名刺サイズで遊ぶ (情報カードの大きさについて)

情報カードにメモをするってのを、休み休みずーっと続けてる。で、そのときに使ってたのは、5×3サイズの情報カードばっかりやった。43Tabsを実践してるときも、5×3サイズ。最近またカードを使い始めたけど、やっぱり5×3サイズ。
でも2,3週間ほど前から、名刺サイズを使い始めた。というのも、5×3サイズは、ちょうど程よい大きさやと思ってたけど、ポッケにはちと大きくておさまりがわるいため。名刺サイズは、小さいぶんポッケに無理なくおさまる。
そして、iPhoneのケースにもおさまる。これがけっこう、いやかなり重要やったりする。
名刺カードは、50枚ほどをクリップでとめて、ひとまとめにして持ち歩いてる。
思いついたら、そこに書き込んで、書いたカードはクリップから引き抜く。その引き抜いたカードのやり場に困ることがあったけど、名刺サイズはiPhoneのケースにおさまる。書き終えたものを、iPhoneにしまえる。

iPhoneは常に持ち歩いていることが多いので、そのケースにさえ入れておけば、どこにでも持ち運べる。朝一番に必ずとりくんでる、前日のメモを見返すときにも、カードの見返しを忘れることがなくなった。見返しのときにも、iPhoneは持ってるので。
最終的には、一日に書いた分はまとめて、ボックスへ。


カードの使い方は、「何かしら思いついたら書く」。以上。
なんか思いついたら、書く。タスクでもなんでも。着想でも、スケジュールでも。メモしておかなあかんそうなことは、カードに。
着想を書きおいていくのであれば、そんなに大きいサイズは必要ない。
そう、タスクをメモるにしても、思いついたことをメモるにしても、140文字くらいあれば事足りる。メモるときはそれで十分。140文字なら、名刺サイズが程よい感じ。ぎっしり書けばそんくらいの文字数が書ける。140文字も書くこと自体少ないし。やからちょうどいい。
これは、「知的生産の技術」で語られている情報カードの使い方とは違うけれども、そこで述べられている「規格化」や「くれる」って利点はそのままあるわけで。

小さいサイズのカードは、B6サイズとは違い、一時的にしたためておく場って意味合いが強い。名刺サイズでは、豆論文はなかなか書けない。でも、一時的に書いておく場であれば、名刺サイズで十分。ちょっとしたつぶやきを残しておくのであれば、一文をしたためておくくらいならば、140文字くらいの文章ならば。なんかそれが、心地いい。


じっくり考えたいときは、いつもどおり大きめの紙をひろげればいい。考えようとするときは、野帳くらいの大きさがあってもちょっとせまい。やから野帳を使わなくなっちゃった。
で、実は、考えるときも名刺サイズのカードは使える。考え事して思いついたことを、次々にカードに書いていく。それがなかなかにいいことにも気がついた。
机の上にぶぁーっと広げることができるから。

書いて書いて、机に広げる。と、A4の紙に書き出すよりも、広い面に書いてる感覚になれたりする。着想を書きためる、かつ、発想ツールでもあるということになる。
書きためたメモは、着想に関しては、ときどき広げて眺める。乱雑に机にほうりだしてもいいし、縦一列に並べてもいい。自由。その気になれば制限なく、広げれる。

なんしか、今のぼくには名刺サイズがしっくりきてます、名刺サイズのカードになにやら書きつけては遊んでますって話。

では、お読みいただきありがとうございました。

思いついては書き加えて、ブログの記事に仕上げていく(最近の文章の書き方)

長いことブログを書いています。細々と続けております。
長いこと書いてるので、記事を仕上げて更新するまでの流れを、あれこれ試してはしっくりくるものをしばらく続けてみて、、、みたいなことを何度も繰り返してます。
たいていは、「あ、ちゃうな、これ」ってなって、また前の書き方に戻る、となっちゃうわけですが。
でも、これまで何度か、ながーいこと同じ書き方を続けていたこともあります。

一つは、エントリの最後に「マインドマップ」みたいなものを載せていた時期が挙げられます。2年くらいは、エントリを書き進めていくときに、必ずマインドマップもどきを描いてから文章を書きはじめていました。
もう一つが、アウトライナーを使って文章を書き始める方法。これは今も現在進行形で、長いことその方法で書いています。マインドマップもどきを描いていたころより、今のほうがしっくりきてる感覚があります。
これは、かなり大きな変化です。だって、書くことを明らかにしていく手法が、マインドマップからフリーライティングっぽいものになり、トップダウン寄りなものからボトムアップ寄りなものにかわったってことですから。


