで実装しました。
これで、MacでもiPhoneでもデイリーページを作成する事ができるようになり、かつそのデイリーページへすぐにアクセスできるようになりました。
専用のアプリはないものの、十分1WriterでObsidianのファイルを扱いやすくなったため、あんまり不便ではなくなったように、むしろ快適になったように感じます。
今後ますますObsidianを重宝しそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。

キレイな画面と書き心地のトレードオフ

今持っているiPad Pro10.5インチは、はじめからApplePencilを使うことを前提に買いました。iPadとApplePencilの同時購入です。
iPadを買ったら必ず手に入れておくのが、画面を保護するフィルム。ApplePencilを使うことを前提としているので、当然の如くペーパーライクフィルムを購入しました。なので、iPadとApplePencilを手に入れてすぐにペーパーライクフィルムを貼り、使っていました。

iPadを購入して一年以上になるのですが、つい先日、フィルムを交換しました。1年も使えば、フィルムにはペンのあとやキズがついており、白っぽく汚れている部分などもあり、試しにペーパーライクフィルムではなくガラスフィルムを使ってみようと思い、買いました。
それに張り替える際、ペーパーライクフィルムを剥がすわけですが、剥がした瞬間、あぁiPadの画面はこんなにもキレイなのか!驚きました。
ペーパーライクフィルムは、その特性上、どうしても白っぽいもやのかかったような感じのフィルムです。
そのフィルムを剥がしたiPadは、とてもとても鮮明で、キレイでした。
このキレイさを享受できていなかったなんて!と思うほどに。と同時に、ガラスフィルムを買ってよかったなぁと感じました。ペーパーライクフィルムのようにモヤがかかっていない、透明なガラスフィルムは、iPad本来の鮮やかさを損ないません。
毎日、鮮やかな画面のiPadを使う事ができるようになりました。

キレイなことはとても嬉しかったのですが、じゃあペーパーライクフィルムからガラスフィルムに変えてどんな変化が起こったのか。
iPadで手書きを、ApplePencilをあまり使わなくなりました。
ガラスフィルムは透明でiPadの画面の鮮やかさを損なわない反面、ツルツルです。カチコチです。
ApplePencilを使うには、表面が硬すぎて、ツルツル滑り、書き心地がよくありません。
加えて、ガラスフィルムは反射がきつく、書く際に部屋の明かりが画面に映り込みます。これも、手書きをする際にはよろしくない。書く気が間違いなく削がれます。
書き心地の悪さと画面の映り込みがつい頭をよぎるからか、iPadに手書きする事が激減してしまいました。

画面はキレイな方がいい。
でも、書く道具にしたいのであれば、画面のキレイさよりも書き心地が重要になってくる。
キレイな画面をとるか、書き心地をとるか。
これはもうどう足掻いてもトレードオフの関係です。両方をとることはできません。
結果、書き心地を取りました。
新たにペーパーライクフィルムを購入し、ガラスフィルムを剥がして張り替えました。
また、快適な優れた手書きの道具としてのiPadが戻ってきました。
今後はガラスフィルムに浮気せず、このままずーっとペーパーライクフィルムの書き心地で使っていきそうです。

では、お読みいただきありがとうございました。