ノートがあたえてくれるもの、カードがさずけてくれるもの

ノートは、安心をあたえてくれる。
自分の頭だけでは心もとない。でも、ノートがあれば、常用するノートがあれば、必要とあらばすぐに心もとない自分の頭をサポートしてくれる。
何か考えるとき。覚えておきたいとき。頭の中がいっぱいなとき。
まっさらなページを開けば、考えるをサポートしてくれる。これまでの考えたことを見返しても、新たな着想を与えてくれる。
書いたことを見返すと、忘れていたことも思い出させてくれる。ノートに覚えておいてもらうことができる。
頭の中がパンクしそうそうなとき、とにかくそれを書き出すと、いくらかの落ち着きを取り戻すことができる。
ノートは綴じられていて、いつでも書いたことを、書いた順番に見返すことができる。書いたものは動くことなく、いつでも同じ状態で、そこにいてくれる。
だから、ノートは安心をあたえてくれる。
考えられる安心。覚えておける安心。いっぱいでも、書き出して落ち着きを取り戻せる安心。
そしてそれらが、いつでも同じ場所にある安心。

カードも、必要とあらばすぐに、心もとない自分の頭をサポートしてくれる。
けど、カードは安心をあたえてくれるわけではない。
ノートは、安心を与えてくれる。けど、カードはそうじゃない。
ノートは綴じられていて、ばらけない。がゆえの安心感。
カードは綴じられておらず、一枚一枚がバラバラ。だから、安心できない。不安定。
でも、不安定さがカードの真骨頂。
ノートにあれこれ書き出すのとはまた違う形で、考えるをサポートしてくれる。
ノートのように、書いたものが同じ場所にとどまることはない。いつなにがどこにいくかはわからない。いつでもどれでもどこにでも動いてしまう。いや、動かすことができる。
綴じられていないがゆえの利点。
そう、カードの強みは動かすことができることにある。「操作」できることにある。
カードは安心をあたえてはくれないが、代わりに操作できる。
くれる。組み替えれる。動かすことができる。配置できる。束ねられる。自由に。
つまり、ノートとカードは役割が全く違う。

安心できるノートと、安心はできないカード。
安定的なノートと、不安定なカード。
固定されるノートと、流動性をたもてるカード。

ノートは情報カードの代わりにはなれないし、情報カードはノートの代わりにはなれない。

「過去に書いたことが否応なしに目に入る」環境づくり

過去の日記が「否応なしに目に入る」ように、日記を書いていく。この「否応なしに」は、けっこう重要なキーワード。


テキストデータを扱うのが主流になって久しいけど、それでも紙のノートを使ってる人は多い。
アイデアメモしたりとかにもノートを使ってたり、日記はノートやったり。

ノートの良さは、「ペラペラめくれる」ところが一番じゃないか、と感じる。これは、タブレットとかでは実現できない。
ペラペラめくる時に、過去に書いたことが目に入る時がある。そういうのんが、紙のノートの最も優れた点の一つじゃないか、と。
で、これをテキストデータでも実現したい。ペラペラは現状実現は無理。となると、「過去に書いたことが目に入る時がある」ようにできないか?ってことになる。で、この解として、「連用日記」が思いつく。

紙の連用日記は、同じページに3年や5年分の、同じ日の日記を書くことになる。自然と、「1年前の今日」が目に入る。そう、「過去に書いたことが目に入る」ことになる。これしかない。
Evernoteで実践する。同じノートに、同じ日付の日記を書いていく。まさに連用日記。
ノートのタイトルは「日付」。内容が「2016 Mon」という風に、西暦と曜日を入れて、その年のその日の日記を書くようにし始めてはや2年ほど。イメージとしては、こんな感じ。

  • 2016 Sun
    • 日記を書き書き。
  • 2015 Thu
    • 去年の日記が書き書きされている。

去年の日記が、確かに「目に入る」のですごく気に入ってる。で、それを「1日のログ」にも応用させて、たすくまの実行記録とそのメモも連用の形で書いていってる。
同じノートに、同じ日付の記録が並ぶ。並べていく。確かに「目に入る」ので、これまたすごく気に入ってる。


ノートでは、「ペラペラめくる」ときに、過去に書いたことが目に入る。一方で、同じ手書きでも、カードではまったく事情が変わってくる。
紙のノートなら、新しく何か書き込む時に、一番新しいページまでたどり着くためにペラペラとページをめくることになり、過去に書いたものが目に入りやすい。
けど、カードはそうはいかない。ノートのように、新しく書くときに過去に書いたカードをペラペラすることはない。新しく何かを書く時には、新しいカードを取り出す。過去に書いたカードには、目もくれず。
カードの弱さというか、弱点はここにあるかも。自分から見返しにいかないといけないところ。
意識的に「見返す」をしなければいけない。それは、見返さなかったら過去に書いたものは目に入ってこない、ということ。ただ単にカードを書きためて、束にしておいておくだけでは、「否応なしに目に入る」にはなり得ないということ。
ぼくはどうやら意識的に「見返す」が苦手なようで、カードは使ってみては破綻し、また使ってみては断念し、を繰り返してる。今また使ってみてるところやけど。

そこで、「否応なしに目に入る環境」が一つのヒントになるかな、なんて思ったり。
とりあえず今やってみてるのは、書いたカードをデスクの上にほったらかしておく、というもの。
家のデスクの上には、iMacがのってて、その下のスペースにカードを乱雑にほったらかしてる。ほったらかしてたら、「否応なしに目に入る」。そこからなにかがうまれるのかはわからんけれども、とりあえず続けていこうと思う。

ノート、カード、テキスト。それぞれに合った「否応なしに目に入る」ような管理の仕方。過去に書いたことたちに日が当たるような、蓄積のさせ方。手間なく実践できるようなものを考え、試していきたい。

〜余談〜

目に入った時に少し考える時間をもてる、ちょっとゆとりもあれば、尚いい。というか、それがないと、目に入ってきても意味がなくなっちゃう。
過去に書いたことが目に入った時に少し考える時間をもてるようなゆとりを得るために、「ライフハック」はあると思ったりする。


では、お読みいただきありがとうございました。