マインドマップもどきを描いてからブログを更新していた時の流れはこんな感じでした。

何について書くのかを決める
 ↓
マインドマップを描く
 ↓
マインドマップにのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

テーマを決めて、マインドマップを描いて、文章書いて、アップしての一方通行。たいていは一日で記事を仕上げてしまうため、「読み返し」がほとんどなかったように思います。
マインドマップを描くことで見出しが決まってきて、だいたいはそれにのっとって書く。多少手を加えつつも、おおむねマインドマップで書き出したことを文章化していく。
シェイクがなかったわけです。

アウトライナーを使うようになっては、こんな感じです。

とりあえず思いついたことを書く
 ↓
書いたものを読み返す
 ↓ ↑ (何往復もする)
読み返して思いついたことを書き加える
 ↓
全体の構成が見えてくる
 ↓
見えてきた構成にのっとって文章を書く
 ↓
仕上げてアップする

思いつくことを書き出して、書き出して、書き出して、書き出したことを読み返して、読み返して思いついたことを書き加えて、読み返しては書き加えて、そうしている間になんか見えてきて、見えてきてからはその見えたものにのっとって文章を書いていきます。
まず、書き始める。フリーライティングからはじめる。とりあえず一歩目を歩き始めることができる。
階層化はあんまりしません。そのかわり改行を多用します。たくさん改行して、文をかたまりにわけます。
文の順序の入れ替えは、頻繁におこないます。書き出した文章を入れ替えたり、書き加えたりしながら、全容をさぐっていく。
そのためか、エントリに「見出し」がないものが多くなりました。必要であれば見出しつけようかな、程度にしか考えていないので。ちょっと一呼吸おきたいときに、区切り線を入れるくらいです。

「書きたいこと定めてから書き始める」が、「なんか、とにかく書いているうちに書きたいことが浮かんでくる」にかわりました。間違いなく、大きな変化です。


マインドマップの時は、「何について書くのかを決める」の段階、すなわち一番初めの段階で、大まかに全容が見えてないと書き始められませんでした。
というのも、ぼくのはあくまでもマインドマップ”もどき”で、発想を広げるというよりも、頭の中にあることを整理しながら紙にひろげていく、という意味合いが強いものであったから。そもそも頭の中に、ブログに書けそうなことがなければ、それをマインドマップ上に吐き出すことがなかなかできないわけです。
中心から伸びたノードが「見出し」で、そこから先はその内容を書いているような感じでした。頭の中を構造化しながらマインドマップっぽく落としこんでいました。マインドマップが完成すれば、あとは必要な部分を補いながら文章化していくだけ。
マインドマップさえ描ければ記事はできあがるのですが、マインドマップを描き始めるまでがなかなかに困難だったように思います。頭の中で、ある程度は「何についてどう書くのか?」を描けていなければ、一歩目を踏み出すことができませんでした。
なので、ブログを書く時間を確保していても、一文字も書けないことがざらにありました。
一文字も書かずに時間が過ぎていく、なんてことがあると、モヤモヤします。書きたくても書けてない感がただよって、「あぁ、書かれんかったー」と多少落ち込む。
そんな感じでした。

今は、フリーライティングからはじめています。特に「これについて書く」というものがなくても、まず書いちゃう。
とりあえずなんか書ければいいや、なにが書きたいとかなくても、なんか書ければいいや、という気持ちでいるので、何かしら文章は出てきます。だって、思いついたことをそのまま書いちゃえばいいから。なんも書かれんかったー、みたいなことがほぼほぼなくなりました。モヤモヤ感は、あまりありません。何も書けずに終わる、ってのがなくなったから。
過去に書いたものを読み返して呼び水にすることもあれば、なにもせずただ頭に思い浮かんだことを書き出すこともあります。
「記事を仕上げよう」ではなく、「まぁそのうち仕上がっていくでしょ」って感覚で書いています。
いつ文章を書き終えることができるかわからないまま書き進めることになりますが、それなりに更新できてるので、書いてるうちに仕上がっていくもんなんだと思います。それでいいかな、と。

以前のように、ブログにまとまった時間がとれないってのも影響が大きいように思います。
ブログに時間をかけることができていたときは、マインドマップを小1時間かけて描き、これまた小1時間かけて文章を書くことでエントリを完成させていました。1日のうち、1時間半くらいをブログに費やすことができたからこその書き方と言えます。
けど今は、1日の中でそんなに長い時間ブログを書くことはできません。毎日長くて20分とか。細かく分割されます。分割された中では、ちまちま書き加えていく今のスタイルがあっているみたいです。マインドマップは、ちまちま書き足すのんがどうもやりにくいので。

おわりに

文章を書く。そのこと自体への親しみと楽しみが、以前よりも大きくなっているように思います。これも大きな変化。
うんうんひねり出しながら書くことが多かったのに、とりあえず書いたことをあれこれいじりたおすほうが楽しい。自分の書いた文章って読み返すとそれなりにおもしろいもんです。読み返しが刺激になり、新たに何か思いつくことだってあるもんです。
一日のなかで書くことに費やせる時間をなんとか捻出し、書く。
読み返しては、書き加えていく。
それを続けて、ブログの記事として公開しちゃう。そんなスタンスで、楽しみながら書くことができています。
そんな楽なスタンスでブログを更新するってのも、いいもんです。

では、お読みいただきありがとうございました。

ちなみに

今回のエントリは、下書きを複製しては書き加え、また複製しては書き加え、を繰り返して完成までもっていきました。というのも、文章の変遷を残しておき、それも見てもらおうかな、と考えたためです。以下にその下書きたちを載せますので、興味あればこちらもどうぞ。

最近の文章の書き方。

最近の文章の書き方。 (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

最近の文章の書き方。 (copy) (copy) (copy) (copy) (copy) (copy)

大阪弁と標準語とメモとブログと

キーボードで書くのとiPhoneのフリック入力で書くの。
話すときの言葉と、書くときの言葉。
口に出してしゃべるのと、声には出さず書くの。

同じ内容を考えてたとしても、考えるスピードや書くスピードは違ってくるように思う。
なので今回、話すときの言葉、つまり、大阪弁でエントリを書いてみようと思い立った。そのほうが早くブログを書ききることができるかな、なんて考えて。
それが、以下の二つ。

普段、何かしら考えごとをするときは「大阪弁」。内容があんまり見えず、思いついたことをだぁーっと書き出すときも大阪弁。つまり、考えるときは話すときの言葉を使う。
それら大阪弁で書かれているメモを見返し、内容を定め、ほかの人が読める形に「仕上げる」ときは標準語。文章を書くぞ、というときは、標準語を意識する。大阪弁ではない。
上記の二つのエントリは、話すときの言葉で書いた。考えたことをだぁーっと書いていくときの言葉で。
じゃあ、二つのエントリは、だぁーっと書き出してそのままブログになったのかというと、やっぱり違う。いつも通り、書き出す段階とブログの形に仕上げる段階に分けて書いてた。


ブログという形で人の前に提出する文章は、ほぼほぼ2回書いている。
まず、あれこれ書き出す。頭の中のモヤモヤがなくなるまで。
「これについて書けそう」と思ってても、ぼくの場合、スラスラと文章が出てくる、なんてことはない。書けそうな気はするけど、モヤモヤしてる、という感じ。まだ頭の中で固まっていない、見えてきていない感じ。
それは、あれこれ書き出すうちにちょっとずつクリアになっていく。
で、だいぶクリアになってきたら、これまで書いた文章を横に表示し、参照しながら書く。つまり、2回書いてるということ。
なんではじめから書き直すことをするのか。そのほうがいいと思うのか。
メモは大阪弁で、ブログは標準語だからだと思ってた。書き出すときは大阪弁で、仕上げるときは標準語だからだと思ってた。
フェーズが、大阪弁と標準語によって分かれているから、仕上げるときには、はじめから書き直したほうが手っ取り早いからだ、と。

大阪弁を敬体に直そうと思うと、なかなかに修正は大掛かりになる。かつ、仕上げに向かうためには、今まで書いた文章を整えていく必要があり、さらに修正は大掛かりに。というか、修正っていうレベルではなくなってくる。
だぁーっと頭の中を書き出していくことでクリアになり、文章の内容、流れはもうほぼ出来上がっているので、大きく構造をいじる必要はない。書き直していって、結果的に大きく構成を変えるときはあるものの、基本的にはできあがってる流れに沿って書き直していけばいい。
ってことで、これまで書いた文章を参照しながら、一から書き直し、仕上げる方法がしっくりくる。そう思ってた。
でも、今回大阪弁で書いてみて、いや、そうでもないなと感じた。大阪弁で書いたらからといって、2回書く必要はなくなるわけではない。早くブログを書ききることができるわけではない。
まぁそうやろうなと、うすうすは気づいてたけど。


大阪弁のブログエントリを書こうと思い、最終的な仕上がりを標準語ではなく大阪弁にしようと思いながら書いていたのに、やっぱり2回書いた。大阪弁を、また大阪弁で書き直していった。結局は、大阪弁や標準語やという区別によらず、「書き出すフェーズ」と「仕上げるフェーズ」に分かれていたほうが、ぼくは書きやすいということ。
でも、いつもと違う感覚もあった。
内容が定まって、ブログ用に仕上げていく段階、いつもは標準語で書こうと思いながら進めるけど、今回は大阪弁で書いた。明らかに、いつもよりも筆の進み具合がよかった。さらさらーっとかけていけた感じ。
大阪弁のほうが、やっぱり書きやすい。文章が比較的すらすらと出てくる感じ。言い換えないで、いつも使ってる言葉、素のままの文章。そのほうが、書きやすい。


メモをできるだけそのままブログに仕上げられんものか、そうできたほうが、ブログを書くスピードは速くなり、更新頻度が上がるのではないか、そんなことを考えてるときもあった。
でも、今回大阪弁でエントリを仕上げてみて、そうは問屋が卸さないことがよくわかった。
たとえ、敬体になおさず、標準語になおさず、大阪弁を大阪弁のままブログの一つのエントリを仕上げようと思っても、もう一度書き直す必要があった。
やっぱり、ブログの一つの記事として仕上げるための、文章を整える作業というか、言葉遣いを修正する作業とかは必要。
ちまちま修正するよりも、一から書いたほうが手っ取り早い。今回も、いつもと同じように手っ取り早かった。
メモとかを集めて、全体の流れを整えて、文章を仕上げていくためには、もうこれは必要なことと割り切っていくのがいい。


一発で文章を仕上げようとは考えない。
けっこうそれが、文章を書く上では大事じゃないかな、と思う。
まずは。
次の文章を頭から出そうとうんうん悩まず、思いついたことをそのまま書いていく。だぁーっと書いていく。書いたことを読み返すと、また何か思いつく。思いついたことをまた書いていく。それを繰り返していくと、はっきりしてくる。頭の中ではおぼろげにしかみえてなかったことが、クリアになっていく。
書き出すのは、クリアになるまで続ければいい。なかなか仕上がらなくても、気にせず。見えてくるまで書いては読み返し、書き足しを繰り返す。
そしてクリアになってから、これまで書いたことを見返しながら文章に仕上げていく。
実はこのブログエントリは、仕上がるまで半年以上かかってたりする。一番はじめのメモを書いてから、半年以上。
そっから折に触れて書いては読み返しを繰り返すことで、だんだんとクリアになってきて、書く内容が見えてきて、ようやく一つのエントリに仕上げることができた。そういう書き方も、あったりする。そういう書き方も、いいですよね。

では、お読みいただきありがとうございました。

余談

2度書くことについては、「書いてから、書く。」と題して、こちらでも書いております。

ノートに書き出し、「事前装填」することで実行率は上がる

「アシタノレシピ」執筆陣の一人として、習慣化についての連載を書いています。

その中で、「信頼できるシステム」があるかないかで習慣化のしやすさは変わり、とくに「タスクシュート式」は、なにかを習慣化するのに適したシステムである、と書きました。

実際、「たすくま」を使い、「タスクシュート式」にてその日の「やること」を管理するようになり、その気になれば大抵のことは習慣化できそうやな、という感触を抱いてます。
が、それは実は平日に限って言えることだったりします。というのも、休日は、「タスクシュート式」がぼくにとっての「信頼できるシステム」にはなっていないため。「たすくま」でのやること管理がイマイチうまくいっていないため。
平日と休日では、「たすくま」への信頼度が全然違ってしまってるんです。


平日は実にすばらしく「たすくま」は機能してくれています。日々のリピートタスクに今日やるべきタスクを加え、朝に一日の計画を立てます。で、まったくそれ通りとはいかなくても、たいていは計画しておいたタスクを終え、眠りにつくことができています。
「基本的には、たすくまに書かれていることを実行していきさえすればいい」と思えています。この感覚こそが、システムを信頼しているということなんでしょう。
対して休日となると、大きく様相は違ってきます。
平日は起きてから寝るまでだいたいの流れは予想がつき、毎日それが大きく変わることはありません。が、不確定要素の多い休日は、休日ごとに過ごし方が大きく違ってきます。となると、朝と晩はだいたいいつも同じであるものの、日中がいつもいつも違った過ごし方になってきて、なかなかたすくまでは対応できません。で、リストに書いたタスクが実行されなかったり、ログがとれないことが多い。
こうなると、たすくまにタスクが載っていても実行しないし、実行できない。実行できないと信頼が下がる。信頼が下がるとさらに実行できなくなる、、、の悪循環がおこってきます。そして、休日のたすくまへの信頼度がどんどん下がっていってしまいました。やがて、「書いても書いてなくても結局やらんやん」と、すべきことを書いてても実行されない、なんてことに。
平日はすこぶる調子よく働いているシステムなのに、休日はてんでダメ、ってな感じになっちゃったわけです。
休日は「信頼できるシステム」を持ち合わせていないことになります。気がつけば休日に何かを習慣化するのがすごく苦手になっていました。
「信頼できるシステム」の有無は、習慣化にとってはとても大きい。このままではいつまでたっても休日の過ごし方が改善されへん、と思い、何かしら、休日用のシステムが必要やな、ということになりました。


休日の信頼度を上げるためにしたこと。それは、新たにノートを用意するってこと。
そのノートを「休日専用の手帳」として使い始めることにしました。たったこれだけで劇的に変化しました。
たすくまに登録するってのは一緒ですが、登録する前にノートにやることを書き出し、一度計画を立てるようにしました。
平日に比べ、なにをするのか不確定な休日ですが、不確定でどのような過ごし方をするかが読めないとはいえ、事前にタスクをやる”タイミング”は考えておくことができます。不確定な部分が大きく、「何時にこれこれをする」という風に時間帯を指定することは難しい。でも、「このタイミングであれをしよう」というように、実行するタイミングは考えておけます。
家族と過ごすことが多く、時間帯を指定していろいろとやる時間を確保することは難しいです。けども、ずーっと一緒というわけではなく、やることにとりくむ時間もあります。「娘がお昼寝の時」や「アンパンマンを見ている時」とか。
お昼寝の時は一人であれこれできるので、書いたり学んだりの集中してとりくむ必要のあることができます。
アンパンマンに夢中になっている時は、目の端には娘をとらえながらも、ある程度自分のことにとりくむことができる時間になります。ぐっと集中する必要のないこと、例えば一週間の振り返りとかならやることができます。
そういう、実行する「タイミング」をあらかじめ考えておくんです。「これのタイミングに、あれをする」みたいなことを。
つまり、ノートを使ってやっていることは、「事前に考えておく」ってことだけ。休日のどのタイミングで何をするのか考え、やることを事前に装填しているだけ。でも、その効果はやっぱりなかなかのものなんです。
「事前装填」の威力です。あるいは、コミットメントしているか否かの違いとも言えましょうか。
ノートにて休日の過ごし方を計画することにより、実行できる時間帯・タイミングに、あらかじめタスクを装填することができるようになりました。「この時間がきたらこれをする」と、自分にコミットメントすることができるようになりました。
ノートで計画するとしないとでは全然違います。

おわりに

ノートを用いて、休日にやろうと思ったことを、どのタイミングで実行するのか考え、事前に装填しておく。
これだけのことで、休日においても、「たすくま」をまた「信頼できるシステム」へと成長させることができました。「休日手帳」と「たすくま」の二つがそろっての「信頼できるシステム」です。
タスク管理をいろいろ試し、自分なりのシステムを構築し、「これでいける!」と思っても、なにかのきっかけで信頼度が落ちてしまうことはきっとあると思います。そんなときにまたあれこれ考え、試し、また信頼のおけるシステムへと育てられるのか。そのへんが結構大事なんじゃないかな。
「休日手帳」を使ってみる、という経験から、そんなことを考えました。
「これでかんぺき!」はずーっと完璧なままではいてくれない。から、ちょくちょく手を入れながら、今後もぼちぼちやっていきたいです。
では、お読みいただきありがとうございました。

「実行タスクにメモ残すときにな、実は心がけてることあるねん。

実行タスクに対して必ずメモ残すために、ちょっとした工夫をしてみた って話は前したでな。あの続きな。
あ、そうそう。あのあとな、「たすくま」がアップデートされて、メモを書いて完了を押したあとに、タスクの時間の計測が終わるように変更されたみたい。空白の時間がなくなるようになってくれてん。ありがたいな。
でやでや。ちょっとした工夫をして、実行タスクに対してメモを残すことができるようになった。じゃあ残したメモはどないするねん?って話やでな。
実行タスクに対してメモしておく理由はふたつあって、

  • その日1日をできるだけ鮮明に残すため

ってのがまずひとつ目。
たすくまを使ってると、実行したタスクたちがズラって並ぶ。自分の行動のすべてが。見返すと、この日何をしたのかってのがわかるようになってる。で、何をしたのかにくわえて、一つひとつの行動に1行かそこらで感想もそえておくと、より1日が鮮明になってくれそうやん。見返したとき、思い出しやすくなりそうやん。
あとはな、

  • 振り返り、改善につなげるため

ってのがもうひとつの理由。そのために、1行でもメモを残しておこう ってなったねんな。
振り返り、改善につなげるために、ひとつメモの残し方も工夫というか、ちょっとだけ意識してることがあるねん。それが「ブライト・スポットに注目する」てこと。
ちょっと前におまえからかえしてもらった、えーと、「象と象使い」が印象的な、、、そうそう、「スイッチ!」な。「うまくいったこと」に注目するってのも、「スイッチ!」から学んだことやねん。
えーと、どっかに書いててんなぁ。ちょっと待ってな。探してみるわ。。。あったあった。42ページや。

村人たちに「ブライト・スポット」、つまりお手本となる成功例を探してもらうことだった。

「ブライト・スポット」や、「ブライト・スポット」。
なんかやってみるやろ。で、実行メモを残すわけやけれども、何かしらうまくいったことを積極的に書くようにしてるねん。ブライト・スポットを探すために。
何かしらうまくいったことを書きのこす。毎回毎回書きのこす。で、振り返ってみると、うまくいったことがずらっと表示されることになるやろ。そっからブライト・スポットが、そのタスクをより良くするためのキーポイントが見つかるかもしれんやん。やから、何かしらうまくいったことを、書く。「スイッチ!」では、問題に注目してばっかりやと

挙げられた意見は「真実だが役に立たない」ものばかり p96

になりがちや、と書いてる。やから、基本的なスタンスとして、

「何がうまくいっているか?それを広めるためにはどうすればよいか?」 p59

を考えやーってのが提案されてるねん。
でな、それに加えてな、ブライト・スポットをさがすために「うまくいったこと」をメモして残すのにはもうひとつ良いことがあってん。
楽しなるねん。ちょっと楽しくさせるというか、前向きな気持ちにさせてくれるねんな、そういうメモを書くのって。
やってみて、失敗することもあるやん。しもたぁーって思うこともあるやん。で、その原因を簡単に考えて書くこともあるけど、それやと失敗に目がいってもうて、同じタスクを次に実行するときに、ちょっとだけそのタスクに悪いイメージが入ってきそうやん。そうなるよりも、極力「うまくいったこと」に注目してメモしといたほうが、良いイメージが残せそうやん。実際良いイメージ残せてると思うねん。
ブライト・スポットを探すために、実行してみて良い感じやと思ったことを書く。おすすめやで。

前回も含めると、ちょっと話し長なったな。要するに、

  • 1行でもいいから記録しておく
  • 記録は「うまくいったこと」を書くように心がける

ってことやな。そうすれば、改善につながりやすいような、書くたびに良いイメージが残ってくれるような記録を残すことができるねん。
何かしら参考になった?参考になってくれればうれしいねんけども。
また機会があればしゃべるわ。ほな。」

参考

Taskuma — TaskChute for iPhone — 記録からはじめるタスク管理
カテゴリ: 仕事効率化, ライフスタイル

自分も習慣化に取り組みながら、「習慣化」についての連載を書くと、すごくいい

4月から「アシタノレシピ」の執筆陣に加えていただいています。
ほんとうに光栄なことで、ベックさんから声がかかったときは、「是非是非!」と参加を即決しました。というのも、アシタノレシピのいつかの記事で「書いてくれる人誰かおらんかなぁ」的なことを書いてて、立候補しようかなと思いつつ時が過ぎていってしまってたからです。なので、声をかけてもらえたのはほんまにうれしく、今も楽しみながらとりくむことができています。
というのは余談で。
現在、アシタノレシピでは「「習慣化」のための自己サポート集」と題した連載をしています。「習慣化」をテーマに記事を書いてるわけです。
連載の中でも書いているのですが、習慣化について書きはじめたくらいの頃から、「Mediumで日記を書く」ってのを新たにはじめました。習慣化について連載しながら、同時に自分自身も新たなことの習慣化にとりくみはじめたんです。で、これがすごくいいなと感じるんです。

「習慣化」について書きながら、自分も「習慣化」にとりくむ。
「習慣化」にとりくむことによって、それが連載を書く際の具体例となります。具体例があったほうが話は展開しやすいもの。自分が習慣化にとりくんでいる「Medium日記」について触れながら、習慣化についてより具体的に書くことができてる感じです。
さらには、書くことによって気づくこともたくさんある。連載で書くことで自分自身の理解も進み、新な気づきが起こり、習慣化にもプラスに働く。そういう良循環が起きている感じがします。
記事がすごく書きやすいんですよね。習慣化に取り組みながら、習慣化について書くってのは。

考えていることとやっていること、考えたこととやったこととが、書いてあるブログ

思えばこれは当たり前のことで、これってぼく自身すごく慣れ親しんでいる方法であることに気づきました。
ぼくのブログを書く際の基本的なスタンスが、考えたことを試してみて、試してみたことを書いてみる、というものだから。
ぼくの最も好きなブログは、「23-seconds blog」なのですが(ほんとうにおもしろいのでみなさんぜひ読んでみてください)、そのブログ内のあるエントリで、ぼくのブログをこんな風に表現してくれていたことがありました。
「考えることと、やってみることで満ちているブログです。」
このように表現してもらえて、ほんとうにうれしいですし、まさにこのブログを言い表してくれている言葉だと思います。
ぼくが考えていることとやっていること、考えたこととやったことを書くのは、それがやっぱり楽しいっていうのと、そうやって書いていくことでまたさらに考えてやってみて、、、が続いていくから、なのだと思います。
考えたことを試してみて、試したことを書いてみる。と、はじめに考えてたのんとはまた違った気づきが得られ、それを試してみてることに反映し、反映してみながらまた書く。また新たな気づきが得られて、、、の繰り返しがおこったりする。
それがすごく楽しくて。
「考えること、試すこと」と「書くこと」は互いにいい影響を及ぼしあってくれる。からぼくは、ブログを、考えていることとやっていること、考えたこととやったこととを、書く場にしているのだと思います。

おわりに

Atsushi – Medium
ぼくのMediumのアカウントです。自分で「Medium日記」と呼んでいる、1日の活動を振り返る日記は、毎日22時半くらいに更新されるか、と思います。とりとめのないことばかりを書いてるので、自分のために書いている、って部分が強いのですが。
Mediumでは他には、自分のブログの記事も載せたりしています。特に、はてなダイアリーで書いてたときのエントリを読み返し、「知的生産」に関する話をときどきMediumに再掲したりしてます。そんな感じで、Mediumで遊び始めているところです。なんとなしにのぞいていただければ、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

「実行タスクに対して必ずメモ残すために、ちょっとした工夫をしてみたねん。

いや、それまでもなんとなーくはメモ残しててんで。でも、メモ残すタスクもあれば、めんどくてメモ書かずに完了させてまうタスクもあり、、、ってそんな感じやってん。
でもな、半年くらい前かな。『初速思考』て本を読み返してて、各タスクに対して、ちゃんとメモしていこうと思ってん。
どこ読んでやったかなー、あ、ここやここ。55ページ。

「振り返り」というと、どうしても面倒なイメージがあるかもしれません。そこで私は、1行でもいいから記録しておくという工夫をしています。

これ読んで、あぁ、1行だけメモしといたら、メモも残しやすいしあとで見返しもしやすいかも、と思てん。
なかなか時間取られんやんか。メモ書く時間も、見返す時間も。
だからってなんもせんかったら、今やってることから得たことはすぐに忘れてまう。
1行だけならなんとかなりそうって思えるし、真似しようと思ってん。

。。。あぁ、表示されるな、確かに。それそれ、その画面な。

でもメモはその画面ではしてないねん。
確かに「たすくま」は、タスクを完了させるとメモ画面になって、メモ書くのん促してくれるよ。その完了画面使ってメモを書いてってもいいんやけど。。。今は、ちょっと手間やけど別のアプリでメモ書いて、たすくまの完了画面にペーストしてメモ残していってるねん。かれこれ半年くらい。

いや、いう通りちょっとめんどうやよ。めんどうやけど。ちょっと気になってまうねん。ほんま細かいことやねんで、むちゃ細かいことやねんけど。
というのも、たすくまの完了画面表示してるときって、今までやってたタスクは完了してもうてる。でも、次のタスクは開始してへんって状況、つまりは、何も計測されてへん状況なわけやろ。空白の時間ができてもうてるわけやん。それが、ちょっといややねん。
せっかく時間のログをずーっととり続けてる、空白の時間がないようにタスクをこなしていってるねんから、完了画面はすぐ閉じて次のタスクを開始させたいやん。
細かいことやけど、な。
完了画面をはよ閉じたいから、自然と書き残すメモも短くなってまうやん。短くなってまうし、「あぁそんなんやったらもう書かんでえぇや」ってなりやすいやん。書かんかったら空白の時間はほぼなしで次いけるわけやし。

いやな、そんな1分1秒ももらさずに、タスクに取り掛かってる猛者ではないよ、そうじゃないけど、でもやっぱ空白の時間を許してもうたら、そこからズルズル空白が長くなってもうたりするやん。
付け入る隙はなくしていかんと。
自分はただでさえすぐ自分に甘えてまうのに、隙があったらよけい甘えていってまうやん。
甘えが隙に付け込んできよるやん。
確か今おまえにかしてる本にも書いてあったと思うねん。「象と象使い」が印象的な、、、そうそう、「スイッチ!」な。
あ、今持ってんの?ちょっとかして。
あったあった。「白黒の目標」やな。118ページから119ページか。

あいまいさが象に言い逃れの余地を与え、失敗を正当化しやすくする。このジレンマに対処するひとつの手は、超明確な目標を定めるという方法だ。

自宅や職場で正当化が心配なら、目標からあいまいさをそぎ落とす必要がある。「白黒の目標」が必要だ。

白か黒か、書かれているタスクをやっているかやっていないか。グレーな空白の時間とかあったらあかんねん。
すぐ付け込んできよるからな。

まぁあとは、単純に他のメモ専用のアプリで書くほうが書きやすいってのが理由やな。
メモに特化してるアプリって、いろいろ書きやすくする機能とかついてるから。
ぼく使ってるんは「Textwell」やねんけどな。そう、好きやねんこのアプリ。iPhoneで何かしら書くとき、こればっか。
最近「アクションバー」って機能付いて、普段よく使うアクションはキーボードの上に表示してくれるようになったし、ますます使いやすなってきてるし。

ぼく、iPhoneで何か書くってとき、ほぼ必ずTextwell使うから、Textwellを起動させたら何かしら書こうと思うねん。で、今までやってたタスクに関するメモを書く。たすくま起動させてペーストする。と、たすくまにメモが蓄積されていくやろ?各タスクに対して、メモが最低でも一行残っていく。
空白の時間をなくすためにも、メモをちゃんと残していくためにも、ほかのアプリでメモを書いてからたすくまでタスク完了させて、完了画面でメモをペーストしてるって手をとってるねん。多少は手間やけど、実際そのほうがタスクにメモを残せていってるから、必要な手間やね。
で、このメモを利用して「アクションリスト」を作っていくわけやん。あ、「アクションリスト」も『初速思考』に書いてたんやけどな。
まぁ、アクションリストとか別に作らんでも、実際ぼくもそんなガシガシ作ってるわけちゃうし。
やったタスクに対して、必ずメモが残っていってるってのがいいんよね。

ただ、たすくま上でメモを見返すのはちょっとめんどいから、WorkFlowyに、、、え?あぁ、ぼちぼち時間か。次のタスクに取り掛からなな。
見返す話は、また今度ってことで。
んじゃ、また。」

参考

Taskuma — TaskChute for iPhone — 記録からはじめるタスク管理
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Textwell
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